12話 「黒棺の洗礼」
美しい、としか表現の仕様がない少女だった。
伏せた切れ長の瞳を彩る柳眉。
艶やかに伸びた黒髪。
死人の青白さとは程遠い血の気の通った白い肌。
魔女より眠りの呪いを掛けられ、何十年も老いずにただ眠り続ける姫が本の中から飛び出てきたような、侵さざる神聖さがあった。まるで御伽噺の一場面だ。
柩の小窓から覗くその整った顔立ちから目が離せない。
「い、生きている……のか?」
柩に納められた遺体には見えなかった。
数日間は棺桶の中に囚われているはずだ。
食事も水もなく、これ程の美しさを保てるだろうか。
それを神秘的だと感動すればいいのか。
あるいは不気味だと震え上がればいいのか。
「た、助けない、と……」
――身勝手な言い草だろうか。
荷の中身を今日まで知ろうともしなかった自分が、今更そんなことを口にしていいのだろうか。
後ろ暗い仕事を請けたという自覚もあった。
この少女の状態がどうであれ、彼女を取り巻く状況において片棒を担いだのは確かなのに。
「――痛!?」
柩に触れた瞬間、指先に衝撃が奔った。
痛みと熱さが神経から、肉が焼ける臭いが嗅覚を通して、危険の二文字を脳髄に叩き付ける。
オ、ォォオ、ォォォオ――
棺が意思を以てカタカタと震え、鳴いた。
少女を腹の中に収めたまま、その黒い箱から蒸気が上がるほどの熱をその身に纏わせてハルの手を拒んでいる。
身を包んだ白絹の破片はまるで剥がれた衣服のよう。
無機物にて生じた怪物が、唸り声をあげてハルを見下ろし威嚇していた。
「なんだ、こいつ……生きているのか……?」
その正体はハルの理解が及ぶ範疇にないだろう。
理解できるのは拒絶の意思だけ。
我が黒肌に指一本触れさせてなるものか、と。
洞窟内の温度がじわじわと上がり、ハルの額に汗が滲む。
ハルはこの護衛品が明確な敵意を以て自らを迎え撃つつもりなのだと理解した。拳を握り、目を剥いて、内に巣食う収まりの利かない感情が荒れ狂う。
「……物にまで嫌われるんだな、俺」
オォォォ、ォオ。
「そうかよ。お前、そこに居るんだな」
時折響くこの唸りの出処にハルも気付いた。
棺桶の中だ。
少女の顔が覗く小窓の向こう側、ほとんど余裕もないはずの小さな空間に黒い影が蠢いている。
愛おしげに少女の頬をなぞる黒い腕。
悦に浸るよう裂けた赤い口が逆三日月の形を作っていた。
棺の少女を取り巻く事情は知らない。
分かるのは今の状況が少女の本意でないだろうことだけ。
黒棺の全身が醸し出す禍々しい雰囲気から感じ取れたのは、棺内に呑み込んだ少女への強い独占欲だ。
「上等だ。今更、何が怖いもんか――」
自暴自棄に近い感情が、ハルを突き動かした。
少女の生死を確かめる。自らの間違いを正すために。
棺桶の中身を暴く。燃え上がる憤怒と闘争心に従って。
理性と本能の意見が合致した。
「おおおっ!!」
棺に掴みかかり、乱暴に横倒しにする。
蓋の開閉部分に指を伸ばすと金具を強引に捻り上げた。
瞬間、絶叫。
女性の甲高い金切り声があった。
高熱で溶かした鉄の液に手を浸すような激痛に、ハルの口からも絶えず悲鳴が吐き出された。
噛み締めた歯がごろっ、という感触と共に根から砕けて口の中に不快な血の味が広がる。
指先の神経が焼かれる激痛の前では、些細な欠損だ。
「ぁ、ば、ぎ、ぎぃ、ギヒィ……!」
猛る心のまま念じる。
折れろ。折れろ。折れろ。折れろ。折れろ。
棺の材質が何で出来ていようが関係ない。
自らの剛力が手の中で歪んで砕けていく、という確信に従って力を込め続けた。
(指が、溶ける、どこまでが、金具、どこまでが、指?)
理性がけたたましく警鐘を鳴らす。
手を離さなねば取り返しがつかないぞ、とがなり立てる。
指が無くなっては剣が握れない。
剣が振るえなければ騎士になれない。
騎士になれなければ、これまでの全てが無為に帰す。
――夢を諦めるつもりか?
「ちがう……ッ!!」
諦められないから、やるしかないのだ。
――離せ今すぐに。
「……う、る……せえッ――!!」
心の奥底から響く声を振り払い、眼を開けたその時だ。
金具が砕ける感触があった。
同時に柩の筐体から青い稲妻が奔って破砕した留め金と共にハルの体を吹き飛ばした。
「がはっ! や、やった……!?」
背中を強かに岩肌に打ち付け、肺の中身を全て吐きながらハルは顔を上げた。
無様に転がるハルの前に棺が立ち上がる。
「っ……、は……?」
黒い靄が法衣と化して黒棺を包み込む。
気が付けば腕が生えていた。左右に二本ずつ、計四本。
枯れた老婆に似た細い黒腕がじたばたと上下に振られる光景は不気味という他ない。
奇妙な変貌に目を奪われていたことが幸いした。
直後、黒棺から視界を灼くほどの眩い雷光が迸ったのだ。
「う、わあああぁ!?」
横薙ぎに発射された光線は倒れ伏したハルの上を通過。
立っていれば胴体を、身を起こしていれば首を断つ軌道で一周した光は、通過した岩壁を高熱で炙り焦がすような生々しい跡を残した。
原理や理屈を通り越した『それ』にハルは息を呑む。
今のは蒼雷で編まれた剣撃か。
あるいは細長い糸状に凝縮された龍の息吹か。
絶句するハルの姿を探すように、棺の中で赤く裂けた口が揺らめいている。その焦点が定まらず、何処か困惑したように停止する様子を見てハルは気付く。
(こいつ、目が見えない――?)
棺桶に『目』の概念も何もあったものではないが、どうやら自分で吹き飛ばしたハルの姿を見失っているらしい。試しに崩れた岩石の塊を掴んで後方に放ってみるが――
(……反応がねえ。目も耳もない? それにしても熱に雷と棺桶の癖に多芸じゃねえか……)
互いに息を潜める沈黙の中で、ハルは自分の優位を悟る。
自分が先手を取れる立場だ。
挑むも逃げるも隠密側が決められる。だから、小さく息を吐く。
「……勝負だ、棺桶の化け物」
見たところ苦労して砕いた金具はそのままだ。
どうにか近付き、あの棺の中を暴いて少女を救出――その先のことはあまり考えない。
ハルが黒ヴェールの美女と交わしたあの従令が、ハルの行動にどんな判断を下すのかは。
(龍のみぞ知る、だ――!)
突貫し、黒い筐体に拳を打ち据える。
再度の悲鳴。続いて四本の腕が震え、帯電を始めた。
此処までは想定内。
棺の背後に回ったハルは棺に腕を回して持ち上げると、そのまま地面に向けて叩き付けた。
横倒しになり、自らの重みの下敷きになった黒腕が千切れていく。
隙を与えず躍りかかって中身を暴かんと手を伸ばす。
小窓から見えた少女の表情にいささかの変化もないことに小さな安堵が胸を占める。
崩落に巻き込まれようと無事だったのだから、と思いつつもやはり罪悪感があるわけで――
「――ぁ」
その僅かな逡巡が隙となった。
何の前触れもなく黒棺全体を眩い蒼雷が包み込んだのだ。
「ガッ――――ッ!!?」
触れていた掌を通してハルの全身に電撃が走り、痛みや衝撃を感じるより先に目の前が真っ白に染まった。
光に目が眩んだのではない。意識が飛んだのだ。
掌を通して筆舌に尽くしがたい苦痛の波が押し寄せた。
痛い
辛い
苦しい。
流れる涙が頬を伝う前に蒸発していく。
先ほどの熱とは比べ物にもならない死雷のうねり。
同時に黒柩の筐体が軋んで、今まで以上に切羽詰まった絹を裂くような鋭い悲鳴が木霊した。
苦しいのは自分だけではないのだ。
棺桶の化け物もまた、我が身をこじ開けられる恐怖と苦痛を噛み締め、必死に抵抗をしているのが分かった。
「ぐ、ぎ、ぎ、ぎ、ぁ、がァ……!!」
後は柩の蓋を一息に持ち上げるだけ。
ただそれだけのことがあまりに遠い。
感電に身体中の筋肉が収縮を繰り返し、力が入らない。
気合でどうにかなる範疇はとうに超えた。
苦痛に満ちた攻防は永遠にも思えた。
もはや心が折れて手を放すのが先か。
あるいは脳髄が溶けて使い物にならなくなるのが先か。
終点が見えない。
希望すら見えない。
止めろ。離せ。触れるな。逃げろ。
頭を占める諦めの言葉を脳が受け入れる、その寸前。
オ――ォォ。
柩が、ほんの数秒の差で決壊――
オォォオォオオオォォオオオオオオオオオオオオッ!!!
否。
我慢比べに勝ったのは黒棺だ。
「な、……にッ!?」
ハルを苛んできた電撃は棺の抵抗にあらず。
それは眼前の敵を葬り去る一撃のための充填の余波。
不気味だった呻きは猛る雄叫びへと変わる。
束ねた蒼雷が眩く光輝き、ハルの網膜を白く染め上げ――
雷が、天へと昇る。
「ォ――ぉぉああッ!!?」
蒼き光の帯が厚い岩の天盤を消し飛ばす。
それは山脈を貫いて真っ直ぐに空を目指した雷の槍は、その勢いを殺すことなく不遜にも天空へと至った。
岩盤に刻まれた楕円状の傷跡に不必要な破壊はなく、これほどの破壊にも関わらず崩落の予兆がまるでない。
光の通り道に在ったあらゆる物質は、この世から塵ひとつ残らず消滅した。ただその事実だけが在る。
故にその破壊の槍を向けられたハルは――
「――――ぐあっ!」
――なおも健在。
弾き飛ばされ岩肌を転がり打ち上げられた魚のようにのたうち回るも、五体満足のままそこにいた。
避けてはいない。電撃で弛緩した足は動かなかった。
耐えてはいない。直撃ならば上半身は消し飛んでいた。
選んだのは攻撃だ。
狙いは蒼雷の発射点となる小窓の横っ面。
無我夢中で放った拳の衝撃が、直線に放たれる破壊の軌道をずらした。蒼雷が放たれる間際、一瞬の攻防であった。
そして棺も無事では済まなかった。
全霊を蒼雷に費やしたか、天へと雷を伸ばした代償か。
小規模の爆発音をあげながら力尽きたように横倒しになり、白い煙を吐き出し許しを乞うように堅牢だった蓋が開く。
黒い靄の腕もおぞましい呻き声も消え去った。
「ぜ、ぜえ、ぜえっ、げほ、げほ……」
ハルもそれどころではない。
息が続かない。
口から煙を際限なく吐き出す。
鈍器で殴られたように頭が重い。
全身に走る鈍い激痛はゆっくりと収まっていくが、助かったという安堵感も成し遂げたという達成感もない。
棺桶の蓋が開いたことに気が付かないほど体は限界を越え、しばらく大の字に身体を横たえて荒い息を吐くだけの生き物になっていた。
息が整い、頭が冷えて、ようやく棺の状態に気が付く。
背筋が凍りついた。
凄まじい熱と雷撃、それに爆発。
棺桶の中にいた女性の無事を誰が保証できるのか。
「……な、中は……!?」
身を起こそうとするが、体が言う事を聞かない。
何とか上半身を起こすのが限界だ。
這ってでも近寄ろうとしたハルの動きを、棺桶の中から伸びた白い手が制した。
「あ……」
「――死の国の海辺にしては、やけに土臭い」
鈴の音に似た美しい声音の持ち主だった。
黒い筐体の縁に手をかけ、長い黒髪が垂れた美しい顔立ちが現れる。
少女と女性の中間。ハルより少し年上に見えた。
横倒しの棺桶から身を起こす様子は寝起きの女性を思わせる気だるげな色気があった。
一切の感情を削ぎ落とした顔で自分の掌に視線を落とす。
「い、生きてる……」
安堵の溜息が漏れた。
漏れた呟きが少女の耳に入り、へたれ込むハルの双眸へと黒曜の瞳が焦点を合わせた。
「――――君は」
少女の切れ長な瞳が、満月のように丸くなる。
傷や肌荒れひとつない白い手が彼女の顔付近まで持ち上がり、その口元を覆う。
恐怖に耐える行為ではなかった。
憤慨を抑える行為ではなかった。
一言では言い表せない様々な感情が織り交ぜになった眼差しに耐えきれず、慌ててハルは口を動かした。
「ええと、その……なんだ。体は平気、か?」
「……ぁ、……あ……」
女性の体が震えだす。
体を縮こませ、口を覆った手に力が籠った。
感情の暴発。その予兆だとハルにも理解できた。
理解できたからといって何も打つ手があるはずもなく、身を縮こませて衝撃を待つ。
その時は間もなく訪れた。
予期された暴発が、ハルの予想を裏切る形で爆発した。
「あ、っ……あは、ははははははははは、ははははははははははは!!!」
哄笑だった。
直前までの少女への印象を塗り替える、感情の発露。
恐れにも見えた震えは歓喜を堪えるものだった。
憤りにも見えた動きは喝采を上げるための予備動作でしかなかった。
「こんな! こんなことが本当に起きるのか!? よりにもよって、こんな!? 夢でも見ているのか、さもなくば弱り切って気でも触れたか!? あっははははははははははは、はーっははははははははははははは!!!!」
高笑いを繰り返す少女に、ハルは只々圧倒された。
犬歯すら剥き出しにし、獰猛な感情を人目も憚らずに吐き散らすその姿はまるで、悪魔に魂を売った音楽家だ。
彼女の奏でる音楽は、怒りを讃えた演奏のようだ。
なんと、よく通る声だろうか。
声量とは別の理屈で脳髄に染み渡り、じん、と感じ入るような声音が耳朶を通してハルの頭を鈍く揺らした。
「ふ、ふふ……ああ、おかしい。本当に、まったく……」
そんな彼女の瞳から一筋の透明な雫がこぼれた。
白い頬を伝って細い顎まで到達し、流れ星のように煌いて闇に溶けていく。
(――綺麗な)
綺麗な、涙の流し方だった。
尊く美しい瞬間を見た気がした。
どうしてそう思ったのか自分でも分からず感情を持て余す内に、少女は平静を取り戻して。
「ふふ、すまない。取り乱したようだ。君が私の眠りを覚ました王子様かな?」
自信に満ち溢れた獣の顔付きだった。
高笑いをしていた時のような、獰猛な女の相貌にずっと前から目を奪われっ放しだ。
美しい顔立ちを傲慢に歪めて棺桶から立ち上がり、演劇の舞台に上がった役者のような台詞回しと共に少女は座り込むハルに手を差し伸べた。
「はじめまして」
「――はじめ、まして?」
反射的な返礼が脳裏に過ぎる既視感で止まる。
服装は黒一色に統一されるなか、白い肌がとても映える。
(黒尽くめの、女の子……)
何処かで聞いたような。あるいは見たような。
いいや、これほどの美しい少女を見忘れるとは思えない。
手を取り並び立ち、間近で彼女の姿を見る。
女性にしては高い身長。折れそうなほど細い腰回り。ハルを引き上げた腕や指はガラス細工のように繊細だ。
「アンタは一体……?」
「私はルシカ」
黒尽くめの少女は微笑んだ。
目の細め方も唇の動きも全てミリ単位で調律した完璧な、男の胸を自然と高鳴らせるような野心的な笑みで。
「悪辣さだけは誰にも負けないと自負する悪徳商人だ」




