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28話 「ただいま」







 驚きは、多分なかった。

 予想しているより衝撃もなかった。

 第三者に指摘されることでむしろ、内側にずっと燻っていた不安が吸い出されていくかのような錯覚さえあった。

 大きく、大きく息を吸って、力無く吐いて、小さく笑う。


「気付いている、はおかしいだろう。お前さんが俺に気付かせたんじゃないか。そういうのは意地が悪いって言うんじゃないか?」


「……そうかもね」


 そうだ。思えば妙な話ばかりだったのだ。


「豊穣の牝牛亭の印入りの契約書。十年燻ってた俺の経歴。どちらも、バシム・ファロウの工場運営に必要な物じゃない。もっと言えば、ゴブリン退治の依頼自体が妙な話だ」


 バシムはランタン型の魔導品アーティファクトでゴブリンを完璧に統率していた。

 狙う村を決め、情報を封鎖し、味方の振りをして内側から腐らせ、十分に商品を吸い上げてから滅ぼしていた。


 ならば、ゴブリン退治の依頼なんて出てくるはずがない。

 となればピーターが受けたあの依頼書は、一体どこから出てきたのか。


「ルシカちゃん、言ったよな。『アーネ嬢は無実』……だったら無実じゃない人もいるってことだ。ホウロンに向かう前から、お前さんはそれが分かってたんじゃないか?」


「初対面の前から何かあるなと思っていたさ。出逢って二人の恋仲に気付き、この関係かなと当たりを付けてその日のうちに情報屋に仕事を投げた」


「……」


「豊穣の牝牛亭の現主人、アーネの叔母の調査をね」


 明日の朝までに分かることだけ、と銘打ったこの依頼で情報屋が泣いたのはまた別の話である。

 ともあれ深夜の間の短い時間でも、ルシカはそれなりの事情を把握した。


「アーネの両親が死に、未成年のアーネに遺産の管理は不可能だった。止まり木の利権は全て、彼女の後見人となった叔母が握った――けれど、止まり木の主人なんて好きでもないとやってられない仕事だ」


 ならず者の怒鳴り声に耳を傾ける毎日。

 止まり木の店主は冒険家の親。

 仲裁役を頼まれることも珍しくなく、おおよそ冒険家同士のトラブルは刃傷沙汰にまで発展する。

 普通の感性では耐えられない仕事量だ。


「それでも叔母は遺産を受け取った。土地と止まり木の権利書を金に換えたかったから」


 建物は古いが、場所は王都の一等地。

 売りに出されれば買いが殺到する物件で、止まり木の運営権利書にも高い値が付く。

 二つ合わせれば人ひとりが数十年遊んで暮らせる額になるだろう。


 だがピーターにとってはお金では買えない感傷の置き所であり、アーネにとっては亡き両親の思い出が詰まった我が家だ。売却など、やはり考えられない。


「……そのために、俺が邪魔だったのか?」


「成人したアーネを嫁にやれば、残った財産は叔母の自由だ。しかし仮に君と彼女が結婚すれば、彼女は元冒険家という強力な援軍を得る。能力不足を理由にして止まり木の権利を奪い返すことだってできる」


「そんなこと――」


 そんなことは考え付きもしなかった。

 叔母は愛想が悪く、両親を喪って傷心のアーネに家族の情を与えようとはしなかった。

 その仕事ぶりも決して真面目ではなかった。

 けれど、それでも二人の仲について彼女の理解を得ようと、そう努めてきたつもりだったのに。


「そうだね。君は偽の契約書をバシムに見せられた時、動揺した。君がそのつもりなら、止まり木の主の資格なし、その証明になる証拠を喜んだはず」


「……権利書を奪い取れる好機だからね」


「だが君は心を痛め、ただ憂いただけ。アーネの叔母ともうまくやろうという気持ちでいたのはよく分かるよ」


 叔母が自分を良く思ってないことは分かる。

 どこぞの馬の骨。稼ぎもなければ将来性もない、そんな男を家族と認める方が度量が深すぎる。


 けれど一方で、二人の仲を反対されるのはアーネへの確かな情によるものだと信じていた。

 いや、信じたかった。


「でも、向こうにその気持ちはなかった。君は自分の財産を狙う詐欺師、アーネも売れる家具の一つとしか考えちゃいなかったのさ」


 真正面からぶった切られるような断言に、ピーターは落胆交じりの溜息を吐く。

 歩み寄ろうとした相手に命を狙われたというのに、怒りよりも虚しさがこみ上げた。


「それで……バシムに俺を殺すよう依頼した」


「……」


 ルシカは何も言わない。

 呟きへの訂正も、下手な慰めもない。

 当然だ。彼女はただ真実だけを突き付けるために、ピーターの前に現れたのだから。


「魔獣退治に失敗して死んだ冒険家に偽装して、バシムに俺の経歴と契約書を託して。成功報酬はあれかな、売れた土地代の何割だとか。……ああくそ、とんだピエロだなぁ俺」


 するすると、事の顛末が全部繋がっていく。

 バシムに取っては冒険家一人を自分の砦に招き、隙を見て殺すだけの簡単な仕事だ。

 この二人組の機転と戦闘力がなければ、本当にあっさりと済む仕事のはずで。


 ホウロン村の滅びに乗じてピーターも消息不明――いや、首だけ分かりやすく残しておくほうがいいのか。

 思えばバシムもピーターの首は必要だと口にしていた。

 殺したという証明は必要だったということだろうか。


「……くそ」


 深い溜息を吐いて首を垂れる。

 恋人の肉親に殺意を向けられた、という事実は中々に胸に来るものだ。その様子を哀れに思ったのか、ルシカの声が降ってくる。


「君は誠実であろうとした。誰に対してもね。ただそういう人物は得てして悪党どもには良いカモにされる。君の命を狙った、小悪党にもね」


「容赦ないな……」


「そうだとも。誠実で居続けるのは一種の才能だと思うよ。痛い目を見れば心の潔癖さはその度にかげるもの。それでもまだ純真で居られる善人ってのは、とびきりの――」


「ハルさんのこと?」


 少年の名を差し込むと、得意げな少女の語り口が急停止。

 何となくピーターを通して誰かの話をしていたような気がしたのだ。ルシカと繋がりがあるのはあの少年だけだし、と何気なく口にした単語がどうもクリティカルしたらしい。

 少女は咳払いをして、目を逸らした。


「何が言いたいかというと、善人ってやつは時に度し難い」


 彼女はすぐに体裁を整えると、素早く話を戻した。


「――で、これからどうする。叔母を追い落としてみる?」


「無理だろうね……証拠がないから」


 バシムは捕縛されたが、彼女への尋問はゴブリン工場に関わる内容に終始するだろう。

 それらに比べれば殺しの依頼だとかの枝葉は風化する可能性が高い。

 叔母に向けて証拠を突き付けられない以上、向こうも言いがかりだと抗弁できる。


「アーネに唯一の肉親との間で板挟みにさせるのも忍びない」


「きっぱりしてる娘だから、案外乗り気になるかもだけど」


「止まり木の主が冒険家を謀殺しようとした、だなんて表沙汰になれば牝牛亭そのものが潰れるような致命的な醜聞だ。争いがどう決着しても店は畳むことに……ああくそっ」


 それでは本末転倒だ。

 考えるほどに自分が八方ふさがりの中に居る気がする。

 叔母の本心は知れた。

 彼女は決してアーネとの仲を認めない。

 功績をいくら持ち帰ろうとも難癖を付けてくるだろうし、隙を見てまた命を狙ってくるだろう。それどころか――


(そうだ、俺を狙うとも限らない……姪への情が欠片もないのなら、次はアーネが狙われるんじゃないか? だとすれば、下手に帰っても事態が悪化するだけじゃないか)


 どうして今までその考えが及ばなかったのか。

 念願の銀貨級シルバーに上がれて立派な勲章をもらって舞い上がってたとしか思えない。


 戻れば二人の身が危なく、叔母を告発しても店の醜聞を広げるだけ。何をどうするのが誰のためでどうなっていくのか、もう訳が分からない。


「……アドバイスしても?」


「――」


 縋るように顔をあげる。

 黒尽くめの少女は小さく、囁くような声量でそれを言う。


「君が世界で一番大切なものはなんだ?」


 世界で一番大切な――そんなもの考えるまでもない。

 薄霧を漂うような人生に差し込んだ光へと、分不相応に手を伸ばすためのこの依頼だった。


 それ以外は何もいらない。

 栄誉ある龍の勲章すら投げ捨てても構わない。

 それほどまでに、答えははっきりとしていて。


「全てに手を伸ばすのは難しいかもしれない。でも、他の何を諦めてでも、その一つだけは決して譲ってはいけない」


「ルシカちゃん?」


「死ぬほど、死ぬまで、死んでも、長く後悔するだろうから」


 ひどく実感のこもる助言だった。

 それは最初から最後まで謎めいた彼女の、魂の色を覗くような呟きであった。


「――分かったよ」


 神妙に頷くと、少女は薄い笑みを残してピーターから離れていく。言うべきことは言った、それ以上の用はないと言いたげな背中にひとつ問いかける。


「最後に、もうひとつだけ」


「うん?」


「連中が秘かに俺を殺そうとしてたように、お前さんたちは俺を守るために余計な骨を折っていただろう? あれはどうしてだったんだ?」


 振り返れば彼らがピーターと行動を共にする利点はない。

 バシムらの目がピーターに向いている間に事を為すほうが安全度は格段に高かった。

 あんな苦労を背負いこまずに済んだはずだったのに。


「私は反対する立場だった、とは断っておくよ。止まり木で君に声をかけたのも、奈落の間で君を守るよう願ったのも、私じゃなかった。いいね?」


「……あ、はい」


 何故そこまで念押しするのだろう、と釈然としない思いを呑み込みながら何度も首を縦に振る。

 照れ隠しというより、悪党である自分は人助けなんてしない、と明確に線引きするような宣言にやや気圧された。


「じ、じゃあハルさんはどうして?」


「……善意のお返し、かな?」


 言葉の意味が分からず、ん? と聞き返すと少女は愉快そうに唇に人差し指を当てた。「ハルには内緒だよ?」と慈しむような微笑みで。


「ごろつきに絡まれた私たちにお節介を焼いただろう?」


「ぁ……」


 あの日に見せた、ほんの気紛れの善意。

 大勝負の前に善行を積んでおこう、だなんて何とも罰当たりな理由で行った小さな親切を思い返す。

 目の前の少女にはそんな浅ましい考えを見抜かれ、見事に嵌められて街中を逃げ回る羽目になったけど――


「……そんなことで、あんな無茶を?」


「そんなことが、たまらなく嬉しかったそうだよ」


 あれがピーターの運命を変えた。

 彼らと行動していなければ、ほぼ間違いなくピーターは命を落としていたのだから。

 あの日の、あの行為がピーターが人生を振り返っての、一番の分岐点だったのだ。ならば彼らとの接点はピーターにとって紛れもなく――


「さあ、もう行った方がいい。エリュシードの門限は月が中天を越えるまで。今から馬車を急がせれば、どうにか間に合うかもしれないからね」


 少女は、ピーターがどの道を選択したかを見通しているかのように笑みを作りウィンクを一つ付けて送り出す。

 ピーターは慌てて太陽の位置を確認し、脳内で時間を逆算しながら慌ただしく馬車の支度を整え、乗り込むと最後に一度少女へと向き直る。


「――お前さんたちに逢えてよかった」


「良い旅を、ピーター。君たちの道行きに母なる精霊の祝福あらんことを」


 選択の正しさを請け負うような祝福が心強かった。

 目指すは王都エリュシード。

 帰りを待っているだろうあの愛しい看板娘の元へと。



 どうか道中、この胸に宿った勇気が燻りませんように。







◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







 叔母の猫なで声が今でも耳に残っている。


 お前に縁談の話を持ってきた。

 頻繁に声を掛けて贈り物を持ってくるあの男性ひとだ。

 明日にも顔合わせをするつもりだ。

 これはとても良い話なんだ。失礼をするんじゃないよ。


 言い含めようとする叔母の顔は、欲望に歪んでいた。


「ッ……!」


 桶いっぱいの水を両手ですくい、ばしゃばしゃと勢いよく顔に浴びせかける。

 台所中に水が飛び散ったが、どうせモップの用意は出来ている。

 せいぜいピカピカに磨きあげてやろうじゃない、と空元気を出して、水面に映る自分を見る。


 ひどい顔――見せられないや、と笑みを作る。


 冗談にしては酷い出来だと笑うしかなかった。

 いま自分の想い人は叔母の許しを得るために命懸けで冒険に赴いているのに、縁談を持ってくるなんてどうかしてる。


 けれど叔母は熱心に縁談の利点を説いてきた。それはほとんどが詰まれる金貨の枚数の話だった。


 約束が違う。

 店の中で、たくさんの客の前で叫んだ。

 乱暴に腕を掴まれ奥に引っ張りこまれ、怒鳴られて頬を叩かれ、吐き捨てるような言葉を投げつけられた。


 あいつならもう死んでるよ。

 予定日を過ぎても帰ってこないのがその証拠じゃないか。

 たかがゴブリンにやられちまう新米以下のことなんか忘れちまいな。


「ぐす……」


 鼻をすすり、じくじく痛む頬を水で冷やす。

 叔母の言う通り、もう予定日を何日も過ぎている。

 村までは馬で半日、往復でも一日だ。

 魔獣退治の長期化は十分あることだが、連絡一つも寄越さないのはやはり何かあったとしか思えない。


 想定よりも魔獣の数が多いのだろうか。

 不覚を取って怪我でもしていないだろうか。

 妙な所で律義さを発揮して酷い無理を背負いこもうとしていないだろうか。


 帰ってこない――その先の想像を振り払う。


「……大丈夫。絶対、だい、じょうぶ……」


 きっと明日には帰ってくる。

 何でもない顔で、困ったように眉を寄せて、照れ臭そうに「ただいま」と口にしてくれるのだ。


 だから泣くな。だから、負けるな。


 想い人の帰還を信じて今夜も乗り切ろう。

 怖い叔母や縁談相手が何だというのか。こちとら荒くれ者どもを相手取る止まり木の看板娘さまだぞ、と気合を入れ直し、モップを手に取る。


 心を搔き乱す不安も、背後からひたひたと迫る不吉な予感も全て、このモップに込めて嫌味なぐらい丹念に磨き上げてやる。


「……そぉれっ!」


 忙しいというのは良い。考えなくて済むから。

 くったくたになるまで体を酷使して、ベッドに飛び込んだらすぐに意識が沈み込むぐらい疲れ果ててしまおう。

 そうすれば今夜は、悪い夢を見ずに済むはずだから。


 水場に始まり、広いロビーの隅々までモップを走らせた。

 頭を空っぽにして階段も、応接室も、掲示板前も、入り口も――真っ暗になった夜の街並みの、行き交う人々に想い人の姿を探してしまい、また切なくなる。


「早く。帰ってこーい」


 恨み節に似た呟きを、夜の街へ投げかける。

 くるくるとモップと共に体を回し、踊るような軌跡で掃除を終えて一息。

 疲労と不安が同じ比率で混ざった重い溜息を吐き終わると、肩を落として店の中へ戻ろうとする。


 背後から、床の木目を擦る靴音がした。


「ぁ……」


 弾かれたように振り返る。そこに待ち人が立っていた。

 想像通りの顔だった。

 何でもない顔で、困ったように眉を寄せて、照れ臭そうに――想像よりもずっとぼろぼろな姿で、頬を掻いて。



「遅く……なって、ごめん」


「――心配なんて。してなかったから」



 唇を噛んで、込み上げるものを抑える。

 泣いてなんかやるものか。だって信じていたのだから。

 彼は約束を守ることだけが取り柄だと、誰よりも知っていたのだから。


 抱きつこうと足が一歩前に出て、ふと自分の作業着に目を落とす。

 水と洗剤が派手に飛び散って泡だらけだ。

 なんて間が悪いんだろうと内心で肩を落とす。

 それでも両手を広げるのは決定事項で、代わりに照れ隠しが口を突いて出る。


「お前も。石鹸まみれに――」


 なるがいい、と続く口が男の胸に塞がれる。

 彼らしからぬ情熱的な抱擁に思考と呼吸が急停止。

 汚れるのも構わず、ピーターは腕の中の少女の存在を確かめるように抱き、万感の思いで約束を囁く。


「ただいま……ッ」


「――――。うん。おかえりなさい」


 耳から熱が全身に染み渡っていく。

 抱きしめる体は震えていて、抱擁を返すほうも多分一緒。紅潮する頬が、激しく高鳴る心臓の鼓動が、想い人への気持ちの強さを何より示してくれる。


 どのぐらいそのままでいただろうか。

 夜空に弧を描く三日月が中天を過ぎる時刻とはいえ、賑やかな首都の人通りは途切れることを知らない。誰に見られているかも分からなくて、でも離れがたくて。


「……話があるんだ」


「……ん。中入って。夜食のシチュー温め直してくる」


 名残惜しげに身を離し、指を絡めて家の中へ誘う。

 話したいことが山ほどあるのだ。

 約束のこと、縁談のこと、これからのこと。

 夜通し語り明かしたいことがたくさんあるのだ。


「ここで聞いてくれ、アーネ」


「……ぁ」


 絡まった指の先から熱が伝わってくる。

 真面目な話、大切な話だとその口ぶりですぐに分かった。

 自分のことを呼び捨てで呼んだのだ。

 常日頃から漂わせている卑屈さが消え、決意のようなものを宿した瞳で真っすぐに自分を見つめている。


 ああ、格好良くなったな――なんて茹った考えが頭を過ぎる。相手はずっと年上なのに、生意気かもと気持ちを振り払い、次の言葉を待つ。


「実は――ああでも、何から話せばいいのか、うんと」


「残念。いつものピーターだ」


「ぐっ、いや少し深呼吸させて。すぐ落ち着くから」


 途端に、いつもの頼りない部分が顔を出す。

 顔を真っ赤に紅潮させる様子は見ていて痛快だ。二人きりの時でも滅多に出ない、アーネのことでいっぱいいっぱいになってる顔なのだ。

 堪らなく愛しくなって、掴んだ手を引いて外へ。


「長くなるなら。落ち着ける場所に行こう」


「そ、そうだね。外は寒いから……そうだ、生誕祭の時に連れていった酒場はどうかな。暖を取れるし、飲み物も出てくる。話したいことが、たくさんあるから」


「ピーターの家がいい」


 想い人が硬直するのが分かった。

 紅潮する頬をできるだけ抑え、強い眼差しで返事を待つ。

 縁談なんか持ってきた叔母への当てつけだ、ざまあみろ、そういう負けん気も背負ってピーターの手を再度引く。


 ピーターのように、誰へ筋を通すだとかも興味がない。

 自分の生きる道は自分で決めるのだ。


「……分かった」


「ん」


 指を繋ぎ直して歩き出す。

 少し離れたところで断りを入れると、店へと振り返る。


 もうここには戻らないという特別な予感があった。

 何故かは分からない。本当に、虫の知らせのようなもの。

 後ろから声を掛けられた気がしたのだ。

 自分を呼び止めるものじゃなく、自分を送り出すような暖かな激励が。訳も分からず目頭が熱くなる。


 奔放な父と肝っ玉な母がいた我が家。

 二人の思い出が詰まった止まり木を目に焼き付けて。


「行ってきます」


 お別れを告げたのだった。







◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







 早朝。


 橙がかった白い陽が山間に顔を覗かせる中、二両の馬車がすれ違う。

 街の中へ入る者たちと、街の外へ出る者たち――どちらも二人組の男女。どちらも男が手綱を握り、女が荷台から顔だけを出していた。


 精一杯の感謝を込めて青年が会釈すると、恐縮しながら少年が慌ただしく会釈を返す。

 お互いに先を急ぐ身だ。

 馬車を止めて言葉を交わしたりはしない。

 それでも少年の強い要望で街へと入るほうがすれ違いざまに馬車を停止させ、出立するほうを――幸せそうに寄り添う二人の門出を見送った。


 少年は時間が許す限り、去っていく馬車に向けて手を振った。青年と少女もそれに応じるように手を振り返した。


 その姿が遠ざかっていくなか早々と荷台のほうへと引っ込んだ黒尽くめの少女が、一仕事を終えた後のように腕を伸ばして艶やかな息をつき、言う。





























「とびきりの邪魔者も、これで消えた」




 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「あっまぁ~い!」(スピードワゴン) こういうお話に対して、難癖をつけるのは「野暮」と呼ばれます。 これは普通によい話ですし、読者受けするでしょうね。 [気になる点] 誤字報告3か所。 …
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