04話 「従令契約」
(――なにこれ)
机と椅子だけが並ぶ小窓すらない殺風景な小部屋。
取調室と銘打たれた狭い空間を目の前にして、ハルは混乱の只中にあった。
説明もなく連行され、よもや自分の素性が明るみになったのか、と頬を引き攣らせていたハルの目に飛び込んできた光景、それは。
豪奢な赤絨毯が敷き詰められたお茶会の場だった。
「なにこれ」
頭に浮かんだ感想がそのまま口をつく。
部屋は掃除こそされているようだが壁の色はくすみ、床も水染みや皹が見て取れる。それだけに赤絨毯の存在は異物としか映らない。
アンバランスなその色彩に眩暈がし、次に鼻腔をくすぐる温かな茶葉の香りに表情が抜け落ちる。その匂いの元だろうティーポットを手に給仕する男は白塗りの仮面で顔を覆い、この空間の異様さに拍車をかける。
極め付けに場違いなほど豪奢な椅子にゆったりと座り、呆然とするハルに優雅に手を振る謎の美女。頭がどうにかなりそうだった。
「どうぞ、お掛けになって?」
見た目の不気味さにそぐわない、間延びした第一声。
薄暗い牢屋で見た時は廃館に出没する亡霊に見えた女だが、こうして目の前で言葉を交わせば印象も変わる。
これは、いけない火遊びを好む円熟した美女だ。
彼女に促されるまま席に着くと同時に、仮面の男が進み出てハルの分のお茶の準備を整える。
「こちらはいま巷で評判の香草茶ですの。美味しいだけでなく気持ちを落ち着かせる効能がありましてね……あらいけない。お茶はお好き?」
「い、いや。お気遣いなく。それより……」
どうかこの状況を説明してほしい。
幾つもの疑問符を頭の上で踊らせるハルに、美女は微笑みを崩さずに。
「お話の前に、まずはどうぞ? 大丈夫。若いツバメを取って食べようなんてつもりはないからぁ」
どうぞ? と手で勧められては断れない。
繊細な陶器に恐る恐る手を伸ばし、湯気の立つ薄緑色の茶を口に含む。
独特な香りと僅かな渋みは口にしたことがない味で、振る舞われたものであるのだが顔を顰めてしまう。
「お気に召さなかった?」
「こ、こういうのに縁がなくて……」
高価な茶葉を使っている、気がする。
ハルのように喉の渇きを潤せれば何でもいい、とかのたまう不調法者に飲ませてはいけない味だろう。
けれど香りが小部屋を包み込む頃には、張り詰めていた緊張の糸が少しずつ緩んでいく。これが茶葉の効能ならば、なるほど。評判になるのも頷ける。
「うふふ。落ち着けたみたいで良かった。初めに目にした時ねぇ、あなた……不安そうにしてたでしょう? 泣いてるように見えたから、つい、ね?」
糖蜜を煮込んだ甘い囁き。
耳朶を通じて脳を蕩かしていく錯覚に目が泳ぐ。
女の目を隠す黒ヴェールから逸らそうとした視線が、紫紺のドレスに釘付けになる。正確には、窮屈そうにドレスを押し上げ、大胆に開かれた胸元からその存在を主張する谷間だ。
大きいだけではない。
女性のわずかな動きでさえも柔らかく揺れ弾むそれは、ハルの人生で一度も接したことのない色気を発していた。
ハルには刺激的で目に毒だ。
「……泣いてなんかない」
「そぉ?」
黒ヴェールの向こう側から熱のこもった視線を感じて、気恥ずかしげに俯く。
また悩ましげな谷間が視界によぎり、慌てて逸らす。
散々悩んだ挙句に視線を部屋の隅へ。
そっぽを向くようなこの体勢は失礼極まりないものだと分かってはいるが、どうにもならない。
苦手意識、と評するべきものだろうか。
声も体型もまるで違うが、彼女の言動からはまるで母が子供に向ける愛情のようなものが垣間見える。だが、同時に男としての本能を揺さぶる色気も感じとれる。
母性と色気。
本来同一の存在に対して感じるはずのないそれらが同居しているのが目の前の美女であり、直視するには多大な覚悟を要するのだ。
「本題に入りましょうか。お二人にも入ってもらって」
給仕係に終始していた仮面の男が一礼し、入り口の扉を開ける。錆びた鉄が擦れる音がして、続いて乱暴な足取りでねじり鉢巻きが似合いそうな猿顔の男が入ってきた。
「なんじゃこれ」
呆然と呟く猿顔の表情は、入室直後のハルと全く同じだ。
違うのは正気を疑う視線がハルにも向けられる居心地の悪さと、男の背後から小柄な獣人種が顔を出した部分だ。
痩せこけ体毛も荒れ放題だが、恐らくは狗人族。
彼は声一つ上げず、表情筋一つ動かさないまま猿顔の背後でまごついている。
「今宵、龍の格別たる祝福に預かりし貴方がたへ。どうかお力添えを願いたいの」
困惑する三者を余所に美女は洗練された艶やかな仕草で。
「わたくしの大切な荷物を守る騎士の役目、どうか引き受けてくださらない? きっとご満足いただけるお礼を用意するわ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冒険家稼業において『運び屋』の仕事は珍しくない。
魔獣退治・護衛任務・収集依頼と並ぶ、冒険家の代表的な仕事の一つと言ってもいいだろう。
先に挙げた三つの仕事と違う点は、一般人もしばしば仕事を引き受けることがある点だ。
例えば遠方に宛てた手紙を託された者。
街を出る行商人や冒険家に交渉を持ちかけて同行を許され、仕事を果たす彼らを『運び屋』と呼び、冒険家と区別する向きもある。
ともあれ新たに加わった二人も交えて依頼の話が始まった。
運び先は紅龍国プローメスとの国境にポツンとある宿屋『ゼッダの風見鶏亭』、拘束期間は往復の時間帯も鑑みて二週間、運ぶ荷物については。
――危険なものではないの。でも知らない方が幸せ。
等と要領を得る答えが返ってこない。
参ったな、とハルは額を指先で撫でつつ考えを巡らせる。長く冒険家稼業に身を置いて培った直感を当てにせずとも、今持ち掛けられている依頼へのきな臭さは感じ取れる。
何をどう切り出せばいいか迷っていると、中央に腰かけた猿顔の男が鼻を鳴らした。
「おネエちゃんよぉ」
不躾な呼びかけに、美女の背後に控えた仮面男の口元がひくりと強張った。
途端に狭い取調室の空気が薄くなる錯覚に陥るハルであったが、当の美女が目を細め先を促す仕草と共にその空気は霧散する。
「自分の身元もはっきりさせねえ、運ぶ荷が何かも言わねえ。そんなもんヤベえ事に手ぇ染めろって言ってるもんじゃねえか?」
「あらぁ。そう聞こえたのなら残念ね?」
「とぼけおってからに! 大体その恰好はなんじゃあ? 仮面やらドレスやら着飾りよって! 怪しい仕事じゃねえってんなら少しは取り繕ってみろってんだ!」
うわ言うんだそれ! と頬を固くするハルだが一方で『よく言ってくれた』という気持ちで思わず握り拳。張りつめていた空気を物ともしない直球を投げ込む姿勢が実に頼もしい。
一方で美女の方はと言うと何やら嬉しそうな様子ではにかむと。
「似合ってるでしょう?『妖しい貴婦人』風で」
「あ、あぁ?」
「ではなくて」
んんっ、と格好にそぐわぬ可愛らしい咳払いをした後、どこからか濃紫色の扇子を取り出し口元を隠す。
再び妖艶な雰囲気を撒き散らし、流し目にハルを含めた三人の顔付きを視線で撫でて。
「考えてみて? 貴方がたは投獄の身。聖龍国から守ってもらえる立場ではないでしょう? 余計な情報を見聞きしてしまうのは、身の危険を招くだけと思うの」
「お、脅そうっちゅうんか!?」
「うふふ、案じているのよ? わたくし、労役用のお仕事を斡旋する立場に居て、詰所の方々とは親しくさせていただいてるのぉ。身元はそれで充分だと思うし、それに」
麗しい瞳が、そっと細まって。
「長く牢屋暮らしで居たくはないでしょう? 貴方がたは凶悪犯でもないし、自由を差し上げることに不都合もないの」
「っ!」
誰よりも劇的な反応を見せたのはハルだ。
期待と不安の混ざった表情で顔を上げ、藁にも縋るような想いで続く言葉を待つ。そんな若すぎる反応を愛おしむように女は口端を和らげる。
「同じお仕事を止まり木にも通してあるわ。貴方がたには彼らの下働きとして同行して、私の荷物を守ってほしいのよ。冒険家からも、ね?」
意味深な言い方にハルは眉根を寄せる。
冒険家が預かった荷物を盗んで高飛びすることを警戒しているのだろうか。冒険家黎明期には横行したのは事実だが、止まり木を利用しているならば、止まり木の三箇条を結ぶ権利が発生しているはずなのだ。
「ええと」
「どうぞ?」
快く発言を許可されたので、美女の黒ヴェール部分に視線を固定して問いかける。
「なんで冒険家からも、なんだ? 故意の依頼放棄、強奪を防ぐための対策を止まり木は怠らないはずだろ?」
「あなたは神龍に捧げる契約は、絶対的だと思ってるのね」
「そりゃ……当たり前だろ。俺みたいな学のない奴でも、誓約がどれだけ強い力を持っているのは知ってる」
有名な、ある逸話がある。
とある詐欺師が契約を悪用する手段を求める話だ。
詐欺師は金に物を言わせて奴隷たちを買い、自由の身とすると約束したうえで、適当な誓約を結ばせ、敢えて契約に背かせる実験を行った。
奴隷たちには次々と神罰が下り、半数が死に至った。
ありとあらゆる魔法の護符や加護のある装備品も効力を発揮することはなかった。
唯一無傷でいられたのは、契約破りを扇動した詐欺師だけだった。
詐欺師が生き残った奴隷たちに話を聞いたところ、契約に反する行いをしようとすると一瞬身体が硬直し、そのうえでなお契約を破ろうとした途端、神罰が降り注いだのだという。
詐欺師は「やはり契約を破っては無事でいられない」と首を振り、契約の悪用を諦めた。
生き残った奴隷たちは「約束通り自分たちを自由にしてくれ」と頼み込んだ。
詐欺師は笑って奴隷たちの肩を叩いた。
『お前たちはそれを龍と精霊に誓わせるべきだったんだ』
もちろん約束を破った詐欺師に神罰が下ることはなかった。
小さき人々が龍の思惑を破ろうなどと思い上がりを戒める逸話であり、誓い以上のことは龍も衆愚を救いはしないという教訓でもある。
もっとも『悪用』の部分は別の形で実現させてしまうのだが、ともあれ。
「命懸けの誓いなんだ。それが絶対でないはずが……」
「万が一の失敗も許されないの。契約への強制力は絶対だと思っているけれど、契約の外側にある事柄はその限りではないわぁ。止まり木の三箇条も絶対じゃない」
例えば、と熟れた唇に指を当てる。
「いま巷を騒がせてるオーガの山賊団。彼らと冒険家が手を組むとしましょうか。山賊は実際に襲ってきて、善戦虚しく荷物を奪われた……そういう筋書きにして品物を売り捌けば、冒険家たちも山賊たちも、たくさんのお金が手に入るわ」
「そんなことは……」
「あり得ない、なんて誰が保証してくれるの?」
これまでにないほど、強い口調だった。
ふわふわと掴みどころがなかった女の声が、突然真冬の風のように冷たい気配をまとう。
息を呑んだのはハルだけではない。猿顔の男も、終始黙り込んでいる狗人族もその変化に圧倒される。
「足りない。対等の契約では足りないの。この件に文字通りの死に物狂いになってくれる、そういう人材が欲しい。裏切りようのない契約を結びたい。わたくしのために命懸けで積み重ねてくれる信用にこそ、お金を出すに値するの」
美女が扇を閉じると、控えていた仮面の男が歩み寄り、恭しく一礼する。
彼は冷めた紅茶が並んだテーブルの上に古びた巻物を広げる。
一目で年季物と覗えるその書物が不意に赤く禍々しい輝きを放っていて、ハルは思わず口元を抑えた。
「この契約書、まさか従令の――」
「俺らを奴隷扱いしよう言うんかお前らぁ!?」
呻くハルの声を遮って吼えたのは猿顔の男だ。
薄暗い明かりの中でもはっきりと分かるほど赤らめた顔色からは、はっきりとした憤怒が見て取れるほど――その激情のまま硬い拳が乱暴にテーブルに叩き付けられ、椅子が弾き飛ばされる勢いで立ち上がると、美女に詰め寄って食って掛かる。
「どこの国の貴族様か知らんが、ここは偉大なる聖龍国のお膝元じゃあ! 奴隷身分が許されんこの国で! 静謐潔癖たる聖女ミトラの眠る土地で! よくもこんなもんを出してきよったなァ!!」
怒号に晒された美女は身動ぎひとつしなかった。
護衛役を兼ねているだろう仮面の男が細長い腕を二人の間に挟み、牽制するという一触即発の状況の中、ハルの目は未だに不気味な赤色を滲ませる契約書に釘付けだった。
(――従令契約書)
別名を奴隷契約書。
龍と精霊に誓いを捧げる、という文言は全くの同じ。
相違点は互いが対等の関係である誓約と違い、明確な立場の差が明記されている部分だ。
主に奴隷の売買で使用されており、奴隷側だけが一方的に誓い、主人が何も差し出さないというケースも多い。
いわゆる誓約の悪用。
一方的に搾取する関係を龍と精霊の力を借りて強引に結ばせてしまうのが、この従令という契約だ。
奴隷身分が罷り通る他国ではその利便性から一定の支持を受けているものの、奴隷制度を文化から切り離したミトラの民にとっては侮辱の極みでしかない。
とはいえ初めこそ声を失ったハルは、怒鳴り散らす猿顔や黙って体毛を膨らませる狗人族と比べれば幾分冷静に受け止めることができていた。冒険家ゆえの、龍への誓いに対する免疫の差なのだろう。ぼんやりと逸話の一つも思い返す。
(間抜けな奴隷商人がうっかり火を起こして、契約書を全て燃やして破産した――なんて笑い話もあったっけ)
言霊で精霊から賜る契約書を、人造で再現したからこその悲喜劇だ。
書面でこの世に残る限りは契約が続くものの、一度この世から消失してしまえば効力を失う。
そういう脆弱な側面も従令の特徴の一つだが、破った際の効力だけは誓約とも遜色ないのが厄介の一言に尽きる。
ふと、妙な違和感が降ってわいた。
猿顔の癇癪に近い声がようやく止んだ頃、おずおずと手を挙げる。
「なぁ。どうして誓約じゃだめなんだ? 俺たちを自由の身にする、は交換条件として十分のはず。従令じゃ踏み倒すつもりだと公言してるようなもんじゃないか」
「幾つか理由はあるのだけれど」
猿顔の罵倒を華麗に受け流し、建設的な話の雰囲気を感じ取った美女の視線がハルへと向く。
「長時間の拘束を伴う誓約には名前が必要だから、が一番の理由ねぇ。家名を表沙汰にすると、ほら。余計な情報を貴方がたも知ってしまうでしょう? お互いに不都合だと思うの」
「お前らの事情など知ったことではないわ!」
「そう短気を起こさずに、ねえ、御覧になって? 拘束期間はほんの十日間。無事に運び屋として仕事を果たせば、契約はそこで完了。誓って騙すつもりはないのよ?」
促されて書面を覗き込む。
従令において一番恐ろしいのは、拘束期間が明記されず一生縛られることだ。
記された内容を何度も目を往復させて確認するが、通常の誓約の範疇に則った常識的な内容だ。一番きな臭さを放つのは『依頼品』の名称ぐらいで――
(依頼品名……『A』?)
謎めいた呼称に小さく眉を顰めるハルだが。
「ご無礼の分、誠意は尽くさせていただくつもりよ」
扇が形の良い顎に添えられた仕草を合図に、仮面の男が懐から革袋を取り出した。
机の上に置き、口紐を緩ませ中身をこぼす。途端に金色の輝きを放つ硬貨が現れ、三人が一様にその眩しさに目を奪われるなか、美女は言い放つ。
「報酬は全額前払い。今日をもって貴方がたは自由の身」
唇が慈愛の形に引き結ばれる。
ハルたちはただ圧倒され、狼狽えながら言葉の意味を咀嚼する。
この時点で交渉の趨勢は決まったも同然だ。
書面に不備はなく、約束も前倒しで守るというのであれば、誓約と従令の間にどんな違いがあるものか。
「依頼内容は、護衛品の『死守』」
黒ヴェールの依頼人は、まだ言い足りないとばかりに念を押した。
「死守よ。例え死んでも、守ってちょうだい」




