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エピローグ 「比翼“恋”理」






 一夜が明けた。


 バシム・ファロウ及び豊穣の牝牛亭の女主人との平和的な会談を終え、重圧から解放されたハルは箒片手にあくびを噛み殺して目をこする。


「ふぁ、ぅ……」


 思い出すのは昨夜の顛末だ。

 バシムから金を奪い取り、その一部を牝牛亭の主人に回して土地と建物の権利書を買い取ると言う力技。

 おかげで仮住まいだった教会とも今日でお別れ。聖堂跡の長椅子に腰掛けるルシカは、くたびれた相方に笑みを作る。


「寝不足? また悪い夢でも見たのかい?」


「むしろ何でお前は快眠できるのかを聞きたい」


 ハルを寝不足に追い込んだのは金貨の処遇だ。

 膨大な自分の取り分をシーツの下や靴底、割れた鏡の裏などに分散させて眠りに付いたのだが、いつ盗人が押し入ってもおかしくないという状況から中々寝付けなかった。


 結局、何度か意識を失っては覚醒するという一晩を過ごした後、いつもよりだいぶ早めの起床。

 入念に日課の鍛錬をこなし、相棒を起こそうと彼女の部屋に向かったわけだが。


「部屋中に金貨ばら撒いて寝てるのを見た時は顎が外れるかと思ったわ」


「ベッドに横たわる美女と金貨の山を見た感想がそれって、男の子としてどうなんだろう」


「マジで心配そうな顔すんのやめろ。実際に目の当たりにしてみるとマジで食い合わせ悪りぃから、その二つは!」


 無防備と無警戒の最果てを見た気分だった。

 その夜ずっと悶々としてたハルをあざ笑うような自然体が、何だかひどく憎らしい。起き抜けの姿が何処か艶めかしくハルには二重の意味で刺激が強すぎるのだった。


「ハルは変わり者だなあ」


 こちらの動揺を知ってか知らずか、ルシカは人を食ったような笑みを向けてくる。


「ともあれ、今日で廃墟生活ともお別れだ。教会の地下に居座るというのは、中々に居心地が良かったけれど。忘れ物はないだろうね?」


「ああ。夜のうちに全部綺麗に掃除しといた」


「律儀だね、君」


「時間を持て余したのもあるけど……教会だからな」


 ハルにも人並みの信仰心があるし、ここで祀られていただろう聖女には畏敬の念もある。もう祈りを捧げるべき偶像は新しく建てられた教会へと移されているので、祭壇跡へと向き直る。


「やっぱり、軒先を貸してもらったお礼はしておかないと」


 両の掌を合わせ、頭を垂れる。

 聖女ミトラ。

 龍魔大戦の大英雄にして、聖龍国ミトラの初代女王。

 即ち、憧れている剣士のご先祖様に当たる。できる限りの礼儀は尽くしておきたいのだ。


 今日までの感謝と、これからの旅の無事を願う。

 ついでに相棒の悪事もお目こぼししてもらえますように、とも祈っておく。ルシカは祈るとかそういうものとは縁がなさそうなので。


「なぁ、ハル」


 その背に、ルシカの慮るような声が届いた。


「今頃聞くのもなんだけど。……あの日『彼女』と言葉は交わせた?」


「……。少しだけ」


 頭を上げ、向き直って照れ臭そうに顔を綻ばせる。

 歪な再会から一週間。

 初めは色んな感情に苛まれて不安定ではあったが、今はだいぶ落ち着きを取り戻している。

 白尽くめの少女と話すことができたのは、あの炎の夜以来のことだった。

 言葉を交わせただけで嬉しいと感じるべき邂逅だったと、今はそう前向きに受け止めることができている。


 あの時と変わらず少女の声は思いやりに満ちていた。

 あの時から少女は変わらず独りぼっちで戦っていた。

 それが何だか嬉しくて、けれど寂しかった。


「次に会う時はもっと頑張るよ」


 今度は、顔を合わせて話をしてみたい。

 相手は一国のお姫様で、巡り合うのも奇跡の産物だけど。

 自分は一介の平民で、化け物だと恐れられる存在だけど。


 きっと何度でも、彼女の隣に立つことを願うのだ。


「……そうか」


 ルシカは小さな溜息をつき、口端を上げる程度の笑みを作った。

 憂いの色を秘めた表情がふと気に掛かり、視線を逸らす彼女の横顔をまじまじと眺めて首を傾げる。


「ルシカ?」


「……私は君の夢を応援するよ」


 ルシカは立ち上がると、ハルの隣に寄る。

 割れたステンドガラスの穴から差し込む朝焼けの日差しを身に浴びながら、お馴染みの黒いワンピースをはためかせる姿はまさに演者だ。


「鬼を宿して尚、人で在ろうとする善人――私の共犯者」


 振り返った少女と視線を絡ませる。

 綺麗な黒曜石の瞳は、金貨よりも妖しい輝きを放っていた。


「君の見果てぬ憧憬ユメに対し、私はあらゆる援助を惜しまない。武器、拠点、名誉、勝ち筋、そして何よりも金」


「……」


「私はあらゆる手段を講じて、君を全面的にバックアップするだろう。必ず、君が望む高みへと連れて行ってみせよう」


 それはきっと、決意表明だったのだろう。

 誰かに聞かせるためのものではなく、自らの内側に投げ込むような、あるいは世界に向けて発信するかのような少女の強い決意の表れであった。


「だから、君もどうか私を連れて行ってほしい」


「……お前の、夢まで?」


「野望と、そう呼んで憚らないほどの欲望がある。だが私一人では叶えられない。いくらさかしく在ろうと剣も握れない身の上だ。だから――」


 君の力が必要だ、と彼女は言う。

 ハルの内に眠る鬼の力を、恐れるよりも価値ある物と受け入れてくれるのは、少女が合理主義者であるからだろう。


 だから実のところ、彼女の信頼が少しだけ怖い。

 いつの日か自分より条件の良い協力者が現れた時、果たして彼女はまだ自分を共犯者だなんて胸を張ってくれるのだろうか。


 ――自惚れたりするなよ。そう自分に言い聞かせる。


 自分が憧憬の少女にも、悪辣な共犯者にも釣り合わないことは分かっている。

 彼女は未だ多くの秘密を抱えたまま、ハルにそれを語るつもりもない。その意味と、いつかは向き合わなければならない日も来るだろう。


 けれど彼女はハルを色眼鏡で見ない得難い友人だ。

 の力が彼女の役に立つのなら、利用されてもいいと思える自分もいる。何ともままならない気持ちに振り回されてばかりなのだ。


「なぁハル。この世界は素晴らしいと思わないか?」


 ルシカが年相応の少女のように微笑む。

 黒曜石の瞳が、この世全てを嘲笑う形に歪んでいた。


「契約。誓願。約束。あらゆる言葉が龍の力で守られる世界。信用も担保も必要ない、ただ命を懸けるだけで私の言霊は力を宿す。あらゆる約束を刃とし、盾と為す世界で――」


 一呼吸が置かれた後に目配せがあった。

 分かってるな? という無言の圧力を受けてハルが弱ったように頬をかく。麗しの共犯者は気持ちが昂ると、時折『それ』を要求してくるのだ。

 観念したように頷くと彼女は力強い声音を響かせる。


「私は、世界を呑み込む大商人に成りあがる」


「――俺は……俺は、あの子の隣に胸を張って立てる騎士になりたい」


 それは合言葉にも似た彼らの誓い。

 龍や精霊ではなく、己の魂に刻み付けた約束。

 命も人生も何もかもを注ぎ込んで手を伸ばさんとする、夢追い人どもの咆哮である。

 この決意を口に出して思いを共有するのは、少し奇妙でくすぐったい。できるだけ声が震えないよう真面目に声を作ったが、相棒はやや気に入らなかったようだ。


「『なりたい』――なんて気持ちと覚悟が足りてないんじゃないか?」


「……手厳しいな」


「二人きりの時に夢を語ることさえ勇気が出ないのか?」


 ルシカは腰に手を当てハルの困り顔を覗き込む。

 ぐっと近寄る顔に照れて仰け反るように距離を取ると、ルシカは嗜虐の色が見える妖しい目付きを作って、再び距離を詰めていく。


「男の子って言うのは、女慣れすれば少しは自信が付くのかな? 君はどうにもその手の話に弱そうだからなぁ」


 ハルの胸板を白い手が這う。

 ふわり、と香る女性特有の柔らかな香りと、背筋をぞくぞくさせる官能的な刺激が混ざり合って眩暈がした。


「わわっ」


 自分でも理解できない罪悪感が沸き上がって、泡を食って跳び上がるように距離を取るとルシカはそんな無様な相棒を見て涙が滲むほど笑う。


「ふふ、ふふふはは! 本当に駄目だなぁ、ハルは」


「そ、そういうの、やめよう? マジで」


 こういう部分が一番厄介だとハルは思う。

 女性的魅力がたっぷり詰まった肢体で近付き、散々思わせぶりなことを言ってのけた後で「何考えてる? このスケベ」と有難くない称号を贈ってくるのがルシカという少女だ。


 ハルがその気になればあっという間に組み伏せられてしまう、と気付いているくせにハルの理性を揺さぶって愉しもうとする。何とも享楽的な一面が心臓に悪い。


「本当に間違いが起きたら大変なんだぞ。分かるか?」


「大丈夫。嫌がる仕草一つ見せればあっという間に我に返るに決まってるもの。つまりそう、君は善人だからね」


「いまヘタレって言われた気がするんだが?」


「そんな君に悪いことを教えるのが、今の私はたまらなく楽しいのさ。何しろほら、悪党だから」


 嘯く顔付きが何とも憎たらしい。

 したり顔の黒尽くめの悪魔へとハルは恨めしげな視線を向け、それが一向に通じないと分かると諦めて顔を伏せ、拗ねるようにぼやいた。


「ほんと。楽しそうだよな、お前」


「ああ、楽しいよ。本当に、楽しくて仕方がない」


 万感の思いが込められた肯定であった。

 愚痴愚痴とこれ以上の文句を漏らすことを無粋に思ってしまうほどの笑みに、ハルは白旗をあげる意味も込めて照れた頬に自分の掌を当てて熱を冷ます。


 いつも通りに相棒を言い負かした少女の足が、教会の外へと向く。

 背に翼を生やしてどこかへと飛んでいきそうな軽い足取りを追いかけると、ふとルシカが振り返りこちらを見た。


「そうだ」


 小さな呟きと、挑むような眼差しで。


「仮契約は継続でいいとして、本契約を求めるのはまだ気が早い?」


「――」


「神秘印の契約書に、君と私の約束をきちんと明記したい――これは、仮契約を結ぶ前にも口にしたね? 一応、私の有用性と契約時の特典については証明できたと思う」


 彼女との協力関係は、いわばただの口約束だ。

 龍と精霊に誓いを捧げるような正式に結ばれた契約ではなく、故に互いへの信用と信頼でのみ成り立っていた。

 彼女は今の自分たちの関係を『仮契約』と称し、そして龍と精霊への誓いを『本契約』と位置付けて、自分たちの関係の明言を求めている。


「どうかな。正式に、私の共犯者になる気は?」


「……ええと」


 ハルは、それを明言することに少し及び腰だ。

 悪党を自称し、悪事を躊躇いなく行使する彼女への警戒心がまるでないと言えば嘘にもなる。


 それを差し引いても彼女とは仲間という関係で居たい。

 もし自惚れていいなら友人で在りたいと思う。

 けれどそれを文書で明言化する、という形がどうにもハルの中でしっくりこないのだ。赤の他人に保障された友情関係というものにどうしても歪さを感じてしまう。


 けれど。


「そう、だよな……ルシカの望みがそれなら、ああ」


 彼女の貢献は明らかだ。

 仮契約という立場に胡坐を掻くのは、今日この時限りにするべきだ。

 最も合理的かつ過酷な道のりを少女が指し示し、それを少女に代わって全身全霊で踏破する『共犯者』。その関係性に否やはない。

 だから。


「分かった。そうするべきなら、俺は」


「やっぱり今のなし」


「は?」


 驚いて顔を上げると、彼女らしくもなく視線をハルから逸らして、手元まで伸びた髪を所在なさげに弄っていた。


「もう少し仮契約でいい」


「えっ、ぁ……おう」


 突然の心変わりに目を白黒させつつ、思わず頷く。

 気のない態度を取って怒らせてしまったのだろうか。

 自分が頭を下げて済む話なら、即座に謝るところなのだが何について謝ればいいのか分からなくて固まってしまう。

 一方のルシカは、難問を前にしたような表情で。


「その、だね」


 腕を組み、体を横に逸らして嘆息していながら切れ長の瞳をハルへと向ける。


「例えば、これを断ったら仮契約も終わりかも、だとか。義理人情で頷いておかないと、とか。そういう気持ちで本契約されても困るんだ。いいね?」


「そ……そうだよな」


 指摘されて頭を掻く。

 やや早口で語られたそれらの要素は、ハルが契約を受け入れると決めた要因を全て言い当てていた。こちらの迷いを全て見透かされたハルは反省しきりだ。


「悪かった。真剣に考えて、ちゃんと返事する」


「……うん、まぁ。それでもいいが。私から何度も誘うというのもはしたない。だから覚悟が決まったら、君からお願いするように。素敵な誘い文句を期待してるから」


「ぐあ……」


 難易度の高い要求に顔を引き攣らせるハルに背を向け、今度こそ廃教会を後にする。

 日はまだ山脈の向こうから顔を覗かせたばかり。

 白い陽差しの中、徐々に喧騒を伴っていく街並みのほうへと二人並んで歩く――そんな道すがら、ハルはふと湧いた疑問を口にする。


「なぁ、ルシカ」


「うん?」


「どうしてそんなに俺を買ってくれるんだ?」


 口にした後で卑怯な物言いかも、と自戒する。

 どんな答えを期待しているのかが透けて見えるようだ、とこちらに振り返る黒尽くめの少女の視線から逃れるよう目を逸らす。



「……内緒だよ」



 麗しき共犯者は、人差し指を口元に寄せて華やかに微笑んだ。










 





 たまたま訪れた村だった。



 渋る行商人の父にせがんでの、初めての遠出。

 街の外の景色をこの目で見たかったのだ。

 家族旅行の真似事をしてみたかったのだ。

 胸の高鳴りが止まらなくて、好奇心旺盛に色んなものを見に行った。

 同年代の、故郷より少しだけやんちゃな子供たちに連れられて、村のあちこちを探検した。悪戯を覚え、泥だらけになって遊ぶことを覚え、濡れネズミになってはしゃぐことを覚えた。


 楽しくて、楽しくて、楽しくて。

 父の仕事がもっと長引けばいいのに、なんて呟いて。

 本当に長引いたものだから、諸手を挙げて喜んで。




 そうして。

 よくある悲劇が村を襲った。




 何もかもを覚えている。

 黄昏の朱も紅蓮の炎もどす黒い血の赤も。

 生きながら喰われる犠牲者の枯れ果てた断末魔も。

 黒煙と獣臭と臓物と炎を混ぜ合わせた匂いも。

 お喋りだった舌は痺れ果てて役に立たず、助けを求める声を上げることさえできなかったことも。


 世界全てが焔に包まれたような錯覚。

 悪い夢だと頭を抱えながら、父の亡骸の前で震え上がった。

 胸部や腹部の肉は喰い散らかされ、禍々しく剥き出しにされた骨や皮の断片と繋がった父の首だけが残されていた。

 優しげな面差しは絶望と血に彩られており、それを父だと受け入れるのに時間を要した。まるで知らない誰かの怒りの形相を目のあたりにしたような衝撃に立ち尽くす。


 自分も、父と同じ死に様を彩るのだと理解した。


 悲鳴があった。

 一緒に遊んだ子供の一人の声だった。

 大人よりも大きな獣に咥えられて物陰へと連れていかれるのを見た。

 泣き叫ぶ声。

 助けを求める声。

 親を呼ぶ声。

 許しを乞う声。

 甲高い絶叫こえ


 肉を裂く音。

 水が噴き出る音。

 獣の喉が鳴る音。

 咀嚼される音。


 もうやめて。

 ここには居たくない。

 夢なら覚めて。

 現実なら、もう終わらせて。


 黒煙がひときわ大きく舞い上がる。

 吸い込んだ途端に意識が断絶していく。

 抵抗する気も起きない。

 苦しい、熱い、でもこれ以上楽な死に方は残されてない。

 気を失っている間に終わってくれるよう願った。

 苦痛も激痛もなく、眠るように死ねればどれほど幸せだろうか、と幼い身で達観しながら死へと向き合っていた。


 けれど。


「ぁ……」


 誰かに担ぎ上げられた。

 優しい終わりへと誘うはずの煙から遠ざけられ、炎に炙られた空気を吸って意識が目覚める。

 灼熱と獣臭に彩られた地獄へと帰還してしまう。


 火花で所々焦げた鳶色の髪と、小さな背中が見えた。

 背越しに脈打つような、強い熱。

 炎でも煙でも血でもない、生きた人間の熱さがそこにあった。


「だ、れ」


「おれ、は」


 大人の声ではなかった。

 ぶっきら棒な、朴訥な少年の声。

 ほどなくして村に滞在している時に一緒に遊んだ子供たちの一人だと思い出す。

 率先して行動するタイプではなく、周りが騒がしくしているのを隣で笑っているだけの印象の薄い少年。


 大人ではなかった。

 この状況を変えてくれるような英雄でもなかった。

 見えた横顔はお世辞にも格好が付くものではない。

 目は虚ろで頬は強張り、口元は引き吊ったまま気の利いた言葉ひとつ出てこない。


 絶望している顔だった。


 消えてなくなりたいと、死んでしまいたいと願う自分を鏡で見ているかのような狂相。

 いつ天秤が崩れて狂い果ててもおかしくない、そんな壊れかけた心を引き摺りながら歩く生ける屍のような少年は――


「……死ぬな」


 そんな世迷言を、口にした。


「死んじゃ、だめだ」


 今にも死んでしまいそうな顔で。

 今にも途絶えてしまいそうな声音で。

 死を受け入れようと必死で自分を騙していた心の壁を叩き壊し、死んでいたはずの心を激しく揺さぶった。


「ひどい、よ」


 眠ったまま死にたかった、はずなのに。

 少年の熱が、生きようとする意志が、声が自分の本心を暴き立ててしまった。

 気付いてしまった。

 死にたくなんてなかったのだと気付かされてしまった。


「ひどい、ひど、い……」


 もう自分を騙せない。

 恐怖も、悲痛も、渇望も、何もかも誤魔化せない。

 どうして希望なんか見せるのか。

 どうせ危なくなれば見捨てて逃げるくせに。

 どうせ、どんなに頑張っても助かりっこないのに。

 恨みがましく睨み付け、力の限りその背に爪を立てて、彼が行おうとする無責任な救済に反発し、ぼろぼろと涙をこぼして罵った。


「……ごめん。ごめん、でも」


 助けようとする相手から傷付けられながら、それでも少年は歩みを止めなかった。

 愚直に愚直に前を歩く。

 根拠もなく寄る辺もなく、ふらふらと地獄の中を突き進みながら言い聞かせるように言うのだ。


「助けるから……絶対、助けるから……」


 諦めないでくれ、と言う。

 生きたいと言ってくれ、と言う。

 そう言ってくれれば頑張れるから、と無残に罅割れた笑みを作る。

 馬鹿だった。筋金入りの狂人だと思った。

 意地でも思い通りになってやるものか、と自分の中の悪い癖が顔を出した。


 でも愚かな少年は、決して見捨てなかった。

 口を噤んで成るように成れと開き直った自分の様子を見て、心の底から安堵したような声で。


「良かった……」


 渇いた罅割れた心に、水が染み入るようで。

 溢れた分の水滴が、まぶたを熱く濡らしていった。







 そして奇跡が起きた。







 助かったのだ。

 魔獣に喰い殺される直前で、救いの手が差し伸べられた。

 自分たちと同じ年頃の、白尽くめの少女。

 彼女が放った剣閃は瞬く間に村を襲った魔獣たちを一掃し、悪い夢を剣の一振りで消し飛ばした。

 唐突に始まった地獄は、終わりもまた瞬く間のことだった。


 自分は、少年の腕に抱かれていた。

 全身を包み込んで蕩かすような熱に包まれていた。

 助かったと知った少年が、白い少女を仰ぎ見ながら涙をこぼし、その水滴が雨のように頬へと降り注ぐ。


 熱い、涙の感触が胸に染み渡った。

 僅かに眼を開け、泣きながら礼を言う少年を見上げる。

 ありがとう、ありがとう、と嗚咽交じりに繰り返す少年へと、気の迷いを呟く。


 ――あり、がとう。


 少年は、白尽くめの少女が奇跡を起こしたのだと言う。

 でも違うのだ。

 この結果を手繰り寄せたのは、この少年だ。

 何もかもが死に絶える地獄の中で生き延びた――それどころか、他の誰かと同じように無残な最期を遂げるはずだった命までも救ってみせた。


 こんな奇跡、他にあるものか。

 絶体絶命の現実を、ただ一人の少年が揺るがしたのだ。


 涙ながらに礼を言う少年と、それに微笑みかける英雄の少女の絵。

 まるで何かの叙事詩サーガの一幕のような光景、その全てが今なお色褪せないまま、この心の中にある。


 だから、迷うことなど何もない。

 どうして彼に賭けるのか? 愚問にすぎる問いかけだ。


「知っているからさ」


 誰にも聞こえないように。

 大切な宝物を胸に抱き、愛を囁くような声音で。




「君が、奇跡を起こせる人だってことをね」












ここまで読んでいただけて感謝感激です!


『第1章 災禍の小鬼』編はこれにて完結となります。辛抱強くお付き合いいただき、本当にありがとうございました!


内容を気に入っていただけたなら、ブックマークの登録や作品の評価などいただけますと大変励みになりますので、是非ともよろしくお願い致します!



それでは新章でも是非、よろしくお付き合いくださいませ!

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― 新着の感想 ―
[良い点] スコ速から来ました。 スコ速にしては珍しく好意的な意見が多くて、批判的な意見が少なかったので興味を持って読んでみたら久々の当たりでした。 これから第二章も読ませてもらいますね。 [気にな…
[良い点] 最終話、エピローグと両方読ませていただきました。 最終話は気持ちの良い物語の締め方で、とても心地よかったです。 ルシカがピーターたちのために牝牛邸を買い取るのは予想どおりでしたが、だからと…
[良い点] 拝読し始めたら面白くて止められず、一気読みでした。 戦いがひと段落、のちの、真バシムやピーターのエピソードなど、どんでん返しな感じがまた良かったです。
2021/02/01 16:16 退会済み
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