11話 「棺桶の中身」
五感の内、真っ先に味覚が回復した。
歯の間や舌の裏、更には喉奥をも蹂躙する土と砂利の味。
耐えきれず嗚咽し、無我夢中で手足を動かす。
ごえごえ、と口から異物を吐き出しているのに、後から後から口の中に涎で湿った土が押し戻されていく。
――生き埋めになっている、と気付いたのはその時だ。
酸欠で目を回しながら、意識を継ぎ接いで腕を掻く。
息ができない。当然だ。土精の領域に支配された空間に空気が入り込む余地などない。
掘る。掘る。掘る。
何度も伸ばした指先がやがて、そよ風に触れた。一心不乱に体を引き摺り、ようやく地上へと顔を出す。
「ごぉあえ!!」
吐いた。
一も二もなく口内の全てを吐きだした。
土と砂利が七・三の割合、ついでに足多めの虫。最悪だ。
「ぐうっ、げ、げぇぇえ、おぇ……!!」
口中の水分は全て奪われ、込み上げた胃液が口をゆすぐ。
一通り何もかもを吐出した後、ハルはようやく悪態を付けるほどの呼吸を取り戻した。
「あ、の野郎、ふざけ、やがって……」
目と涙を拭い、立ち上がる。
体の節々を鈍い熱と激痛で軋ませるハルを出迎えたのは、見渡す限りの樹木群だった。
一面に広がる森林地帯と中央に坐する小高い山脈を有するドゥロン山林道の、恐らくは最下層。
暗い森を見渡しつつ、恐る恐る体に触れる。
「骨も、折れてない、いや、治りかけ……? はは、でたらめだな、俺の身体。普通とっくに――」
死んでいるはず、という言葉は呑み込んだ。
脳裏に過ぎる最悪の展開を振り払って、まだ痛む体に鞭を打って歩き始めた。仲間たちの安否が心配だ。
馬車らしき残骸と馬の死体はすぐに見つかった。
しかしあの白い絹で包まれた荷は見つからない。
「……荷の『死守』で、俺がまだ無事ってことは、壊れたり誰かの手に渡ったりはしてないはず。確か、向こうの方向に飛んで行って……」
不確かな記憶を頼りに夜の森を行く。
土埃交じりの空気に煽られ、樹々が苦しそうに騒めく光景に不気味さを感じつつ、ハルは襲撃者を思い返す。
「あいつら、一体何の目的があって、こんな……」
単純に荷を狙った襲撃ではない気がする。
燕尾服の男は護衛品に何の価値を見ていなかった。そうでなければ山を崩すなんて馬鹿げた手段は執らない。
炸裂弾を投げ入れる男たちもそうだ。
あんな雑な襲撃では金目のものも吹き飛ばしてしまう。
「まるで……魔獣を退治する時のような」
そもそも炸裂弾は冒険家が魔獣退治に使う道具であるし、と考えてから息が止まる。
――まさか本当に魔獣退治のつもりだった?
「……いや。いや、有り得ない……」
怖ろしい予感をハルは頭を振って振り払うしかなかった。
「誰かを殺すことが目的、なんて……」
有り得ないはずだ。
狸亭の冒険家たちが狙われる理由なんて思いつかない。
雑用組にしても元罪人とはいえ恨みを買うほどではない。
彼らはどこにでもいる気の良い人たちだ。
殺される理由なんてないはずだ。
なら、誰を?
【分かり切っているだろう?】
夢で聞いた悪意が頭の中で哂う。
【その理由なら、ぜぇんぶ説明が付くじゃないか】
「……うるさいっ!」
それ以上のことを考えるのは恐ろしかった。
歩き始めて五分程度経っただろうか。土砂が未だにぱらぱらと降り積もる崖下、そこに程なく近い森林路が崩落の影響を受けて派手に崩れている現場に出くわした。
元々生えていた樹木群がハルの身長より大きな岩盤で薙ぎ倒され、土塊と岩雪崩に蹂躙されるその光景の端――夜闇に慣れ始めたハルの目が、それに気づく。
「あっ……! あああ!?」
見知った顔が倒れていた。
「お、オジキ!? オジキさん!」
蹴っ躓きながら駆け寄る。
オジキの体は半分以上が土砂に埋もれ、その上を大きな樹木と岩石が圧し潰していた。
肩を揺さぶると顔を苦悶に歪めて浅い呼吸を繰り返していた。
「こん、のぉおお!!」
岩石を持ち上げて遠くに放り捨て、樹木も蹴り転がすと大急ぎで土砂を素手で掘り進め、オジキの体を掘り起こす。
けれど彼の衣服は真っ赤に染まり、散乱している朱交じりの土が致命的とも思える出血の多さを物語っていた。一刻の猶予もないことは明白だ。
「オジキさん、しっかり! 聞こえるか!?」
「……ぉ、ぉお、兄ちゃんか……どこにおるんじゃ……ここは真っ暗じゃあ……」
生命力の搾りかすのような小さな応答だった。
少しの傷なら服を引きちぎって包帯の代わりにできるが、満身創痍の惨状にはまるで全く足りなかった。
「そうだ、護衛品に巻かれていた白布……あれなら包帯の代わりに……! オジキさん、持ち上げるからな! 痛くても我慢してくれよ!」
声を掛けて背負う。ゾッとするほど軽かった。
森を進み、何度も励ましつつ再び夜の森を進んだ。耳がオジキのか細い呟きを拾う。
「さむいのう……さむい……体がうごかん……どうなっとるんじゃ……?」
「意識をしっかり保ってくれ! 絶対……絶対助けてやるから! 聞こえてるか!? なあ!?」
「俺、死ぬんかな……は、は……思ったより……怖くないわぁ……」
「死なせねえよ!!」
まずい、とハルは直感した。
死を受け入れ始めれば、死神はあっという間に命の火を吹き消してしまう。
このままでは危険だ。何としても抗ってもらわなければ。
足を必死で動かし、話題を探して声を張る。
「か、帰ったらまた木こりをやるんだろ!? 薬草樹の根をくれるって約束しただろ!? 楽しみにしてんだからな! 絶対守ってもらうからな!!」
「おお……そうじゃったなぁ……」
僅かに活力が戻ったのが背中越しに分かった。
しかし蝋燭が消える前に、ほんの少し息を吹き返す……そういう命の最後の火だとハルにも理解できていた。
もはや言葉を交わすのも惜しくて速度を上げる。
「いい匂いじゃ……たっくさんのアジートの匂い……樹の香り……」
背中越しに、オジキが笑ったのが分かった。
状況にそぐわないほど穏やかな声だった。
「へへ、昔に帰ったようじゃあ……」
目的の護衛品の前に、小さな影が立っていた。
薄紫色の長い髪を後ろでまとめた剣士だ。
近寄ると抜き放った長剣をこちらに向けてきたが、それがハルだと認めると緊張をあっさりと解いた。
「兄さん。よく無事で」
「シオン!」
小奇麗な衣服をあちこち黒く汚してはいるが、傷一つ見受けられない。あれほどの崩落を物ともしない様子にはさすがに驚かされた。
安堵はほんの一瞬だけ。
いまはしなければならないことがある。
「すみません。荷の安全を確保するのに精一杯で――」
「そんなことは良い! 包帯が余ってないか!? ないならその白布を使おう! オジキさんの傷が深いんだ! いま処置の準備するから……!」
「兄さん」
治療の指示を受けたシオンは全く動かなかった。
背負われたオジキの様子を一瞥し、小さく目を伏せる。
鈍い反応に叱咤の声を上げるに先んじてシオンが口を開く。弟にしては珍しい、慮る声音だった。
「もう、亡くなっています」
「…………ぁ?」
沸騰した頭が急速に冷えていく。
耳元に届いていた呼吸が消えて、どれぐらい経つ?
昔を懐かしむ声が聞こえなくなって、どれぐらい経つ?
振り返ることができない。
震える腕越しのオジキの身体には、まだ温かさが残っているように思えた。
「オジキ……さん……」
振り返ればきっと笑ってくれているはずで。
そんな馬鹿なこと、あるはずないのに。
「…………あぁ……」
目を閉じて、受け入れるように大きく息を吐き出す。
鼻をすすりながら、宝物を扱うかのようにオジキを背中から降ろした。地面に横たえられた彼の半開きの目は、もう何も映していなかった。
「……残念です」
「なんだよ……なんだよ、ちくしょう……!!」
地面に両腕を叩き付け、顔を上げられず肩を震わせた。
胸の奥からあふれ出すのは様々な後悔だ。
助けられたはずだ。さっきまで生きていたのだから。
もっと早く見つけていれば。斧使いになど構わず助け出せていれば。
あるいは同行者の目など気にせず、横倒しになった馬車を退かしてしまえばよかった。そうすれば夜襲の機会など与えたりはしなかった。
「どうして……!!」
どうしてオジキは死んだ?
殺される理由なんてなかった。なら誰が狙われた?
自問自答の答えはとっくの昔に出ている。
ただそれを認めてしまうのが恐ろしくて仕方ない。
自分のせいだ。
そう口にすることさえできない。
言えば少なからず弟をも責めることになる。だから全ては自分が蒔いた種だ、と呑み込むほかなくて。
「兄さん、時間がありません」
崩れ落ちる兄の背に、シオンは努めて冷たく言い放つ。
乱暴にその衣服の端を掴み、必要なことだけを口にする。
「追っ手の気配が近付いてきます。数が多い。留まったままでは荷を守り切れない。今すぐに荷を持って離脱してください。もう兄さんの怪力を隠す相手もいないことですし」
「シオン……」
「山中の道は封鎖されているかもしれません。手練れもいる。荷を背負って逃げ切れるとは思えませんので、まず見つからないことを最優先に――」
「……逃げるしか、ないってのかよ、シオン……!」
「はい」
無念そうな呟きに、シオンは事無げもなく頷いて応じた。
「今の兄さんには何も許してあげません。仇を取るために戦うことも、自分を責めながら後悔することも、オジキさんの冥福を祈ることさえも」
「ぐっ……」
「全部、生きていなければできないことです。……間違ったこと言っていますか?」
静かに問い返され、ハルは何も言えなくなった。
失意のまま緩慢に起き上がり、けれど動けない。
消沈し丸まるその背に張り手が見舞われたのはその時だ。
「ぎっ……!」
空気を裂く鋭い破裂音。
全身を余さず駆け巡る激痛に我に返ったハルに、シオンは眦を吊り上げた。
「なのでひとまず、そういう余分はこの優秀で天才な弟に放り投げてとっとと逃げてください。しゃんとしろ、しゃんと。次に俯いたら蹴っ飛ばしますから」
「は、容赦ねえな……」
思わず渇いた笑みがこみ上げた。
笑みを作ること自体が罪深い気がしたけど、こういう時でもいつも通りの弟の存在が有り難かった。
薄情な自分を呑み込んで、顔を上げる。
「悪い。他の皆のこと、頼む。荷を隠したら合流するから」
シオンは返事もせずに、追い払うように手を振った。
ハルは一度横たわるオジキに視線を向け、頭を下げた。
様々な思いが去来したが、この感情を整理する時間すら今はない。白布に包まれた護衛品を肩に担ぎ、ハルは三度、暗い森を駆けていく。
「…………」
シオンはその後ろ姿を見送った。
車輪とは比べ物にならない重量の荷を、決して大柄ではない少年が抱え、あまつさえ駆けていく姿。
力自慢では説明しきれない異常性の塊だ。
あれを見せられた人は計らずも『ある生き物』を連想させた。瞑目したシオンの脳裏を、恐怖と憎悪が入り混じった罵声がよぎる。
『化け物……!! 化け物がここにいるぞ!』
何度、仲良くなった相手に蔑まれてきただろうか。
何度、救った相手に恐れられてきただろうか。
何度、何度、何度。
その力で助けた人間に裏切られてきたことだろうか。
「……行かないと」
胸の内で澱む憎悪を振り切り、オジキの遺体を引きずる。
脱力した死体は重く、移動させるには骨が折れた。
ようやく目的の樹木まで運び、その身体をやや乱暴に寄りかからせる。
「あまり好きじゃありませんでした」
遺体に向かって辛辣な一言を投げつける。
もちろん返事はない。
どこか穏やかにも見える死相を見やり、鼻を鳴らす。
墓を作る時間はない。火精の禊も土精の微睡みも、与えることはできない。
だからせめて。
「いま、背に寄りかかっているのが念願の薬草樹ですよ。良い微睡みを」
踵を返す。
森を囲う乱暴な足音が耳に届く。
野卑な喝采が、獰猛な挑発が聞こえる。
勝ち戦を確信し、獲物を狩る歓びに満ちていて。
「嗚呼、なんて――殺しやすいヒトども」
彼らの前に惜しみなく身を晒す。
好奇、あるいは好色の目に変わる男たちが何かを口にする前に首を落とした。
赤い月下に照らされた剣士は恐怖に歪む男達に向け、妖しく目を細めて嗤いかけた。
「鬼さんこちら。手の鳴るほうへ」
敵は予想通り、主だった山道の封鎖を行っていた。
一定の間隔ごとに数人の男が配備されて検問を作り、首には糸を通した笛を下げている。規模が大きく、護衛品を庇いながらの突破はやはり難しい。
下山は早々に諦め、荷を隠す場所を求めて山の頂を目指すことにする。肩に圧し掛かる重量に歯を食いしばりつつ中腹付近まで登る。
「ハァ、ハァ、ど、洞窟か、ちょうどいいな」
崖下を抉り削ったような横穴であった。
覗いてみると意外に明るい。どうやら光苔が自生しているようだ。土のマナを含んで仄かな光を放つ洞窟の中に滑り込む。
奥が見通せない程度には奥行きがあり、姿を隠すにも最適だった。
「さすがにここまでは追っ手もいないようだけど……くそ、時間を使いすぎた」
担いでいた荷を下ろす。
外れかけていた肩骨を強引に型に填める。
「痛った……っ?」
鈍痛は覚悟の上だったが、何やら妙な感覚が残った。
荷との接触面が焼け爛れた跡になっていた。
両掌や二の腕も同様だ。まるで熱した鉄の棒に触れていたかのような傷跡――体質があっという間に傷をかさぶたに変えていくのには見慣れたが、傷の出所に心当たりがなくて首を傾げる。
「な、なんだ?」
長時間の無理が痺れや痙攣として表れているのだろうか。
ともあれ、すぐにでもここを立たなければならない。
「……もう治りかけてるからいいか。後は入り口を塞いで、ひとまず誰の手にも渡らないように……」
呟きながら、護衛品を改めて見やる。
結局、これは何なのだろうか。
あの黒ヴェールの美女の剣幕を思えば、きっと計り知れないほどの価値があるはず。だが襲撃者が荷を重要視していないと考えるいま、この物体にどういう感情を向けていいのか分からない。
ぼんやりと思いを馳せていたからだろうか。
白い繭にも似た『それ』の異常に気が付くのに、僅かの時間を要した。
「あっ……穴が開いて……?」
正確には繭の一部が焦げていた。
何重にも巻かれた白絹の守りが、火で焙られたかのように黒炭に侵食されて欠損しているのだ。
不気味な静謐さすら讃えていたヴェールの守りは見るも無残に剥ぎ取られ、対照的な黒と金の豪奢な意匠を備えた中身が露出している。
「炸裂弾が当たって……? いや、持ち上げた時はこんな――」
困惑を漏らす口が、ヒクッ、と悲鳴にも似た音を最後に止まった。
「ぁ――」
見てしまった。見えてしまった。
自分たちが何を運ばされていたのか。
興味をそそられながらも考えないようにしていたその正体を、理解してしまった。
磨き上げた表面は瑞々しく光り、暗闇に溶けない独自の黒を主張している。
黒を強調する対比として用いられた金色の縁取りは、格式ある紋章などにあしらわれるもの。絢爛な装飾と細工に彩られたそれは、豪勢を好む貴族が家に飾る芸術品にも見えた。
否、いかに趣向が施されようとも『これ』は部屋に飾るに適さない。
何故なら、それは柩だった。
「――」
亡骸を収める長方形の箱型。
それを匠が芸術品として仕立て上げた代物であった。
当然、それが普通の棺桶ならばハルも絶句はしなかった。
問題は件の『これ』の状態だ。
棺桶ではなく柩と表現されるに相応しい状態。
即ち。
棺桶ではないのだ。
「嘘、だろ?」
黒と金で彩られた棺桶の一部分から視線を逸らせない。
誰かが横たわっていたならちょうど顔の部分に相当する位置、そこから覗く小窓のような穴がある。
そこに眠るように瞳を閉じた黒髪の少女の顔があったのだ。




