16話 「悪意の容れ物」
空に昇る白煙を、男が見上げていた。
達磨を思わせるずんぐりとした体躯。
ぎょろりと剥き出しのどんぐり眼に虎のような無精髭。
見た目は豪傑を思わせ、目は狂人に似る。
虎髭をなぞり思案する仕草が賢しそうな雰囲気を漂わせ、奇妙な人物像を結んでいる。
「頭領。第一から第八まで要所の封鎖は完了です」
振り返り、長年付き従ってきた腹心に鷹揚に頷く。
腕前は並みだが、雑務や伝令など細かいことをやらせれば間違いはない。男が重宝している部下だった。
「山に入る奴らに妙な勘ぐりはされてねえだろうな」
「地震で道が断裂したと説明してやす。事実ですんで」
それにしても、と腹心も釣られて空を仰ぐ。
「呑気に狼煙だぁ連中、何考えてんでやしょ。命は取られないとか、高ぁくくってんでしょうかね?」
「互いにここまでやったんだ。甘くは考えねえよ」
頭領の視線がすぐ傍の天幕へと向けられた。
まるで野戦病院だ。苦しげな呻きが幾つも漏れ、中を見ずとも過酷な景色が広がっていると想像できる。
「何人死んだ?」
「十五人。まだ何人か帰ってきませんが」
「随分殺られたな、割りに合わねえ。化け物が混ざってるならそう言えってんだ」
報告によれば、化け物は子供の姿をしているらしい。
闇に紛れて現れ、一切の躊躇いなく首を刎ねては姿を消す。
はじめは世迷言だと怒鳴り散らした頭領だが、矢継ぎ早に続く悲痛な報告の前に認めざるを得なかった。
尤も相手も無事では済まなかったようだが――
「いや、たかが数人殺すのに、うち以外にも声を掛けてる時点で察するべきだったかもしれねえな。ところで連中の腕前はどうだい。前評判通りかい?」
「噂通りですわ。良くも悪くも」
「そうかい。腕はいいが性格が最悪ってのはやりにくいな」
前に突き出た腹をさすり、ボンと叩く。
愛嬌のある動きと顔面の凶悪さが噛み合わず、存在自体が演劇の中から飛び出した登場人物のよう。
彼らの元に無遠慮な足音が近付いてきたのはその時だ。
腹心の男が目を剥いて後ずさる。
黒い鉄製帽で顔を隠した集団だ。
男もいれば女もいる。大人もいれば子供もいる。
物々しい武装に身を包み、我が物顔で山賊団の陣を縦断する――その先頭を歩く少年を認め、腹心が呻く。
「ま、人形師……」
「はは、酷い有様じゃあないか! 名高きオーガ山賊団がなんて様だ! なんだいこれ? 豚の飼育を始めたんなら、僕にも一言あるべきじゃない?」
甲高い侮辱の挨拶だった。
小奇麗な装飾を施された衣服をまとった小柄な少年だ。
色合いの濃い金髪を肩口で切り揃えており、清潔に整えられた身なりは粗野な格好の男たちとは対照的だ。
「随分なご挨拶で。あっしが豚のようだってんなら、ぐうの音も出ねえがね」
「豚というより達磨だな。なぁ盾。お前もそう思うだろ?」
蔑みと嘲りの色を込めて少年が嗤う。
馴れ馴れしく肩を抱かれ盾と呼ばれた少女は俯いた。
どう答えていいか分からず黙り込んでいる様子に、少年は舌打ちを見舞ってその肩を突き飛ばす。
「あっ……!」
「笑えよ。笑え。僕が聞いてんだろうが? わざわざ話題を振ってやったのに気が利かない奴だな」
「申し訳、ありません」
「愚図が。ああ、ごめんね頭領。こいつ新入りだからさ。笑いどころが分からないみたいでさあ」
子供の笑み、と言うには毒を含んだ嫌らしい顔付き。
この場に居る全ての者を格下に見ていると隠さない傲慢な態度だが、達磨の男は笑って応じた。
口元を僅かに吊り上げながら、少年を観察する。
何の変哲もない人間族だ。
若く見える、というより幼く見える。
虫の羽根をもぐような無邪気さを装いつつ、汚れた大人に似た下卑た笑みが年齢との差異を感じさせる。
「わざわざ機人族を引き連れて、うちに何の御用で?」
ぎょろりとどんぐり眼を動かして少年の後ろを見やる。
男女合わせて四名の機人族。
中でも目を引くのは唯一、執事服に身を包んだ細目の男だ。
無表情で佇む他三人と違い、細目の機人族は絶えず微笑みを浮かべて成り行きを見守っている。
「一度さぁ。見てみたかったんだよ。本物のオーガってやつをさ。今までオーガを名乗る道化師はたくさんいたけど、どれも取るに取らない口先ばかり。でもオーガ山賊団なんて聞いたら期待するじゃない? 今回こそは本物かもってさぁ」
「ははぁ。それは酔狂なもんで。楽しいもんですかい?」
「見て楽しむより有効な使い道があるじゃないか」
呆れを含んだ返事に、少年は目を細めて微笑んだ。
物の怪を思わせる喜悦に満ちた気味の悪い笑み。
幼い顔立ちが奇妙に歪んで達磨男よりもおぞましく見えた。
「なぁおい短剣……どうだ?」
呼ばれ、少女型の機人族が進み出る。
額に装着された鉄装飾を上にずらすと、幼い鳶色の無感動な瞳が露わになり、頭領の顔を見つめ、やがて首を小さく振る。
「違います。オーガではないと、思います……」
「…………はぁぁぁ。なんだよ、がっかりだ。やっぱりオーガの山賊団だって名乗ってても偽物かぁ。まぁ、この様なんだから期待なんかしちゃいなかったけど」
肩を落とし、唾でも吐き掛けそうな目が頭領に向く。
「おたく、どういうつもりだい?」
「機人族ってさぁ。元は魔族を殲滅するための機械兵器だっただろ? いわゆる天敵の関係なんだよね。機人族にはオーガが判別できる機能が付いてるわけ」
頭領は顔色を変えなかった。
だが内心では、少年の狂った感性に揺れていた。
少年の中に常識外れの無邪気な悪心を垣間見たのだ。
頭領が本物のオーガだったら、どうしていたか。少年が引き連れてきた機人族の数が、その答えを物語っている。
「僕の飼い犬の中でも短剣は感受性が強くてね。こいつが見て反応がないってことは、アンタは偽物だってこと。だから大物ぶらなくていいよ」
少年は短剣と呼ばれた少女の肩を撫でる。
彼女は盾ほど明確な怯えは見せず、肌を這う少年の指使いに身じろぎひとつせず受け入れていた。
「オーガの名前は便利でねえ、ちょっと振りかざせばみぃんな震えあがる。オーガさまさまってやつで……」
「僕には通用しないけどね」
「はっはっは」
機嫌を取るように首肯した。
正体を暴かれるなど頭領にとっては些末事だ。
得意げに人形遊びへと耽ろうとする少年にぶつけたいことは、他にある。
「ところで、最初に聞いてた計画とのズレはどうするおつもりで? 夜襲をかけて一網打尽にするって話だったのに、取り逃がしちまったって聞きましたぜ」
少女の肌を撫でていた少年の指が止まる。
振り返ったその顔から、笑みが消えていた。
「まるで僕のせいだとでも言いたげだな。お前の手勢が弱すぎるんだ。あっさり包囲を突破されやがって……」
「あれでもゴロツキよりはマシな部類を選んどいたんですが、さすがは冒険家。少しばかり場数を踏んでやがったようでね。――けれどよぉ」
どんぐり眼がくわっ、と見開かれた。
頭領が見せた初めての怒りの形相は、禍々しく歪んで鬼を連想させる。威圧する目的を込めて吐き出された叱責は、重量感すら伴っていた。
「犬に匂いを嗅ぎつけられ、殺し損ねて吠えられたのはおたくの不始末だろうが」
標的に鼻の利く狗人族がいることを知りながら風上に居座る不注意さ。
確実に殺さず、遠吠えを許す油断、その未熟さ。
その不始末の尻拭いとして、二十人以上の仲間の命を支払わされる事態となったことは腹に据えかねる。
すり潰して獣の餌にばらまいてやりたいところだ。
「……なに。まさか文句があるっていうわけ?」
怒気に押され、強がる少年の声が震える。
怒りの表情を保ったまま頭領は歯を剥き出しにした。
なるほど戦えば全滅するのは山賊団が負けるだろう。
だがこの距離なら、後ろの人形たちが手を打つ前にその細い首をへし折る自信がある。
「……ふう」
一拍の後、頭領は憤怒を吐息に変えて吐き出した。
馬鹿らしい言い争いだ。失策を押し付けあい、殺し合おうが一銭の得にもなりはしない。
「やめやしょう。お互い、雇い主に尻尾振って生きようとしてる身なんだ。不満は飲み込んで、大人の話し合いと行こうじゃありやせんか」
「はっ、なんだよ。命が惜しくなったのか?」
「惜しい惜しい。雇い主に首を切られるのはご免被る」
首をトントンと叩く仕草に少年も黙り込んだ。
両者に境遇の違いはあれど、立場の違いはない。
年長者の分だけ、こちらがより損得を弁えているだけだ。
「山狩りには人手がいるでしょう? 周囲の封鎖に獲物の追い立て……あっしらはおたくの猟犬として存分に走り回りますんで、どうか収めていただければ」
手酷い損害を被ったが、人員はまだまだ投入できる。
だがどうしても冒険家を揃えた逃亡者に対して質で劣る。
少年が使役する機人族は文句なしに強い。
連携は期待できないが、協力しなければならないのも事実なのだ。
「ふん。僕は狩人か。適材適所を分かってるじゃないか。いいとも、弱い君たちに変わって僕が皆殺しにしてやる。せいぜい僕の手足として役に立ったとご主人様に言えるよう、死に物狂いで頑張るんだね」
それだけ言い放って踵を返す。
苛立ちが燻らせ強張った笑みを形ばかりの敬意で見送る。
後ろ姿が消えて機人族たちも撤収した頃、黙してやり取りを見ていた腹心の男が唾を吐いた。
「自分一人じゃ何もできねえぼんぼん貴族め。優秀な人形従えて実力者気取りたぁ、片腹いてえ」
「どうかねえ」
否定的な言葉が返ってくるとは思わず目を見開く腹心に、どんぐり眼の男が虎髭を弄りながら深い息を吐く。
「ありゃあ、案外くせ者だぜ」
「そうですかね? とてもそうは――」
言葉は最後まで続かなかった。
突如、森が悲鳴をあげた。
少年の甲高い癇癪の声と轟音が辺り一帯に響き渡った。
「な、あ……!?」
腹心の目に映ったのは、黒い塊の巨躯が破壊の限りを尽くす光景だ。
地響きが起こり、緑の大地が死んでいくのを目の当たりにして頭領は自らの直感が正しかったと理解した。
「こりゃあたまげた。殺り合わないで正解だったな。あんな嵐に巻き込まれちゃ堪らねえ。陣を引き払え、こっちまで潰されかねねえぞ」
迅速な決断に、腹心の男は目散に駆けだした。
先ほどまでの感情は放り捨て、畏怖を胸に刻みつける。
アレは自身の感情すら制御しきれない類の怪物だった。
本来、関わり合いになるべきではなかったのだ。
頭領の判断の正しさを証明するように、やがて破壊の嵐は彼らの陣をも呑み込んだ。
「ふざけやがって。ふざけやがって、ふざけ……はぁ」
癇癪が終わったのは周辺一帯の森を更地に変えた頃だ。山賊たちの陣は徹底的な破壊に巻き込まれて見る影もない。気が付けば太陽の位置は中天を超え、ゆっくりと傾いていく頃合いだ。
服に付いた汚れを払いながら地面へと降り立つ。
荒野となった陣の中央に燕尾服が仁王立ちし、その後ろには鉄製帽に黒タイツの機人族たちが控えていた。
「主に斧を向けるなんて不敬じゃない、斧?」
「申し訳ございません若様。脆弱な山猿の尻を叩きに行くので全員傍に控えろ、という命令が更新されないまま、お戯れが始まりましたもので」
燕尾服の男――斧は笑みを崩さない。
手にした長柄の斧を折りたたんで左腕へと収納すると、無手を胸の前に置きながら恭しく薄緑の頭を下げる。
「傍を離れるわけにはいかず、しかし若様のお怒りに巻き込まれれば命がなく。命令を遵守するための自衛でございます。どうか寛大な御心でお見逃しを」
「分かった、分かったよ、つらつらと鬱陶しい」
下賤な荒くれ者どもも、これで態度を改めるだろう。
自分の恐ろしさを胸に刻み、鼠のように逃げ回る男たちの無様な姿を想像すると胸がすく思いだ。
「うん? 命令を遵守したという割にはおかしいなぁ」
少年に変わって痴れ者に制裁を加える拳。
斥候や調査、時には暗殺を行う短剣。
常に傍に控え、身を挺して少年の身を守る盾。
燕尾服に身を包んだ指揮官の斧。
数え直してもやはり足りない。
彼らの他にもう二人の猟犬がいたはずだが。
「銃身は相変わらず?」
「『示威行為に僕は必要ない』とのことで。戦場の掌握と包囲網の警戒に当たらせております」
「ふん、まああいつはそれでいいや。槍のほうは? さっきから姿を見ていないんだけど」
周囲の機人族たちは一様に顔を俯かせた。
何かを恐れて目を逸らす所作に怪訝な目を向ける主に対し、斧が痛ましげに目を伏せる。
「……どうぞ、こちらに」
促され、少年は不服そうな渋面を作ったが素直に従った。
更地と化した一帯を抜け、樹々に囲まれた道を歩く。
目的地には程なくして到着した。
樹木に背を預ける形で槍が一行を待っていた。
「……なに、これ」
あまりの惨状に少年は困惑の声をあげた。
槍の胸には無残な風穴が空いていた。
中から零れる血液もとうに枯れ果て、左腕は肩の付け根から消失。切断面からめくれあがった鉄身や断裂した導線が剥き出しのままになっていた。
満身創痍――否、死体の成りそこないだ。
砕かれた鉄製帽の痛ましさが、苦闘の跡を物語る。
手足をだらりと投げ出し、数分後の終わりを待っている。
「……若様、どうか最期の言葉をお聞き届けください」
少年に反応はなかった。
頷きもしなければ否定もない。
肯定と受け取った斧が槍の掠れ声を拾い、その意図を汲み上げて主へ届ける。
燃え尽きる間際の蝋燭に似た熱があった。
槍を交えた剣士が、いかに強敵であったか。
必殺を期した奇襲も命を奪うには至らず、今後も十分に警戒を、と彼女は息も絶え絶えに語った。
槍を交えた天才剣士への敬意が。
命令を遂行しきれず死ぬことへの悔恨が。
主を残して逝くことへの悲痛があった。
彼女が最後に残そうとする一滴の感情すら言い漏らすまいと斧も心を砕いた。
「ああ……」
黙って聞いていた少年が、ついに声を発した。
相槌が自分に向けられたものかと思った槍は、軋む身体に鞭打って顔を上げ、自分を見送る主の顔を目に焼き付けようとした。
主の顔は見えなかった。
主の姿さえ見えなかった。
掠れて消えそうになる槍の視界一杯を黒い何かが覆い尽くし、そして。
「――なんかもういいや、お前」
肉が挽き潰される音。
血が雑巾を絞ったように地面に散乱した。
燕尾服の男に、熱い鮮血が降りかかる。
必死に言葉を紡ぐその口内に血液が飛び込んだ。
灼熱のように熱い彼女の味が口の中に広がって、呆然としたまま斧は呻いた。
「若様――な、何故」
「我慢して聞いてやったら長々とさぁ。いつ終わるんだよ。一向に終わらないから終わらせたんだよ。それで結局負けたんだろこいつ? それが一番問題だろ。獲物に逆襲されて死ぬとか僕の沽券にかかわるじゃない。こいつ僕の名誉に傷をつけたんだよ、じゃあ罰を与えるしかないじゃん」
黒い何かが血肉を滴らせながら槍のいた場所から退く。
見るに堪えない惨状をその場の全員が目撃した。
機人族の体はその中身を含めて人とそれほど差異があるわけではないことを示す壮絶な光景であった。
「そうだ、山猿どもが生意気な口を利いてきたのは、もとをただせばこいつの不始末じゃないか。あの野良犬にちゃんとトドメを刺さないから僕が恥を掻かされたんだ」
「若様……彼女、は」
何を言っていいか分からず、燕尾服は俯いた。
最期まで主の身を案じていた彼女の想いは、少年が言葉を吐き出すたびに踏み躙られていく。
「役立たずの上にどうしようもない鉄屑め。こうなって当然じゃないか。本当なら僕の手を煩わせる前にお前たちで片付けるべきだよね、まったく」
「ひどい……」
それは小さな呟きだった。
「ぁ?」
絞り出すような非難。
振り向いた少年の濃い金髪の間から、身を竦ませる眼光が声をあげた少女に注がれる。
盾と呼ばれた少女だった。
胸の前で拳を握りしめ、顔を伏せつつ言葉を絞り出す。
「主様が、捨て置けって……どうせ何もできないって……」
「――オマエ」
愚直な少女の訴えは違わず主の耳に届く。
額に血管が浮き出るほどの形相で少年が血走った目を向け、その背後で血が滴る黒い腕が振りあげられる。
一秒後、地面に再び朱い花が咲く。
少女は身を固くしながら目を瞑り、衝撃を待った。
惨劇が繰り返されるその直前、少女の前に燕尾服が両手を広げて声を張り上げた。
「若様に申しあげます!」
鋭く飛んだ声に、しかし少年は止まらない。
無礼な人形に罰を下すだけだ。邪魔をするなら諸共に叩き潰すと濁り切ったどす黒い目が語り――
「オーガでございます、若様! この山の中にオーガがいるのです!」
効果は絶大だった。
憤怒に彩られた少年の瞳が理性を取り戻す。
黒い腕は頭上高く掲げられたままだが、とにかく興味が自分の言葉に移った手応えを斧は感じ取った。恭しく頭を下げ、必死に舌を回す。
「この目で確かに見ました。この肌が感じ取りました。恐ろしい気配を漂わせた少年! あれこそはオーガに間違いありません! なれば若様、これはまたとない機会ではないでしょうか!?」
声は震わせてはならない。
低姿勢でありなから堂々としなければならない。
感情を逆なでしてはならない。
有用性と憐みが混在した存在でなくてはならない。
様々な制約で自らを律しながら、恐る恐る顔を上げた。
主の目が爛々と輝いていた。燕尾服は説得の成功を確信した。
「若様の尊名を、オーガ殺しという偉業と共に大陸中に知らしめる! これに勝る英雄譚が他にありましょうか! 最も新しい英雄に、若様がなるのです!」
「ふ、ふふふ、ふくくくく……」
少年の全身が震えた。
内側から湧き上がる歓びが抑えきれずに痙攣を起こし、その悦びに呼応するように黒い腕が姿を消した。
「嘘じゃ、ないだろうね? オーガが? 本物のオーガがこの山の中に?」
「我ら猟犬一同、龍と精霊に誓って偽りは申しません」
「ハハハハ! いいよ、面白くなってきた! ただの狩りなんて退屈な作業だと思っていたけど、オーガがいるなら話は別だ! ああもうどうでもよくなった! 盾! 今回は許してあげるよ! 英雄への階段を登る前に血を見るのは縁起が悪いからねえ!」
高笑いと共に少年が踵を返し、煙の上がった空に向けて両手を差し出すと何事かをぶつぶつと呟き始める。
その目には自らを輝かせる栄光と名誉しか見えていない。
主の様子に、燕尾服はそっと安堵の溜息を吐いた。
「あの……」
「何も」
躊躇いがちな少女に向け、斧は微笑みを作ると、分の口元に人差し指を立てる。
「何も口にしなくていいのです。さあ行って」
背中を押し、同僚の血に塗れた自らを見下ろした。
笑みを作った口端が何かに耐えるように引き攣る。
原形のない死体への元へ歩み寄り、しゃがみ込んで動かなかった。誰もが声を掛けられずにいるなか、囁くような独白があった。
「真面目な女性でした。妥協を許さず、自分の持てる最善を常に模索できる頭の良さがあった。半面、その生真面目さがいつか彼女を殺すのでは、と」
手を伸ばし、けれど指は不格好に宙に浮いたまま。
穏やかな声音は彼女の生涯を慰めるように優しく、主が決して惜しまない命への無念が込められていた。
「敵わないと感じたなら、逃げてくれればよかった」
白手袋の指先で、流れ出る血をなぞって。
「……恨みますからね」
それが彼女へと向けた離別の言葉であった。
立ち上がり、もう一度微笑みを携えた仮面を被りなおす。
笑え。
笑え、人形のように。
今はそれが必要だ。
耳元の機械から電子音とノイズが響く。
抑揚のない無機質な声。
それは包囲網を担当していた同僚の報告だ。
――生存者四名に動きあり。
それは戦端が開く烽火だった。
「くひひひっ、殺せ! さあ殺せ僕の可愛い猟犬ども! その性能を遺憾なく発揮しろ! 万が一にでも山猿どもに手柄を奪われるんじゃないぞ!!」
欲と歓喜が混ざり合った耳障りな命令が、命を偲ぶ時間の終わりを告げる。
僅かな時間の黙祷を終え、燕尾服は努めて笑顔を作る。
笑顔を浮かべるのは得意だ。
何があろうと笑顔を作るのが、昔から得意だった。
「ええ、ええお任せを。参りましょう若様」
声を軽やかに弾ませて。
楽しげに得物を手に取り、軋むほど柄を握りしめ。
細目もいつもより少しだけ見開いて。
何よりも、何よりも微笑みだけは絶やさずに。
「この斧、怨敵の首を残らず刎ねて御覧に入れましょう」




