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10話 「敗走」





 ハルは荷車の中で微睡んでいた。

 今夜は護衛品の傍でシオンと交互で見張る役目を受けていたものの寝不足と連日の肉体酷使が祟り、舟を漕いでいた。


 ――狗人族コボルトの遠吠えが届いたのはその時だ。


「ッ――!?」


 意識の覚醒は早かった。

 遠くから聞こえたはずなのに耳元で叫ばれたような、鬼気迫る情念が脳を揺らした。

 自分の物と思えないほど心臓の鼓動が暴れまわっている。

 指先が震え、背中を蒸らす冷や汗も一向に引かない。


 何もかもが台無しになる前に早く。

 そんな、誰かの必死な訴えを耳にした気がした。


「……この非常時にうたた寝とか、馬鹿か俺は!」


 シオンを探す。

 弟は息を潜め、中腰で外の様子を窺っていた。

 月明かりを鋭く弾く抜き身の剣の輝きが、深刻な事態の前触れだと寝起きの頭にも理解させる。


「シオン、今のは……」


「――断末魔」


 無感動な目がハルへと向く。

 無機質な声がただ事実だけを伝えてくる。


「断末魔だと思います。遠くない場所で、誰かの」


「誰かって……誰、が」


 シオンの返事はなかった。

 弟の意識は外に向けられ、握る剣の柄には緊張が走る。

 問答を諦めたハルも聞き耳を立てる。外から絶え間なく緊張を孕んだ男の声が漏れ、逼迫した様子が伝わってきた。


「ザジと……マゴーのおっちゃん?」


「キーファさんも居ましたが、少し前にどこかに走っていきました。……いまマゴーさんも離れました。外にいるのはザジさんだけ」


「話を聞いてみよう」


 荷馬車を降りる。

 深夜とは思えない生温い夜風が吹いていた。

 予想通りザジだけが厳めしい顔立ちを更に硬くしながら、焚き火の前で仁王立ちしていた。

 彼の主武装、丸太の如き大槍もその手に握られている。


「ザジ! いったい何が……」


「……狗人族コボルトの雑用が少し前に姿を消しタ」


 返答は大型獣が放つ唸り声に似ていた。

 姿を消した狗人族コボルトと、響き渡った血を吐くような断末魔おたけび

 二つの事実を結び付けるな、という方が無理な話だ。


「キーファは狗人族コボルトに何かあったのだと言って森に入っタ」


「一人で!?」


「止める暇もなかった。いまマゴーが他の連中を……」


 言い終わる前にマゴーが就寝組を連れ立って戻ってきた。

 コレットは弓を携え矢筒を背負い、オジキは色を失った表情で歯をがちがちと鳴らしている。

 これで六人。

 姿を消した二人以外の全員が揃う。


「ザジ、ただ事ではない状況じゃ。判断を任せる」


「……二人の捜索に人手は割けない。昼間の馬車の件も鑑みれば、陽動の可能性もある。出払った結果、荷の守りを薄くし、万が一奪われでもすれば本末転倒ダ」


「その時点で雑用組が死にかねん――となれば」


「警戒を強める他、ないだろうナ」


 優先順位を誤らない堅実な判断だ。

 最善に近い決断だと誰も異論を唱えないなか、ザジは腕組みをしたまま動かない。

 無意識のうちに零れるような声量で、弟分の名を呟く。


「あの莫迦めガ。短慮は慎めとあれほど……」


 苛立ちと憂慮が混ざった嘆息。

 誰もが口ごもる中、張り詰めた沈黙に耐えきれず、コレットがおずおずと挙手をする。


「あの。私! 私がちょっと探してきましょうか!」


「不要ダ。各個撃破される可能性は防がねばならない。キーファも一人前の冒険家、自分の尻は自分で拭う」


「でも――」


 その時だった。

 尚も言い募ろうとするコレットの背後から、白紙で何重にも巻かれ、微かに煙を燻らせた球状の物体が投げ込まれた。


 焚き火の明かりで輪郭を歪ませた投擲物が、コレットの足元に着地する――直前、ザジが握る大槍がぶれた。


「コレット、飛べ!!」


 大槍の長い柄が少女の体を強かに薙ぎ払う。

 突然の凶行。

 誰かがその正気を疑う声も上げる暇もない。

 コレットの肢体は空へと弾かれるものの、背の翼を広げて中空で一回転して咳込みしながら態勢を整える。


「ぐっ、げほ、ザジさん何を――」


「他は伏せろッ!!!」


 抗議は爆音と稲光によって引き裂かれた。


「な、なんじゃああああぁぁ!?」


 物体を目にしなかった者には、突如地面が爆発したように映っただろう。

 着弾点は陥没し、岩や砂が舞い上がってハルたちに降り注ぐなか、ザジの切羽詰まった怒号が飛ぶ。


炸裂弾イクスダッ! 固まるナッ!!」


 警告は攻勢の合図となった。

 不気味なほど静まり返った樹々の影から、幾つもの投擲物がハルたちの立つ焚き火に目掛けて放り込まれた。


 断続する爆発音に耳がやられる。

 逆巻く火煙に視界を奪われる。

 爆撃に包囲され逃げ場を失くし、悲鳴と苦悶の声が交差する。


「散れ!! 焚き火から離れろ! 馬車を――!」


 守れ、と言い放つ余裕もない。

 大槍を車輪の如く振り回して自らに投擲された炸裂弾イクスを弾くザジだが、着弾の衝撃で起爆し溢れ出た鉄片なかみが腹や肩へと突き刺さる。


「ぬうううああッ……!!」


 全身を踏ん張らせ筋肉を漲らせる。

 長年の鍛錬で積み重ね作り上げた誇張なしの鋼の肉体が、乱雑に飛び散る鉄片の弾を弾き返す。


 ザジは歯を食いしばり馬車の方角を見た。

 何を差し置いても守るべきは護衛品と、非戦闘員の命。

 その要を奪われてはならじと、もはや見失った仲間たちも近くにいると信じて次の指示へと思考を巡らせ――


 指揮官ザジ目掛け、一斉に炸裂弾イクスが放られた。


「七つ……!?」


 避けて離脱する隙は作れそうにない。

 弾いて防ごうともこの数だ、幾つかの直撃は免れ得ない。

 訪れる死の如き苦痛を覚悟し、大槍を握る手に余すことなく力を載せて乾坤一擲を放つ、その刹那。


「弾いても無駄に怪我するだけですよ」


 死地に相応しくない軽い声だった。

 小柄な影がザジの前に立つ。

 腰の剣すら鞘に収めた無防備な足取りにザジは目を剥く。


「シオッ……!?」


「こういうのはこうです、こう」


 跳ねた手毬に手を伸ばすように炸裂弾イクスに触れる。

 衝撃を契機に中の配合物が反応し起爆する仕組みの危険物だ。掌に収まった途端、閃光と共にシオンの五体を引き裂かれる光景を覚悟しザジは息を呑んだ。 


 ゆえにザジは、その全てを目撃した。


 炸裂弾イクスを掌に収めた細腕が正円の軌道を描いて舞う。

 流麗で滑らかな円の動きは、炸裂弾イクスに与えられるはずだった一切の衝撃を殺しきった。

 円を描く一連の動作が完成し、まるで手品のように掌から炸裂弾イクスが消える。


 ひとつ。ふたつ。みっつ。

 まるでかみへと捧ぐ舞踊いのりの具現だ。


 時に両腕を。時には右足一本で。

 柔らかに炸裂弾イクスを受け止め、中空に放られたままの浮遊感と共に円を描いて、投げ返す。

 まるで水の流れが木の葉を押し流すように軌道のみを操り、放逐してみせた。


「な、ァ……!?」


 この神業の前にはどんな賞賛も陳腐だ。

 最後に蹴り返した動きなどもはや理解の範疇にない。

 闇の帳に隠された樹々の間から複数の爆発音。

 聞き覚えのない男たちの悲鳴。

 胸を迸る感動の代わりに、ザジは空を舞う仲間へ叫ぶ。

 

「――コレット、居るカ!? 敵が崩れタ!! こちらからも投げ返して主導権を取り戻せ!!」


「……っ、はい!!」


 煙の向こう側に潜む敵の動きは明らかに鈍い。

 潜む敵影を燻りだすため、空を飛ぶコレットは手持ちの炸裂弾イクス音響弾ノイズをばら撒いた。


 地面を抉る轟音。

 鼓膜を引き裂く怪音。

 立場が逆転し、襲撃者側が逃げ惑う。

 戦況を引っ繰り返す手応えに拳を握るザジは、窮地を凌いだシオンに向けて惜しみない賞賛を贈った。

 

「見事」


「……馬車の方は兄さんが抑えました、マゴーさんも保護してます。どうぞ指揮に集中を」


 なんと頼もしいことか、とザジの口端が笑みを作る。

 彼らとの幸運たる出逢いを父なる龍に感謝する。

 風の流れが変わった。

 敵方の戦意が崩れる雰囲気を感じ取り、ザジは追撃の令を出そうと息を吸い込む。


「追撃ダ! 捕虜を取って連中の目的を吐かせ――」


 死の臭いを感じ取ったのはその時だ。

 ザジの顎先を何者かの冷たい指が撫で、銀の弧閃が奔る。

 咄嗟に膝を折って姿勢を下げ身をよじる。

 逃げ遅れた肩口付近の肉が抉り取られ血が噴き散らす。


「何者――ッ!」


 片膝を突いて大槍を構えなおす。

 意識の間隙を縫い背後を取る謎の襲撃者に背筋が凍った。


 数秒、判断が遅れていればこの首が落ちていた。

 濃い煙幕の中からゆっくりと姿を現す『それ』は、奇襲の失敗に小さく唇を尖らせていた。


「……」


「貴様……」


 少女だ。

 目元は黒い鉄製帽ヘッドギアが覆い隠し、凹凸の少ない身体をぴっちりと張り付いた黒タイツで覆っている。


 闇と煙に紛れてその輪郭は覚束ない。

 少女の両手には杭に似た短剣が握られ、その片方はザジを切り裂いた証である鮮血に濡れている。

 油断なく見据えていると、すぐ近くで悲鳴が上がった。


「ひぃ、ひぃいいい、なんじゃ、何が起きてるんじゃあ!?」


 オジキだった。

 顔を煤だらけにして、ザジのすぐ横に転がり込んでくる。

 幸い目立った傷はないものの恐慌状態に陥り、まともな判断ができるかどうか。

 そんな彼の後ろから、ゆったりとした足取りで手甲を両腕に填めた女が現れる。


「二人……!?」


 短剣使いの女と同じ黒い鉄製帽ヘッドギアに黒タイツ。

 少女以上に煽情的な身体付きを強調する服装。

 吐き気を催すほどすえた鉄の臭い、まるで血溜まりの具現を目にした不吉さに背筋が凍る。


(これは違う。これは山賊の襲撃などではない。もっと大きな、明確な殺意――ッ!)


 もはや自分たちが対処できる段階を超えていることを、ザジは認めた。

 認めなければ全員が死ぬことを予感した。

 折よく地鳴らす車輪の揺れを気付き、ザジは目を見開く。


「マゴー! マゴー!! こちらダ!! 四人いる!!」


「おおおっ!!」


 日頃は想像も付かないマゴーの雄叫びと共に、闇煙を吹き飛ばして馬車が現れる。

 並走するハルが素早く腰を抜かしたオジキの元に駆け寄ると、その体を軽々と持ち上げた。


「オジキさん! ここにしっかり掴まっていろ!」


「はっ、はひぃ!」


「皆の衆も乗るんじゃ!! 急げ!! 早く!!」


 怒号を呼び水に手甲を嵌めた女が、ヒヒ、と不気味に笑って馬車へと殺到――その行く手をザジの大槍が阻む。


 火花が散る。

 鍔迫り合いが続く。

 圧倒的な体格差の力比べ。ザジと互角に渡り合った女が愉快な玩具を見つけた童女の笑みを作る。


(強いッ!!)


 背筋に濃厚な死の予感が這いあがり、しかしそれを振り切ってザジは叫んだ。


「下山しろマゴー今すぐダ!! 後は俺が抑える!!」 


「じゃがザジそれは!」


「今の指揮官は俺だろうガ!!」


「……すまん!!」


 落雷じみた声に圧されてマゴーが歯噛みして手綱を握る。

 シオンは戦場と馬車を交互に見て僅かに思案した。

 短い葛藤を制したのは、未だ鍔迫り合いの最中であったザジの鋭い声だ。


「お前も馬車に乗れ!! マゴーたちを頼んダ!!」


「――ご武運を」


「さあ死にたくなければ走れよ駄馬め!! 全員乗ったな!? 確認はせんぞしっかり掴まっておれ!!」


 鞭を走らせ、慌ただしく緩やかな下り道を駆け降りる。

 指示が出てから僅か三十秒足らずの離脱を見送ったザジは、鍔迫り合いの均衡を敢えて崩して女の態勢を崩すと、前のめりの細い体に膝を叩き込む。


「ぎゃっ」


「グッ」


 苦痛は二人分の声。

 膝に走る鈍い痛みに構う暇もなく腰を落として大槍を構え――耳から離れない翼が風を薙ぐ音に、溜息を付く。


「コレット、何故残る」


「冒険家ですので」


 幼さを残す声が上空から降る。

 命の保証などない死地にあって、少女は不敵な顔で。


「大丈夫。きっと今回も大丈夫。もう少ししたらキーファさんだって戻ってきます。反撃開始です。だから」


 声は震えていた。

 少女には、煙に巻かれたザジより状況が見えるはずだ。

 慌ただしく踏み鳴らされる足音の数は、両の手で数えてもまるで足りない。

 正体不明の機械人形マキナの卓越した技の冴えは、もはや疑う余地もない。


 たった二人で迎え撃っていい相手ではない。

 冒険家だからこそ理解できるはずの絶望を呑み込んで。


「だから、ちゃんとで生き残りましょう」


 祈るような激励だった。

 ザジは犬歯を剥き出しにし、安心させるように頷いた。


「応ッ!!」


 ザジの巨躯が唸り、大槍が風を孕んで振り上げられる。

 振り下ろされるその穂先を、飛び出した手甲を装備した機人族マキナが受け、阻む。

 踏みしめた大地が砕け、破片が舞い上がり、大地を砕く一撃を受けた機人族マキナの唇が悦びに歪んだ。


 その隙に短剣使いの機人族マキナの姿が煙の中に消え、見失わぬようコレットが大空を舞って煙の中に身を躍らせる。


 彼らの抵抗を示す剣戟の音は、しばらく止まなかった。


 彼らは勇敢に戦った。

 数の不利を物ともせず、質の不利すら時には覆した。

 冒険家の名に恥じない十数分に及ぶ死闘が、殿しんがりとしての役割を十全に果たす。





 惜しむらくはその結末。

 野営地での戦いは冒険家かれらの勝利では終わらなかった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 一行は砂煙を巻き上げながら坂道を疾走する。

 鞭を打つたび興奮した馬が足を速め、比例して衝撃が同乗者を乱暴に揺らした。限界を越えた回転に軋む車輪から苦鳴にも似た音と振動で車体が軋む。


 投げ出されないよう態勢を低くし、ハルは御者席のほうへ移動してマゴーに呼びかける。


「おっちゃん! 馬車、四人しか乗ってない!! コレットが――」


「くそぉ!!」


 眦に涙を溜めてマゴーは叫んだ。


「今は、今は逃げるしかないんじゃ!! 相手の規模が違いすぎる! あの乱戦で荷を守り切れんとザジが判断したなら、ワシはこうするしか……!」 


 責務を自らに言い聞かせ、血が滲むほど手綱を握る。

 置いてきたのはいずれもマゴーの店の冒険家たち、家族同然の仲間のことが心配でないはずがない。彼らをおいて逃げることが苦痛でないはずがない。


 それでも。

 彼らの心意気を汲んで、マゴーは歯を食いしばる。


「周囲の警戒をげんに! 今は他のことに構っておられん! しばらく続く直線道で一気に距離を放して――」


 ふいに言葉が途切れた。マゴーの背筋に戦慄が走る。

 一本道になった下り坂の向こう側に、ゆらゆらと揺らめく松明の炎が見えたのだ。


「いかん……!?」


 マゴーの目にはそれが夜の山を歩く旅人に見えた。

 咄嗟に鞭を投げ出し、手綱を強く引いて急停止を試みる。

 行く手を阻むのは燕尾服に身を包んだ長身の男だった。

 瞳孔が見えない細目。

 薄く張り付けられた笑みが道化師を連想させる。

 斜面を駆け降りる荒々しい車輪の悲鳴など聞こえないとばかりに、のんびりと片手をあげていた。


「そこの誰か!! 退いとくれ、間に合わん――!!」


「――いいえ。いいえ、ダメです!」


 マゴーの悲鳴に被せて、シオンが声を張り上げた。

 燕尾服が掲げる右腕が、歪な膨張を始めているのが見えたのだ。



「止まらないで! このまま轢き殺してください!!」



 その叫びもマゴーの手綱さばきを変えるには至らない。

 燕尾服の顔色は変わらない。

 混乱の坩堝るつぼと化した馬車の行く末を案じるような、憐憫の籠もった笑みを浮かべて男は右腕を軽く振った。


鉄塊型・大戦斧おおまさかり


 瞬きをする間の僅かな時。

 燕尾服の手に鉄塊としか表現できない大斧が出現した。

 いい加減に削り取った瓦礫に長柄の太い取っ手を差し込んだ、かろうじて斧の体裁を整えた造形の武器。

 何よりも常識外れは、その重量だ。

 燕尾服の立つ地面が罅割れ、体が沈んでいくなか。


「恐縮です」


 ただ一言だけ発し、男は大戦斧を大上段に振り上げた。

 馬車が燕尾服に激突するまで三秒。

 激突を覚悟したマゴーが目を瞑ったまさにその時、燕尾服は大斧を目にも止まらぬ速さで振り下ろす。

 目標は馬車ではなかった。

 大戦斧は馬車が三秒後に通過するはずの道へと着弾した。




 轟、と圧倒的な質量が直接、耳朶を叩いた。




 局地的な地震が山ひとつを覆い尽くす。

 大地が激しい鳴動を繰り返す。獣らは半狂乱で逃げ惑い、鳥たちが一斉に闇夜へと逃れ飛び立った。

 高速で駆けていた馬車は、大地から与えられる衝撃に耐えられずに宙を舞う。


 馬車が、宙を舞ったのだ。


「はあああああ!?」


 ハルたちが中空に投げ出されたことは幸運だった。

 馬車とそこに繋がれた二頭の馬は燕尾服の上を勢いよく通過すると、硬い地面へと激突。痩せ馬たちは地面と馬車に挟まれる形で圧死したが、彼ら自身はその難を逃れることができた。


「うわああああああぁぁぁぁぁ……」


 誰かの悲鳴が土砂に埋もれて消えた。

 馬車に比べて体重が軽い彼らを、長い浮遊感が包み込む。

 ハルの腕が無意識に激突する地面を探そうと動き、けれど手応えが掴めず、そして目を疑う。


 地面が消えていた・・・・・・・・


 砂や岩壁の破片が塵の如く跳ねて逆巻いた。

 大地が震え罅割れて崩れていく。


(山が、崩れてくのか!? 斧の一撃だけで!?)


 哀れにも投げ出されたハルたちを待つのは、ただ一撃の斧の振り下ろしによって形成された奈落。

 あらゆる命も無視物も、地面めがけて滑落する。


「くそ、こんな……ォ、ぉぉぉおおおおおおおおッ!!」


 ハルは崖から隆起した突起に手を掛ける。

 全体重と重力が右腕に圧し掛かる激痛と引き換えに滑落を阻止し、大量の砂埃に耐えつつ顔を上げ、そして目にした。


 この地獄を作り出した男の姿を。

 細長い腕の中に、先ほどの大戦斧が折りたたまれて収納されていく光景を。

 常人では有り得ない、冒涜的なまでの機能性。

 連想したのは機械仕掛けの人形。

 ハルは呆然とその正体を呟く。


「――機人族マキナ


 其は七種族の一つ。

 世界で唯一の、人類によって生み出された人類。

 曰く、命と意志を持って製造された『生きた魔導品アーティファクト』。

 浅緑色の髪を掻き上げた男の薄ら笑いが、ハルと目が合った途端に消えた。彼は細い目を見開き、深紅色の瞳孔でハルを見据えて。


「この感覚――まさか」


「ッ……この、ォォオ!!」


 燕尾服に飛び掛かろうと右腕に力を籠める。

 脳髄が熱い。心臓が跳ねる。

 ハルの内部を抑えきれない激情が湧き出て、際限なく力が漲っていく。


「ォォオオオオオオオオアアアッ!!!!」


投射型・手斧ハチェット


 詠唱と同時に右掌に空洞が生じ、空間から柄が生える。

 空気を断つ速度で腕が振ると黒刃の斧が回転しながら見当違いの方向へ――否、それは大きな弧を描いて曲がり、不規則な軌道でハルへと迫る。


 岸壁を蹴り飛ばし退避。

 ハルの居た場所に手斧が突き刺さる。

 斜めに突き出た壁に身を預け、獣のように唸るハルを見下ろす機人族マキナは洗練された所作で燕尾服の汚れを払った。


「なんと数奇な出生うまれか。よもや人と鬼の――」


 言葉を区切った男の痩躯が、破壊を免れた平地へ移る。

 地響き。それは二度目の崩落の合図だった。

 破壊は燕尾服が消えた平地も命綱の崖壁も容赦なく呑み込み奈落へと誘おうとした。巻き込まれぬよう歯を食い縛り新たな足場を探すハルの頭上に影が差す。


「――ガッ?」


 見る影もないほどひしゃげた荷車。

 絶命してぴくりとも動かない二頭の馬だったもの。

 白布で繭のように覆われた護衛品。

 それらが土砂や岩の集合体と混ざり合って地滑りし――


「ガァウ、ぅ、わあああああああ!!?」


 光を失った馬の目が降ってくる。

 地獄の中にあって生者ハルを怨んでいるかのよう。

 凄まじい質量の前にハルは無力だった。

 為す術もなく土砂崩れに巻き込まれ、その姿は暗闇の底へと消えていった。





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