14話 「負の想念」
それは旅路の中での些細なきっかけだった。
ハルはそう記憶している。
『兄さん、道が崩れてるみたいですね』
『参ったな……一昨日の嵐が原因か?』
都市に繋がる重要な街路が崩落しているのに出くわした。
身の丈の何倍もある巨大な岩が幾つも雪崩れ、近隣の村人たちは途方に暮れていた。
『一体どうすれば……』
『おお、龍よ、お救いください……』
騎士団に出動を要請したくとも王都への道が塞がっているのだから手の打ちようがなく、国が自力で村の状況に気付くまでどれほど掛かるか想像もつかない。
村が安全でいられるのは、領内を巡回する騎士団によって魔獣が掃討されるからだ。国の庇護から外れ孤立し、魔物の襲来に抗う術はない。
騎士団が村の異変に気付くが先か。
魔獣が孤立した獲物に群がるのが先か。
答えのない問いに村人たちは不安に駆られ、終いには「誰の行いが悪かったのだ」と隣人を糾弾するような、見るに堪えない有様で。
思わずハルは、手を挙げた。
『岩を退ければいいのか?』
人助けのつもりだった。
何とかできる力があるなら、そうするべきだと思った。
『要は道さえ繋がればいいんだよな。だったら俺が何とかしてみるよ』
『はぁ?』
訝しむ村人たちの前で、自分より何倍も大きい巨岩を持ち上げて見せる。背後からどよめきが上がった。
じわじわと熱を帯びて大きくうねる感情を気にも止めず、滝のように流れる汗をぬぐい、指先の皮膚がめくり上がる痛みに耐え、ついに馬車一台が余裕をもって通れる程度の隙間を開拓した。
『これでどうかな? 後は人を集めて道を整えれば……』
後ろを振り返る。
一様に怯えた目がハルに突き刺さっていた。
自分に向けられていることに気付くまで時間がかかった。
『ええっと……?』
どうしてそんな目で自分を見るのだろうか。
尋ねようと一歩足を進めると、集団の先頭付近にいた老人が咄嗟に足を後ろにやり、自らの足首に引っかかって派手に転んだ。
『ひぃっ!』
それが起爆剤となった。
村人たちは我先にと何かを喚きながら逃げた。
集団心理に従い、行商人や旅人たちがそれに続いた。
恐慌を起こした者がいた。
何故逃げているのか自分でも分からない者がいた。
ハルを過剰に恐れた何人かの感情が伝搬していったのだ。
『兄さん……』
ただ一人、顔を俯かせた弟だけが残された。
肩を震わせ拳を握りしめ、俯いたまま何かに耐えていた。
『シオン? 何があったんだ……? 皆の様子が』
弟は顔を上げられないまま、声を震わせた。
『化け物だって……兄さんは、おかしいって。異常だ。魔族の血が入ってるって……』
『あ……』
『先日の嵐も、兄さんが村に災いを運んできたんだって言い降らして……そんなはずないのに。そんなはずが、ないのに! あの恩知らずども……!!』
集落にも様々な気質がある。
ここはハルの想像以上に排他的だった。
そういう村は異常に特に敏感だ。
彼らの物差しで測り切れない存在は、排すべき脅威として扱われることをハルは知らなかった。
『そうか……そっか』
弟に申し訳なさだけが募って。
『ごめんな。考えなしだった』
『なんで兄さんが謝るんですか! なんで、なんで!!』
『いやほら、別に気にしてないから。けど、もう村にはこれ以上滞在できないよな。道は拓けたし、このまま行こう。またしばらく野宿だけど』
悲しいとか悔しいとか、そういう気持ちは湧かなかった。
自分の何倍も心を痛めてくれる家族がいてくれた。
誰かが代わりに怒ってくれるだけで、無念を吐き出してくれるだけで救われる気持ちになるから。
次の村では噂が広がっていた。
若い娘の肉を好むオーガの噂だ。
既に何人もの娘が行方不明になっているらしい。ハルたちのような旅人や冒険家……つまるところ余所者は特に警戒されていた。
『若い娘をさらって食べてるとか、さすがに俺の噂じゃないと言って欲しい……』
『どう考えても誰かの罪を押し付けられてます。業腹ですが、放っておくとろくなことになりません。何もかも兄さんの仕業に仕立て上げられる前に対処しないと……』
『調べてみるか……』
翌日、二人で協力して消える娘の謎を追った。
そして、ある男を寂れた村はずれの廃墟で追い詰めた。
首根っこを引っ掴んで乱暴に壁に押し付けると、骨が軋む音と情けない悲鳴が混じる。
『ごひゅ、げふ、わ、私を、誰だと、あがががががっ!?』
『知っている。知っているから、許せないんだ』
この男は、あろうことか村長の跡取り息子だった。
これと見込んだ女性を茶会や食事に誘い、薬を盛って眠らせて奴隷商人に差し出し、大金を得ていた。毒牙は村娘だけでなく、商隊や旅人まで及んでいた。
ミトラ国では奴隷の売買は禁じられている。
被害者たちは人知れず馬車に乗せられ、他国へと出荷されていた。そのカラクリに吐き気がして、ハルの手に知らず力が籠もる。
男は半狂乱になりながら叫んだ。
『わ、分かっひゃ! 大人な話し合いをしよォ! 金ならあるぞッ! アンタらに損はさせない! 金を受け取って、見なかったことにして去る! それだけの簡単な……』
『自分が何をしたかも分からないのか!? 取り返しがつかないんだぞ!!』
更に力を込めると泡を吹いて気絶した。
荒縄で縛り上げ、廃墟にそのまま放置して村へと戻る。
弟が雲隠れした奴隷商人の足取りを追っているはずだ。跡取り息子に縄を打って村に戻れば大騒ぎになる。奴隷商人に気取られることだけは避けなければならなかった。
黒幕さえ捕らえればさらわれた女性たちも救えるはずで。
けれど、相手の方が何枚も上手だった。
その夜。
廃墟に残してきた跡取り息子が殺された。
突如、村に現れた魔獣の仕業だ。生きたまま貪られ、損壊した体だけが残された。
血肉の味を覚え、村を我が物顔で歩き回る怪物を、シオンと共に魔獣を討ち果たす。村の犠牲は最小限で済んだものの、騒動の間に奴隷商人は商品と共に雲隠れした。
そして唯一の犠牲者となった跡取り息子には、真実を知らない村人たちによって祀り上げられた。
跡取り息子は娘を喰らう魔獣の姿を目撃し、果敢に戦いを挑んで壮絶な最期を遂げたのだ、と。勇敢な跡取り息子と犠牲になった多くの娘たちを偲び、その夜は盛大な葬式が執り行われた。
『……行こう、シオン』
『どうして……どうして真実を話さないんですか!?』
『……誰も信じない。俺たちは間に合わなかった』
跡取りの欠損した体を抱きしめて号泣する村長。その肩に縋り付く母親。それを遠巻きに眺め、嗚咽を漏らす村人たち。
さらわれた娘を助け出すこともできなかった。
当事者が誰も残っていないのに、余所者の自分たちが今更真実を声高に主張して、誰が耳を貸すだろうか。
跡取り息子は死に、奴隷商人は引き揚げた。
これ以上この村で誰かが犠牲になることはない。
宙ぶらりんになった真実は、息子に先立たれた村長夫妻を傷つけるだけだ。
『けど!』
『……無理だ。こんなの、突き付けられない』
結果として、その選択は間違っていたのだろう。
一連の魔獣騒ぎは、人を喰らった魔獣の噂が独り歩きし、若い娘を次々と喰らうオーガがミトラに潜んでいるという逸話に姿を変えた。
尾ひれ背びれが付いた噂は、残酷な鬼人族の伝説を髣髴とさせる怪談となり、その内容は日に日に肥大していった。
影響はハルの想像をはるかに超えて大きかった。
首都へと向かう旅路の中で幾つかあった出逢いは、そのほとんどが苦々しい結末を迎えるに至った。
旅先で馬車に相乗りさせてくれた中年の御者がいた。
『近寄らないでくれ、頼む、命だけは……!!』
這いつくばって命乞いをされた。
多くの同乗者はハルを乗せた御者に罵声を浴びせ、、唾を吐き、彼だけを残して散り散りに逃げた。
一人残された御者に「怯えないでくれ」と言おうと近付くと、彼は商売道具の馬車も、馬も、路銀すら打ち捨てて逃げていった。
それ以上一歩も追うことができなかった。
ハルの腕を見込み、王都まで護衛依頼を持ち掛けてくれた行商人の女がいた。
『うそ、うそ、うそよ……!? 来ないで! いや、いやぁ! 来るな! 来るな! 来るなあああ!!』
手あたり次第に近くにあった商品が投げつけられた。
壷や香水が次々と叩き付けられた。
投げる物が無くなると路傍の石にも手を伸ばした。
どれほど当たっても身体はまるで傷付かなかったが、ただひたすらに悲しかった。
依頼人が我に返る頃には、商品や商売道具は残骸となって散らばっていた。
王都で一旗あげるという彼女の夢が終わった。
背中を預けてくれた冒険家の男がいた。
『ころ、殺し、殺してやるゥ……!! 化け物どもめぇえええ!』
男は目を血走らせていた。
仲間を魔獣に食い殺され、憎悪を目に宿していた。
鬼族と魔獣の区別がつかないのか、あるいは魔獣と同じ存在だと信じていたのか。
誤解が解けることはなかった。
強襲と撃退を繰り返すこと三度。
四度目はなかった。
襲撃先として潜伏していた森で魔獣の餌食になっていた。
遺品ひとつ満足に取り返せず、目を血走らせた頭だけを埋葬した。
段々と人と接するのが恐ろしくなった。
比例するように疲れた笑みが多くなった。
口にしてきた夢を馬鹿にされて。
謂れのない誹謗中傷を受けて。
理不尽な暴力が迫ってきて。
それでも何とか笑おうとしてきた。生きている以上の幸運なんてこの世にはないと信じていたから。
昔から我慢は得意だ。
心を、克己心を幼い頃から鍛え上げてきた。
だから大抵のことでは傷付かないし、我慢できる。
けれど親しくなった相手が自分の正体を悟り、掌を返され、そして破滅していく様を見せられるのは辛かった。
怯えられる目。疑いの目。怒りを孕んだ目。
悪意、敵意、憎悪。
オーガという種族が幾星霜かけて育んだ負の想念は、時折くじけそうになるほどに重い。
(また……)
また、この瞬間が来たのだ。
黒尽くめの少女の糾弾に、そんな予感が頭をよぎって。
(嫌だ……!!)
気が付けばハルは、声を震わせていた。




