05話 「怪しいブツ」
『明朝、南正門で護衛団と合流してちょうだい』
そう送り出され、数時間。
仮眠している合間に罰金支払いの手続きは完了していた。
晴れて自由の身となったハルは、朝焼けの空を眺めつつ肺いっぱいに外気を取り込む。
新鮮な空気のなんと美味しいことか。
自由の味に頬が歪む。
閉塞感と絶望に囚われた数時間前と比べれば格別の待遇。
見えない首輪が填められたという実感がなければ、跳び上がって喜びを表現したいところだったが。
「早まったかな……」
渦巻く不安を消化できずに口に出す。
怪しい依頼だったのは違いない。だが何年もの労役に携わる時間をたった一度の仕事で解決できるのだ。こんな好条件を蹴るという選択肢はなかった、はずだ。
「……受けるしか、なかったよな?」
禁制品に人身売買。
そんな単語が脳裏をよぎらなかったと言えば嘘になる。
しかし仮にもあそこは国の詰め所だ。
本当に後ろ暗いことを依頼するなら、もっと足の付かない場所から人員を確保するはずなのだ。
今はそう、無理やり自分を納得させるしかなかった。
「真っ先に飛び付いた癖して、まぁだ悩んどるんか。契約しちまった以上は腹ぁくくろうや、なぁ?」
馴れ馴れしい、けれど全く嫌味に感じさせない竹を割ったような声音が背を叩いた。
「オジキさ、うわっ」
振り向くより早く、首に男の腕が巻き付いてきた。十年来の友人に向けるような親しげな笑みを向け、頭をがしがしと撫でてくる。
「がはは、最初はえらい腹立ったけど外の空気食ったら気も変わった。龍のお導きに感謝しようじゃねえの」
「……導きかあ」
聞けばハルたちが選ばれたのは全くの偶然らしい。
人員を物色するため、詰め所の牢屋を回っていた美女の目に止まっただけ。となればその偶然は龍からもたらされた幸運と言えるのだろうが。
『ンー。あなたを見てるとねぇ、懐かしい人を思い出すのよぉ。あの人は年を取った美丈夫だったけれどぉ、若い時はこれぐらい瑞々しくて素敵だったんじゃないのかしらぁ、ってね。うふふ。恥ずかしいわぁ』
多分嘘だ。ハルでも分かる。
だって美丈夫とか素敵とか該当する要素が欠片もないし。
ただでさえ目付きに可愛げのないとか言われるのに。
「意外に金玉の小さいやっちゃなー。ほら見い、ワン公もそう言うちょるぞ」
「その狗人族、さっきから何も喋らねえんだけど……」
「恥ずかしがり屋なんじゃろうなあ。俺も声いっこも聞いとらんし」
「じゃあ言ってないんじゃねえかなあ!」
地団太を踏むも猿面の親父は豪快に笑い飛ばす。
通称「猿のオジキ」だ。
決して蔑称ではなく本人がそう呼べと言うので、ハルはひとまずオジキさんと呼んでいる。
小柄な体躯に長いもみあげと口元が猿そっくりだが、本人いわく純正の人間族。
手先の器用さは誰にも負けないと豪語する一方で、腕っぷしと酒はてんでダメらしい。
「ええと、狗人族は何て呼べばいいんだ? 名前だけでも」
「…………」
「……なんでもいい?」
こく、とつぶらな瞳が肯定の意を示す。
初対面から一度も口を利こうとしない、正体不明の狗人族。
二足歩行した犬が服を着て歩いている姿にそっくりだ。見た目は若いが、茶の毛並みに草臥れた尻尾が妙な年季を感じさせる。
「しかしこうも無口じゃと不便じゃなあ。腕利きにも見えん。どういう基準で選んだんじゃ、あのスケベな姉ちゃん」
「美丈夫で素敵な人らしいけど」
「俺らのどっこにそんな要素あるんじゃ。三人並んでも街の路地裏に屯する色物ごろつき止まりじゃろ。多分男の趣味悪いわ、あのおっぱい」
「誰一人幸せにならない卑下はやめにしよう?」
全方位を殴りにかかるオジキをまぁまぁ、と押し留める。
オジキは気分屋らしくあっさりと話題を打ち切ると、白い歯を見せた。
「そうじゃな。俺ら三人、此処からは一蓮托生じゃあ。仲間意識を大事に、お宝を守って自由の身に。無事に終わったら皆でうまいモンを喰いに行こうや、なあ雉の兄ちゃん!」
「ああ! そうだな! ……キジ? キジってなに?」
「ここに無口な犬おるじゃろ? 俺は猿に似とるじゃろ? そういうこっちゃ」
ほほう、とハルは唸った。
子供の頃に呼んだ御伽噺にそんな話があった気がする。
凶悪な鬼の巣窟に挑む一人の人間族と家来三人の冒険譚。
蕩けるほど甘い桃饅頭を魔剣に捧げて契約を交わすという謎展開で戦う力を得た人間族が、鬼を次々となぎ倒して財宝を得るという王道ストーリーだ。
「俺の雉要素は?」
「んなもんないわ、余りもんじゃい。主役はむかつくし」
「じゃあ無理に例えなくても――」
その時、肩をぽんと叩かれた。
振り返ると無口な狗人族の青年がくりり、とした瞳をハルに向けながら、ぐっと親指を立てた。これまでで一番の自己主張に思わず聞き返す。
「え、なに? 犬役が気に入ったの?」
「……」
目を輝かせて頷く狗人族の尻尾が勢いよく振られている。どうやら彼が犬役を拝命するためには、自分が雉役を引き受けるしかないらしい。
不本意ながら雉の兄ちゃんという称号を獲得したハルを尻目に、猿面のオジキが遠くへと視線を向け、声をあげた。
「おう、荷馬車が来たぞ!」
時間通りの朝一番。
二頭の馬に曳かれた馬車が石畳を荒々しく叩きながら近付いてくる。
御者席に小柄だがでっぷりとした体躯の男が一人。
馬車を取り囲むように、三人の男女が思い思いの武装を整えて付いてくる。ごくり、とオジキが喉を鳴らす。
「御者入れて四人か。もし連中がその気なら、俺らはあいつらからも荷を守らんといかんわけじゃ。しかし御者はともかく冒険家は若く見えるのう……」
「依頼人の慎重さを考えると、もっとベテランを用意していそうなもんだけどなぁ。あ、いや後ろにいる冒険家の人はでかくて強そう……ん? んんー?」
中央の御者席にのっしりと座る中年に見覚えがあった。
でっぷりとした腹回り。
黒と茶の縞々しっぽ。
愛嬌のある黒染めのどんぐり眼が印象的な狸人族。
「パレードの時の狸のおっちゃん」
「ぶはっ!? な、なんでお前さんこんなところにおるんじゃ!?」
狸親父が泡を喰って飛びあがる。
バランスを崩して地面にべしゃりと墜落した。
「ちょ」
泡を食う間に、見る見ると状況が動く。
馬は邪魔だと言わんばかりの後ろ脚で狸人族の体を払い除け、丸い体が毬のように弾みながら転がって道端にあったごみ箱へと叩き込まれた。
頭から盛大に生ごみをかぶった狸親父はのろのろと顔だけをあげ、呻くように言った。
「ぶ、無事じゃったか……」
「いまおっちゃんが無事じゃなくなったけど!?」
目を剥いて駆け出すハルだったが、狸親父の傍にいた冒険家の青年が煩わしげに狸親父を助け起こす方が早かった。
青年はジロリと不躾な目付きでハルを睨みつけ、鋭い八重歯を見せて威嚇。やや乱暴な仕草で狸親父のゴミを払いつつ首をしゃくる。
「なんだこいつ。親父の知り合いかよ」
腰を抑え激痛に悶絶するばかりだった狸親父が、その問いにカッ、と目を見開いた。
「い、今すぐあの子を起こすんじゃ……!」
「アァ? 『緊急事態かご飯時になったら勝手に起きます、用もなく起こしたら斬ります』とか真顔で言ってたじゃねえか、あいつ」
「今が緊急事態じゃ、早うせい!」
剣幕鋭い声を受け、青年は渋々荷馬車の中へ。
事態が呑みこめない他の冒険家たちが首を傾げるなか、狸親父はハルを指さして叫んだ。
「こいつが、あの子の兄じゃ!」
「えっ、この人があの!?」
残った冒険家のうち、童顔の少女が両手で口元を抑えながらハルを凝視する。
「乾パンと野草だけで二十日以上無謀な冒険をぶちかました挙句、昨日のパレードに乱入して衛兵に捕まった借金持ちでごくつぶしのダメお兄さん……ッ!!」
「待って。ほんと超待って」
視線に耐えかねハルは顔を覆った。
あの、で括られる武勇伝の内容があまりにも酷すぎる。
確かにひとつひとつの単語は否定できないことなのだが、そんな風に並べられるともう泣きたい。
何が辛いって、さっきまで仲間意識がどうこう言ってた猿と犬が「えっ、こいつってそんなクズいの?」みたいな顔で後ずさるのが辛い。
「おっちゃん。俺を肴にした酒はそんなに美味いか?」
「悪気がない分、洒落にならんで酷い味じゃったわ。聞いてる途中でうちの連中がもうやめてくれと泣き崩れるほどで」
「え、あっ、なんかほんとにごめんなさい」
想像以上に真剣な反応を返され、ハルも思わず平身低頭。
場に気まずい空気が流れるなか、一つの確信を以てハルは荷馬車の向こう側に睨みを利かせた。
こんな無体な噂を流す輩は一人しかいない。
「……兄さん? しばらくブタ箱行きのはずでは?」
荷馬車の中から、元凶がいつもの澄まし顔で姿を現した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はー。なるほどー」
一通りの事情説明が終わると、まるで反省の色を見せない弟がこくりこくりと顎を引きながら、これまでのハルを総括した。
「罰金一括返済を目指した兄さんは、謎のおっぱい美人に命を賭けた契約を強要されて牢獄からの出所に成功したものの、依頼が万が一失敗したら、神龍様からありがたい天罰が降る状況だと。やはり決め手は胸ですかダメ兄」
「胸に何か恨みでもあんのお前」
「正直予想を軽く上回る悪運っぷりに開いた口が塞がりません。冷静に考えて『あ、これヤバい依頼だ』とか思いませんかね?」
「言葉もねえけど、同じ依頼受けてるお前に詰られるのは納得いかねえ」
兄弟でそんな一幕があったことはさておき。
雑用組と冒険家組にそれぞれ兄弟が別れたこの状況を、両陣営は歓迎する運びとなった。
ハルたちが冒険家組を警戒するように、彼らもまた御目付役のように雇われた雑用組が荷を奪う暴徒に成り代わるのでは、と警戒していたのだが。
「事情は承知したわい」
狸親父改め、止まり木『昼寝する狸亭』の店主マゴーは大きく頷いた。
「ワシらはお前さんたちを仲間として歓迎する。ワシらもこの大仕事を無事にやり遂げることしか考えとらん。つまり、互いに信頼を築ければ良いこと尽くめということじゃ」
人好きのする笑みと共に握手を交わす。
猿顔のオジキや一言も口を利かない狗人族にも丁寧に手を差し出すところに、彼自身の人柄の良さが垣間見えた。
もちろん雑用組もそれを無碍にすることはない。
その様子を窺いつつ、ハルはそっとシオンに耳打ちする。
「おっちゃんが止まり木の店主ってのも驚いたけど、店主が冒険に同行ってのもあまり聞かねえよな?」
「弱小止まり木らしいので。所属冒険家もあの三人だけ」
「マジかよ王都だぞ?」
弱小とか存在するのか、と絶句するハル。
しかしマゴーが乗っていた年季ものらしい木造の荷馬車や、それを牽引するげっそりと痩せて頼りない馬を見る限りは、いかにも弱小という言葉が似合う。
気の毒そうな顔をしていると、冒険家の一人が歯を剥く。
「何か文句あんのかテメェ」
落車したマゴーを助け起こした青年だ。
両腕に鈍い色合いの手甲を装着した、まだ年若い冒険家。
肩や胸、脛の部分を蝋で煮固めた革の装甲を施した防具を着けるのみの軽装を見るに、身軽さを活かした戦い方を得意とするのだろう。
「テメェら雑用組は、道中の薪拾いとか荷物運びの段取りを考えていればい、ぎっ!? 痛ってえぇ!?」
「それは本来、斥候役の役目だろうガ、キーファ」
居丈高に振舞おうとする青年、キーファを大きな拳で小突きながら、億劫そうに巨漢が姿を現した。
分厚い毛皮の胴着を身に着けた褐色肌の大男だ。
背中には通常より柄が太く穂先の長い珍しい型の槍を背負い、堅張った掌をハルに差し出して仏頂面のまま。
「ザジと言う。階級は銀貨級。荒事専門ダ」
「ど、どうも。よろしく」
反射的に手を差し出す。
見た目相応の力強い握手が交わされ、ザジの口元がほんの僅かに動く――恐らくは笑みを形作って。
「お前は、強いナ」
「……えぇと」
「戦力が増えるのは喜ばしい。頼りにさせてもらうゾ」
肩を叩かれ、逆にハルは恐縮してしまう。
ザジの年齢は恐らく四十を超え、熟練の域に達する凄みを掌を通して感じ取れた。
冒険家稼業に身を置いた年数はハルの数倍だろう。
実力と経験を兼ね揃えたベテランの風格からも、ザジという人物がこの止まり木の稼ぎ頭であることが窺い知れる。そんな人物からの真っすぐな評価がくすぐったい。
「良かった。少しほっとしたんです。怖い人たちだったらどうしようって思ってましたので! シオンちゃんもお兄さんと一緒で安心ですね!」
「シオンくんです」
訂正するシオンを笑顔で受け流すのは冒険家の紅一点。
柔らかな栗色の髪を首のあたりで切り揃えた顔つきは幼い。背丈もシオンとそれほど変わらず小柄だが、背中には髪と同じく栗色の羽毛を備えた翼が生えている。
「お兄さんも冒険家なんですよね?」
「ああ、いざって時は少しは手伝える。他の二人は……」
「俺は素人の喧嘩が関の山じゃあ。危険と見たら避難させてもらうわ。変に怪我でもしおったほうが迷惑かけるしの」
「…………」
戦えません、と胸の前で両手を交差させる狗人族。
これだけ謎に包まれているのなら隠された実力のひとつやふたつ、と思いたいハルだが、残念ながら本当に戦えないらしい。猿と二人で雑用は頑張る、と身振り手振りで訴えるばかりだ。黒ヴェール美女の選考基準がますます分からない。
「そんじゃあ、以上八人。この大仕事に人生を賭けて!」
マゴーが腕を振り上げ冒険家たちが「おう!」と応える。
ハルと猿のオジキが乗り遅れることなく腕を振り上げ、犬が無言のまま拳だけは振り上げる。一人だけノリの悪いシオンが「くぁ」と欠伸をしつつ、言う。
「ところで結局、何を運ぶんでしたっけ」
「…………」
各々の振り上げられた拳が、ゆっくりと下ろされた。
気まずい雰囲気が漂い、お互いに視線を交換しあう。
この依頼を止まり木として正式に受けたはずのマゴーさえ、気まずい表情で目をそらしている。
「……え。おっちゃん?」
「おい。親父。さすがに親父は何を運ぶか知ってるんだよな?」
「俺らも依頼品Aとか誤魔化されてるんじゃけど……」
「まあ……見るが早いの、これは」
マゴーはゆっくりと荷馬車に向かうと掛けられた白い布を勢いよく引きはがした。
中は薄緑の掛け布団があった。
シオンの私物だ。さっきまで此処で寝ていたのだろう。
マゴーが見せようとした積み荷は仮眠室の更に奥。
白布で厳重に包み込まれた謎の物体が鎮座していた。
一見すると長方形の箱だ。
キメ細かな白絹で隙間なく包み込まれ、その様はまるで巨大な繭のようだった。人ひとりを呑みこんで余りあるほどの大きさは、正体不明の不気味さがより際立って見える。
中で何か恐ろしいものが育っているのではないか。
そんな益体もない想像さえしてしまう。
「こ、これは?」
「分からん。依頼人からは大変貴重な魔導品だと言われた。それ以上は知らないほうがいい、と託されたブツじゃ。正直知りたくもない」
重々しい声音から、依頼人に一通り脅かされたことが窺える。
法外な報酬に正体不明の依頼品。
厄ネタをこれでもかと積み込んだ冒険の予感に、先ほどまで人生逆転で浮かれていた面々は一様に沈黙した。
「兄さんはこんな危険物を命を賭けて届けないといけないんですねー」
まるで他人事な弟の言いざまに、ハルは引きつった笑みを浮かべた。
ついでにそれは同じ条件で雇われた犬と猿にも伝搬し、渇いた笑いと死んだ目で皆が笑い出すという異様な雰囲気の中、冒険は始まったのだった。




