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13話 「商人ルシカ」






「悪党……?」


「お姫様でなくて当てが外れたかな?」


 喜色と嗜虐に満ちた声。

 悪魔が囁く堕落への誘いを再現するように、ハルの耳元に少女の唇が寄って一息に囁きかけてきた。


「喜べ少年。君は悪党の私にとんでもない貸しを作ったぞ。望みがあるなら聞こうじゃないか。何でも、いいよ?」


「いや、俺は……」


「君は、誰かを陥れることを望む? ならば私が計画を練り、君の望みを果たそう」


 天上から降り注ぐ耳に心地よい声が力を宿す。


「君は、誰かを貶めたいと訴える? ならば私が名誉を地に堕とし君の目的を遂げさせよう」


 思考が熱に浮かされ蕩かされていく。

 悪を成し悪を語り悪を許すと麗しき悪魔が歌い上げる。


「君は、誰かを辱めたいと欲望を吐き出す? ならば私はあらゆる道徳を踏みにじり、君の昏い欲望を叶えて見せよう」


「ま、待て待て! 待った、だ!」


 耳朶を通じて脳へと響く官能的な問いかけを振り払う。

 頬が熱い。こんな近距離で美少女の顔を見つめるなど、ハルには難易度が高すぎる。喧しく高鳴る鼓動を抑え、仕切り直すように咳払いした。


 これ以上はまずい。

 彼女の声には抗いがたい魔力がある。


「と、とにかく思ったより元気そうで良かった。それじゃ悪いけど、俺はもう行くから」


「おや。退廃的な享楽には興味がない?」


「そういうのは求めてないから!」


「――けれど助けを求めていないわけじゃない」


 途端に少女を纏う雰囲気が変わった。

 甘い毒を帯びた蠱惑的な空気が、まるで冷たい質感を孕む刃物を突き付けられているに凍り付く。

 

「君はいま、自分が今まで経験したこともない窮地の只中にいる。たくさんの疑問と謎が君を苛み、どこから手を付けていいか分からない。――違う?」


「……、どうして」


「分かるとも。私は悪辣なる商人なのだから」


 切れ長の目をすがめ、ルシカはハルの手を取った。

 土と仲間オジキの血が染み込み、更にその上から熱で焼け爛れて固まったハルの武骨な掌を、ルシカの白い指先が撫でて汚されていく。


 労わるような感触に固まるハルを真っ直ぐに見つめ、ルシカの柳眉が僅かに吊り上がった。


「君に必要なのは、休養だ。いま君が急いで出ていくことで事態を収拾できるか? そうでないなら座る――いや、横になるべきだ。私の目から見て、君の消耗は看過できる段階をとうに超えている」


「いや、体力には自信が――ぁ」


 ハルの目が、ぐるん、と上を剥く。

 指摘されることでようやく体が疲弊を理解したとしか思えない、唐突な電池切れ。

 崩れ落ちて膝を突いた所に、呆れた声が降る。


「今の君では、山を下りるのも難しい。まずは体を休めないことには話にならないぞ」


「でも……だけど……っ」


 ハルは少しの間、どうにか立ち上がろうと試みた。

 自分の体は特別性だ。

 こと耐久力においては並ぶ人物像さえ想像できない。

 今回だってハルの無理に付き合ってくれるはず――だというのに、体は一向に言うことを聞いてくれない。


「お、かしいな。今までこんなこと、なかったのに」


「気は済んだか?」


 聞き分けのない子供に苛立つような声音であった。

 もう少し悪足掻きを続けるか迷ったハルだったが、結局は脱力して大の字で寝転がって顔を覆う。


 周りが見えてないことなんて分かっていた。

 でもどうすればいいのか分からない。

 とにかく何か行動しなければ、と体を張ることしか。


「どうすりゃいいんだ……」


 散り散りになった他の仲間たちは無事なのか?

 未だ敵中にいる弟も含めて、どう助ければいいのか?

 襲い掛かってきた機人族マキナの正体は? その狙いは?

 ハルを縛る従令ギアスにはどう対処すればいい?


 積み上がった難問の数々に、ハルは呆然とするばかりだ。


「どうしていいか、もう分かんねえんだよぉ……」


「――では、君には相談者が必要だね」

 

 苦悩をあっさり掬い上げるような応答であった。

 黒尽くめの細身をハルの隣に下ろすと、商人を自称する少女は不敵に微笑んで。




「情報をよこせ。私が君の勝ち筋を見つけてやる」














 事情の説明が終わった。

 全身を苛む疲労の項目に新たに舌の痺れを加えたハルは、熟考に入って口を閉ざすルシカの横顔を盗み見ながら内心舌を巻いていた。


(商人って、すごいな……)


 何よりも強く印象付けられたのは、彼女の聡明さだ。

 拙いハルの説明を汲み取る理解力。

 相槌の打ち方、言葉の選び方。

 視線の動きから一呼吸を入れるタイミング、その全てが絶妙の一言に尽きた。


 言葉に詰まればその先を予測し助け舟を出す。

 感情が高ぶる予兆が見えれば肩を撫でて宥める。

 質問も的確だ。

 予測や主観を排し、ただ事実のみを語るよう誘導された。

 気が付けば王都に訪れて以降の、全ての情報を洗いざらい吐き出させられた。


「――なるほど」


 一切の無駄を省いた事情聴取を終えたルシカは、やがて深い溜息を付いた。


「ありがとう、概要は掴めたよ。君がどんな人物かも含めてね。君、よく正直者だと言われるだろう? 頭に馬鹿がつくタイプの」


「なんだよ、藪から棒に」


 よく弟にそう馬鹿にされるのは事実だが。

 ルシカは大仰なほど肩をすくめた。


「君たちが運ぶ荷物はつまるところ私の身柄だろう?」


「まぁ……そうだよな」


「で、君は荷物わたしをゼッダとかいう奴隷商人に引き渡さなければ、龍の天罰が下る契約を結んでいるわけだね? 私たちのうち、どちらかの破滅は必然というわけだ」


「…………うお」


 懇切丁寧に説明されてようやく事態を悟る。

 届け先が奴隷商人という発想には思い至らなかったが、確かにこの少女がハルの死守する『荷』であるなら、これは立派な人身売買だ。そしてハルは彼女を差し出すことでしか、天罰から逃れる術がない。


「い、いやでも……俺は人を運べなんて言われては……」


「そこを曖昧にするために『アルファ』だなんて契約書にぼかされているんだ。あの棺桶と私、合わせて『アルファ』なのさ」


「……そうか」


 そうは考えなかったな、と天井を見上げ脱力した。


「じゃあ、俺たちは協力し合えない、な」


 自分の迂闊さや考えの浅さには本当に嫌になる。

 彼女に事実を伝えたことでなく、この依頼に飛びついた自分の浅はかさを呪う。

 その結果が、この自縄自縛だ。


「あー……懐に水袋があるから持っていってくれ。食べ物はねえけど」


「……逃げていいって? 自分が死んでしまうのに?」


「いや、俺のほうは何とかなる。体が頑丈だし、天罰が落ちてもギリギリ生き残れる気がする」


 誇張ややせ我慢のつもりはない。

 崩落に呑み込まれようが、骨一つ折れない体なのだ。

 龍の雷が落ちても即死は免れるのではないか。

 彼女には明かしていないが、いざ死に際となれば常識はずれの再生力を発揮することも知っている。


(それで、いいよな)


 同じ契約を結んだ猿顔の男は、もういない。

 同じ運命を選んだ狗人族も、恐らく生きてはいない。

 同じ依頼を受けた冒険家たちだって、命を捧げるほどの約定は交わしてはいないはずだ。


 依頼達成はもはや不可能な状況でハルの判断を責めたりは――物思いを強制的に打ち切られたのはその時だ。


「あだっ!?」


「すまない。私としたことが恩人の頭を踏み付けるなんて。ついうっかりしてしまってね」


 白い素足がハルの右のこめかみを踏み付ける。

 妙に柔らかい右側面と、冷たく硬い左側面が対照的だ。

 更に足に力が入り、万力のようにハルの頭を締め付ける。

 体力が枯渇したハルには抵抗する術がない。


「うっかり……? 頭からまだ足が離れないこれが故意じゃないとでも……?」


「負債が積みあがるね。頭が痛いことだ」


「いや、頭が痛いのは俺のほう――痛だだだだ力入ってる、力がぁ!!」


「なんだ。痛いのか? 不感症でもないと出てこない言葉だったから、力を込めても平然としているのかと」


 足に込められた力が弱まる様子はない。

 足指で頬を嬲るようになぞる。


「私は悪党だが、商人としての矜持がある。君への恩義を返さずに山を降りてはもはや商人を名乗れない。そう自分を納得させているのに君ときたら――」


 じろり、と鋭い眼光に射抜かれる。


「度し難い怠慢だ。それは思考の放棄、心根を腐らせる弱気だ。私の足が優しくしているうちに叩き出せ」


「分かった! 俺が悪かったから足を離して知恵を貸してくれ! 色々ごちゃごちゃで、正直もうどうしていいか分からない!」


 なりふり構わず懇願すると、ようやく足が退く。

 恐る恐る顔色を窺う。すっかり機嫌は直ったようで満足気に顎に指を当てて頷いていた。


「最初からそう言えばいいんだ。情報の精査にはもう少し時間が掛かるから、君は寝ておくように」


「寝ろって……今はそんな場合じゃ」


「休めるときに休む。冒険家の心得だ。ないがしろにしていい教えでないことは分かっているはずだよね?」


 反論の余地もなく、言われた通りに目を瞑る。

 けれど気持ちは乱れたままで中々意識は闇の中に沈まない。

 冴えた眼を薄っすらと開くと、焼け焦げた白絹を拾い上げるルシカの姿が見えた。素足の彼女は足のつま先から足首にかけて白絹を巻き付けているようだった。


 次に彼女の視線は岩肌の尖った石くれに向いた。

 ハルは凍り付く。ルシカはその切っ先に向けて白絹を巻いた足裏を押し当てていた。


「おい、足の裏を怪我したら歩けなくなるぞ!」


「こら、眠るように言っただろう? 心配しなくていい。死出の絹衣シュラウドの機能が生きているのかどうかを検証しているだけだから」


「しゅら、……なに?」


「いいから目を瞑るように。それとも女の裸足が好き?」


 激しく首を振って遺憾の意を示しつつ目を瞑る。

 人様にはばかるような趣味嗜好の偏りはないのだ。

 暗闇の中、検証を進めるルシカの物音を意識の隅で追っていると。


「この絹はミトラ教由来の魔導品アーティファクトなんだ」


「絹……?」


「本来の用途はマナによる攻撃の無力化だが、物理的な衝撃にも強い。ふふ、靴の代わりに使う罰当たりは私が初めてかもしれないな。ミトラ教の司祭が見れば卒倒するかもね」


「そ、そんなに貴重なやつなのか」


「この絹を使って編んだ衣服は鎧よりも軽くて丈夫なんだ。争いの絶えない隣国では特に重宝されて――よし。焦げていない部分は問題ないみたいだね」


 声を弾ませ、ルシカは腰かけた棺桶を指でなぞる。


「そういえばハル、どうやって黒棺コフィンを開けたんだい?」


「――」


「ハル? 眠ってしまった?」


「や、起きてる。何でもないんだ」


 突然名前を呼ばれて驚いただけで。

 昔馴染みの友人に呼びかけるような音が妙に耳に馴染むのだ。これも彼女の声の魔力だろうか。


「どうやってって……こう、金具を壊して普通に。聖絹シュラウド炸裂弾イクスか何かで焦げてたし」


棺妃の黒繭ニュクス・コフィンは封印に特化した魔導品アーティファクトだ。聖絹シュラウドで何重にも巻かれた状態では傷一つ付かないはずだよ」


 魔獣が放つ鋭い爪や牙も。

 名高い剣豪が放つ斬撃も。

 亜竜の吐く息吹ブレスも。

 封印と防御に特化したこの組み合わせは防ぎきるはず、とルシカは納得いかない雰囲気でハルへと視線を注ぐ。


「間違っても力でこじ開けられるような棺桶ではないし、炸裂弾イクス程度で焼き切られるような絹でもないのだけれど、ね?」


「……実際に開いたし、何か不具合があったとしか」


「ふうむ……」

 

 納得する様子はないが追及は諦めたようだ。

 答えが見つからない問いに固執する時間はない。


「それにしても、ちょっと見ない量の聖絹シュラウドだね。黒棺コフィンも何百万の値が付くか分からないし。捌き切れば王都エリュシードに立派な家を建ててもお釣りがくるよ」


「嘘だろ? こんな棺桶と絹生地で?」


「私が今、足に巻いた聖絹ぶん金貨五枚ごじゅうまんエーテルぐらい」


 ごじゅ? と言ったきりハルの喉が引き吊った。

 両足に巻いた白絹の総量は黒棺コフィンを包んでいた内のほんの一部――ハルに課された罰金と同じ値段が付くと聞けば何とも現金なもので、記憶の中にあった不気味な繭が光輝いて見えてきた。

 もちろん錯覚だが。


「ハル? 目を瞑るように言っておいたはずだけど? 口もぽっかり開いたままだ」


「……はっ。途方もない金額聞いて魂が抜けてた」


「ふうん? 絹、少し持ち帰る? バレないと思うけど」


「…………」


 ……。

 …………。


「……いや、だめだ! この非常時にそんな!!」


「なんて正直な反応だ。ほらほら、ちょっとぐらい悪徳積んどこう? はい、これ」


 聖絹シュラウドが一束、仰向けのハルの上に放られる。

 顔を強張らせるハルだが、すぐに思い直す。

 別に触れたからといって泥棒ではない。

 そっと受け止め、そしてそっと返そう。心に決めて聖絹シュラウドを包むように受け止める。




 じゅ、と何かが炙られる音がした。


 ハルの手の中で、一財産シュラウドが炭化した。




「はうぁぁあぁ!? 五十万エーテルがぁああ!?」


 自分の声とは思えないほど情けない悲鳴が出た。

 掌に載せた絹は、人肌で溶ける氷のようにみるみる体積を小さくしていき、数秒で無残な灰となってしまう。

 折よく洞窟の入口からつむじ風が吹くと、絹灰は風精に導かれるまま何処へなりと散ってしまった。


「え、ちょ、ええっ、あれ!? なに!? はぁぁ!?」


「これは――」


 その場にいた二人の反応は対照的だ。

 深刻な顔でハルと柩を見比べて黙り込むルシカ。

 目の前で起きた聖絹焼失事件を受け入れることができず慌てふためくハル。


 対照的な動揺は、やがて一つの決着へと向かった。

 騒ぎ立てるハルの動揺を、ルシカの発した呟きが切り裂いた。


「――」


「ッ――!」


 擦れた声音がハルの耳に届く。

 みっともない狼狽が一瞬で凍り付いた。

 冷や汗でびっしょりの背中が急速に冷えていく。

 頭から爪先まで全部の血が冷えていくほどの破壊力が、その一言に――何より、自分に向く視線に籠っていた。


「い、いや、待ってくれ……俺は……」


 頭を振るハルの声は弱々しく、掠れていた。

 か細いその声は、ゆえに彼女の口から飛び出た決定的な一言に打ち消される。



「魔族――鬼人族オーガ



 そう呼ばれた時、この世の終わりを見るようにハルの顔が苦痛と恐怖で引き攣った。





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