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02話 「弟」







 世界最古の国家、ミトラ聖龍国。


 始祖に神代の英雄を戴き、大陸の中心に広大な国土を持つヒューマン国家。

 肥沃な大地とそれを覆う豊富な緑。

 四季に富んだ穏やかな気候。

 端々の民まであまねく広がる芸術と信仰への関心。

 世界で最も豊かな国と言えば、誰もが聖女の名を冠したこの国の名を挙げることだろう。


 繁栄の中心は、王城を戴く王都エリュシード。

 その街並みは白い大理石を用いた建造物が多く、太陽の光によって大理石の白と影の黒から織りなされる見事な景観は、旅行者の目を楽しませてくれる。


 特筆すべきは王都エリュシード北部にある大聖堂で――


「『その静謐かつ荘厳な美しさは見る者の心を奪い、聖女ミトラの生前の偉業、そして死後の威光を永遠に讃え続けるのである』……か」


 ほう、と大聖堂を正面から映した写真を食い入るように見つめるハル。謳い文句に違わない大聖堂の壮麗さが写真越しにも伝わってきた。一度はこの目で見なければ、と決意を新たにする。


「兄さん?」


 ぺらり、と頁をめくって思わずハルは目を輝かせた。

 騎士御用達として紹介された武具店の紹介だ。

 見る者をぞっとさせる美しさを帯びた長剣。

 武骨ながらも光沢が映える刃が取り付けられた大戦斧。

 さらには店一番の目玉商品たる『魔剣』――その鋼の美しさに目を奪われ、柄にもなく顔を赤らめて目を輝かせた。


 いつの日かこんな魔剣を手にしてみたい。

 脳裏にそんな自分の姿を思い浮かべて、少なからず胸を高鳴らせてしまう。しまりのない笑みを口に称えながら、また頁をめくる。


「兄さんってば」


「おぉっ、これはまさかパレードの写真!? もしかしてあの子が映ってたりするかも……!」


「おい聞きやがれこのダメ兄め」


 無防備な額に、シオンのデコピンが炸裂した。

 小さな指先の爪が額に触れた途端、風船が破裂したような音と共にハルの首がぐりゅん、と妙な方向に向く。


「ふぎゃっ!?」


 尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げて引っ繰り返り、石畳に盛大に背を打ち付けたハルはその場で更にのたうち回った。


「いっ、痛ってえぇえええ!? あたまっ、頭割れてないかこれっ!? どうなってんの今のデコピン!?」


「これぞ一子相伝の秘儀を用いた逸品めいた一撃なにか。祖父より心に決めた相手に繰り出せと託されて早数年。まさか兄さんに使うとは」


「ぜってえ嘘だよあの爺さんがそんなお茶目言う訳ねえもん!」


 ぐぎぎ、と歯ぎしりして痛みに耐える姿に道行く人々が心配そうに眉を顰めるのだが、彼らの背や腰に帯びた剣に気が付くとそそくさと離れていく。

 冒険家らしき格好には関わるな、という格言はここでも有効――むしろ顕著らしい。


 注意してみれば華やかな栄都にはそぐわない剣呑な雰囲気の通行人ともよくすれ違う。彼らでさえ、今のハルたちに近寄ろうとはしないが。


「マジ全然痛み引かねえ! ちょっとは加減しろよお前!」


「だって街に入ってから兄さんずっと上の空じゃないですか。変な本を食い入るように読んでたり、その前は王城をずっと眺めたまま動かなくなったり」


 だからと言って実力行使が派手――いや手法自体は可愛らしい悪戯の範疇なのだが、大の男を一回転させるのはいかがなものだろう、とハルは口を引き結ぶ。


「初めての都会だから……色々目移りするんだよ」


 見たことのない立派な建物群。

 多種多様な種族の人々が行き交う街並み。

 清潔さに満ち溢れた白い街を一望する王城。

 二人が歩く広場の先、遠目にも見える城の威容に魂を奪われてしまうのも無理のないことだろう、と自らに言い訳をしつつ城を眺める。


 見る者を圧倒する白亜の城。

 この大国が誇る勇壮美麗な王族の居城にして、数多の騎士が集う場所。


(あの城の中に――)


 幼い頃からずっと追い求め続けた夢がある。

 そう思えばこそ普段は口下手かつ粗忽者なハルの口が、慣れない賛辞の言葉を形作らせるのだ。


「……はぁぁ、でっかいよなぁ、王城。お前にも分かるだろ? 滲み出る気品さと清潔感、雄大さが混ざり合うエリュシードの象徴的建造物! 俺たち庶民では想像もつかないような絢爛な世界が広がってるんだろうなぁ……!」


「兄さんちょっと気持ち悪い」


「言うに事欠いて!?」


 今なおこの胸を熱く打つ感動を共有したいハルだったが、残念ながら弟の反応は冷たい。「もっとちゃんと見てみろって!」と面倒くさい催促をするハルに心底嫌そうな顔を作ると、ちらりと王城を見つめてそっと唇を人差し指で撫でて。 


「――攻め辛そうな作りですね」


「お前いちいち物騒な言い回ししないと気が済まないの?」


 あんまりな返答に乾いた笑みも出てこない。

 それ以上は諦め、シオンと二人で白い石造りの街並みを歩く。

 地面に敷き詰められた床石でさえ高価な素材が惜しげもなく使われた噴水広場が目に留まり、自分が出てきた田舎との違いに何度目か分からない溜息をつく。


 ここに来るまで幾つもの都市を経由し、その度にそれぞれの街の華やかさに圧倒されてはきたものの――規模も豪華さも、何より人の数も別格の一言に尽きる。


 これが王都エリュシード。

 ミトラの王族が住まう首都ということなのだろう。


「次、上の空になったらデコピンじゃ済みませんから。それで何を読んでたんですか?」


「初めての街を闇雲に歩き回るのもなんだろ。情報集めも兼ねて広報誌パンフレットを熟読する必要がだな? 見ろ、全四十頁を超える超大作。これだけでもうテンションあがるよな!」


「は? 情報収集の基本は酒場では? ハル兄、冒険家の自覚あります?」


「あ。見ろよシオン。ここ一帯は名物料理店が並んでるらしいぞ。何食いたい? エリュシードに来たなら絶対にラ・バリスタって店がお薦めだってよ! 『鍛冶族ドワーフの頑固職人が焼くこだわりのピザ屋』――」


「完全に旅行者目線じゃないですか、この田舎者が」


 田舎者はお前も一緒だろっ、という言葉を寸でのところでハルは呑み込んだ。

 争いは何も生まない。

 エリュシードの名物料理に夢を馳せるほうが何倍も良いに決まっているのだ。


「そもそも先立つ物がないというか。そんな店調べても食べられないじゃないですか。何が悲しくて都会まで来て乾パンかじってるんでしょうね、僕たち」


「うぐ……」


 浮かれる様子のハルとは対照的に、弟の目が時間が経つごと冷ややかになっていく。

 目力と言葉が纏う冷気に暖かかった心が急速に冷えていく。シオンの指摘通り、銅貨袋サイフの中身は何十日も前から寒々しい。


 今夜泊まる宿屋代はおろか、出店の肉串一本さえ買えない。

 多分その辺で冷菓子アイスクリームに舌を這わせる幼子のほうが裕福だ。何しろ今の自分たちは屋台に並ぶための小銭もないのだし。


「まあ肉串の匂いをおかずにできるだけマシっつーか」


「余計に惨めなんですが! 何で王都まで来てお預け食らう羽目になるんですかね、この甲斐性なしのダメ兄! 弟に『串一本買ってやろうか』も言えないなんて!」


「現実は厳しい」


「食らうがいいわ!」


 黄土色の塊を強引に突っ込まれる。

 ぐえふえっふ、と悲鳴を上げるハルの口で咀嚼される「それ」こそ、冒険家が選ぶ旅のお供の中でも、数々の第一位を獲得してきた大ベテランの非常食だ。


 最安値部門。

 売上個数部門の頂点はもちろんのこと。

 人生の最後に食したくない保存食部門では数十年に渡ってぶっちぎりの票数を獲得してきた、いわば保存食界の暴君。


 冒険家を長く続ける者ほど、口をそろえてこう言う。

 『もう飽きた!!』と。


 味は生の小麦を齧るような苦味。

 パサパサとした食感のくせに唾液と混ざれば妙な存在感と共に口に残り、それを洗い流すために相応の水を消費する。

 腹持ちは良いが、良すぎて胃もたれを引き起こすことも多い。


 食とは人生に彩りを与え、生活に豊かさを与えるものであるべきだ。

 だが食の楽しみを合理主義やすいからの一言で放棄し、最安値の乾パン一つを旅の供とする旅路は苦行そのもの。新米冒険家に陥りがちな失敗の一つでもある。


 二人はもう地獄はとっくに見た。

 特に成長はしなかった。

 シオンは咳き込む兄に恨みがましい目を向け頬を小さく膨らませる。


「僕としては広報誌パンフのお金で串を買ってほしかったですね」


「げほ……言っとくけどコイツは元手ゼロの無料配布だからな。紙を無料で配るとかよっぽど裕福な証なんだろうけど。さすがは王都だな!」


「お金を落としていけってことですね。兄さん、ちゃんと言いました? 『落とす金なんてねえよ。見ろ、この乾パンの山を! 餓死だけは防ぐ勝負の大人買い、これが俺たちの後戻りの利かない青春だ!』って」


「どんなキメ顔でそんな生き恥晒せってんだよ。ただでさえ俺を見る目が、すげえ寒かったのに……いやマジであんな哀れみの目を向けられる覚えはねえ……」


 思い返す検査担当者の、胡乱げな目付き。

 複数の職員が眉を顰めながらひそひそと囁き合う姿に、一層居心地の悪い思いをしたものだ。

 まさか退去を命じられるのでは、と疑心が沸き上がったものの、絡み付く視線以外は何の問題もなく王都への出入りが許された。こうなると逆にあの扱いは何だったのか、と首を傾げるハルだが。


「ふっふっふ」


 話題が持ち物検査に及んだ途端、シオンは得意げに笑った。


「……え、嫌な予感」


 この顔は良くないと経験則で知っている。

 城門前で不法侵入を試みようとしていた時の顔なのだ。まさか、と頬をひきつらせて。


「シオン? お前何かした?」


「何かとは失敬な。どうせこの後もお金に困るだろう愚兄のために、賢弟がとーっても頑張ってみせたというお話ですのに」


 珍しく声を弾ませつつ、上着の懐から何かを取り出す。シオンの細い指に摘ままれた『ソレ』に、ハルはぴたりと動きを止める。

 表側には十字印の王国盾が、裏側には女神ミトラの姿似が刻まれたそれは、紛れもなく。


「……ミトラ硬貨?」


「はい! ミトラ硬貨ですよ!」


 硬貨の価値は材質で定まる。

 市中で出回るミトラ硬貨と言えば『金貨』『銀貨』『銅貨』。ミトラ硬貨と見なされない小銭が鉄材質の『鉄貨』。

 更には製造過程で劣化した鉄屑で作られた『銭貨せんか』および丸く加工された『丸銭貨』だ。


 銭貨一枚で一エーテル。

 十は丸銭貨、百が鉄貨。以下銅貨、銀貨とそれぞれの貨幣が桁を担当し、金貨一枚は銭貨十万枚に相当する。


 他にも聖龍国ミトラでだけ流通している聖金貨などは一枚で銭貨百万枚ひゃくまんエーテルに相当するらしいが、一生縁がないそんなものはさておき。


「んんん……?」


 はて、とハルは自分の革袋サイフを取り出して中を改めた。

 装飾もろくに施されない小銭類、しめて鉄貨二枚にひゃく銭貨十四枚じゅうよんエーテル。再確認したハルは再び首を傾げる。今の自分たちは『ミトラ硬貨』さえ持たない貧困者だったはずなのに。


「拾っ――」


 たのか、と続く声が停止した。

 シオンの手の中にあるのは数枚の銅貨だ。人の行き交いが頻繁なこの町なら、あるいは目を皿のようにしていれば目ざとく銅貨を手中に収めることも可能かもしれない。


 だが。

 居並ぶ銅貨の一つが紅い光沢を纏っていることに気付き、ハルの顎が外れた。


「――し、赤銅貨しゃくどうか!? こりゃ魔貨幣まかへいじゃねえか!?」


 製造過程で鉱石と魔力マナが奇跡的な配合で凝固した結果生まれる、魔力を宿した貨幣。

 それが魔貨幣と呼ばれる通貨である。


 生まれる頻度は何万もの硬貨を生産するにあたってようやく一つ程度。よほど絶妙なバランスの上に成り立っているのか、今までも凝り性の鍛冶族ドワーフが再現を目指したものの足がかりさえ未だに掴めていない。


 時折炎のように揺らめくマナの光は、まるで妖精が宿っているかのよう。

 この美しさに魅せられた好事家が高値を付けるのも、代々家族間で大切に受け継がれる御守りとして使われていることも納得がいくというものだ。


「こ、こんなの道端に落ちてるはずがねえ。お前まさか、ついにやっちまったのか?」


 目の前が真っ暗になり、瞼の裏側で走馬灯が流れていく。

 耐えがたい困難があった。

 思い返すのも苦痛な貧困の日々だった。

 最後に肉を口にしたのは何か月前だったか。来る日も来る日も乾パンと野草を貪りながら、飢えた獣の如く唸る腹の虫と弟を宥める毎日。


 それでも人様の物に手を出す真似だけはするまい、と必死に言い聞かせてきたというのに――いや、後悔も今や遅い。兄として言うべきことは一つだけ。


「自首しよう」


「言っときますけど盗んだりしてませんから。これは正門の衛兵さんから『少ないけど……』『良かったら』って包んでくれた善意のお金なんです」


 なんと! と地獄の底で彷徨う心地だったハルの心境が、その一言で天へと昇った。


 エリュシードの豊かさは人の心の内にまで宿るということなのか。神龍の威光があまねく示され、王国の善政がもたらした親切の形と見て取れば、紅色の輝きが一層尊いものに見えた。はずだったが。


「『乾パンと野草で凌ぎながらここまで……ええ、今日のご飯を食べるお金もなくて。花街で身をひさいで生活するしか、ぐすっ』……ちょろいもんです」


「じゃあ白い目で見られたのお前のせいじゃん!!!」


 上下する感情の起伏に頭が付いていかず、ついにハルは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 心優しき衛兵たちの目に映るハルは、妹を花街に売り飛ばして当座の資金を得ようとしているロクデナシか。


 泥棒ではないが詐欺だと思う。やはり自首では? と思い詰めるハルの肩を叩き、得意げに弟は言う。


「少女の貞操を守るため、その正義感と義侠心によって与えられた善行の証です。僕たちの懐が潤い、彼らは心の充足感を得る。みんな幸せなのに、水を差すなんてあんまりでは?」


「少女って前提が間違ってるのがマジひでえ」


「清廉潔白だけで生きていけますかっての。いいですか兄さん、王都の物価は信じられないほど高いんです。食事なし部屋なしベッドなしと三拍子揃った馬小屋の隅でも、一泊するだけで、ほら」


 シオンがおもむろに指差すのは比較的街はずれにある、白と緑を基調にした建物だ。

 ライダーギルドと銘打たれた建物の看板には厩舎と書かれ、一泊する場合の値段も記載されていた。


「嘘だろ……馬小屋の隅を貸してもらうだけで銅貨二枚にせんエーテル? 今までじゃ二人で銅貨一枚でも釣りが出たってのに」


「食事付きのまともな宿ともなれば、想像もしたくありません。せっかくの赤銅貨も魔貨幣の中では最も安価な銅貨。せいぜい価値としては五千エーテル程度かと」


 魔貨幣を好む者は大抵が収集家コレクターだ。

 赤銅貨を手にしていない生半可な者が王都に居るとは思えない。換金所に持ち込めばきっとシオンの読み通りの値が付くだろう。貴重ではあるが決して大金ではない。


「ね? 今は借りておきましょう兄さん。今日だけは今までの自分へのご褒美に少し贅沢したっていいじゃないですか。明日には止まり木で日雇いの仕事でも見つけて、ある程度お金を稼いだら返しに行けばいいんです」


「むむう」


 借りる、という言葉回しにハルの眉が下がる。

 ご褒美と言えるほど何かを為した立場ではないのだが、弟に苦労を掛け通しなのは事実。

 これまで人並みの食事も用意してやれず、弟の華奢な体付きが痛々しく映る時もあるのだ。


 我を通して満足感を得るより、ミトラの衛兵たちのご厚意に感謝するべき――葛藤で閉じた眼を開き、力なく肩を落としつつもハルは頷いた。


「苦労を掛けてすまん。食べたいものを買って――」


「肉串五本旨ダレ増し増し」


「あれもう居ねえし!! つーか肉串買いすぎだろお前!」


 慌ててその背に追い付くがシオンは「問題ありません」と赤銅貨を手の中に入れたまま拳を握り締めた。普段は伏した目が弧を描く。


「こちらの肉串、一本は鉄貨三枚さんびゃく丸銭貨三枚さんじゅうエーテル! 今の僕たちなら、肉串二十四本飛んで二口分の余裕があるのですから……!」


「釣り一つ残さねえ執念が怖ええ!」


 ぎゃいぎゃい、と終始騒がしい兄弟に串屋の親父がそっと六本分包んでくれた。「仲良く分けろよ」と言い渡され、口に広がる赤身肉の旨味に二人揃って顔を緩ませる。


 噴水公園のベンチに二人並んで腰かけ、今にも落ちる頬っぺたを抑える仕草をする弟を微笑ましく見物する。


「ったく。現金なやつ」


 エリュシードに向かう、と伝えた時シオンは散々な言いようで猛反対したものだ。丸一日口を利かず渋面を作って抵抗したが、ハルの決意も固かった。


 最後にはシオンのほうが根向けし、罵詈雑言の嵐と共に同行を申し出た。

 一人旅よりも気苦労は増えたが、その間は孤独と無縁でいられた。そのことに感謝しつつ、これからの都生活に思いを馳せる。


「次は換金所を探すか。魔貨幣も換えてもらわないと――」


 都市中に音が鳴り響いたのは、その時だった。


 それは澄んだ美しい音だった。

 同時に、金属の持つ特有の重厚感を持つ音でもあった。


「……鐘の音?」


 火事や魔物の襲来を知らせる小さな鐘は何度か耳にしたが、薄っぺらい金属を打ち合わせるだけだったあの音とは比べ物にもならない。


 音楽に対して造詣の全くない自分にも、これが上質な金属と一流の職人の手による、神へと捧げるために造り上げられた音色であることが理解できる。


 ゆったりとした時間が流れていた公園も、突如早送りされた時計の針に急かされているかのように慌ただしい。「お戻りになられたか」「早くお迎えに」「見晴らしの良い席が埋まっちまう」と若者から老人までそれぞれの足取りで同じ方向に向かっていく。


「南の正門のほうか?」


「誰も彼もまるで祭りを前にしたような浮かれ具合でしたね。人が少なくなってくれるのは好都合。お腹も膨れましたし、人目も気にせずベンチでうたた寝など……」


 くぁ、と我関せず欠伸するシオンだが、ハルは何故だか無性に興味を刺激されて立ち上がる。道を急ぐ通行人の内、比較的目に留まった容姿の人物を見付けて声を上げた。


「すいません! そこの狸人族ラクーンの人!」


「おう?」


 声に合わせて獣人種ビーストの男が寄ってくる。

 彼ら亜人は世界各国に分布する種であり、数は人間種ヒューマンに次いで多く、その多様性はヒト族の中でも特異的だ。


 種ごとにそれぞれ異なるコミュニティを形成しており、同胞には初対面でも家族のように迎え入れる反面、他の獣人種と一緒くたにされることを嫌う習性がある。


 獣人種ビーストという呼び名自体を嫌う一族もいるため、牛人族タウロス狸人族ラクーンといった固有種の名で呼ぶのが礼儀である。


「何か用事か、お若いの……おお、その装いさては冒険家か!」


 小柄で人好きのする笑顔の親父だった。

 愛嬌のある目の黒模様に、頭の上にちょこんとついた丸めの耳、ズボンには尻尾を通り抜けさせる穴が開いており、茶と黒の縞々模様の尻尾が飛び出している。顔の皴とよく出た腹はいかにも中年らしい。


 ただ冒険家と知って怖がらず、むしろ親しみの目を向けてくるのは少し変わり者という印象を二人組に与えた。


「実はこの騒ぎが気になって……」


「おう、さてはお前さんがたエリュシードに来て日が浅いじゃろ? ここにひと月もおれば、この騒ぎも名物として一度は見る光景じゃからな!」


 初日です、と答えると「そいつはツイてるぞお前さんがた!」とふかふかな毛並みの太い掌でハルの背中を叩き、人々が楽しげな表情で正門へと駆けていく様子を指さしてこう言った。


「あの鐘の音は騎士団が凱旋した合図じゃ! 魔獣どもを討伐した王族とその騎士団が、任務を終えて戻ってきたんじゃて、みんなで出迎えて労いに行こうってわけよ!」



 ――ドクン。



 心臓が大きく脈打ったのをハルは自覚した。






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