22話 「赫角のヒト」
左手を貫いた長剣を戯れに捩じる。
足に突き刺した長剣を戯れに蹴飛ばす。
頭ごなしに罵声を浴びせ、その尊厳に爪痕を立てる。
その度、少年が苦鳴を洩らすのが楽しくて仕方ない。
やはり、そうだ。
バシム・ファロウという人生はこうでなくてはならない。
戦いの才能に恵まれ、知略を駆使して成り上がり、天賦に恵まれなかった多くのクズどもを踏み台にして伸し上がっていく強者。
それも目の前の、強靭な肉体を持つ生命であろうと、笑いながら片手間に踏みにじる圧倒的な強者だ。
躊躇いなく仮借なく、手段を選ばず成功する。
成功して。
成功して成功して成功して。
成功して成功して成功して成功して成功して成功して。
当たり前のように、ただ成功し続けることで証明するのだ。そうやってバシム・ファロウは完成するのだから。
「やーや向こうは釣られませんでしたかぁ。ほんと女にしておくのが惜しい秀才ぶりですよねえお前のご主人様は」
「はあっ、はあ……はっ、はッ……!」
鍔迫り合いを演じるほうの腕に力を込め、少年の首筋に刃を添えられる位置まで押し込む。
あと一押し、あと一息の攻防で片が付く。
最初こそ物珍しさが勝ったが、そろそろ少年の苦しむ顔にも飽きてきた。
見れば見るほど好みでない平凡な面構えに、むしろ嫌悪感すら抱くほどだ。
「ああ。間近で見りゃほんと売り物にもならねえ顔……小汚い格好も、生まれ育ちの卑しさが出る顔付きも、まるでダメ。どこまでも売り物になりゃしねえ」
やはりメインはあの少女だ。
少年の首を落とし、それを抱かせてやればどんな反応を見せてくれるだろうか。
泣き崩れるか、狂乱するか、あるいはそれでもまだ気丈に振る舞うのか。いずれにせよバシムの嗜虐心を満たす見世物が期待できるはずだ。
さっさと終わらせようと更に剣に体重をかけて。
ふと、あることが気にかかった。
「そういやぁ、結局何との混血だったんです、お前? まさか尊き竜人の血ってわけでもなし、されども既存の獣人族のどれにも当てはまらない」
人間にここまで強靭な肉体を遺伝させる血とは何か。
今のゴブリン工場を軌道に乗せた後の、新たな商売のタネになるかもしれない、と好奇心のままに語り掛ける。
しかし少年は歯を食い縛るばかりで答えを吐き出す様子もない。
「……はは。人の皮ぁ被って人間の振りしてるとか?」
「べらべらとっ、うるせえ……」
何とも馬鹿馬鹿しい理論を取り上げて見ると、思いのほか強い反応が返ってくる。
一瞬の間、噛みつく少年の瞳の中で揺らいだ感情が複雑に絡み合う。バシムの目には、その中でも恥が一番色濃く見えた。
「さては魔獣か何かとの混血か、お前」
そう問いかけると、ハルの表情が全て抜け落ちた。
呆然、あるいは愕然と表現するに相応しい間。
激痛も闘志も忘れるほど頭の中が真っ白になったかのような、間の抜けた顔だった。
感情が凪のように消え失せた様にバシムは、少年にまつわる何かの確信を突いたのだと直感する。
「おいマジかお前」
魔獣との混血。
口にした出まかせに唐突に沸いた真実味に心が躍る。
数多の種類が存在する魔獣だが、その生態は未だ全容がつかめていない。でなければゴブリンが女を攫って繁殖する、などというデマは通じるはずもなかった。
まことしやかに囁かれる魔獣とのハーフだが、しかし奴隷商人として多くの人種を目にしたバシムも今の今まで目にしたことがない。
人との間に仔を為す魔獣など、ただの都市伝説だと受け止めていたが。
強靭な肉体と超人的な治癒能力。
これ以上なく魔獣という存在を印象付ける種族特徴だ。
であるならば、なるほど『恥』という感情も引き摺ろう。
命のやり取りをしているにも関わらず、バシムに心中に強い強い高揚感が沸き上がってきた。
――ああ、本当に。
こんなの、笑いを堪えられるはずがない。
「ぶはっ、はははははは!! 傑作じゃないですかぁ! 人殺しを躊躇うような半端者の! 化け物の子!? あはっ、あはははははははっ!!」
品位や教養とは縁遠い顔付きや雰囲気も納得だ。
少年を自分と同じ人間だと思うところがそもそもの間違いだったなんて傑作というほかない。
「どう生きればそんな馬鹿馬鹿しい矛盾を抱えられるんですかねえ!? なんて僥倖! なんという廻り合わせ!」
こんな奇妙で面白おかしい存在に巡り合い、悲惨だっただろう人生を踏みにじる機会を得られるだなんて。
「日頃の行いが出るってことなんですかねえ! どんな気分なんです? どんな人生だったんです? ねえ!」
「……関係、あるかよっ」
意識の間隙を縫って、剣が僅かに押し戻される。
興奮のあまり手に込める力が緩んでいたことに気付き、バシムは更に体重をかける。
天秤は均衡したままどちらにも傾かない。
諦めようとしないハルの反骨心をへし折りたいという欲望がふつふつと湧き上がり、舌が回る。
「可哀想な人生でしたねぇ」
「お前なんかに、同情される筋合いはねえよッ……!」
「いや。お前の母親の話ですよ。悲惨だったんでしょ?」
抵抗の声が止まる。
少年の態勢が更に不安定に揺れ、再び均衡が崩れた。
狙い通り。
いや、狙い以上の効き目に噴き出してしまいそうだ。
混血種の孤児に、この手の不幸な生い立ちはありがちだ。ましては魔に連なる子供など、よく今日まで生きていられたものだと感心する。
何かを堪えるようにハルは俯いた。
その耳に顔を近づけ、何もかも腐食させるような毒を囁く。
「どんな過程でした? 化け物に無理やり手籠めにされたんですか? あるいは商売女だったとか? 体売って生計立ててる弊害で妙な客でも取ったとか?」
「――」
「あははは、どれにしても同情しますよ、行きずりのロクデナシと掛け合わせた雑種みたいなガキ産んで、さぞ途方に暮れたことでしょうね」
「――」
「どうせ愛してなんかもらえなかったんでしょ? 分かりますよ。大抵、混血種は捨てられるか虐待されるか、あるいは売られるかって話ばっかりなんでね。きっとお前の母親も目を覆いたくなるほど不幸な人生を――」
そんな時だった。
饒舌に回るバシムの舌が、小さく痙攣する。
唇が渇き、口内が干上がり、それに伴って笑みが強張る。
興奮のあまり舌を噛んだか、あるいは口を動かしすぎて間抜けにも呂律が回らなくなってきたのか。かつてない興奮を収めようと息を吐く。
息を吐く。
息を。
息が、できない。
「、を……?」
胸の内側に冷たい物が流れてくる。
全身の血の一滴一滴が凍てつき冷え切り、震える。
急速に冷え切っていく体の変調に理解が及ばず、ただ目まぐるしく目を動かし、何かを口にしようとする舌もろくに動かず、そして鍔迫り合いを演じていた手の指先までもが凍り付く。
音がした。
崩壊を予兆させる、罅割れる音が。
足元から、握る剣から、自分の手首から、頭の中から。
次々と不吉な音の奔流が流れ込み、バシムという存在を凄まじい勢いで押し流していく。
その瞳が、現実を認識するために一度だけ瞬く時、何もかもが変貌していた。
「ぉ、を……ッ?」
顔を俯かせ表情を見せないまま、ハルが立ち上がる。
馬鹿げた話だ。
膝と掌を刺し貫いた少年に立つことを許した覚えはない。
腕に力を込め、また這いつくばれと念じる。
けれど動かない。びくともしない。
崩壊の音は加速していく。
バシムの足元の地面が砕け、握る剣がぐにゃりと折れ曲がり、手首がじんわりと熱を持っていき、本能が激しい警鐘を鳴らしている。
どの音もバシムにとっては不吉なものばかりで。
「はッ、ァ、ぁぁ?」
バシムが今日まで、その感情を抱くことはなかった。
あらゆる障害も難関も、有り余る才能と知恵と行動力で踏み潰してきた。そこに一切の不安を持ち込まず、ただ『できる』という強固な自信と自負を引っ提げ、当然のように成功してきた。
全てには理屈があり、理由があり、理論がある。
理解し想像し想定さえ行えば、恐れる物はないのだと。
だから気付けない。
理外の果てにこそ、根源に至る恐怖があることを。
「――お前、ほんとにぶっ殺してやろうか」
低い声が、脳に染み込んでいく。
誰の声だったか、理解が遠い。
眼前に居たはずの少年がいつの間にかどこかに消え、代わりに別の生き物が立っていた。
衣服は無残なほど破けて原型を失くし、乾いた血液の上に真新しい血液をまぶしたような肌が見える。
まるで血をたっぷり注いだバケツを頭から被ったような、どす黒い赤だ。
その所々がまるで熱した刀剣のように赤く発光したそれが、皮膚の色であるとようやく気付く。
獣化、あるいは龍還り。そんな単語がよぎる。
でも目の前で行われる変貌は、バシムの記憶にあるどれとも違う。
何よりもバシムの目を奪ったのは少年の額に浮かび上がった瘤だった。
隆起し、鮮烈な赫い光を放つ突起物の存在に気付き、麻痺していた舌が無意識にある単語を形作る。
「赫角……?」
「――俺の親がなんだってんだよ。もう一度言ってみろ」
右膝から血を噴き出すのも意に介さず、ハルは踏み込む足に全霊を込めた。
激痛を憤怒が上回った結果か、あるいは今度こそ痛覚さえ超越したのか。ただ事実として赫角を生やした少年の膝は、痛々しい様相を呈しながらも機能していた。
「えっ……え、……ちょ、と……待て、よ……ッ」
形勢が逆転していく。
膂力の競い合いに持ち込んだお前の失策だ、と突き付けられるようにバシムの剣が持ち上げられ、そして今度は逆に押し込んでいく。
「小汚いだの卑しいだのは良いよ。でもお前、それ以上のこと言ったよな? 親を、馬鹿にしやがったな。ふざけんじゃねえぞ、クソ野郎」
今までバシムはこの少年を恐ろしいとは思わなかった。
強がりでも鈍感でもなく本当に、その能力をある程度正確に把握しようとも脅威とは思わなかった。
だって少年には人を殺す気概がなかった。
殺意を持たず、敵にすら情けをかけるほどの御人よし、だったはずなのに。
これは違う。
死の雰囲気と血の匂いを漂わせる『それ』から発される怒気に、殺意以外の何も感じ取れなかった。これから命を奪われるという恐怖がバシムを囚えて離さない。
そして。
「角……赫角……」
脳裏に過ぎったある存在が、バシムの思考を凍らせる。
「赫角の、化け物……お前ッ……!?」
其は赤黒い肌の、角持つ民。
獣人でもなく龍でもなく、魔獣でもなく。
そして魔獣以上の畏怖と嫌悪を以て語られる、神話時代の咎人ども。
尊き龍すらも喰らった、おぞましき怪物。
背筋を湧き上がってくる嫌悪感がバシムを突き動かした。
直後に上がる咆哮は、まるで世界に代わって放たれた弾劾のようであった。
「く、たばれ!! この怪物がぁぁぁ!!」
長く続いた鍔迫り合いが、唐突に終わる。
バシムは左の長剣を器用に大剣に絡ませ、そのまま地面へと激突させる。破砕音と共に剣が粉々に砕かれ、岩でできた地面も衝撃で陥没した。
バシムは身を捩って暴虐のような一撃を免れると、ハルの左手を封じていた右の長剣を勢いよく引き抜いた。
間髪入れずにハルの顔面目掛け、飛び掛かるような速度での刺突を試みる。
体勢を崩させ、左手は潰し、右の大剣も間に合わせない。
それは反撃も迎撃も、回避さえも封じた一突き。
バシムの持つ天性の才能を掛け合わせた、文句のつけようもない一撃であった。
「オーガァ――――!!!」
血飛沫が舞う。
紛うことなく赤黒い肌から、生暖かい血が噴き出る。
けれど。
「……違げえよ」
「ぐ、ぼっ……ッ!」
血液は、バシムの顔面に突き刺さったハルの左手から流れるものだ。
見るも無残に引き裂け色鮮やかな朱に染まった左手が、解放されたその瞬間に握り拳へと切り替わってバシムへと放たれた結果である。
バシムの刺突が放たれるよりも早く突き刺さり、それぞれの接触面にぐじゅりと血液と肉がこすれ合い潰されるような音がして。
「ごっ、ぼぇええぇぇぇぇッ!?」
丸眼鏡を粉々に砕かれ、バシムの体が吹き飛んだ。
捨て駒にした部下たちと同じように地面を何度も転がり、摩擦で摩り下ろされて更に打ち据えられ、なおも勢い止まらず暗がりの向こう側へと消えていく。
「俺は人間だ。こんな姿になっても、こんな角生やしても」
左の拳を右手で包み込んで顔を顰め、苦痛に耐えながらハルは顔をあげる。
赤黒い肌を持ち赫角を生やしながらも、いつもの声音でいつものように生真面目な顔を作り、暗がりの向こう側へと消えた敵へと、これだけは言い忘れまいと声を張る。
「親に産んでもらって、ちゃんと愛してもらえた人間だ。それだけは、誰にも否定させやしねえ」
返事は返ってこない。それでいい。
母を侮辱された怒りは、今の拳にきちんと込めた。
誰の理解を求めるつもりもない。
ハルはただ亡き母への穢れない尊敬の念を、改めて口にしただけでしかないのだから。
息を、整える。
肉体の痛みを堪えるためではない。
急激な過負荷がいまこの瞬間も心を蝕んでいる。
まるで鉛でも呑んだように胃の付近が重苦しい。そうした苦しみに耐えるための、深呼吸だった。それは変貌の代償というわけではないが、ある意味ではそれも正しい。
「……大丈夫、慣れてる」
小さくそう呟き、そして意を決して振り返る。
そこに愕然と立ち尽くすピーターの顔があった。
彼は顔を強張らせ、唇を引き結んでいた。
その瞳に見慣れた恐怖の色が宿っているのが嫌でも分かって。
大丈夫。
慣れて、いるんだ。
ハルはもう一度、心の中でそう言い聞かせた。




