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23話 「裏切りの一族」






 かつて争いがあった。

 神話と名付けられるほど遠い昔の争いであった。


 片や原初より生きし、偉大なる調停者たる神龍の一族。

 片や魑魅魍魎どもと共に星の外より飛来せし魔神の一族。

 人間族ヒューマンを始めとした全ての人族は、龍の陣営に立ち剣を取った。外からやってきた怪物たちを認めるわけには行かなかったのだ。


 かくて龍魔大戦と呼ばれる生存競争が勃発した。

 両陣営は死力の限りを尽くし、多くの犠牲を支払った。


 敗死した龍はいずれも、自らの朽ちた屍さえ利用して必ず勝利を、と言い残して壮絶に果てた。

 龍と同じく原初より世界を支えてきた精霊はその身を砕かれ、世界にマナをあまねく届けると大地に還った。

 龍に付き従った人族も、次々とちり芥の如く命を散らした。


 緑の大地はいずれも真っ赤な色にまみれ、美しかった河は山ほど積まれた屍に堰き止められ、空は灰色に濁り、雨さえ黒く穢され、吸う空気すら血の味がしたという。


 それでも人族はよく龍に尽くした。


 獣人族ビーストは恵まれた肉体を生かして魔獣を押し留めた。

 森精族エルフは体内のマナを絞り尽くして前線を支えた。

 鍛冶族ドワーフは技術の限りを尽くしてあらゆる武器を与えた。

 人間族ヒューマンは契約に対する高い適正能力を認められ、龍と共に戦って多くの魔族を葬った。

 多くの土地を取り返し、拠点を作って対抗してきたのだ。



 けれど。

 魔の陣営に下った裏切り者が現れた。

 『彼ら』は褒美として魔獣のような膂力と常人ならざる肉体を手に入れた。



 魔神より与えられし恩恵に酔った『彼ら』は、その力の荒ぶるままに龍側についた同族を次々と殺しまわった。

 幾つもの街が燃え、山が更地に変わり、湖が干上がったと伝えられている。


 やがて『彼ら』は見咎めて忠告に来た龍をも手にかけた。

 それどころか龍の屍が力になると信じ、おぞましくもその肉を喰らった。残された骨さえ粉々に砕かれてどこへなりと撒かれ、その死後すら辱めた。


 同族の悲惨な最期に龍は皆、涙し、呪いあれと叫んだ。

 嘆く龍を見て人族は皆、恥じ入った。

 このような暴挙を起こした『彼ら』が同族であることを嘆いた。もはや『彼ら』を人だとは思わなかった。


 果たして。

『彼ら』は人とはかけ離れた異形の姿になっていた。

 それは魔神の恩寵の代償か、龍を喰らった副作用か、あるいは龍の呪いか人々の願いが天に届いた結果なのかもしれなかった。


 いずれにせよ『彼ら』は罰を受けたのだ。

 魔神がたおれ大戦が集結した後『彼ら』を待っていたのは徹底的な弾圧だった。




 偉大なる龍を喰らいし恥知らずの一族。

 その名をオーガ。あるいは鬼人族オーガ


 忌まわしきその名を耳にしたならば耳を塞ぐがいい。

 忌まわしきその種を口にしたならば舌を抜くがいい。

 忌まわしきその姿を目にしたならば命を諦めるがいい。


 其は人類史の汚点。

 世界に唾吐きし裏切りの一族なり。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 どこか現実味がない目の前の光景が、ピーターからあらゆる言葉を奪っていた。

 助けようと奮起していたはずの義侠心が、自分でも分かるほど委縮して萎んでいくのが分かる。

 開いた口が塞がらず、潜在的な恐怖が指先からゆっくりと脳へと染み込んでいく。


(あれは、誰だ?)


 圧倒的不利をその膂力だけで覆した赤黒い肌の異形と、気の優しい朴訥な冒険家の少年がどうしても重ならない。


 混血種ハーフであることは予想がついていた。

 ハルが何か隠し事をしていることにだって気付いていた。

 だから、例えどんな秘密をハルが抱えていようと、何でもない顔で笑いかけて「そんなことか」と肩を叩いてやるつもりだった。


 本当の、本当に。

 そうできる自分を疑わなかったのに。


(なんで――)


 潜在的な恐怖を呼び起こされるようだった。

 その姿を見た途端、心の奥底から筆舌に尽くしがたい感情が芽生えてくる。

 その感情に名前なんて付けられない。

 嫌悪感とも憎悪とも悲嘆とも呼べないそれは、ただこれ以上見ていられないという悪感情だけを叩き付けてくる。


 まるで、そう。

 呪いに冒されたかのようだ。


(苦しい……気味が悪い、彼を見ていると、吐き気がする……)


 彼に好感を持っていた。

 それを損なう行動など彼は一度も起こしてなどいない。

 危ないところを駆け付け、傷だらけになりながら脅威を排除し、今もなお悲しげな眼を向け、衝撃を受けた自分を慮っている。


 だというのに――


「……は、る……」


 第一声が、喉に絡み付いて出てこない。

 名前を呼ぶだけだ。

 少年の名を口にし、笑いかけるだけだ。

 ありがとう、と。助かったと。無事で良かった、と。

 不安そうにこちらを見る少年に、当たり前の感謝を告げることがどうしてこんなにも――


「ピーター」


 見かねたハルが名前を呼ぶ。

 口が開いて、ピーターの目がその口内に吸い寄せられる。

 人間とは一線を画す鋭い牙が覗いていた。

 生き物の命を奪う形をしていて、薄暗い洞窟内でも生々しくその存在を主張してくる。

 それはあまりにも、伝承にあるオーガと一致しすぎていて。


 ひ、と背後から悲鳴が漏れた。

 ホウロン村の少女たちのものだった。

 息を殺し、目を閉じ、体の震えを必死に食い止めて目を付けられないよう祈っている。

 それが、背中越しにも如実に感じ取れて、生じた空気にピーター自身の意識も呑まれていく。




 逃げろ、と本能が叫ぶ。




 馬鹿か。

 何処に逃げろというのか。

 唯一の活路は怪物の後ろにしかない。

 思考が悪感情に塗り潰されていく。

 倒すしかない。

 いや敵うはずがない。

 頭が痛む。

 目を背けたいくらいに恐ろしい。

 いいや目を逸らせば死ぬ。

 あの異形を見ろ。

 あの牙を見ろ。

 あの爪を見ろ。

 あの赤黒い肌を見ろ。

 どう死ぬ。

 どう死にたい。

 死ぬわけには行かない。

 奥底で強い反発心が沸き上がる。

 あれに屈したくない。

 怖い。

 石でも投げつけてやりたい。

 そこら辺に転がってる。

 大きめのやつを頭部に当てれば怯むはずだ。

 何度でも投げつけて、叫べ。

 裏切り者め恥知らずめ、どの面を下げて生きてきた――!




「ァアッ!!」


 ピーターは強く強く拳を握ると自らの顔面に突き刺した。

 それでも足りずに額を抱え、爪を立てて、息を吐く。


「はぁ……っ、はぁ、はぁ……! くそ、くそっ」


 短く、内側に沸き起こった自己嫌悪を吐き出す。

 こんな感情はおかしい。

 論理的じゃない。自分の感情とは思えない。

 誰かの馬鹿げた感傷に他人ひとを付き合わせるな、と唇を強く噛み締めながら顔を上げた。


「――」


 そこには、泣き出しそうな顔の少年が立っていた。

 異形のまま、怪物の姿のまま、眉を下げ頬を硬くし目を潤ませ、それを乱暴に拭う哀れな少年がそこにいるだけだった。

 彼は傷だらけの笑顔を作ると、頭を下げた。


「……悪かった、ピーター。でもありがとうな」


「なに、言ってんだよ……」


 彼が謝ることは何一つない。

 礼を言われる理由もない。

 自分でも持て余す感情にかき乱されて何一つとして気の利いた言葉もでない。こんなピーターに掛けられる言葉がそんな優しいものであってはいけない。


 鬼はゆっくりと、首を左右に振った。


「いいんだ。この姿は、怖がられる。理屈じゃなくてそういう風になってる。みんな逃げ出したり、怒鳴ったり、石投げたりだ。でもピーターはそういうことをしないでくれたから」


 ハルの人柄をそのまま表すような、たどたどしい言葉だった。


「だからやっぱり、ありがとうで合ってるんだよ、うん」


「ハルさん、は……」


 異形の姿のまま、安心したように息を吐く――そんな人間らしい仕草が、干上がっていたピーターの喉をどうにか動かした。


 非礼だと知りつつ目を瞑る。

 途端に体を縛っていた嫌悪感から解き放たれて、それでようやく、この悪感情が理屈ではないことに気が付いた。


「ハルさんはそんな姿でもハルさん、なんだよね?」


「今は、まだ何とか」


「そうじゃ……なくなるってことかい?」


「あまり長いことこの姿だと、そうかもしれない。昂った気持ちがある程度収まるまではこのままだ。だから、そうやって見ないでくれると助かる」


 ハルの声には居心地の悪さが含まれていたが、それを除けばやはりピーターの知るハルだと思えた。

 それだけだ。それだけでいいはず。

 それ以上、無暗に恐れる意味はない。


「……分かった。お前さんの言う通りにするよ」


 言われた通りに後ろを振り返り、ゆっくりと目を開いた。

 その先には未だハルの姿に震えあがる少女たちの姿がある。


 短くとも数日間、長ければ十日間以上も捕まっていた少女たちは精神的な疲れや消耗が酷い。

 倒れた男たちを憎悪に満ちた目で睨み、あるいは泣きじゃくり、中には家族が死んだと聞かされもう生きてはいられないと錯乱する娘もいて。


「ええと。そう、あの子たちはいま不安定だから……」


 欺瞞じみた誤魔化しに、それでもハルは笑みのまま。


「だよな、女の子たちのほうは任せ――」


「おい、ハル」


 弛緩しかけた空気が、その緊迫した声で再び張り詰めた。

 事態を沈黙し見守っていたルシカだった。

 壁に背を預け、未だ疲労色濃い顔付きの彼女はハルを……より正確には、ハルの後ろへと切れ長の瞳を吊り上げるように細めて。


「まだ終わっていないようだ。どうも砕けた拳では足りなかったらしいな」


「――なっ、……」


 掠れた吐息に落胆を乗せるルシカに促されて振り返ったハルは、瞠目しながらそれを見つめ――そして、もう一度の衝撃に呆気にとられた。



「……だん、じゃねェ……」



 それは生者を羨み怨嗟を燻らせる亡者の動きに似ていた。

 陥没し血を滴らせた顔面を手で抑えながら、不安定な足取りで立ち塞がる影。

 それが発する声音に聞き覚えがなく、それでいてもう何度も耳にしたような不可思議な感覚に襲われた。

 咄嗟に頭に思い浮かんだ人物と、その声の主が脳内で一致しない。


 それは、女の声だったのだ。


「冗談じゃねえぞ、化け物め……」


 バシム・ファロウ、ではない。

 短髪だった髪先が肩にまでかかり、だぶついたローブがはだけて胸の膨らみが垣間見えた。

 特徴の薄かった青年の姿は何処にもない。


 彼――彼女の声音も女性特有の高さを発し、しかし舌に乗せる悪意だけは、ハルたちの知る『彼』そのもので。



「ここまで積み上げるのに何年費やしたと思ってやがる……それを、こんな化け物に、こんな理不尽に、めちゃくちゃにされてたまるかよォォ……!」



 バシム・ファロウの名を騙った怪物は、手負いの獣じみた咆哮と共に再起した。





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