21話 「化け物退治」
外道仕事の専門家という自負があった。
時には魔獣退治に従事し、時には人殺しの片棒を担ぐ。
金を積まれれはどんな仕事でも引き受ける類の、脛に傷持つ冒険家たち。
銀貨級の実力を有しながら、非合法な仕事に精を出す人でなしの集団。
それがバシムの冒険団だ。
いまこの場に揃った五人は上から順に選別された精鋭たちで、雇い主のバシムを除けば自分が一番腕が立つ、という自信を誰もが持つパーティである。
(それが、たったの一撃……?)
自分たちより小柄な少年の拳一つで沈められたという事実が、彼らの恐怖心を刺激した。
信じがたいという面持ちのまま、使い慣れた武具を握る手に汗を滴らせる。
呼吸が乱れる。動悸も激しい。
いま自分たちは『何』と対峙しているのだろう。
少年か。それとも見上げるほどの巨体を誇る魔獣だったのだろうか。
今まで討伐してきたどんな魔獣と向かい合うより息苦しい対峙が、男を後ずさりさせた。
「命令を変更した覚えはねえよ?」
背後で、雇い主がそう言った。
彼には自分たちが感じる威圧感が分からないのか。あるいは同じものを感じてなお、そうも悪党らしく笑みを作れるのか。
背中から怒気の強まった足踏みの音で我に返る。
眼前の怪物と背後の怪物。
何かおぞましい争いに巻き込まれたと知るが、もう遅い。
得体の知れない少年は恐ろしい。しかしそれ以上にどんな残酷なことも平気でこなす雇い主が恐ろしい。
金と力と才能に裏打ちされた冷酷非道な主人は、自分たちが使えないと分かれば何の躊躇いもなくこの背に刃を突き立てる。
だから、役割をこなさなければ。
言う通りにしなければ生きてはいられない。
(手足と、腹……ッ!)
男の担当は腹だった。
肉付きの少ないあの脇腹を、すれ違いざまに掻っ捌くだけの簡単な仕事。今までに何人もそうして手にかけてきたし、他の二人も手足を封じるだけの任務に支障はないだろう。
今度こそ油断はない。躊躇いも持たない。
そうであれば自分たちが圧倒されるはずがない、と言い聞かせて。
「……ォォオオッ!!!」
睨み合いが終わる。
自分も含め、三人同時に足を踏み出す。
魔獣相手に行うような連携を、抜群のタイミングと自賛できる手応えで踏み込んだ。数秒後には片腕片足を失くしバランスを崩す少年の腹を、この剣で切り裂く――そういう未来がありありと浮かんだ。
「ガッ」
未来は、幻想は呆気なく砕かれる。
少年が目にも止まらぬ速度で大上段から大剣を斬り下ろす。ただそれだけの行為で生じた突風に目が眩んだ。
刃先ではなく剣の腹で、まるで団扇を仰ぐような動作が連携を鈍らせる。
「だぁらぁッ!!」
壮烈な雄叫びと共に振り下ろされた大剣が翻り、剣圧で突風を生みながら横に滑る。
手足を狙って突き出された男たちの武具が火花を散らして弾かれ、鉄の砕ける音と共に大破した。手が痺れ、あるいは手首の骨が外れた男たちの悲鳴が上がる。
少年が振るう剛力に耐えられないのは大剣も同じだ。
鉄が削れ、破片が飛び散り草臥れた大剣が更に形を失っていく。自らの欠損を物ともせずに鉄の塊じみた大剣の腹が男たちの体へと直撃する。
「ぐべっ……!?」
潰された蛙の断末魔じみた嗚咽が耳朶を打つ。
ぐにゃり、と『く』の字に圧し折れた男二人の体が、まるで馬車に跳ね飛ばされたような勢いで地面を何度も跳ねながら暗がりの奥へと消える。
ややあって衝突音と、少女たちの怯える声。
再起する気配はない。
化け物、と誰かが唾を飛ばす。
それが自分の口から洩れたものだと気付かなかった。
唯一、暴風のような剣の軌道から逃れた男はがら空きになった少年の脇腹めがけ、剣を閃かせる。
少年の口から初めて苦痛が漏れた。
脇腹から血が噴き出し、ぐらりとその体が横に流れて。
「は、ぁ――?」
脇腹に一太刀を入れた男の顔色が変わる。
期待に程遠い手応えと、想像とはまるで違う結果があった。
横薙ぎに払った剣が少年の体に埋まっていかない。
浅い、などという話とは次元が違う。不十分な体勢だったとはいえ、胴体を二つに両断するぐらいの心持ちで打ち込んだはずなのに、この手応えはどうしたことか。
まるで、大木の幹を斬り付けたような、手の痺れ。
「ひ、」
――こいつは何だ。
子供の姿をした、別の生き物としか思えない。
だって斬った。
斬ってやった。
血と臓物を撒き散らしながら倒れてなきゃおかしい。
どうして手が痺れる。
ただ血が滲むだけ。
赤い血。
本当に赤い?
だって手に残っているのは人体を斬る感触じゃなくて。
もっと固くて。
硬くて。
堅くて。
固くて硬くて堅くてかたくてカタクテ――。
「痛てえ」
「ひぎ……!?」
男の脳を恐怖が縛る。
少年の形をした何かが低い唸り声に似た呟きを放つ。
眉間に皺の寄った顔が向き、男を真正面から睨み付ける。
斬っても死なない化け物の怒りに当てられる。
少年の些細な反応の全てが恐ろしい。
何か冒涜的な存在に触れてしまったのだ、と本能が激しく警鐘を鳴らし、千切れてしまいそうな理性に無遠慮に爪を立てていく。
「ぎゃっ!?」
立ち尽くし隙だらけ男の顎に少年の膝が炸裂し、受け身も取れずに地面に倒れ伏す。
脳がぐらぐら揺れて視界は暗転し、全身の力が抜けるまま大文字に転がり――けれど気絶できず、我に返る。否、我を失う。
「ひ、ぃ、ぃぃぃぃぎぁあああああ!?」
駄目だ。あれは駄目だ。
狂気に陥った思考がただ脇目もふらず逃げろと喚き散らす。
雇い主も仕事も仲間も知ったことか。
自尊心が砕け、自我すら歪む。
何度も足を取られながら、何度も壁に体をぶつけながら、目からは滂沱の如く涙を溢れさせて駆け出す。
ここはいやだ!
恐ろしいものだらけだ!
あれに手を出しちゃいけなかったんだ!
涎を垂らしてそう喚きながら、男は目を回して這うように逃げた。
許しを請いながら。
今までの悪行を悔い改めながら。
そして、二度と出遭わぬことを祈りながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あーあ。ありゃ二度と正気に戻らないかも」
剣先を揺ら揺らと遊ばせながら、バシムは部下の痴態をせせら笑った。
その顔色にたった一人だけが残されたという悲壮感は見えず、むしろ喜悦が浮かんでいる。
「ありゃもう使えねえな、後で始末しとかねえと。あ、でもほっといても死にますかね? あの様子なら広間の奈落に足を取られそうですし。どう思います?」
「……知らねえよ」
「そう言わず何か喋りましょうよ、英雄さま。思い返せばお前とはろくに言葉を交わしてないじゃないですか。こっちは散々そちらのお姫様の与太話に付き合ったんですから、少しぐらいいいでしょう?」
口端を歪めるバシムに対し、ハルが抱いたのは強い警戒心だ。不審、あるいは困惑と言ってもいい。
連れてきた配下を全て失っても、バシムは見世物小屋を楽しむような顔でそれを黙認した。
死んでも構わない、と言わんばかりに傍観したのだ。
きっとバシムにとって配下は駒でしかないのだろう。
ハルがどの程度の強さで、どんな特異性を持つ敵なのかをを見極めるための捨て駒。だから幾ら倒されたところで何の痛痒もなく笑っていられる。
このわざとらしい会話もその一環。付き合う必要はない。
「アンタと話すことなんかねえ。俺は口下手だし、そういうのはルシカの分野だからな」
付け込まれないよう素気無く言い捨てる。
が、模範解答は無視の一択だったとすぐにハルは後悔した。バシムは少年の反応に下卑た笑みを垂らし、甘く嘲るような声音でハルの神経を逆なでするように。
「ハハ。そうですねえあの女は良く喋る。なるほど、彼女が交渉担当の主人でお前が用心棒ってわけだ。どうやってあの女に手懐けられたのか興味深いですねえ。金を積まれて? それとも体で迫られました?」
「――」
「怒らないでくださいよぉ、ちょっとした冗談じゃないですか。あーどうです? 金なら弾むし、どれか気に入った娘がいるならあげますから寝返るってのは――」
火花が薄闇に弾け、鉄同士が身を削り合う。
それ以上聞いていられない、とばかりに中ほどから折れた大剣を叩き付けたハルと、それを適当に拾った二振りの長剣で受け流すバシムの激突だ。
今まで通り、剣を叩き折ろうと力を込めた斬撃をバシムは器用に二本の剣で衝撃を受け流し、そのほとんどを固い岩の地面へと誘導しきった。
その手応えにニタリと笑い、丸眼鏡の奥の青い瞳を光らせながらバシムは笑みを色濃くする。
「乱暴ですねえ、もう話は終わりなんです?」
「お前をぶちのめして、それで終わりだっ!!」
交渉の体も為してなかった会話が打ち切られ、代わりに剣を打ち合う音が洞窟内に反響した。
突風じみた剣圧を無作為に撒きながらハルが追い、それを汗一つかかずにバシムがいなしていく。
「ッ……!?」
「何です? 直接、剣でも交えれば敵じゃないとでも思いました?」
剣の交差さえ長くは続かない。
ハルが大振りに振るう剣は、バシムの体はおろか剣さえ捉えられなくなっていく。
「ぐっ……!?」
「はは、甘めえ甘めえ。前より人間離れしてるもんだからと様子を窺ってみりゃあ、結局、評価は変わらねえんですよ。最初の時となぁんにも変わっちゃいねぇ」
速度で劣る、とは違う。
バシムの動きは何処となくゆったりとした構えで、速度で翻弄しているわけではない。むしろ大剣や拳やらと息継ぐ間もなく振り回し続けるハルのほうが見ていて慌ただしい。
癇癪を起こした子供を見るような目付きでバシムが嗤う。
「『ぶちのめす』? せめて『ぶち殺す』って吼えてみろよ半端者。前の時も今も、テメェは人ひとり殺せねえ臆病者だ。せっかくの才能が泣くぜクソガキ」
ハルの頭部が横に弾かれ、頬がざっくりと裂ける。
それは大振りの隙を突いたバシムの剣によるものだ。ハルの頭半分を上下に切り分けるような軌道は、狙い過たず命中、しかし頑丈な体の作りが絶命を免れる。
「ガッ、ァ……!?」
「うわ、ほんとに硬い。気持ち悪りぃ」
嗜虐の中に嫌悪感と悪意をたっぷり込めて、バシムは息を吐きながら距離を取った。
ハルはその隙に頬から血が流れるのを一度拭うが、止めどなく噴き出るその量に止血を諦めて荒い息を整える。
両者がわずかな間、睨み合いながら次の一手を考え――しかし沈黙は数秒で破られる。
「お前が頼みにしてるのは体の強さでしょう? 何の血が混じってるか知りませんけど、よほど人間離れした方向に遺伝したんでしょうね。体は硬くて一撃は重い。厄介な体質ですよ」
だから、とバシムは片眉をあげて。
「殺し方にも一工夫が要る、魔獣の解体と同じだ」
「っ!」
ハルは瞠目した。
バシムが間合いを詰めてきたのだ。
咄嗟にその動きに合わせて大剣を両手で握り、袈裟懸けに斬り払った。
そんな迎撃を寸分まで予測していたように、バシムは体を捩じり双剣の片方で斬撃を受け流し、掻い潜る。
「このっ、やろ!」
右に流れたバシムの顔面めがけて裏拳を見舞う。
それは相手を目視せず反射的に放った迎撃であり、その稚拙さを嘲笑うようにバシムの頭が僅かに下がる。
頭部の皮をなぞるような軌道で躱され、がら空きになったハルを見やり、次の瞬間。
「硬いのは把握済み、面で斬り払うじゃ効果が薄い」
「ぎっ……!?」
「なのでこう、点で突き刺しましょう」
異物が、ハルの膝に埋め込まれた。
「――ぁ」
一瞬の停滞。理解が遅い脳が、水が染み渡るような激痛をゆっくりと理解する。
ハルの右足、その膝関節にバシムの長剣が突き刺さり――否、貫通しているのが目に留まった。筋肉と骨の間を器用に掘り進められ、そして朱い花が咲く。
「あ、ガッ、ァァァァ!!?」
「狙う箇所は足が望ましい。踏ん張りが利かないし、踏み込みも甘くなる。機動力と攻撃力を同時に潰せる一手です。最低限、部下にはこれをやってほしかったんですけどね」
出来の悪い生徒を採点するような声も遠い。
右足があっという間に真っ赤に色付いていくなか、ハルはたまらず距離を取った。
すぐに剣を引き抜き止血しなければ、膝から下の足を失いかねなかった。
「ああっ、はぁぁ……!!」
手が震える。脂汗が全身から噴き出してくる。
ひどい眩暈に耐えながら突き刺さった長剣の柄を握り、一息に引き抜こうとするが、そんな不作法を許すバシムではなかった。
鉄の鳴く音がした。
生えた長剣の柄をバシムの剣が打ち据えたのだ。
「ぎゃっ、ぁぁぁっ、うあああああっ!!」
「抜かせませんよぉ」
衝撃と共に刃がハルの肉を更に掘り進めて関節や骨をも削り、左右に揺れる動きが傷口を更に押し開いていく。
脳天まで凄まじい速度で突き抜ける激痛に叫ぶ姿に満足しながら、バシムは倒れた部下から剣を補充しつつ笑う。
「治癒能力も高くても痛覚は生きてるみたいですし。刺しっぱなしにしてぐりぐり、ぐりぐりと執拗に。痛いですか? 痛いでしょうねぇ。もう一回してあげますよ」
ゆっくりと弄ぶように膝から生えた剣を突きにかかる。
傲慢と油断が重なるような、いたぶるためだけの行為。
度し難い隙を見逃さず、ハルは両足に力を込めた。
「おっ――」
飛び掛かるような体当たりでバシムの腰へと組みつく。
単純に組み合いになれば腕力の差がモノを言う。不用意な接近を咎める動きを、しかしバシムは跳躍して躱した。
反射神経の問題というより、最初からそのつもりという予定調和のような動作だった。
「ハハ、釣られた! 素直すぎ! 敵の言葉ぜーんぶ信じるおめでたい頭ですかこの単細胞! べらべら無意味に狙ってる場所喋ってるわけないだろうがハイ左手ェ!」
決死の抵抗を呆気なく避けられ、崩した態勢をどうにか戻そうとするハルの左の掌に長剣が突き刺さり、そのまま岩壁に縫い付けられる。
再度の激痛。
視界が真っ白につぶれ、赤と白の光が交互に駆け抜けていく。噛み殺そうとした苦痛の声を耐えられず、吐き出す。
「痛っ、ぅぅぅぁあああッ……!!」
激痛は刺し傷だけに留まらない。
縫われた傷口を執拗に捩じられ、桃色の内側がめくれ、鮮烈な赤を何度も吹き零した。
許しを請うように無事なほうの膝を突き、身をよじって逃げようとするも動けない。
「はっ、はぁ、ぁ、ぁああ、あっ……!!」
唇を噛み締め、血を滴らせながら激痛に耐えて前を向く。
のたうち回るハルの反応を見物していたバシムが、もう片方の長剣を振り下ろすところだった。
大剣で斬撃を防ぐが踏ん張りが効かず態勢を崩すハルに、喜色をまぶしたバシムの笑みが降る。
「こいつで王手ですよ」
「っ……ぁ、ぐぅぅぅ、ぁぁぁ……!!」
鍔迫り合いになった。
互いに片腕一本で握った剣同士の競り合いはしかし、ハルの左手は串刺しのまま、踏ん張りに使うための右足も止めどなく血が流れていく。
鈍い頭痛が思考を奪い、どくどくと流れていく血液の量に比例して体が凍えていく。
「どんな怪力も、使えなくなりゃ宝の持ち腐れ」
バシムはそう勝ち誇ると、競り合う剣を少年の首筋付近まで一気に押し込んだ。
「このまま首を落として、化け物退治もおしまいだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
駄目だ。殺される。殺されてしまう。
一連の戦いを見つめていたピーターが、軋む体に鞭打って身を起こす。
ほんの僅かな休息はあった。しかし体は回復するどころか、沼に囚われたように重く、手足一つを動かすたびに水の中で藻掻くような気だるさに襲われる。
それでも、どうにか立つ。
立ったから、何だというのか。
武器ひとつ拾い上げる余力もない。扱うなんて以ての外。
全身全霊を込めてようやく身を起こすような体たらくで、何かができるわけもなく、それでも傍観を続けることができなかった。
助けなければ。何かしなければ。
今にも崩れそうなあの競り合いに変化をもたらすために。
「ハル、さん……っ」
一歩踏みしめるごとに、やめてくれと身体が啼く。
苦痛に満ちた少年の声が耳に届くたび、倒れて楽になりたいという願望を振り払って足を進める。
膝が笑う、喝を入れて前へ。
足が崩れる、喝を入れて前へ。
「座ってるんだ」
くい、と服の裾を引かれる。
焦燥に駆られたピーターの瞳が、座り込む黒尽くめの少女を映した。彼女はピーターを一瞥もせず、苦痛に満ちた競り合いを演じる二人を見つめて、もう一度。
「座ってるんだ、ピーター。行ってはいけない」
裾を握る指に強く力がこもる、が少女の腕力はたかが知れている。冒険家のピーターが引き剥がすことは容易い。――が、その労力さえ絞り出す余裕がない。
「加勢、しないと、このままじゃ、嬲り殺し、に……」
「手慰み程度の手間で斬り殺されて、ハルに動揺を与えるだけだ。……ここで、待っているんだ」
「だけどッ……」
「分からないか。ああやって私たちも挑発しているんだ。迂闊な一手を私たちに打たせて、それで生じた隙でハルを殺す算段なんだよ」
有無を言わさせない、正論の刃だけがそこにある。
彼女の制止を振り払う理由が見つけられず唇を噛み、ただ見ている事しかできない自分の無力を悔やんだ。
今夜だけで何度、無力さに打ちひしがれただろうか。
そしてその気持ちは恐らく彼女も同じだ。
ルシカは一度として戦いから目を逸らさない。その顔色は感情の起伏すら感じさせない。
ただ信じて、ただ祈って。
その結果だけを受け止めようとしている。
縋るような、揺れ動く強い眼差しだけがある。
そして。
「ぁ……」
鍔迫り合いの決着が近付く。
ハルの体ががくりと崩れ、それを好機とバシムが長剣を押し込んでいく。
刃がハルの首筋の皮を裂き、バシムが聞くに堪えない罵声と共に勝ち誇る。
そんな時だった。
ルシカがぽつりと呟いた。
「ピーター。君がハルのことを心から案じてくれるのなら」
彼女の視線が、一度だけピーターへと向く。
黒曜石の瞳が薄っすらと憐憫の色を映し、囁くような声音が。
「どうか、ハルを見ないでやってくれないか」
その言葉の意味を、間もなくピーターは知ることになる。
決着は間近に迫っていた。




