04話 「悪だくみ」
――冒険家。
魔獣の討伐を主な仕事にした民間の傭兵。
その源流は村の自警団に端を発する。
元来、魔獣退治は国の騎士団が担うものだった。
しかし魔獣被害は国や地域の別なく頻発し、騎士団が後手に回らざるを得ない状況が続いた。
被害を未然に防ぐため。
犠牲を最小に抑えるため。
力ない人々が自衛手段を求めたのは自然の流れだった。
やがて自警団の中から突出した者が現れた。
自らの肉体に自信を持つ者。
技術や知恵を持って魔獣を制す者。
彼らの活動は故郷だけに留まらず、近隣の村まで及んだ。
魔獣を撃退する専門家として報酬を得る者、危険を遠ざけ、あるいは排除する荒事のプロフェッショナル。
――冒険家の誕生である。
冒険家は時代と共に数を増やした。
必然、その生い立ちも多様性を得ることになる。
口減らしなどで村を追い出された者。
権力争いに敗れて隣国から逃れた貴族。
孤児院を飛び出した子供、牢から逃亡した罪人。
当然、それに伴って質も在り方も大きく変容した。
精鋭揃いであった冒険家にも腕利きとそうでない者の格差が生じたのだ。
やがて魔獣退治だけでなく、未探索の洞窟や遺跡の調査や素材の採取、単純な肉体労働の人足も冒険家の仕事の一つとなった。
多岐にわたる依頼をこなして報酬を受け取る者たち。
冒険家は何でも屋の代名詞として、現在もその数を増やし続けている。
そんな冒険家の登龍門とも呼ぶべき仕事、それが――
「――ゴブリン退治ぃ?」
相棒の素っ頓狂な声に、ルシカは大真面目に頷いた。
「そうだ。騎士団の活躍で比較的平和を保っている聖龍国だが、そんな彼らをして頭を悩ませている存在が二つあった。その内の一つが、ゴブリンの凶暴化だ」
備え付けのクッキーを口に放り投げながら、ルシカは木製の丸机に乱雑に並んだ書類束の一つを摘み上げて投げ渡してくる。
受け取ったハルはその内容を流し読みながら首を捻る。
「ゴブリンって、あのゴブリンだよな?」
「巷ではあだ名に事欠かない、アレだね。武装した村人でも殺せる『最弱の魔獣』、あるいは若い冒険家のパーティを全滅させる『新米殺し』」
彼女が挙げる異名はハルのゴブリン像とも一致する。
冒険家の腕前を如実に表すのは、やはり何をおいても魔獣退治だろう。彼らはいかにして強大な魔獣を仕留めたのか、その手の武勇伝には事欠かない。
そんな彼らにも当然、駆け出しの頃がある。
彼らが魔獣退治の初陣に選ぶ相手として、最弱の名を持つゴブリンに白羽の矢を立てるのも当然の流れだ。
とはいえ、ゴブリンも人類の害敵たる魔獣の端くれ。
実力や覚悟が伴わない新米を返り討ちにするエピソードも数多く、それが後者の異名の由来となっている。
「ハルも冒険家歴はそれなりに長かったはずだね?」
「荷物持ちの雑務を期間に数えていいなら、まぁ」
「じゃあ……もう経験済みだったりする?」
「ゴブリン退治の話だよな? 何で科作りながら聞いた? 経験ねえよ、って答えづらい雰囲気作ってくるのやめろ」
ハルの冒険家への転身は少し事情が込み入っている。
自由や冒険、名誉への憧れで冒険家の門を叩いた者なら、正しい段取りを踏んでゴブリン退治という仕事を受けていただろう。
ハルは違う。生き延びるために必死だった。
魔獣退治なんて仕事を分けてもらえるような身の上ではなかった。だから必要に迫られて段階を無視し、幾つかの幸運に助けられて生き残ってこれた。
そういう意味では今更、事を構えるべき相手かどうかには疑問の余地が残るものだが。
「ゴブリンと聞いて拍子抜けしたかい?」
ルシカの問いかけには首を振る。
余裕や慢心といった余分な感情を自分に許すほど、ハルは自分自身の力を信じていない。
「そうじゃなくて、思ったよりまともな仕事だって驚いてんだよ。悪だくみだなんて言うから、どんな無茶を言ってくるのかって……これはこれで拍子抜けに当たるか?」
「それは失礼な話だね。認識を改めてもらおう」
ルシカは資料の一部を手に取ってゆらゆらと遊ばせながら、難しい顔を作る相棒の反応を楽しんでいるようだった。予想通りだと言わんばかりの笑みが何とも居心地が悪い。
「資料によれば、ゴブリンによってここ数か月で三つの村が全滅の憂き目に遭ってる。推定死者は合わせて二百人。危険度で言えば十分にまともじゃない」
推定死者、合わせて二百人。
派遣された調査隊が見たのは、見る影も無くなった村の残骸と喰い散らかされた村人の遺体だけ。正確に何人が死んだのか、誰が死んだのか判別も出来ない状況だったという。
「――魔獣に滅ぼされた村、か」
ハルの脳裏に、あの炎の夜の景色がよぎる。
村が魔獣の襲撃に遭って滅びるという事件は珍しくない。
多くの民を国が保護できればいいのだが、やはり安全という椅子は席があらかじめ決まっていて、そこからあぶれてしまう人々の方が多いのが世の常だ。
「……いつになっても、この手の話は減らないな」
「この世界を取り巻く社会問題ともなれば根が深いものさ。安全な場所は限られていて、誰もがその安全を享受できるわけじゃない」
外には魔獣の脅威が常に付きまとう。
大都市の市民権を持たない大多数の人々は、寄る辺を求めて身を寄せ合って生きていくことを強いられる。国はそんな彼らに物資や資金を供給し、集落を作らせるのだ。
「街から街へ移動するには、騎獣に頼らざるを得ない。一般市民の移動手段は主に馬で、経済を回す商人たちも大多数がこの手段に依存している。とすれば、村は現代では欠かすことのできない中継所。交易路を繋ぐ点とも言える」
「旅の時は村のありがたみが身に染みるからなぁ」
「そうして経済を潤わせたい国側と、援助を受けて住み家を得たい民側の利害が一致した結果、魔獣被害が増えていく。村が滅びるのも自然の一つの形かもね」
「――」
自然、という言葉に少し眉が寄る。
村の数が国の許容量を超えて広がれば、今度は村の単位であぶれる箇所が出てくるだろう。その間隙を突くように魔獣たちが現れ、人を襲う。
これが解決する見込みはきっとないのだろう。そんなことはよく分かっている。
けれどあの夜の惨劇を自然淘汰の結果だと受け入れるのは、受け入れがたい部分もあって口を噤んでしまう。
「でもね、ハル。このゴブリン事件は不自然なんだ」
少女の強い声音が、そんな感傷を吹き飛ばした。
叱咤されている気がして、ハルは雑念を振り切るように頭を振ってネガティブな思考を切り替える。
「……不自然って?」
「被害に遭った村は首都の近隣に点在していたんだ。騎士団が巡回するルート上にあり、比較的治安も良い村だった」
「……騎士団は対処してるんだよな?」
騎士団の存在がどれほど大きいかは、窓の外のパレードを見れば一目瞭然だ。
彼らは国の総戦力の八割を誇張なしに担う。
庇護の対象だった村が次々と滅ぼされるというのは、騎士団のみならず国の威信を損なう大事件であり、その被害についても手をこまねいているとは思えない。
「彼らもこの件は歯噛みしているところだろうね。頭を悩ませているんだ。何しろ彼らにはゴブリンが凶暴化する原因が分かっていない」
ルシカは笑みを消すと、深く息を吐く。
「分かりやすく魔獣の親玉を倒せば解決、という話でないのなら、国も騎士団の派兵には慎重にならざるを得ないだろう」
「国自慢の大ナタも、振り下ろし先が分からないと、か」
解決の見通しが立たないまま、闇雲に魔獣を追っても疲弊するだけだと分かっているのだろう。
騎士団の責務はゴブリン退治ばかりではない。
より強大な魔獣被害に追われて、その他の被害にまで手が回っていないのも国が抱える問題の一つと言える。
そうと知ると、外で続く華やかな行進も見方が変わる。
沿道の市民たちに笑顔で手を振る彼らも、次の出征先に思いを馳せているのかもしれない。幾ら叩いても一向に終わる気配を見せないモグラ叩きともなれば憂鬱な思いだろう。
「そこで、私たちの出番だよハル」
ふっ、と気取った笑みに嫌な予感がした。
彼女の勿体付けた言い回しに、何かを企むような顔付きが組み合わされた時、大抵ろくでもないことを言い出すのだとハルの経験が告げている。
果たして彼女は白い指先を自分とハルに向けて――
「このゴブリン騒動、私たちで解決してやろうじゃないか」
想像を絶する無理難題を口にしたのだった。
「たまにお前って冗談言うよな」
「それこそ悪い冗談というやつさ」
至極当然の帰結のように言ってのけたルシカは、唖然とするハルの表情に満足したのか、表情を緩めて再び机の上の菓子に手を伸ばしている。
一方のハルはと言えば、なるほど、と小さな相槌を打ち、言葉の意味を噛み締め、額に汗をかきながら何度も首を捻り、やがて呻く。
「……で。国が解決できない問題をどうやって?」
「この事件の全貌、私にはある程度が視えている」
雑談のような気軽さで彼女はそう口にした。
大言壮語にも思える宣言だが、気負うことなく菓子を頬張る姿は実に自然体だ。さも当然の事実のように答えられて、ハルは少し言葉に詰まる。
「……それを国に話せば解決じゃねえの?」
「私みたいな市民権もない女が訳知り顔で話を通しに行ってみろ。良くて門前払い、悪ければこの事件の関係者だとか冤罪を擦り付けられて断頭台だぞ」
「後者は極論すぎだろ。でもまぁ、信用してはもらえない、ってのは確かに」
ハルは彼女がどれほど知識を蓄え、頭の回転が速く、物事を見通すことに長けているかを知っている。時にその思考に常人の理解が追いつかず、不気味がられることも。
そして何よりも問題なのは、彼女の格好だ。
上から下まで黒一色で統一された少女が、訳知り顔の上から目線で謎を解き明かしていくという姿を思い浮かべて、ハルは思う。
正直、胡散臭い。
断頭台はともかく普通に冤罪ぐらいならありそう――などと嘆息していると、笑みが一切消えた鋭い眼光がハルを射抜いていた。
「いま失礼なこと考えただろう?」
「そんなこと……ねえよ?」
ごほん、と咳払いで誤魔化して、再び資料に目を落とす。
「そ、それにしても冒険家の動きも悪いんだな。ゴブリンに関わる仕事全般、相場は跳ね上がっているのに全然掃けてない。命あっての物種ってことか」
「着眼点は良いけど、滞ってる依頼内容にも目を通してみるといい。何かに気付けるかもしれないよ」
「……うーん?」
資料にはどの街周辺にゴブリン関連の依頼が多いかの分布図と、依頼内容にどんな種類のものがあるかを件数付きで列挙されている。ルシカが依頼内容と言うからには、後者に注目しろということなのだろう。
依頼は『村の近くにゴブリンがいないかの調査』が一番多くて全体の五割。村に住み込みで護衛依頼を呼び掛けているのが四割、その他が一割と分けられてはいるが――
「あっ、うん? あー変だなこれ!」
答えに辿り着き、思わず興奮して膝を打つ。
ほぼ全てが村や集落からの嘆願書だ。誰も彼もがゴブリンの猛威に怯え、不安を隠しきれずにいるのが伝わってくる。だというのに、肝心のものがない。
「討伐依頼が一件もねえのはちょっとおかし――」
「うん正解。クッキーをあげよう」
「もがっ」
ルシカはすぅ、とハルに寄ってくると口の中に細長い形状のクッキーを差し込んできた。もごもごと口を動かして半目で睨むが、彼女はどこ吹く風で机の上にある資料の束をぺらぺらとめくると、そのうちの二つをハルに差し出してくる。
「そこに気付いてもらった所で。これに目を通してくれ。どんな事件にも重要人物というものは欠かせないからね」
受け取った資料には顔写真と経歴書が載せられていた。
言われるがままに目を通すハルの顔つきが段々訝しいものに変わっていき、最初の一人目を読み終わって二人目へ、その概要を軽く流し読んだあたりで我慢できずに口を開く。
「……なあルシカ、本当にこの書類であってるか? 別の奴と間違えてねえ? どちらもゴブリンとの接点が全然見えてこないんだが……」
そもそもゴブリン退治に重要人物も何もあるのだろうか、と何度目かの疑問を差し挟むものの、ルシカはその反応こそを求めていたかのように目を細めるだけ。埒が明かないので一人目が書かれた書類をルシカにも見えるように掲げる。
「こっちは大富豪のお坊ちゃんみたいだが」
「いま紅龍国で新進気鋭の大商会、その御曹司だ。今は頭取の父親と一緒に聖龍国に滞在している。そういえば今日の新聞にもちょうど名前が出てたな。彼を含む数人が、次期頭取の座をかけて争っているとね」
隣国の大商人の子、と言われてもやはりピンとこない。
何度顔写真を睨み付けても、一生ゴブリンとは無縁な人生を送る青年だという印象しか出てこないのだ。
「商会の資産価値は二十億エーテルにも上るとか」
「桁が凄すぎてピンと来ねえ……」
「肉串換算なら世界中の牛が死に絶えてもなお足りない」
「すげえ、って感想は出たけども!」
結局は、ハルには想像もつかない規模の大商会の御曹司だとしか理解できなかった。黒尽くめの相棒が彼の背景にどんな景色を見ているのかまるで想像もできない。
「それはそうと……ゴブリン退治だよな?」
「まぁ、そうだね?」
「何で疑問形が返ってくるのか分かんねえけど、それとその御曹司がどう関わるんだ?」
単刀直入に聞いてみると、僅かに間があった。
呆れた吐息の後に得意げに語ってくれるだろうと思ったが、ルシカは少し長く考え込んだ。細い指を顎に当て、思考し、少し苦慮するような沈黙があって。
「ルシカ?」
「いや、すまない。どう関わるか、か。いざ言葉にされると困ってしまうな。これは後の楽しみというか答え合わせまで取っておくことにしよう」
うん、と一人納得されてしまう。
納得いかないが、追及してものらりくらりと躱されることが目に見えている。「何だよそれ」と軽く不満を口にしながら、二人目の資料に目を落とすことにする。
「で、もう片方が……何年も魔獣退治に出てない、冒険家? 確かに御曹司に比べればゴブリンに近くなった気がするけどよ。何でこの人を……」
片手で額を抑えて知恵熱と戦いながら、謎の冒険家の経歴を目を皿にして追っていく。やがて特記事項の欄に記載された、短い内容に強い違和感を覚えた。
「ん……ゴブリン討伐依頼を、昨日受領?」
討伐依頼は一つもなかったはず、とルシカに視線を向けると、我が意を得たりと彼女は微笑んだ。
「そうなんだ。止まり木には討伐依頼は一つも通されていない。しかし、何処からともなく討伐依頼が湧いて出て、魔獣退治を避けてきた男が急に手を挙げた」
「確かに……妙な話だけど」
「妙な話に妙な話が重なれば、それはもう偶然では片付けられない。そうは思わない?」
護衛や調査の依頼でさえ山積みにされるゴブリン案件。
ないはずの依頼と、それを受ける魔獣退治に縁遠い冒険家。
それぞれの要素が、一つ一つは何のこともない要素を否定しあっている。確かに指摘されてしまえば、妙にむずむずする違和感だと思えた。
尤もそれが分かったところで、彼女がこれらを組み合わせてどんな真実を見抜いたのか、という点はとてもハルの想像が及ぶ範疇ではないのだが。
「とにかく、この二人に気を付ければいいんだな。全然繋がりの無い二人だし、まずはどっちを当たっていくか決めるか。というか優先順位あるか?」
「その心配はしなくていいよ」
「あ?」
「意味はすぐ分かる。あとこれは直感も込みの話だけど」
一度区切って、ルシカは切れ長の瞳をハルに向ける。
見る者を魅了し視線を釘付けにするような、ぞっとする美しさ――ギラギラとした、野心的な笑みで重要人物の顔写真、その片方を指さす。
「彼がこの事件の解決を握る鍵だ。このゴブリン騒動……とびきりの波乱を起こす引き金に違いない」
いかにも平凡そうな中年の冒険家の顔写真が、外からの突風に煽られてひらりと舞った。気が付けば外のパレードも終わりを迎え、喧騒も落ち着きを取り戻していた。