07話 「焚き火の音」
動物油を鉄なべの上に溶かす。
数種類の香草の粉を揉みこんだ肉を投入し、マゴーは短い腕を弾ませ一定のタイミングで鉄なべを振るいあげた。
干し肉が油の艶をまといながら鉄なべの中で踊る。
油の弾ける音が耳を、香りが鼻を刺激し、ハルは知らず口の中に涎がたまっていくのを自覚した。
「おおー……おおー……」
「これ。火傷するぞ、顔を近づけるでない」
無作法なハルに釘を刺しつつも腕は止まらない。
油がよく絡んだ頃を見計らい、鍋に蓋をし火から外しておく。
地面に置かれた鉄鍋の中で何が起こっているかは分からないが、徐々に小さくなっていく音と、比例して漂ってくる香ばしい匂いに否応なく期待が高まっていく。
「味が濃いのと薄いの、どっちが良いかの?」
「濃いやつ!」
「私は薄いほうでー」
「両方でお願いします」
言うまでもなく両方を主張したのはシオンだ。
注文を受け取ったマゴーは鉄なべの蓋を取ると粉末入りの容器を複数取り出し、次々とまぶしていく。
最後にひと塊の肉をナイフで手際よくカットし、取り皿に盛り付けていく。断面がてらてらと光り輝いてまるで宝石の一欠片のようだった。
「両方だのと欲張るやつは、違う味を誰かと交換してもらうように。ほい、順番に皿を出せ」
真っ先にシオンが大きめの皿を前に出す。
供された肉料理は、香ばしい焦げ茶に山菜の緑が彩られた芸術品だ。
普段伏せがちのシオンの瞳が、憧れの人物を目の前にした少年のようにきらきらと輝く。にやつきそうになる口元をぎゅっと抑えて何とか無表情を装っているのがいじらしい。
「そら。召し上がれ」
「それじゃ……いただきます」
料理人のお許しが出た。
食前の精霊への祈りもそこそこに、彼らは一心不乱に料理を貪った。
肉汁たっぷりの肉を口に入れた途端に次々と喝采が沸き起こる。
「美味めええええええ……!!」
「ど、どうなってやがんだこりゃあ。これが店売りの肉とその辺で摘んできた野草だって!? 俺には信じらんねえよお!」
「へっへっへ。そうだろそうだろ。親父の飯は死ぬほどうめえだろ!」
何故かキーファが胸を張るが、誰も指摘する無粋は犯さない。
今まで粗食で飢えを凌いできたハルとシオンは、口の中に広がる暴力的な味力に翻弄され、目頭の奥を熱くし、歓喜にその身を震わせた。
「う、生まれて初めてだ、こんなに美味い飯! くそっ、泣けてきやがる……!」
「悔しいですが、絶品です。隠れ名店の発見です。地上にこれほど美味しい料理は存在しないのでは」
「言いすぎじゃろ。何と比べとるんじゃ」
「これに比べたらあの保存食なんて残飯同然だ! あの野郎パサパサしやがって! お前なんて大嫌いだ……! 昔から大嫌いだと言ってやりたかったんだ……ッ!」
「もう口の中に残る乾いた味になんて戻れない」
「まさかお前ら、乾パンと比較しとる?」
旅路を支えてくれた功労者にして、食卓を壊滅的な悲嘆で彩ったあの冷たく乾いた存在にさよならを告げ、そして旅先とは思えない乱痴気騒ぎが始まった。
猿のオジキはザジと気が合い、好きな酒の銘柄について所見を語りながら席を外していった。
キーファは薪拾い時に仲良くなったのか、狗人族と共に夜の見張りについて打ち合わせを始めていた。キーファは彼を子分扱いして連れまわしているようだが、彼の尻尾がふりふりとご機嫌に揺れているところを見ると、子分も満更ではないらしい。
コレットは騒ぎに疲れて地面で丸くなっていたところをマゴーに窘められ、瞼を擦りつつのろのろと天幕のほうへと引き上げていく。
「おう。今日一日、ご苦労じゃったの二人とも」
気が付けば焚き火の側に兄弟と、マゴーだけが残る。
「おっちゃん。ご馳走様でした。あと、色々とありがとう」
「弟のほうも今日はちゃんと食べたな。昨夜は『いらない』の一辺倒で、どうしたもんかと頭をひねったわい」
「兄さんが食べて何ともなかったから、いいかなって」
「兄を毒見に使ったのかお前……」
掛け合いをする兄弟を見つめ、マゴーは顎ヒゲを撫でる。
似ていない兄弟―――それがマゴーの率直な感想だった。
(……混血種だと言うとったの)
世に七族の人類ありき。
高い契約適正値を誇る、龍と世界に愛されし人間族。
獣の血を宿し独自の文化を形成する獣人族。
自然に寄り添いし精霊の末裔たる森精族。
生まれながら名品の創作に生涯を捧ぐ鍛治族。
稀代の天才に生み出されし人型の機械、機人族。
龍を祖先に持ち、世界の調停者を名乗る龍人族。
そして――七族でありながら魔神側に付いた鬼人族。
他種族で愛を育むことも珍しくはない。
片親が人間族でなければ産まれず、子供は契約適正を失う代わりに、もう片方の親の種族特徴を受け継ぐのだ。
(混血種が疎まれる傾向が強いのは事実)
混血種も分類上は人間族だが、血が複雑に絡み合うことを良しとしない層も存在する。
龍の定めた七種族の垣根を超えた冒涜だ、と。
いずれ人類すべてが人間族とその混血種になることに危機感を覚えるのだ。
その風潮が、幼子に向けられることも多い。
マゴーは風潮に懐疑的だ。
生まれを理由にした迫害など在ってはならない。
全ての子供には正しい親の愛情を甘受する権利があると信じていて――だから、シオンの瞳を見る度に胸が苦しくなる。
(なんという目をしとるんじゃ)
美しい緑宝石の瞳の最奥。
暗闇の深奥を覗き込む昏い光は、どす黒い人間不信の色。
「……何ですか、人の顔をじっと見て」
「いや……」
不躾だったと視線を逸らす。
あの時はどんな言葉を掛けたのだったか、と幼き日のキーファやコレットを思い返す。彼らも紆余曲折あって親から見放された獣人族の混血で――
「美少年狙いとか業が深いと思いませんか、この変態」
「違うんじゃ!?」
深みに嵌りそうな思考が焦燥感に塗り替わり、無我夢中で両手を挙げて無罪を主張。兄は一連の流れに仰天し二の句が継げない中、シオンは無感動な瞳で淡々と言葉を紡ぐ。
「昨日も今日も僕はそれが狙いかと思っていましたが。『ぐへへ、男か女かベッドで確かめてやるぜえ』ですね、分かるとも」
「お前さんの中のワシが下衆すぎて怖い」
この少年は自分の中にどんな人間性を見出しているのか、と震える横でハルが弟の脇腹を肘で突いて「その辺にしとけ」と叱るが、シオンの口は止まらない。
「だって怪しいじゃないですか。見ず知らずの行き倒れに、ご飯と寝床を無償で提供するなんて。裏があるに決まってます。警戒しないほうがおかしいです」
「いや、めちゃくちゃ善意だろ。信じる心を養おうよ弟」
「そんなだから厄介事背負って死にそうな契約とか結ぶんですよバカ兄」
危機感の足りない兄を罵倒するシオンを見て、マゴーはその心情を慮る。
よほど酷い少年時代を送ってきたのだ。
望まれない子供だったのかもしれない。
別種族に手籠めにされた結果の子供、そういう混血種もいるのだ。
親の愛情もなく、周りからも白い目で見られ、逃げ出すように冒険家になった子供たちをマゴーは知っている。
そんな彼らが人間不信の裏で、どれだけ人の愛情に飢えているかも知っているつもりだ。
だから『昼寝する狸亭』ではマゴーは親父なのだ。
「警戒せんでも何もせんわい。怖いというなら、兄と一緒の天幕で寝ればええ。一人寝より安心じゃろう」
同情の気持ちが芽生え、声をできるだけ優しく落とす。
気持ちが伝わったのだろう。
シオンは無表情の顔でマゴーをまじまじと見つめ、これまでにない神妙な顔を作る。頭をゆっくりと下げ、声を震わせるとこう言った。
「……兄弟丼とは恐れ入りました、観念します」
今度こそハルとマゴーの二人が同時に引っ繰り返る。
決して懐かない野生の猫の如き警戒心の強さに、痛めた腰を抑えながらマゴーは深い溜息を付いた。
(この子は境遇に寄らず、図太く生きていけそうじゃな)
妙な同情は返って迷惑になるに違いない、と思い直したマゴーは、暴言を謝罪しようと地面に額を擦りはじめたハルを助け起こすのだった。
『山の方へ逃げたぞ、追え!』
『いや、騎士団に早馬を飛ばすんだ! 俺たちの手に負える相手じゃねえ!』
煌々と揺らめく篝火が喚き散らす。
その数は既に数百に及び、暗闇と静寂を切り裂きながら憎悪と敵意を撒き散らす。地上すべてを埋め尽くさん勢いで『少年』を追い立てる。
彼らは恐怖と義憤にまみれた正義の徒。
糾弾せよ弾劾せよ断罪せよ、と声高に主張する影の群れ。
歩みは遅くとも暴力としか言いようのない数が迫って、矢雨の如く言葉を撃ち込んで少年の心を踏み荒らす。
『聞いたか? 隣村じゃあ若い娘が一人残らず食われちまったそうな……』
『なんておぞましい……!』
『おお、龍よ……どうか私たちをお救いください』
畏怖の声が痛い。
蔑怒の声が痛い。
救願の声が痛い。
見当違いな悪感情が黒い大炎と化して山を燃やす。
少年の足を絡めとり、肉を焙り心を焼く。
熱量に囲まれ許しを請うように頭を抱え、弱々しい否定を繰り返す。
――違うんだ……
『何が違うものか!』
『お前が怪物なのは事実ではないか!』
『命を引き裂くその爪を見よ! 龍の血を滴らせたその牙を見よ! その貌を、その図体を、その罪過を顧みるがいい! 化け物め! この化け物めが!』
誰かの怒号が幾重にも重なり少年の訴えが掻き消える。
聞き覚えのある声も、耳にしたことの無い声もあった。
少年は膝を突き、呆然と己の手を見つめた。
血の如き深紅色の怪腕。
引き攣る口元には鋭く伸びた牙。
化け物の姿に変貌した少年を人の形をした影が囲み、指さしながら口々に罵り、棒を振り上げ、石を投げる。
――違う、違う。
呟く心の裏側で誰かが無様な自分を嗤っている。
背後から少年の肩に両手を掛けて拘束し『いつもの地獄だ』と気さくに笑いかけてとそっと囁いてくる。
お前は化け物だよ。
いかに清廉潔白であろうと関係ない。
罪にまみれ呪われし血が、お前を怪物に変えていく。
無辜なる人々の憎悪が、お前を怪物に仕立て上げる。
誰もお前を救えない。
誰もお前を救わない。
呪われたお前が夢を叶えることはない。
――うるさい。
誰もお前の夢を許容しない。
誰もお前の夢を肯定しない。
誰もお前の夢を理解しない。
誰にも期待されない人生は楽しいかい。
誰にも認められない生き方は楽しいかい。
――うるさい、黙れ!!
背に寄り添う悪意を無我夢中で振り払う。
脇目もふらずその場から逃げた。
どこへ逃げるんだい?
心底こちらを案じる誰かが、声音に隠しきれない悦楽を交えてそう呼びかける。
彼の言う通りだ。どこにも逃げ場なんて――否。
――あの、光の先へ。
幼い頃から追い求めてきた憧憬の光へ。
白い光。眩い輝き。
辿り着けさえすれば救われるのだと信じて、でも――
『――』
白尽くめの少女が口を開く。
落胆と決別の声。途端に少年は立ち尽くす。
化け物の姿に変貌した自分と対峙する彼女が、ゆっくりと腰の鞘から長剣を引き抜くのが見えたのだ。
――まって。まって、やめて。
首を振る。
滂沱の如く涙を溢れさせ必死に喚く。
――なにもしてない。なにも。おれは、きみを。
眩い白光が黒ずんでいく。
美しい少女の細い肢体が周囲の影同様に漆黒に染まる。
少女の手に持つ剣が異様な輝きを放って高く掲げられる。
怪物の命を絶つため遣わされた、聖剣の光。
――いやだ、いやだ、おねがいだから。
白き光の奔流を前に、膝が折れる。
異形の爪で地面を引っ掻きながら、数秒後に迫る滅びをただ見つめて。
――きみだけは、そんなめで、みないで。
気が付けばハルは天幕の屋根を睨み付けていた。
全身を強張らせシーツを引き裂かんばかりに握り潰し、夢だと気付いて思い出したように深く、息を吸う。
「――ハ、ァ、ぁ……夢」
息苦しさが消えず、頭を振って身を起こす。
薄闇のなか荷物に手を伸ばし、乱暴に水筒の中身を煽る。
冷水で熱した体の芯を冷やすが、飲み込んだ端から冷や汗となって噴き出していく。
「最近見なかったのにな……」
思いのほか昼のやり取りが堪えていたらしい。
せっかく長めの睡眠時間をマゴーたちが融通してくれたというのに、目がすっかりと冴えてしまった。
休めるうちに休むのが冒険家の鉄則だが再び毛布をかぶる気分になれず、這うようにして天幕を出ようとすると、ちょうど誰かの足音が近づいてきた。
「兄ちゃん……時間には早ええんだが、起きてくれねえか」
「オジキさん? もう起きてる。入ってくれ」
遠慮がちに天幕を猿顔が覗き込む。
彼は何を見たのかギョッと目を見開き、心なしハルを案じるように声を落とした。
「なんでえ……兄ちゃんも眠れねえのかい?」
「夢見が悪くっていま起きたとこ。……どうしたんだ?」
「ああ、実はなぁ」
寝起きの頭で彼と何度か言葉を交わす。
事情を把握したハルは神妙な顔で頷き身を起こす。
眠気を覚ましながら焚き火の前まで進むと、ザジとコレットがハルを出迎えた。彼らは荷馬車とハルとを交互に見やって、困り果てるように眉を下げていた。
「すまない。コレットなら少しは心を開いてると踏んだガ」
「シオンちゃん、見張りの時間が終わっても天幕に戻ろうとしなくて……ずっと荷馬車の中で剣を離さないし、どうしたらいいか……」
ハルは深々と頭を下げた。
「迷惑かけて悪い。オジキさんにも言ったけど、後は俺たちで見張りやっておくんで、先に休んでてくれ」
「お前は朝から働き詰めだろうガ。俺に……俺たちに手伝えることは何かないのカ?」
「すみません。他の誰かがいると、多分休めないんで」
返事もそこそこにハルが荷馬車の方へ出向く。
掛かっていた白布が僅かに身じろぐのを見て「俺だよ」と声を掛けると、中からひょっこりとシオンが顔を出す。その瞳が不機嫌そうにギョロリと動き、ザジたちの姿を見つけて押し黙った。
「シオン。眠れないなら焚き火で暖まろう。このままじゃ風邪引いちまうだろ?」
「…………」
その視線がザジたちから動こうとしない。
ザジは目を閉じて嘆息すると、心底物憂げな顔をするコレットに目配せをして天幕の中へと消えていった。その背中が寂しげだったが、かける言葉もなく見送るしかない。
一方でシオンは二人の姿が消えた途端に馬車の中から飛び出し、焚き火の前に陣取る。
ほう、と安堵の息を吐いて冷えた体を暖めながら、ちょいちょい、とハルを手招きした。
「寒いです」
「はいはい……」
隣に座ると、シオンはそっと頭をハルの肩に預けてきた。
「やっぱり、人は怖いか?」
「何で兄さんは怖くならないんですか?」
当然のように返されて言葉に詰まった。
シオンはゆらゆらと揺れる炎を瞳に宿しながら、どこか遠くを見る顔で言葉を続けた。
「仲良くなんかして、騙されたらどうするんですか。親切にして、裏切られたらどうするんですか。親しい人が手のひらを返さないって、誰が保証してくれるんですか。どうして兄さんがあっけらかんとしていられるのか分かりません」
「それは……」
胸の内をいくつかの建前がよぎる。
しかし、それが慰めにならないことは理解していた。
つい先ほど自分だって悪夢を見たのだから。
居心地が悪そうに焚き火に新しい薪を放り込み、小奇麗な答えを言い淀むハル。そんな兄を肩越しに感じながら、シオンは薄っすらと微笑んだ。
「バカな兄さん……」
見る者がいればドキリとさせられる笑みで。
「そうやって掴めるはずだったささやかな幸せすら、あっさりと焚き火にくべてしまうんですね……」
夜の静寂に規則正しい寝息と焚き火の音が残った。
身じろぎせずにシオンの体重を預かったハルは、揺らめく炎をぼんやりと眺めながら見張りを続ける。
無心に何かを思うとき、炎の動きは見ていて飽きない。
爆ぜる音は考え事をしなくても時間を進めてくれる。
ハルは日が昇るまで機械的に薪を投げ入れ、無聊を慰める炎を守り続けた。




