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18話 「或る選択」






「――親父をどうしたってんだテメェ!!」


 息苦しさと心苦しさがハルの喉を締め付けた。

 マゴーは崩落に呑み込まれてしまった。普通に考えればもう――そんな軽率な諦観ことばを口にできず、曖昧な言い訳だけが零れていく。


「分からない……逃げた先で待ち伏せされて、みんな散り散りになって……」


「散り散りに……? はっ、そいつは大変だったな?

見たこともねえ女侍らせて、呑気にキャンプしてたようにしか見えねえけどな!」


 勢いよく突き飛ばされた。

 背中から倒れて咳込むハルを見下ろし、瞳も肩も全身の毛も逆立たせたキーファが憤りを吐き散らす。


「なんで無事なのがお前だけなんだ!? 他の奴らを探しにも行かねえで! 妙な格好の女と話しながら狼煙をあげる暇があるってか……!! 追っ手がよほど怖くねえんだろうな!」


 ハルの口元が苛立ちに引き締まった。

 彼からは幾度も皮肉や暴言を受けてきたが、その時とは比べ物にならない悪意がキーファの怒号に込められている。


「最初から俺たちを騙そうとしてたんじゃねえか!? 何か言ってみろよ!!」


 親の仇を見る目だ。

 彼にとってはマゴーの仇同然なのかもしれない。

 だがハルを射殺さんばかりの形相と言いぐさに我慢が利かず、ハルも声を荒げてしまう。


「そんなわけねえだろ……! 俺だって、俺だってなぁ!」


 シオンを置き去りにしてきたんだ。

 家族が居なくなって不安なのはお前だけじゃない。

 感情に任せて叫ぶ、その前に。


「やめてくだざい……!!」


 金切り声に似た懇願が二人の激情に水をかけた。

 コレットは両耳を塞ぎ、首を振りながら声を絞り出す。


「やめて……見たくないです……喧嘩なんて、したら……ザジさんが、悲しみます、から……うっうっ……うぐ……」


 悲痛な泣き声に呼吸が止まった。

 怒りの形相に苦痛の色が混ざったキーファが、唇を噛む。

 先ほど癒したはずの喉の渇きが一層干上がった。


 尋ねなければならないのに。

 突き付けられる事実と向き合うことが恐ろしくて仕方がない。


「ざ、ザジは……」


「えぐっ……ご、ごめんなざい……わた、わたしがしくじって……ざ、ザジさん……わたし、かばってぇ……ううううぁ」


 わっ、と地面に蹲ってコレットが泣き叫び、熱くなった二人の感情を急速に冷やした。あるいは仲間を失った喪失感がそうさせるのだろうか。


「ザジが……」


 彼は、狸亭の武を支える大黒柱だった。

 腕前だけでなく思慮深く、仲間想いで誰よりも頼りになる寡黙な兄貴分だった。


 泣きじゃくるコレットの姿にハルは自分を恥じた。

 彼らは目の前で兄を喪い、彼らが命懸けで託したはずの父親も行方不明。それを守り切れず口を濁すハルなど、どんな言葉を浴びせられても仕方ないではないか。


 少女の泣き声を前に、ハルは無力だった。

 青年の眼光を前に、ハルは無力だった。


 ――黒尽くめの少女だけが、その停滞を許さなかった。


「泣くな。水分がもったいない」


「ぅ、ぇ……?」


「今は水ひとつ確保するのも容易ではないんだ。涙の一滴すら今の私たちには貴重な財産だ。無駄に流すな」


 コレットの双眸が驚嘆に彩られて歪む。

 キーファの全身の毛が怒気を宿して逆立った。


「何様だテメェ!! 仲間が死んだのに泣くなだと!?」


 キーファが詰め寄って黒服の胸倉を乱暴に掴み上げるが、ルシカは怜悧な瞳を静かに向けて諭すように言う。


「ああ、そうだ。生き残りたければ、死にたくなければ、何一つ無駄にするな。それは君も同じだ、虎人族ティグレ混血種ハーフ。君の浪費もまた度し難い」


「ふざけやがって!!」


 ルシカの細い肢体が吊り上げられる。

 先ほどのハルの要領で地面に投げ捨てられてしまえば大怪我は免れない。慌てて二人のいさかいを止めるため駆け寄るが、それよりも早く――細く白い指が激情に駆られたキーファの両頬に添えられた。


「黙れ」


「ぁ、……?」


 心臓を鷲摑みにされそうな声音にキーファの腕の力が緩む。

 間髪入れずルシカの細い腕に力が入り、二人の顔の距離が接近した。昏い黒曜の瞳がキーファの視界を覆う。


「喋るな。嘆くな。囀るな。憤るな。いくら費やしても苦境は変わらず財産かつりょくを無意味に損なうだけ。死にたいなら一人で死ね。自棄やけになりたいなら一人で死ね」


 一言一言。命を咀嚼していくような声。

 地獄の底から響く悪霊の怨嗟に似た言霊が耳から脳へと伝い、激情に駆られたキーファを怖気おぞけさせた。


「もはや君が吐く息、汗の一滴に至るまで散財むだは許されない事態だと自覚しろ。さもなくばやはり、ここで死ね。これ以上別の誰かを殺す前に死ね」


 何より彼女の瞳が恐ろしい。

 人を見る目ではない。

 家畜や害虫を見る目ですらない。

 そうだ、生き物を見る目ではなかった。

 骨董品や絵画と同じようにキーファの価値を値踏みし、自分の価値観に見合うかを見定めている。


「ぐっ……」


 一秒でも早くこの目から逃れたい一心で手を離す。

 気が付けばハルですらルシカの口上に圧倒され、泣き喚いていたコレットも喉をしゃくりあげるばかり。


「ハル。これで全員かどうか、君の判断は?」


 この空気を生み出した彼女だけが平常心だ。

 乱れた服装を整え、圧倒された二人を放ってハルに水を向けた。これ以上ここに留まるかどうか、その判断を尋ねられ、ハルは唇を噛んだ。


「ま、まだだ。あと一人は、絶対来る」


「私を除いても三人が集まった。いつ襲撃されてもおかしくない状況だよ」


「……でも」


 シオンが、まだ戻らない。

 朝焼けで薄れた狼煙のろしを縋るような顔で振り返る。

 弟なら必ず包囲を突破してここに辿り着くはずだ、とハルは信じている――けれど。


 小さな地響きに悲鳴が上がったのはその時だ。


「……地震!?」


「いや、土砂崩れにしても遠すぎる」


 見渡せる範囲に大きな影響は出ていない。

 奇妙なのはその揺れがいつまでも収まらないことだった。まるで森林の伐採現場に出くわしたような異音だ。巨木が大地に身を打ち付ける音が続き、彼らの不安を掻き立てていく。


「なんだ!? 追っ手が近付いてきてんのかァ!?」


 ハルたちは知る由もない。

 地響きは山の反対側で始まった人形師マリオネッテの癇癪だ。


 だが効果は絶大だった。思考が浮足立ち、拠点を今すぐ放棄する方向へと天秤が傾いていく。

 ルシカでさえ、急かすような視線をハルに向けた。


「ハル」


「……悪い」


 首を振った。両の拳を握り締めて首を垂れる。

 もし頷けば、一生後悔する気がした。


「俺一人でも、待つ。俺はあいつの兄貴だから」


「そう、か」


 この時ばかりはルシカに美しい顔立ちに迷いの色が見えた。切れ長の瞳を細め、そして。


「七割ぐらいかな」


「ルシカ?」


「まだ敵が来ないほうに七割。この地響きは敵方に取っても想定外の天災と見る。ハル、狼煙の番を欠かさずにね。もし三割のほうを引いたら応戦せず逃げること。私は二人を伴って新しい拠点を見繕っておく」


 ルシカはキーファらに目配せをして歩き出す。

 反射的に怒鳴り散らそうと歯を剥くキーファの袖をコレットが引いて、小さく首を振った。


「い、今は喧嘩してる場合じゃない、ですから。ね? ちゃんと休める場所、探しにいきましょう?」


「……クソ」


 下唇を噛み締め涙を拭い、気丈に振舞う妹分の姿にキーファの反骨心が萎む。敵意の籠もった鋭い眼光をハルたちに向けて。


「こんな胡散臭い女の言う通りにしろってのか」


「君たちが運んだ荷の中身を相手に随分な言い草だ。この白絹、覚えがないとは言わせない。私はむしろ君たちに迷惑を掛けられた被害者と言えなくもないんだが」


「……もし騙しやがったら、ただじゃおかねえぞ」


「君がその気になれば私の首など一息で圧し折れる。いわば私は人質だよ。丁寧に扱え?」


「テメェみてえな態度のデケェ人質が居るか!」


 ひとまずは話が纏まり、落ち着かない気持ちで行く末を見ていたハルも安堵。

 山の中腹から更に上へ進路を取るらしい。

 雰囲気は傍目に見ても悪かった。

 重い空気に耐えかねたコレットが「た、探索なら得意分野です!」と背の翼を広げて空を舞ってみせると。


「コレット、翼は引っ込めておくんだ。目敏い相手なら空を泳ぐ小鳥とて見逃さないし、腕の立つ者ならは一矢で射抜くだろう。軽挙は重ねて慎むように」


「は、はひ」


 にべもなく撃墜されコレットは涙目で何度も頷いた。

 三人を見送り、改めて気持ちを切り替える。ルシカの言うことが正しければ二人の合流は遠からず向こうに伝わるはずだ。いつ攻めてきてもおかしくない。


「……遅いな、シオン」


 腰に手を当て、未だ戻らない弟のことを思う。


「いや……シオンなら大丈夫、だよな」


 シオンは強い。弟以上の剣士をハルは知らない。

 今すぐにでも辛辣な皮肉を携えて、ひょっこりと顔を出すはずだ。


「……そう、だよな」


 何か致命的な見落としをしてないか、その不安を必死に押し留めた。今は信じて、待つしかないのだから。



 振り返ってみれば、この選択が分水嶺であったと気付くのはずっとずっと後のこと。














 貴重な時間が無為に過ぎていく。

 朝焼けの空は消え、太陽がハルを跨いでいく。

 断続的な地響きが少し前に途絶え、今は燻って息も絶え絶えの炎だけがハルの無聊を慰めるばかりだ。


 敵が襲撃してくる気配はない。

 訪れる仲間たちの影もない。

 狼煙にくべる枝や枯れ葉も底をつき、新しい燃料を用意するため腰を上げる。


「シオン、本当にどうしちまったんだよ……」


「待ち人、来たらずか」


 振り向けば、黒尽くめの少女が坂道を下ってくる所だった。白い肌に珠のような汗が滲み、悩ましげに吐く息がどこか色っぽい。誤魔化すように頭を掻き、そっぽを向く。


「おかえり、ルシカ。いま朗報が聞きたい気分なんだ」


「では大いなる精霊の祝福に感謝を捧げたまえ。あれから私たちは狩人の避難小屋を発見した」


 多くの不運に見舞われた私たちにもたらされた、ようやくの幸運だよ、とルシカは丸まったハルの背を叩く。


「携帯食料に清潔な水入りの樽、包帯に山全体の造りを記した地図。何とも至れり尽くせりだ。お腹が空いただろう。干し肉を持ってきたからこれで腹を満たすように」


「……助かる」


 干し肉は強烈な塩味が効いていた。

 辛みと肉の旨味が凝縮されたハル好みの味なのに、心は少しも晴れることはなかった。


「シオン、腹を空かせてんだろうな……」


 肉料理に人一倍首ったけな弟のことだ。

 ハルがここで干し肉に舌鼓を打ってるなんて知ったら、それはもう涙目になりながら胸倉に掴みかかって、ずるいずるい、と喚き散らすことだろう。

 そっと半分を包んで懐に入れておく。


「随分と入れ込んでいるように見えるよ」


「当たり前だ、弟だぞ。心配しない方がどうかしてる」


「君に兄弟がいるなんて驚いた」


 神妙な声だった。

 振り向けば黒曜の瞳がハルを真っ直ぐに射貫いて――


「なぁハル。シオンとは何者だれだ?」


 おかしなことを、口にした。

 ハルは体を強張らせ、その真意を思案した。

 時間にして五秒ほどの硬直。

 ルシカは一度も視線をそらさなかった。

 けれど彼女の真剣な表情の意味も、言葉の意味も、何一つ紐解くことはできずに。


「意味が分からないぞ。冒険家で、俺の弟で、他に何がある?」


「女と見紛う顔立ちの、長剣を扱う剣士だとコレットから聞いた。卓越した剣術と体術の使い手で、剣舞のように美しい戦い方だと。何とも違和感がある話じゃないか」


「何がだ?」


「君と違って、シオンという少年は少しも鬼人族オーガらしくない」


 ハルの口元が僅かに窄まる。

 何かの急所を突いたという手応えがあった。


「ほんとに、その人物は君の、……!?」


 詰め寄るルシカの口を塞いだのは突風であった。

 ざんばらに切ったハルの髪が巻き起こるほどの強風。否、それは質量を持った風の化身。

 瞬きの間にハルの眼前からルシカの姿が消え失せた。


「っ、が……はっ!」


 苦悶の声は下からだ。

 低い怜悧な声色が潰れた呻きに変わっていた。

 横たわる彼女と、それに覆いかぶさる影。

 上下で眼光を打ち鳴らしあう二人は、同時に声を発した。


「……きみ、は……だれだ……?」


「は、ぁ……お前こそ……誰ですか……?」


 問いかけは奇しくも同じ内容もの

 風の化身がルシカの首を締め上げ、赤黒く染まって刃こぼれした長剣がその美しい顔付近に突き立てられた。


 ルシカの耳の薄皮一枚を切り裂き、黒く変色した鋼が本来の姿を思い返すように朱色を生む。


「はぁ……ハァ、ハァ、ハァ……!」


「……」


 ルシカは悲鳴一つ上げなかった。

 今にも感情を暴発させ自分の喉を掻き切らんと不安定に揺れる緑葉色の瞳を、ただ無為に見つめ続けていた。


 憎悪の炎が目の奥で火花を散らしている。

 まるで氾濫する直前の大河、あるいは噴火する直前の活火山に似た危うさ。


「お前、誰ですか……こたえろ、だれ、だ……!!」


 耳を浅く裂く剣に力がこもる。

 一度決壊すれば、恐らく歯止めが効かない。

 身じろぎひとつすれば致命的だ。その抵抗を合図に、ルシカは幾つかの肉塊に切り分けられるだろう。生唾を飲みこむことすら躊躇われる窮地。そこに——


「シオンッ!!!」


 雷落に似た怒鳴り声が響いた。

 襲撃者の瞳が、波が揺れる動きで理性の光を宿す。

 親に怒鳴られた子供のように背中を小さくし、しかし荒々しい息遣いと手にこもる力を抑えることができないまま声の主を振り返る。


「あ、は、ハァ……兄さん……?」


「っ……!」


 長剣を握った右腕に飛びつく。

 摩擦で裂傷を起こすほど硬く握られた長剣を奪い取って遠くへと放ると、シオンの体から一切の力が抜けた。


「ぁ……」


「シオン! おい!」


 崩れ落ちる華奢な体を抱きとめる。

 細い腰回りに伸ばした腕が、ぬるりと不吉な感触をなぞった。

 腹部から惜しむことなく血が流れ出ている。


「な、なんだ、これ……っ」


 脇腹が無残に抉られていた。

 肉の一部が欠損し、半月の形をした穿孔からは赤い泉が止めどなく湧き出している。

 考えなしに傷口を手で塞ぐ。

 足りない。ハルの両指の隙間から赤い泡が弾けていく。


「……まずい」


 身を起こしたルシカは咳き込みつつ渋面を作った。

 赤く赤く満たされていく景色。

 比例して青白く色を失っていく顔色。

 当然の帰結が、ハルの心を鋭く抉りぬいた。



「致命傷だ。これはもう、保たないぞ」





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