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01話 「墓参り」




「熱っちぃな……」


 陽射しの強い日であった。

 ハルは額に滲む汗を片手で拭い、もう片方に色鮮やかな四色の花束を携えて石造りの長い階段を黙々と登っていく。


 段々状になった墓苑を見渡して一息。

 整然と並べられた大理石の墓の間を縫って歩き、やがて目当てのものを見付けた彼は小さな笑みを浮かべた。


「やっぱ、俺が一番遅かったか」


 既に幾つかの花束が添えられた墓石の前。

 視線を上げれば遠目に純白ましろの都エリュシード、すぐ下には一面の花畑。

 無色と極彩を同時に臨めるこの景色は、末期まつごの眠りの場に相応しいだろう。


 アマト大霊園。

 死者の魂に安寧を、生者の寂寥に慰めを与えるべく造られた集合墓地だ。


「お待たせだ。悪いな、色々立て込んでてさ」


 真新しい墓石に親しげに笑いかける。

 刻名はない。周りの墓標も全て同様だ。

 大霊園では埋葬者の名が刻まれることはない。番号が割り振られた墓石が立ち並ぶだけだ。

 簡素かつ渇き切った、集合墓地特有の空気を想像していたハルは、少し考え方を改める。


「……思ったより良い所なんだな、ここ」


 鼻孔を撫でる穏やかな草木や花の香り。

 時折吹く涼やかな風が、長い階段で火照った体を冷ましてくれる。


 地精の微睡み、と呼ばれる死者の時間を霊園の管理者が大切にしている証拠だろう。死者に限らず、生者の心さえ癒す優しさがここにはある。


 もっと早く来るべきだった――等と一人ごちる。


(家族は同じ墓、って概念かんがえがないのにはどうしても違和感があるけど……田舎者だからなのかね)


 これも膨大な数の人が集まり、そして死んでいく栄都だからこそだろう。

 集落や村では家族は同じ墓に埋めるのが常識だが、都市エリュシードには毎日のように数多くの見知らぬ誰かが夢を求め、そして多くは掴み切れずに死んでいく。

 墓所の管理に合理性が求められるのも無理ないことだ。


 しかし一方で聖龍国ミトラは、最も死者の魂を尊重する国でもある。

 中には最期の時を王都で過ごし、この大霊園に入ることを望む国外の民もいるほど。

 それは世界全土に染み渡った一大信仰、ミトラ教の総本山が王都に在ることが一番の理由であるだろう。


「偉大なる聖女ミトラの導きがありますように」


 聖女ミトラ。

 龍魔大戦において神龍と契約し、魔神を封じた大英雄だ。

 戦後も人々を導いた聖龍国ミトラの初代女王。

 現在まで連綿と続くミトラ王家の礎を築いた烈女。

 大戦の戦没者を人と魔の境なく葬った在り方は、死者の魂を再び輪廻に導き生まれ直させる巫女としての偶像を得るに至った。


 超常たる龍と精霊に次ぎ、人の身で神の如き信仰を得る。

 大それた思想を他ならぬ龍が認めたのがその契機だ。

 かの聖女がいかに龍の信頼を得ていたのか、ミトラ教の誕生からも窺い知ることができるだろう。


「水精の洗礼は随分先だから、あちこちを旅する時間があるな。もちろんゆっくり休んでくれてもいいんだけど。良い場所だもんな、大霊園ここ


 ミトラ教において、葬儀は四つの段階を経る。


 火精かせいみそぎ

 地精ちせいの微睡み。

 風精ふうせいの旅路。

 水精すいせいの洗礼。


 この四つの行程を経た魂は、正しい輪廻を得て再び人族ヒトに生まれ変わることができると信じられているのだ。


 死んでから火葬まで期間を火の禊。

 母なる精霊に肉体を返し、その上で火のマナによる祝福。

 そうして残った遺灰には死者の魂が宿るものとして、三つに分けられる。

 死後の魂の行く先に多くの選択肢を与えるためだ。

 

 一つは墓の下に埋められ、現世での傷を癒す。

 一つは高台から外に撒かれ、風に乗って新天地へ。

 一つは親類の手に残り、来たるべき時まで家族と共に。


 死者を正しき輪廻に還すため、全ての段取りは国の大々的な支援を受け、ミトラ教団の司祭らによって無償で執り行われているのだ。


「……」


 花束を墓前に供え、眼を閉じて生前の姿を思い起こす。

 感謝の意を囁き、小さく謝罪を呟き、心の充足を以て許しを得る――今でも思い起こすのは、あの時こうしていれば良かったという慚愧の念だ。

 もっと最善を尽くせば何かを変えられたはずで。


「……ぁぁ、くそ」


 でも、そうはならなかった。

 助けられなかったという現実だけがあるだけだ。

 唇を噛みながら額に血管が浮き出そうなほど瞼に力を入れ、込み上げる感情を制御する。


 そんな時、跪くハルに人影が差した。


「――さすがはミトラ教の総本山、大聖堂のお膝元。世界広しとは言え、ここまで金をかけた霊園は他にないな。国の税金と宗教への寄付金はこういう所に消えている、とアピールするには絶好の場所だ」


 あまりに不遜な物言いだった。

 声の主を振り返るより先に周囲を確認してしまう。

 幸い、今の罰当たりな発言を耳にした者はいないようで、そっと胸を撫で下ろしたハルは少女に抗議めいた強い視線を向ける。


「ルシカ、お前な」


「いやいや、褒めてるんだよ私は。いずれも始祖に聖女ミトラを仰ぐとはいえ、国の中に密接に根差す宗教はもう一つの国家と言える。生者の無聊を慰める場に金を費やすには、互いに良縁を結べていなければならないからね」


 声の主――ルシカはトレードマークの黒いワンピース姿を爽やかな日差しと涼やかな風に浸し、気持ち良さそうに目を細めながら今日も生臭い現実を口にする。


 黙ってさえいれば絵物語の一節のように心が震える光景なのだが。

 黙っていたまま、なんてルシカの柄じゃないだろうな、と詮無い納得だけを得る。


「場所を考えて話せよ。あんまり妙なことを言うようなら、俺でも少し怒るからな。というか、よくあの階段を登ってこれたな」


「死にそう。帰り道は君におぶってもらう心積もりさ」


「背負う気ねえからな?」


 すげなく首を振って拒絶の意を示す。

 黒尽くめの少女を抱えて階段を下りるなど、周囲の好奇の視線が突き刺さる請け合いだ。想像もしたくない。

 ハルに人々の視線を独り占めにして気持ちよくなる性癖どきょうなどないのだ。


「つまり、ホウロンの洞窟の時みたいにお姫様抱っこで男を見せようという粋な計らいか。……ふふ、ちょっとキュンと来たかも。いやぁハル分かってるー」


「余計目立つだろうが!!」


「こらこらだめだよ? 霊園ここは魂が眠る聖域。地精の微睡みを妨げるなんてもってのほかだ」


 指摘され慌てて口を噤み、相棒を恨めしげに見やる。

 ルシカはそこでようやく「分かった。分かったから」と手を振って揶揄からかうような表情を引っ込めると、風に攫われる長い黒髪を抑えた。


「とりあえず幾つか仕込みは終わらせたし、明日にはホウロンに戻ろうか。そろそろピーターの傷も癒えて、こっちに戻ってくるはずだからね」


「……おう」


 数日前、彼らはある冒険家を取り巻く事件に関わった。

 結果、村に忍び寄る悪意と脅威は取り払われたものの、ハルは自らの正体を明かして、攫われていた村娘たちに大いに恐れられた。


 風評で余計なトラブルを招くことは目に見えている。

 ならばいっそピーターに功績を全て押し付けてしまおうと、彼らはいち早く王都エリュシードに帰還することを決めた。


 ルシカは意気揚々と悪だくみの準備で忙しく飛び回り、ハルはその護衛をこなしながら激戦で負った体の傷と心の回復に努める日々を送ること数日――ようやく一息を付いた辺りで、今回の墓参りと相成ったのだ。


「……ピーターに会うのは少し怖ええな」


「私が誤魔化しておくよ。君は荷車の中で様子を窺うか、何なら寝ててもいい。最後に一言忠告をしたら、彼への用事は終わるし」


 優しい冒険家の顔を思い出し、ばつが悪そうに頭を掻く。

 彼とは別れ際にろくな話もできないままだ。

 もし敵意でも向けられたら。

 ハルの弱い心にまた一つ癒えがたい傷が付く。


「まぁ、杞憂だと思うけどね」


「俺も、そうだと良いなとは思ってるんだよ」


 自分の臆病さを持て余し、また表情を暗くする相棒の背にルシカの白い指先が伸びた。

 上から下に、その心を慰めるように指をなぞらせる。


「君はいつも何かを怖がってばかりだなぁ」


 仕方がないやつだ、と笑う。


「もうひと月か。出逢ったばかりの君を思い出すよ。今より少し融通が利かない、臆病なハルのことをね」


 ルシカがそう呟いた時、一陣の風が吹いた。

 色とりどりの花びらが空を舞う幻想的な光景の中、黒髪をなびかせた少女を眩しそうに見上げていたハルは、苦いものが大いに混ざった小さな笑みを浮かべた。


「まだひと月かよ。体感だとその三倍はあるぞ」


「短期間で何度も死にかければ、そうもなるさ。あの時は特にそう、先日のゴブリン事件が何でもないことだと思えるほど、悲惨だったわけだしね」


 悲惨、と口にした途端にハルの眉根が寄った。

 故郷を焼かれた炎の日から数えて、何度も命の危機を体験したハル――その中でも、始まりの日と並んで苦く心に刻まれた、ほんのひと月ほど前の事件。

 眼前の墓は、その時の犠牲が形になったもので。


「――祈るのは、少しにした方がいい」


 黒尽くめの少女は、いつもの笑みさえ消して。


「祈るなとは言わないが、長く祈るのは死者に囚われる行為だ。君はこれからも多くを救うだろう。指の間から零れた命を数えるより、がむしゃらに掬い上げた命を誇るべきだ」


「……分かってる。大丈夫、そこまで思い詰めちゃいない」


 硬い声で応じると、ルシカはこれ見よがしに嘆息する。

 彼女は小さく唇を尖らせて。


「あの日は、私と君が出逢った日だ」


「――」


「あまりネガティブな思い出ばかりと思わないでほしいね」


 どこか拗ねるような、何とも身勝手な声が降ってきた。

 驚いて顔を上げるハルの頭をぺしりと叩いて撃ち落とすと、ルシカはさっと踵を返して離れていく。慌ててその背に声を張り上げた。


「ルシカ! その、お祈り、まだだろ? 一緒に……」


「やめておくよ」


 こちらを一瞥もせずにルシカは言い放った。


「私には祈る資格がない」


 突き放すような声が妙に響き、周囲の人々が騒めいた。

 痴話喧嘩だの修羅場だの、何とも微妙な視線とひそひそ話に圧されたハルは呼び止めるタイミングを失ってしまう。


 ルシカは両手で手すりを掴みながら慎重に階段を降りていく。登り道の影響か足取りが怪しい。危なっかしくて見ていられない。


「ったく!」


 悪いな、と墓に向けてさっと手を挙げ、立ち上がる。

 あのままでは足を踏み外して階下まで転がり落ちかねない。背負うかはともかく手ぐらいは貸すべきだろう、とハルは慌ててその背を追いかけていく。


 大霊園の高台から臨む首都エリュシードの東門、遠めに見ても壮麗さが際立つその外壁の威容が目に映ってハルは無意識に口を引き結ぶ。


 今でも昨日のことのように思い出せる。

 あの日、ハルもまた夢を叶えるために、あの門を潜った。


 ハルと、それからもう一人。

 二人で、あの門を潜ったのだ。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「はぁ――これはまた、ご立派な建物ですねぇ」


 小柄な人物だった。

 眩暈がするほど高く積み上げられた大理石造りの城壁を見上げ、皮肉を込めた溜息をこぼす立ち姿は、男女問わず衆目を引いている。


 端的に言えば中性的――否、少女の面が強いだろう。


 色素の薄い長い紫髪を器用に編み込み、僅かに反りのある細身の長剣を腰に帯びている。武装と言えばこれぐらいで、他に目を引くのは羽織った水色の上着だけだ。


 憂いを浮かべるような緑葉色の瞳は眠そうに伏せられ、まるで見る者全てを疑いの目で見るような目つき。

 不機嫌そうにも見えるし、感情が薄いようにも見える。


「まだ門前だってのに人があんなにたくさん……人混みに酔う日が本当に来るなんて。……憂鬱」


 誰もが王都を前にして青臭い夢や淡い希望で胸いっぱいになる中、その人物は小さく肩を落として待ち人の帰りを待っていた。


 待ち人は入都の手続きのため人が群がる役場にて今も悪戦苦闘中だ。妙な問題を起きないことを願うばかりだが、今はそれどころではない。

 

「はぁ、まだかな。お腹がすきました」


 くぅ、と小さく鳴る腹部をさする。

 切実な問題だ。もう数日ろくなものを食べていない。

 腹に溜まるものと言えば、大量購入した乾パンの山で付け合わせは野に生えた野草だけ――野草にしてもここ二日は整地された道を延々と歩かされて補充ができず、いま手元にあるのはしなびたものだけだ。

 調味料の持ち合わせも特にない。


「門の先から、あんなに美味しそうな匂いがするのに」


 肉の脂が火に弾ける音。

 甘く鼻腔に絡み付く肉汁の匂い。

 固そうな見た目に反して歯で噛み切らずとも舌で蕩けるであろう肉の塊たち。野宿では絶対に味わえない、人の英知を尽くした極上の調味料ソース


 想像するだけで。

 ああ、想像しただけで口の中に涎が溜まっていく。


 その呟きを誰かが拾ったならば、嗅覚の鋭い狗人族コボルトでもなければ首をかしげたことだろう。

 これは剣士の常人ならざる五感の鋭さが無意味に発揮された結果がゆえの――


「まだかな。まだかな」


 とんとん、と爪先で地面を叩く。

 自らの細い肢体を抱き、飢えを耐えることほんの数十秒。

 申し訳程度の理性は食欲に蹂躙されたのだ、と言い訳を一つ残し、下がりきっていた眉が、好戦的に吊り上がった。

 ニタリと不気味な笑みを作って剣士は頷く。


「――もういっか。あんな城壁ひとっ飛びで」


「待て待て待て、シオン待て!!」


 前傾姿勢を作り出す剣士の背に慌てた少年の制止が飛ぶ。

 ちっ、とこれ見よがしな舌打ちを一つ残し、自分の方へと走ってくる待ち人の姿に、何食わぬ顔を作って出迎えた。


「御機嫌よう、。どうかしました?」


「どうかしました、じゃねえよなぁ?」


 渋面を作る少年――ハル。

 鳶色の髪に隠れた額には冷や汗が浮かび、碧色の瞳は可愛げのない生来の目つきを更に困惑に歪ませていた。


 しなやかに引き絞った細身の体を擦り切れた衣服で包み、その上に革鎧を着こみ、背中に太く長い剣を背負っている。

 同年代と比べ特別恵まれてもいない体型には不釣り合いな長大な剣だが、重心を崩す様子もなく駆け寄ると、特別息も切らさずに口をへの字に曲げた、


「いいか? 王都エリュシードじゃ不法侵入は犯罪だからな」


「何のことでしょう。弟はとても良い子で待ってましたが」


「お前が『良い子』って時点で胡散臭さが半端ねえんだが」


 ともあれ弟の迂闊な関所破りを未然に防げたと安堵の溜息を付きつつ、三桁の数字が書かれた木札を取り出した。

 おお、とシオンの口から低い驚きの声があがる。


「なんと。入都の許可が下りたんですか? 僕たちみたいな浮民風情、書類審査もなしでポイと相場が決まってるものかとばかり。兄さん、一体どんな手練手管を?」


「俺より二回りは口が過ぎるなお前。ちなみにこれは帳簿付けや身体検査の待ち時間の札。それが終わって問題なしなら、ようやく王都エリュシードに入れてもらえるって話で」


「――身体検査?」


 シオンの表情がさっと青ざめた。

 肩を強張らせ、手でもう片方の肘を掴み、身震いするように何かに耐える仕草を見せる。

 何かを恐れるような、あるいは堪えるような葛藤が見て取れた弟の心情を気遣い、ハルが慌てて首を振る。


「も、持ち物検査と簡単なボディチェック、質疑応答だけだ。種族については自己申告の範囲でいいらしい。お前が心配してる部分なら問題ないはずだ」


「……」


「検査自体も二人同時にやってもらえるよう話してある」


「……それなら」


 渋々と言った形でシオンは首を縦に振る。

 事前に弟がどの部分で駄々をこねるかを予測して先回りしておいたハルは、自らの準備が奏功したことに安心し、そして城門を見上げる。


 ――いよいよだ。


 炎の日から数えて何年経っただろうか。

 数年の苦労と努力の果て、ついに白き栄都へ辿り着いた。

 この先にハルの夢がある。

 今なお胸を焦がす憧憬へと続く足掛かりを掴むため、いつの日か此処に辿り着くのだ、と歯を食い縛ってきた。

 ここまでの道のりを思い起こし、視界が薄っすらと滲む。


「兄さん兄さん? 泣くの早いですよ?」


「泣いてねえし!」


 首を激しく振って熱く込み上げる感情をしまい込む。

 そうだとも。感慨にふけるのはあまりに早すぎる。

 ここがスタート地点なのだ。

 本番はこれから。死に物狂いで臨まなければ、と自らに啖呵を切る。


 それに自分一人ではない。

 悪態を吐きながらも、付き合ってくれる存在かぞくがいる。

 だからこの先に何が起ころうと何が待ち受けようと、きっと挫けずに夢を追い続けることができるはずだ。




 これは始まりへと続く物語。


『比翼』と出逢い『恋理』を誓うまでの、る冒険の軌跡。






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