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26話 「今はまだ逢えない」






「――――は?」


 新雪と見紛うほど儚く美しい銀の髪と肌。

 騎士の鎧と巫女の白装束を掛け合わせたような衣装に袖を通し、可憐にして静謐な雰囲気を纏っている。

 顔の上半分を隠していた仮面は取り外され――外気に晒されたその素顔は、神聖という概念を具現化した人形のようだった。


 穢すことに躊躇いを覚える幼い面差し。

 薄く開かれた双眸も整った鼻立ちも朱色の唇も、その全てが神に捧げられるために誂えられた芸術品。

 無垢な危うさと背徳感が、この洞窟内の水晶広間という奇妙な世界観の中でも不思議と存在を溶け込ませている。


 黒尽くめの少女とはまさに対極。

 表情、仕草、立ち居振る舞い、声――あらゆる人間味の到達点が黒尽くめの少女ならば、無表情にただそこにあるだけで完成品たりえる、人形味の極限こそがこの少女であるかのような。


「そう、つまり――」


 銀鈴に似た、見た目相応の幼い声。

 少女は興奮気味に喚く女の勝利宣言に、裁断を下す。



「あなたが騒動の首魁で間違いないみたい、だね」



 水晶を見上げていた瞳が下がり、立ち尽くす女を映す。

 その瞳に射抜かれた時、女は心臓を鷲掴みにされたように胸を抑えた。

 ただ目を合わせているだけで顔を歪め、悶絶するような威圧感に全身の毛が逆立っていく。


 無表情に見える顔立ちに僅かな敵意が浮かんだ時、女は死を意識した。

 馬鹿げたことだと自らを叱咤し、反抗するように睨み付け牙を向き威嚇し――ふと、少女の衣服に刻まれた意匠が目に入る。


 それは龍が刻まれた紋章であった。

 吊り上がった女の瞳にこれまで以上の怯えと混乱が宿る。


「お、――王家の紋章エンブレム……!?」


『然り』


 呻きに応じたのは少女の声ではない。

 その腰にある宝剣だ。

 埋め込まれた石が明滅するたび紡がれていく古めかしい言葉が紡がれる。顔がないはずなのに、じろりと無遠慮で重苦しい視線が向けられたような圧迫感があった。


『其はミトラの血に連なる者のみが纏うことを許されし神龍マルドゥークの意匠――よもや、我が主の名乗り上げが必要などとは言うまいな、罪人』


「ッ……!!」


 噛み締めた女の唇から血が滴る。

 怒りの沸点を超えたのではなく、湧き上がる恐れを噛み殺そうとした結果であった。

 がちがちと震える歯の根を抑え、痺れる舌をどうにか回して女は言葉を紡ぐ。反骨心からくる抵抗を少女への畏怖が上回るような、畏れに満ちた声で。


「ミトラの王族ッ、王女……け、『剣狂けんぐるい』……!?」


「そのはあまり好きじゃ、ない」


 其は人にあらず、形を似せただけの王国の剣。

 剣に生き、剣を愛し、剣を振るい剣に死す戦乙女。その生き様を最も端的に表す異名、剣狂い。


 ミトラ王国騎士団の第四軍。

 単騎・・にして最強無比の『一人騎士団アインスロット』。

 それが白き死神の肩書。


「――」


 少女の視線がほんの一瞬、女の後ろに向けられ――けれど、すぐに向き直る。彼女は自分の中での優先順位を見誤らない。故にまず意識を向けられるのは女からであった。


「エル。彼女の罪状を、述べて」


『――村に魔獣をけしかけたるは、国家への攻撃なり。悪戯に人心を乱し民を損なわせたるは、人民への攻撃なり。国の許可を得ない魔獣の養殖、違法とされる人身売買……その他、大小合わせ八つの王国法を犯した嫌疑である』


 淡々と己の罪を暴かれていきながら、女はこれがただの口上でないことを直感した。

 これは裁判における主文を読み上げる行為などでは断じてない。どちらかといえば断頭台が奏でる鉄の金切り声のようなもの。



 読み上げ、罪を断じ――次の瞬間、この首が落ちるのだ。



「釈明は、」


「ッ――!!」


 返事の代わりに右手のランタンを掲げた。

 篝火の炎に照らされて妖精と名の付く生き物たちの意識を誘引、それを束ねて一斉に名を与え、怪物を生み出すことが可能だ。

 必要な工程はたった二つ。ランタンを掲げ、名を叫ぶだけ。


「『汝ッ――!』」


「ないみたい、だね」


 生暖かい空気が、女の頬を掠めた。




「――――――ぁ?」




 喋る宝剣は腰に差したまま。

 代わりに細長い曲刀が白尽くめの少女の手に握られていた。

 刃が白い靄に覆われ不気味に揺らめく剣。今の今までどこに隠し持っていたのか、女の理解が及ぶことはない。


 ただ、振り終わった後の残身が残るだけで。


「――――」


 何かがあった。

 無我夢中で始めようとした詠唱こえが止まるほどの何かが。

 恐る恐る自らの首に手を伸ばす。

 ごろり、と自分の首が冷たい地面に転がるのではないか、という恐怖が女をそうさせた。


「生き、て――」


 傷はない。

 よく出来た物語のように斬られるのに気付かない、というのも違う。

 首だけでなく、自分の体は五体満足だ。


「はは、」


 少女はただ剣を抜いただけだ。

 それに驚いて詠唱を止めるなど、何という間の抜けた話だろうか。

 自らを鼓舞するため笑みを貼りつけ、口早に詠唱を再開しようとしたその時だった。


 無意識に瞳を動かした女の視界の端。

 上半身と下半身が両断されて地面へと降ってくる小鬼の姿が見えた。鮮やかな切断面が示すのは、紛うことなき斬撃の爪痕であった。


 ――斬ったのか。あんな離れた場所のゴブリンを。


 一体どうやって。

 天井の小鬼と少女までの距離は遠い。

 斬撃を飛ばしたとでも言うのか。

 それぐらいの現象でなければ実現不可能な光景に舌を巻き、女は少女への警戒心が間違っていなかったことを知る。






 そういう次元の話ではないことに気付いたのは、全てが終わった後のことだ。






「は?」


 斬られた小鬼が一斉に落ちてくる。


 頭部だけが。

 上半身だけが。

 左右を無くしたものが。

 雨あられと落ちては悲鳴も上げずに朽ちていく。


「は、ぇ?」


 天井にいた個体がいた。

 壁に生えた個体がいた。

 床に這う個体もいた。

 そのどれもが一つの例外もなく、真っ二つに裂けて黒い血霧を撒き散らしながら消滅していく。

 水晶に手を伸ばす餓鬼たちの地獄絵図に終わりがもたらされていく。

 感嘆の溜息が、口なき剣から漏れた。


『一振り百断ちなる魔剣の冴え、見事なるや』


「……ぁ?」


『矮小なる小鬼の数、四百六十余り。目に映らなかったか、罪人。我が主は既に五度・・、斬撃を閃かせているというのに』


 理解が及ばない。

 古めかしき声が脳に一つも染み渡らない。

 規格外。想定外。どんな言葉が今の光景を表してくれるのか、見当もつかずに女は立ち尽くす。

 ほんの一秒に五百を斬ったという少女の、残る三十余りの斬撃の行く先は――


 天井中央に鎮座する青白い水晶が罅割れた。


 澄んだ、と呼ぶにはあまりに甲高い音があった。

 美しい蒼をたたえていた大水晶にみるみると亀裂の入っていき、そして崩壊が訪れる。

 立っていられないほどの地響き。

 要石であった水晶の崩壊と共に天井が崩落し、引き裂かれた小鬼たちの最期に倣う。


「ぁ――」


 十重二十重に砕けた無数の煌めきの中に、唖然とした己の顔が映り込んだ。

 女が人生を賭けて作り上げた城の、その呆気ない最期を心が受け止めきれず、魂を抜かれたかのように感情が消えて。


「ぁぁ、ぁああっ、ああああああああああああぁぁああああああっ!!?」


 青白い破片が星の輝きのように宙を舞う、そんな幻想的な世界の中で女は膝から崩れ落ちた。

 右手に持っていたはずのランタンが何の衝撃もないうちに真っ二つに切り裂かれ、下半分が地面へと落下。硝子がぱりんと音を立てて砕けた。


 それはバシム・ファロウを目指した女の、夢が砕ける音であった。


「ぁぁ、ぁぁああ、ぅぇ、ぁ、げ、ぇ?」


 現実を否定するように涙と涎を垂れ流す。

 目の前で繰り広げられた破壊は、女が頼みにしていた才能という概念を粉々にした。

 かみの御業は天災に等しい。

 人としての優劣を競い合う次元に、白尽くめの死神は立ってなどいなかった。


「あが、げ、は、がが、ひひひ……」


 恵まれた才能を他者に見せ付け、理不尽を押し付けてきた女――その夢の最期が、より強大な才能によって理不尽に砕かれたという事実が女を笑いに誘う。


「大丈夫。痛くないよ。あなたのことは斬らなかった。ゴブリン騒動について、知ってることを全部話してもらわないといけない、から」


 あれだけ破壊の中心にいながら、女の体には傷一つない。

 その代わり、胸の裡にあった自尊心は木っ端微塵に砕け散り、自我は小鬼たちと同じく両断された。

 女の自意識はもはや、正気に戻る素振りも――


「私に狂ったフリは、通じない」


「――、ひ」


「犯した罪に向き合って。安易な道には、逃がさない」


 それは図らずも少年に突きつけられた言葉の繰り返し。

 女は引き攣った笑みさえ凍り付かせ、糸が切れた人形のようにだらりと崩れ落ちた。

 女は全ての現実から逃げるように意識を切ったのだ。

 冷たい岩肌に頬を擦り合わせ、深い闇の中に自らの意識を落とし込んでいく。


 二度と目覚めないことを心の何処かで願いながら。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『なんとも往生際の悪い』


 どこか感心するように宝剣が人間臭い溜息をつく。

 白尽くめの少女も同意するように一つ息を吐くと、顔を上げて女が出てきた通路を見やる。

 眉ひとつ動かさず、耳が痛くなるような静寂に一役を買い――その沈黙を、宝剣が破る。


『気付いているか』


「うん。もう一人、いるね」


 通路の向こう側で息を潜める人の気配。

 肌を刺すような敵意を感じず、しかし流れ込んでくる血の臭いが少女の足を止めさせる。

 人なのか獣なのか、それさえ判別の利かない不気味な雰囲気を感じ取った少女は、それでも変わらぬ無感情な声で呼びかけた。



「そこにいるのは、誰?」

 


 反応は顕著だった。

 動揺を示すように通路の死角から小石が転がる。

 気配どころか息遣いも隠せない粗末な隠密。それが負傷による苦悶によるものだと、早い段階で少女は気が付いた。

 壁に張り付き様子を窺う誰かは、恐らく手負いなのだ。


「とりあえず出てきて。……ええと困った、な」


 服の裾に指を伸ばすも、形の良い眉が寄る。

 傷の手当という行為は少女が苦手なことの一つだった。

 おおよそ技術と名の付く事柄において自信が持てるのは剣術ぐらいのもので、他人を癒す手段については技術どころか包帯の持ち合わせさえない。これまで必要としてこなかったから。


 手際に自信はないが、女が羽織っているローブを包帯の代用品にしようと決め、しかし通路の死角で息を潜める誰かは一向に姿を見せようとしないことに首をかしげる。


「……出てこないね」


『――であろうな』


「エル?」


 剣呑な声を発しながら腰の宝剣がかたかたと震えた。

 無機質な存在だと思えない、感情の昂りであった。


『臓腑交じりの血の臭いに、鬼の瘴気が混じりおる』


 憤怒があった。

 憎悪があった。

 長い年月を掛けて魂に刻み込まれた感情の発露に場の空気が軋む。持ち主の少女よりも色鮮やかな感情を滲ませながら、宝剣は剣呑な声を投げかける。


『己に恥じることなくば出てくるがいい。れなるはミトラの血族、すなわち龍の代弁者なり。その呼びかけに応じぬは王家、引いては龍への不敬と心得よ』


「――」


 息を呑むような間があった。

 ミトラの民にとって王家と龍への不敬を問われるのは最も恐れるべき嫌疑の一つ。にも係らず、物陰に隠れる人物から応じる声は上がらない。


『答えよ。貴様はこの罪人の手の者か、あるいは魔性に連なる者か。この寂れた洞穴で何をしていた。あるいはよもや、真の黒幕は貴様なりや?』


「――ッ」


 続く追及にも、歯噛みするような沈黙が返るのみだ。

 説明も弁明もないただの沈黙は、姿を見せぬ何者かへの強い不信感を生むには十分の間であった。


 何より尊き血筋への侮辱であると明言されてなお、静寂を以て応じるというのなら、どういう事情であろうと許されないのが王制である。



『不敬なり。もはや人の子だろうと捨て置けぬわ』



 張り詰めていく空気が剣の吐き出す怒りによって弾け飛びそうな気配に包まれた。

 事実、洞窟全体がその怒りを恐れるように震えあがる。


 それは膨大なマナの変質によるものだ。

 妖精として死んだ大量のボガードを構成していたマナが空気中に漂い、それらが宝剣の力によって土から雷へと強引に属性を塗り替えられ、束ねられて龍の形を成していく。


『龍を軽んじた咎人に神罰を喰らわさん――ッ!』


 紫電色の雷で構成された巨龍が咆哮する。

 恐るべきはこの現象を全て単独で顕現を果たす、宝剣自身の規格外さにあるだろう。

 周囲のマナを暴威の如く呑み込んで繰り出されるこの御業は、もはや剣という枠に収まるものではない。


 再現されし神話の龍がその口に電撃を蓄える。

 それは人も魔獣も塵一つ残さぬ必滅の息吹ブレス

 放たれれば山一つを不毛の大地に変えかねないほどの、絶対の破壊が――




「――龍剣あなたを抜いた覚えは、ないよ」




 澄んだ鈴に似た声と、鋼が弾ける音がした。


 直後、猛々しい雷龍の姿がぐにゃりと歪んで霧散する。

 苦しむ様子も痛がる素振りも見せない、唐突な消滅であった。

 まるで先ほどまでの光景が幻だと言わんばかりの光景だが、飛散した雷のマナが周囲の環境に馴染めず、至るところでばちりばちり、と静電気を放つことで現実だと知らしめる。


『ぐっ……』


「エル。勝手に話を進めないで。あなたの、悪い癖」


 自らの剣を窘める少女の手に、別の剣が握られた。

 先ほど水晶の間を丸ごと斬り払った曲刀とはまた別の、ゾッとするほど真っ黒な刀身をたたえた両刃剣であった。

 時折ばちりと刀身に雷が走り、まるで雷撃に刃を通した直後を思わせる。


「出てこなくても、いい。一つだけ、教えて」


 言いつつ、少女は黒剣の持つ手を強く握る。

 途端に剣は光の粒子となって形を失い、それは消えることなく再び実像を結ぶ。


 次に少女が手にしたのは刃に宝石を埋め込んだ細長い銀剣であった。その切っ先を通路の向こう側にいる人物へと突き付け、問いかける。


わたしがここに辿り着けたのは、従騎士を介して情報をもたらした知らない誰かのおかげ、でした。ゴブリンの真実と銘打たれた告発文に、村の名前を添えたもの、です」


「――」


「それはあなた、ですか?」


「……俺、たちだ」


 返答には小さな嗚咽が混ざっていた。

 泥臭くて飾り気がなく素朴な、綺麗な思い出を振り返るような少年の、小さな肯定。掲げた銀色の細剣に、透明な雫が零れ落ちるように白く染まっていく。


 それで証明は十分だ。

 けれど一つだけ、と言っておきながらどうしても答えを聞きたいことがあった。

 ついでのような形で綴られていた、あの文面の最後の一文。


「派遣する騎士団は――」


「――君じゃないと、きっと間に合わないと」


 擦れた、けれどどこか誇らしげな返答だった。

 少女はそっと剣を降ろすと透き通った白い刀身に変わった剣が光の粒子となって消え、少女の指先へと吸い込まれる。

 無感情だったその瞳が小さく、慈しむように細められた。


「ありがとう。ホウロンは無事、です」


「ぁぁ、……ッ」


 感極まった安堵の声があがる。

 ただ誰かが救われたことを心から喜ぶ純朴な歓喜が、少女の心に染み渡る。

 目を閉じその嗚咽に耳を傾けた少女は、かつてを想う。



 昔。始まりの日。

 冷たい硝子のような少女の胸を熱くした、あの炎の日を。



 まるでその続きのような、希望に満ちた涙声。

 ずっと聴いていたい――なんて歪んだ願いをしまい込み、少女は気を失った女の首根っこを引っ掴むと、忍び泣く声を遮らぬよう声を落とす。


「……帰ろう、エル。事態の収拾は近隣を巡回する従騎士の隊に一任、します」


『馬鹿な!! 何故あの男のその正体を白日に晒さぬ! 未だ姿も見せぬ輩ぞ! やましいことがあるに決まっておるではないか!』


 洞窟内に残った雷のマナが怒声に反応して小規模な爆発を起こす。

 それは宝剣が抱いた怒りの大きさを物語らせるに足る現象であったが、少女は構いなく出口へと歩きだす。


 ずりずりと片手で女を引きずりながら、もう片方で鞘に収められたままの宝剣を掲げ、目線を合わせて小さく首を振る。


「裁定の剣が彼の返答を真実と示し、嫌疑は晴れました。本当ならこの功績には相応の見返りが与えられて然るべき……そうでしょう?」


『だから怪しいというのだ! 褒美も勲章も思いのままの身で何故出てこぬのか! それにあの瘴気! 鬼のそれに違いないのだ! 顔を一目見ればそれがはっきり――』


「やめて」


 なおも言い募る宝剣の声が止む。

 まるでその美しい瞳に魅入られたかのように、傲慢な物言いが鳴りを潜める。それは少女の声に明らかな感情が込められていたが故の絶句であった。

 少女が宝剣の声を遮ることなど、ただの一度も――


「エル――偉大なる骸から作られし、雷龍の在りし姿見エル・コアトル


 少女は無機質な声音に、険を込めて続けた。


「例えあの人の正体が何だろうと、彼は功績を挙げた善意の第三者。表に出ることを望まない民に何かを強要することはわたしの領分ではありません」


 きっぱりとした拒絶に、宝剣がついに押し黙る。

 少女とて愛剣が何故こうも鬼に固執するのかは分かっている――が、持ち主の意思に反して勝手にマナを吸い上げ現界するなど剣としての領分を越えている。


 その在り方を、王国の剣である少女は許していない。

 宝剣にも、自らにも。


「――」


 ふと、あの心が温かくなる声がもう聞こえないことに気が付いた。

 愛剣の不作法を思い返せば当然のことだろう。

 何故だかとても寂しい気持ちが胸の中で渦巻く。

 そしてふと、少年が一度も顔を見せようとしないことが気にかかった。


「……当たり前、か」


 少年は、見ていたはずだ。


 少女が放った斬撃を。

 首謀者の女が泡を吹いて卒倒するような光景を。

 この世のものとは思えない規格外の太刀筋、破壊の権化、怪物と畏れられる“剣狂い”の一撃を。


 あの一刀が次は自分を両断するかもしれない――そんな風に震えあがったとして、誰が責められるだろうか。


「……怖がらせて、ごめんなさい」


 そんなありふれた謝罪を残し、立ち去る。

 今日の出会いがせめて傷になりませんように、と。






 到底叶わない願いであった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「……ちがうんだ」


 誰も居なくなった。

 ハルは、水晶の間だった広場をふらふらと呆然自失といった様子で歩む。

 水晶の破片と雷のマナが所々に散らばり別世界のように輝くその場所で、膝を突く。


「ちがうんだ……違うんだ、違うんだ……!!」


 隆起し膨れ上がった両腕を乱暴に叩きつけて叫ぶ。

 それでも足りず鈍い輝きを放つ赫角ごと額を岩肌に――まるで己の姿を呪うように擦り付け、自傷し、手負いの獣じみた唸り声をあげて絶叫した。


「逢いたかった……俺はずっと、逢いたかったんだ……ッ」


 あの日、救われてからずっと焦がれていた。

 いつの日か再会して、もう一度あの日のお礼を言って。

 君が救ってくれた命はこんなに立派に成長したんだ、って言いたかった。

 その成長に目を細めて、またあの時のように微笑んでほしいと願っていた。


 なのに。


 ――怖がらせて、ごめんなさい。


 最後に残された少女の謝罪が、この胸を搔き毟る。


「君を怖がっちゃいないっ、怯えてなんかいない、君が悪いんじゃないんだ……! そうじゃない、そうじゃなくてッ……俺は、君に! この姿を見られるのが、怖くて仕方がなかったッ……!」


 顔は醜悪な鬼の皮を張り付けたように膨らんでおり、無事なのは右目と口部分だけ。

 両腕は膨らみ、指には命を引き裂く爪が伸びて肉片が挟まっている。

 血の海を泳いできたかのように全身は真っ赤に染まり、噎せ返る血の臭いを漂わせていた。


 こんな怪物に、少女が微笑みかけてくれるはずがない。


「君におびえられるのが、怖かったんだッ!!」


 心底からそれが怖かった。

 少女から投げ付けられるだろう言葉や態度が恐ろしかった。

 幻滅した顔。嫌悪の顔。そんな人だと思わなかった――助けなければよかった、そう言われるかも、と思ったらもうだめだった。

 声一つあげることさえ死ぬほど怖かった。


 挙句、その怯えを少女に見透かされたのだ。

 凄まじい自己嫌悪がハルの心を焦燥と共に灼いていく。

 何度拳を傷付けようと、額を割ろうと一向に激情は収まる様子を見せず、ただただ自分への不甲斐なさだけが込み上げた。


「ちくしょう、ちくしょう……せっかく、せっかく、逢えたのに……今度こそ、ちゃんと再会できるはずだったのに……ッ、ちくしょうが……ッ!!」


 どんな顔を、させてしまったのだろう。

 何の痛痒も覚えないような無表情を貫いてくれただろうか。

 もしかしたらその顔が崩れるぐらい傷付けてしまっただろうか。


 少女の素顔さえ幼い日の邂逅から止まっているハルには想像のしようもなくて。けれど、と握りしめた岩を手の中で砕きながら。


「……でも、絶対、いつの日か……だから、」


 あの子に恥じない自分のままで巡り合いたいのだ。

 地獄に落ちても忘れない、あの微笑みを見たいのだ。

 その日まで駆け抜けた努力を、成長を喜んでほしいのだ。

 けれど。



「今は、まだ……逢えないんだッ……!」




 まだ少女に誇ってもらえる、そんな男ではないのだから。






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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ、白い少女はやっぱり第〇話のあの人でしたね。もし違ってたら、それはそれで意表を突くかも、と思っていましたw 白い少女の思いも、ハルの思いも、どちらも切なくて胸にくるものがあります。 …
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