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20話 「ただ一人だけの共犯者」







「私は、貴女の成功を疑わない」


 交渉に不釣り合いな断言からそれは始まった。

 バシムが提示したのは未来の話。

 仮にルシカがナイフを捨てて投降し、バシムによって奴隷に落とされた場合の話だ。

 何一つ希望を見出せない前提でありながら、まるで明るい未来の展望を話すかのように青年は続ける。


「絶世の美貌、魅力的な身体、男顔負けの知識に頭の回転の速さ、話術にも長け度胸もある。たとえ奴隷の身に堕ちようとその才覚が埋もれることは絶対にありえない」


 想像せよ、と青年は言う。

 奴隷の身に堕ちようと光り輝く未来の話を。

 あらゆる才能を秘め、天に二物以上を与えられた彼女は、どんな場所でも成功者たりえるだろうと。


「それは奴隷を競り落とすオークションとて同じこと。値の低い女なら客の関心を引くため、裸同然で衆目に晒す。しかし貴女にそんな小細工は必要ない」


 商品として着飾られた姿は、客として訪れた全ての者を魅了する。多くの者が見惚れ、溜息をつき、目を輝かせるに違いない。


「貴女には凄まじい高値が付く。となればそこらの小金持ちでは手が出ない。貴女を巡った競りに勝てるのは尊き血筋……王侯貴族になるでしょうね」


 奴隷を買う人種は多種多様で、王侯貴族はその最高位。

 彼らが奴隷市場に通う理由は大抵、めかけの選別だ。

 ある程度若く、見目麗しい者を遊び感覚で競り落とす。

 気にいらなければ配下や親族に払い下げるし、気に入れば寵姫として手元に置く。


「貴女ほど美しい女性なら、まず間違いなく寵姫の地位を手中に収める。そうなれば多少の不自由と引き換えに、贅沢な暮らしが手に入る」


「そう上手くいくかな?」


「顔に傷を入れるなんて愚かなことをしなければ」


 牽制を入れて一息。

 期待ほど劇的な反応はないものの、関心は得られているという手応えがあった。

 褒めちぎる部分が多い相手への交渉は気楽だ。言葉を捻りだす必要もない。


「貴女は政治力にも理解がありそうだ。手段を択ばない気質も胆力も。ならば寵愛を後ろ盾に、正室や他の妾を排除することだってお手の物でしょう?」


 バシムが示す可能性は、寵姫のその先。

 得意の話術や度胸は主人の関心を惹き続け、その一方で邪魔者の始末する。正室を廃させ、新たな妾に目を向けさせず、奴隷あがりだと吹聴する声も一掃する。


「主人が老いる頃には貴女はその一族の支配者だ。自由を勝ち取った貴女を止められる者はない。全ての財産を手中に収めた後、好きに振る舞えばいい」


「――」


「美貌と才気、二つを兼ね揃えれば奴隷でも姫に成れる」


 この未来をバシムは疑わない。

 詭弁を用いないと龍と精霊に誓約し、改めて復唱してもいい。

 長く奴隷を扱ってきたバシムの目から見ても、彼女は別格の宝石なのだから。


「『黒真珠の君』。この呼び名に相応しい舞台を、私が整えて差し上げる。磨き上げ、飾り立て、一国の姫のように扱います。最も格式高いオークションの、特上の姫君として」


 果たして人はそれを奴隷と呼ぶだろうか。

 多くの男が彼女に求婚し、その中で最も彼女を評価した高貴な誰かが高嶺の花を射止める。

 これはただ、それだけのことなのだと訴える。


「その美貌がある限り、私もまた貴女の虜なのです」


 そっとバシムが手を差し出す。

 この手を取るのは敗北したからではない。

 ただ栄光を掴むための足がかりなのだと力強く請け負うような、悪魔の誘いだった。

 端で聞いていたピーターでさえ、彼女がそう成功する未来を鮮明に思い描くことができた。


「命よりも大事な物はありません。誰かの者になるぐらいなら、と思いきってしまう女は意外に珍しくない。しかしそんは女に価値はない」


 同じ岐路に立った時、手を取ることを選べない愚かな女と貴女は違うのだと首を振る。


「それは人生を悲観したからこそ。奴隷生活の先に絶望しかないと信じた結果です。容姿に、能力に、己の価値に自信を持てなかったゆえの愚かな行為です。けれど貴女はそんなありきたりな悲劇のヒロイン気取りとは違う」


 彼女は感情よりも実利を取れる人間、一時の情より合理を選ぶ生き物だ。そういう相手に投げかける言葉は決まってる。


「そうだ。貴女に、絶望は似合わない」


 思考停止は悪であり、自暴自棄は諦めだ。

 この手を取らないという選択はただ合理を投げ捨て、自ら敗北を選ぶようなもの。賢明な彼女には選ぶべき道が見えるはず。


 欺瞞に満ちながらも確かな力を宿した、言葉の刃だった。


「……よくそこまで口が回るものだね。君の目には積み上げられた金貨しか映っていないだろうに」


 観念するような小さな溜息が少女の口から洩れる。

 ピーターは小さく身を固くした。

 少女が陥落すれば次は自分だ。彼らはピーターの命に一欠片の価値も見出さないだろう。ルシカがナイフを捨てる時、ピーターの運命も決まる、けれど。


 ――どうしようもない、あの甘言は抗いがたい。


 手を取ったとして、誰が彼女を責められるだろう。

 彼の言葉は希望的観測に満ちた虚言ではあるが、それでも不安を取り除くには十分な説得力があった。


 良い条件があれば一も二もなく乗るべきだ。

 ピーターだって生きて帰る手段があるなら、きっと無我夢中で飛びついていた。だから後は少女が、ナイフを降ろすだけ。


「一つだけ……」


「はい?」


「些細な要望がある……口にしても構わない?」


 ピーターの耳には実質的な降伏宣言に聞こえた。

 ルシカが小さく俯く様子を見て、バシムは勝利の余韻に浸りながらやや拍子抜けしたように肩をすくめる。


「もちろん。勉強させてもらいますとも」


 笑顔でそれを受け入れる。

 道理を弁えている彼女なら、通らない要求を口にはしない。後はその些細な要望を快諾し、それでこの交渉は呆気なく――



「では、ピーターの助命を。彼を殺さないことを龍と精霊に誓うのなら、すぐにでもナイフを放り出して投降しよう」



 直後、バシムの表情が凍り付いた。

 驚きに顔を上げたのはピーターも同じだ。彼女がこの土壇場で要求してきた内容は決して『些細』なものではない。


 ピーターは彼らが抱えている闇を知った人間だ。

 生かしておく価値も可能性もない。


「ルシカちゃん……?」


 彼女の心遣いはありがたい。

 だがこの要求が通るとは思えない。

 事実、バシムは瞠目した様子で目を瞬かせ、彼女の正気を疑うように眉を顰めている。


「危惧は理解するとも」


 バシムが否定を告げるより早くルシカが声を滑らせる。


「だが、命を奪わずともその口を封じる手段が私たちにはあるじゃないか」


 先ほどまでの態度を一変させてルシカが獰猛に笑う。

 主導権を握られた、とバシムが理解する頃には既に少女は舞台を整え、畳みかけるように言葉を撃つ。


「そう、誓約フィデスだ」


 それは龍と精霊に捧げる誓いの儀式。

 互いの意思を以って対等の関係で結ぶ『誓約フィデス』――止まり木の三箇条など、ありとあらゆる場面で行われてきたこの儀式に、書面は必要ない。

 契約書は世界に満ちたマナで織られ、姿なき超常の存在がその成就を支援する。


 ルシカを青白い光が包み込み、そして彼女がそっと差し出す左手の上には穏やかに浮遊する契約書が現れる。


誓約フィデスは便利な契約書だ。ここで誓った条項は命を賭けて守らなければならない。例え死と引き換えだろうと、龍はその裏切りを決して許さない」


 さあ、とルシカは左手を掲げ、バシムへと挑戦的な笑みを向ける。


「彼には『君たちに不利な情報を漏らさない』と誓わせる。後の保証はすべて龍が請け負う。君たちの情報は決して外に洩れない。破れば、怪物オーグルと同じ末路が待つ」


 呆然と聞いていたピーターは、ふと対峙したあの怪物の末路を思い出す。


 彼女が怪物に向かって訴えた言葉の端々は、今思えば誓約フィデスの枠組みと全く同じだ。

 あれは『ルシカに触れずにハルたちを殺せ』と『絶大な力を与える』が噛み合った結果――?


 否。誓約フィデスはそこまで万能じゃないと思いなおす。

 誓約フィデスは適当な誓いと引き換えにお手軽に強くなれるような仕組みではない。あの怪物の身に降りかかったのは、もっとおぞましい呪いのような何かで。


(いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない……)


 重要なのは、誰の目から見ても完璧に秘密を守る算段が付くと言うこと――そこまで考えてピーターは「あっ」と声をあげた。


 慌てて口を噤むが、バシムは口元を手で隠し、眼光鋭くルシカを見据えていてこちらには気付かない。安堵し、そして打ち震える。


(そうだ。この手は、とんでもなく、強い……)


 思えばこの交渉、どれほど時間が稼げるかが鍵だった。

 交渉がまとまるか打ち切られる前に騎士団が洞窟に踏み込めば勝利であり、間に合わなければ敗北となる。


 敗北と言ってもこの中で唯一命を奪われる可能性があるのは、ピーターただ一人。ルシカはもちろん、最奥にいるホウロン村の少女たちも命を奪われることはないだろう。


 だがこの条件が通ればどうなる?


 ピーターの命が保証される。

 交渉が終わった後も誰も死なない状況が約束されるのだ。


(要求が通れば、騎士団の介入を『交渉後』までしか待てなかった現状を、『この洞窟を出る』まで引き延ばせる……!)


 ここは洞窟の最奥で、バシムの手に『迷宮宝珠ダイダロス・オーブ』はない。水晶のある広間奥の出口は遠く、ルシカたちを連れて出るには何時間も費やすはずだ。


(助かる、かもしれない……)


 青年がピーターに何の価値も見出さない以上、この条件は十二分に通る見込みがある。ピーターは祈るような思いでバシムの決断を待った。


「………」


 バシムは長く沈黙した。

 不気味なほどの無表情のまま、じっとルシカを見据えていた。

 彼が何度も首を振り、唇を噛み、熟慮を重ねる仕草をするたびにピーターは眩暈がするほど緊張して吐く息が荒くなる。その沈黙が数分まで達し、焦れたピーターが緊張で吐き気を催しだした頃。


「……クッ」


 バシムの口から僅かに哄笑が漏れた。


「くふっ、ククク。ああ可笑しい。頑張って考えるじゃないですか、あの手この手と。いじらしくって、もう笑いを抑えきれません」


 肩を揺らし、口元に手を当てて嘲笑う。

 ピーターの背筋が凍った。冷や汗がどっと背中を湿らせ、噛み締めた唇が緊張で痙攣した。


「待ってるんでしょう、頼みの綱を。祈るような思いで」


 知ってしまった。

 気付いてしまったのだ。

 熟慮していたと思われたあの数分間、バシムはただ――



「ご立派な騎士様が、今に駆け付けて救いの手を差し伸べる。そんな御伽噺のような奇跡を待ってるんですよねえ?」



 ただ、笑いを堪えていただけだったことに。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 女は、騎士団を頼ったかもしれない。

 そう思い至ったのは数時間前の話だが、あの瞬間バシムの背筋を冷や汗が伝った。


 奴らは聖龍国ミトラの王族が団長を務める、一騎当千の魔剣使い。正真正銘の化け物揃いだ。

 聖龍国ミトラの総戦力、その八割を誇張なしに担うたった四つの騎士団。彼らと正面切って戦う用意などバシムにあるはずもない。


 飛躍した想像だ、と冷静な部分が首を振る。

 ただの女に騎士団を動かす力や縁故ツテがあるはずがない。馬鹿馬鹿しいほど荒唐無稽で、現実味がなく――しかし、一笑に付すにはあまりに恐ろしい。


 万が一。

 そう万が一がある。


 あれほどの美貌と度胸を持った女を、ただの平民と断じていいものだろうか。

 どこかの貴族の御令嬢か、そうでなければ婚約者という線もあり得る。ならば騎士団に口を利ける立ち位置の知り合いがいる可能性を、否定はできない。


 騎士団がただホウロンに訪れるなら何の問題もない。

 自分たちの立ち位置はあくまで村の協力者だ。

 そのままやり過ごすことも、適当なゴブリンを見繕って騎士団に倒させ成果を持ち帰らせることもできた。


 だが今の状況はどうだ。

 新参の冒険家が村を飛び出し、バシムらもまた姿を消した。村はいま大混乱に陥っていることだろう。


 そんな時に騎士団が現れればどうなるか。

 庇護を求めた村人たちにより組織的に動くゴブリンと、冒険団の不審な消失が語られてしまう。


 そうなれば後はもう芋づる式だ。

 ゴブリンを炙り出すため大規模な山狩りが行われ、ゴブリン工場が露見する。


 バシムたちが侵入者を捕らえることに苦労してる間に唯一の入り口を塞いでしまえば一網打尽だ。

 そのために、あの女は何よりも迷宮宝珠ダイダロス・オーブの破壊を優先させたのだ。


「村からの派手な脱出は我々の目を引き付けるため。

 迷宮宝珠ダイダロス・オーブの破壊を優先したのは新しい逃げ道を我々に作らせないため」


「……」


「たった三人で乗り込んでくる、ってのは本命が別にあることを示唆する余計な演出でしたがねぇ。しかし見抜けても取れる手は限られていました」


 村に引き返すのは悪手だ。

 今のホウロンは冒険家への不信感が強く植え付けられている。混乱を収めるのに手間取れば、騎士団と鉢合わせしてしまう。

 騎士団の派兵自体を妨害させる手も、時間や情報が足りず現実味がない。


「何かを諦める場面でした。損切りをしなければ」


 勇み足かもしれない。利益を自ら手放すのも勇気がいる。

 だが損切りができない者は無能だ。


「……」


「何をした、とは聞かないんですかぁ?」


 からかうバシムの声には隠し切れない愉悦が混じる。

 対して少女は小さく唇を噛み、不快そうに眉を顰めると重苦しく息を吐いた。

 疲労と落胆に彩られた溜息と共に、目を閉じる。


「……皆殺しにしたのだろうね。ホウロンの民を」


「くふっ」


 禍々しく、青年の顔が醜悪に歪んだ。


「クク、クククククカカカカッ!! 本当に頭が切れますねぇ貴女! ひょっとしてこうなることも予想できてましたぁ? だったら貴女、大した悪党だ!」


 膝を叩き、顔を喜悦に歪ませて青年は嗤う。

 哄笑が洞窟内を反響してどこまでも響き、それを聞いた多くの者に息を呑ませた。

 そこからは耳を塞ぎたくなるような会話が続いた。


「ええそうなんですよぉ! ここにいない連中にとびきり生きの良いゴブリンを十匹ほど村に放逐させに行かせました! ホウロンの連中、今頃はゴブリンどもに群がられて、阿鼻叫喚の地獄絵図さぁ!! 騎士団が着く頃にゃ、なーんにも残ってねえだろうよ!!」


 あの怪物を、十匹。

 想像したピーターの背筋が凍る。

 戦う術のない村一つには明らかな過剰戦力に思えるが、それゆえに皆殺しへの本気度が伝わってくる。

 騎士団が村に到着する頃には、目を覆うような惨状が広がっているはずだ。


「生存者ゼロ! 死体も喰い散らかされて何人死んだか分からない。ええ、ええ。いつもの手です! 他の三つの村もそんな具合で処理しときました!」


 ピーターの肩から、どっと力が抜けた。


「三百人は、いたんだぞ……」


 三百人もの命が、怪物によって無残に喰い尽くされた。

 それを主導し、手柄を自慢するように笑う目の前の青年をもう人間とは思えない。

 自慢げに語られる悪逆は捕えられたホウロン村の少女たちにも届き、そして。


 うそだ、とか細い悲鳴があった。

 それは奥で囚われたホウロン村の少女たちの嘆きだ。

 一つの呟きを皮切りに、幾つもの声にならない絶叫が木霊した。家族を理不尽に奪われた彼女たちの泣き声もまた、バシムの哄笑に花を添えた。


「あーあ可哀想に。みぃんな化け物の腹の中なんて」


「……」


「でも悪いのは貴女ですよねぇ?」


 大きく見開かれたバシムの目が、ぎょろりとルシカを射抜く。


「貴女、最初から分かってたんじゃないですか? もし見抜かれたら村人は皆殺しだって。なのに私たちを一網打尽にするために、敢えて実行したんですよねぇ?」


「……」


 少女からの反応はなかった。

 反論も反抗も反撃もない。あるいはその気力すらも。


『この村はもう詰んでいる。生きて朝日を拝む者はいない』


 村を出る直前、確かに彼女はそんなことを口にしていた。

 確かにそうなる可能性も頭に入れていたかもしれない。


 けれどそれが彼女の罪科であるものか。

 実際に手を下したのは目の前の男だ。

 悪辣で残酷な手を平然と実行してしまえる、この悪魔だ。


「騎士団を呼び寄せたりなんてするから……女、子供、赤ん坊、死ななくていい商品を百人ばかり廃棄する羽目に……ああもったいねえもったいねえ……! テメェが余計なことしたばかりに死人が増えたぞ! ざっまぁぁみろ!!」


「ッ……ッ!!」


 ピーターは叫ぼうとした。

 お前が殺したんじゃないか、と男を糾弾したかった。

 黙ってないで否定してくれ、と少女に呼びかけたかった。

 けれど喉が枯れ、呼吸すら満足に吐き出せない。


 彼女がどれ程最善手を模索し、時に体を張り、声を張り上げ被害を抑えようとしたかをピーターは知っている。

 ただ無残な結果だけを取り上げ、声高々に侮辱されていいはずがないのだと――


 ああ、なのにどうして声が出ない。


(誰か……ッ!)


 誰でもいい。

 あの耳障りな声を止めてくれ。

 棒切れ一つも持たず、言葉の刃のみを用いて勇敢に戦った少女のために声を張り上げてくれ。

 そんな願いも虚しく、バシムの身勝手な断罪がルシカに向かって振り下ろされる。


「そうだ、絶望しろ! どれだけ待っても助けは来ねぇんだよ! そのすまし顔を歪ませて、どんな変態に宛がわれるか想像してむせび泣きやがれ……ッ!!」


 からん、と奏でられた小さな音が交渉の打ち切りを宣告した。

 少女の足元に転がった刃物。

 交渉の要であり命綱だったそれを手放し、左手の契約書もまた空気に溶けて消えていく。

 嘆く様に顔を覆い、何かを堪えるように肩を震わせるルシカの反応は、バシムの征服欲と充足感を満たしていく。


「ははっ、ははははははは!! さあさあ参りましょうかお姫様! まだ当工場の見どころは終わっておりませんよぉ!」


 御馳走を前にした獣そっくりの顔がピーターに向く。


「次は貴女が守ろうとした中年男の処刑鑑賞! なぁに恨みがあるでもなし、首以外に用があるわけでもないので流れ作業で、」


 乱暴な足取りで距離を詰め、顔を覆う少女の細い腕を掴んで引っ張り上げる。露になった顔立ちはさぞ涙と辱めにまみれて美しかろうと覗き込み――





「間に合った。私たちの勝ちだ、何某・ファロウ」





 まるで鏡を見たような嘲笑に出くわした。


 背筋を凍てつかせるような黒曜の瞳が挑発的に細められ、至近距離のままバシムの青い目を覗き込む。瞳の揺れ方で底を測るような、検体を見るような空洞の瞳が。


「お前は、バシム・ファロウには成れない」


 バシムは、反射的にその頬を打とうと手を上げた。

 だが、バシムの足元を何かが派手に転がるのを見て少女を掴んだ手を咄嗟に離し、跳び上がるようにそれを避けて悪態をつく。


「糞がっ! 一体なにが……」


 よく目を凝らせば、転がってきたのは彼が背後に残した部下の一人だ。

 その顔面がひしゃげて前歯が砕かれ、白目を剥いたまま大の字で横たわっている。それが何を意味するか気付くよりも前に。



「――黙って聞いてりゃ、道理の通らねえことばかり」



 少年の、声がした。

 気だるそうで、けれど灼熱を予感させる声。

 肌寒い洞窟内の空気が熱を帯びてじっとりと背筋を炙るような存在感。すぐ背後まで炎が迫ってくるような違和感がバシムを振り返らせた。


 あの怪物と共に奈落へと落ちたはずの、ハルが立っていた。


「誘拐も狂言も……人殺しも全部! アンタが自分の意思でやったことだろうが! 他人のせいにして悦に浸るんじゃねえよ、小悪党!!」


「ハル、さん……」


 名を口にしたピーターの瞳が潤む。

 無事を祈ってはいたけれど、無事を信じるのは難しかった。

 適当に羽織っただけのハルの衣服はズタズタに引き裂けて、その到るところに固まって黒ずんだ血がにじむ。その姿は、ピーターらを逃がすためにハルが繰り広げた死闘の激しさを物語っていて。


 それでも生きて、少年は再び舞い戻ってきた。

 一度もそれを疑わなかった少女の言葉通りに。


「待っていたよ、ハル」


 そんな少年を出迎え、誰よりも少女は万感の思いで呟く。


「来るかどうかも分からない騎士団に、最初はなから期待なんかしない。私が命を預けるのはいつも、ただ一人だけの共犯者」


 それは、嗜虐に歪んでいたバシムの笑みが抜け落ちるほどの、目を奪われるような微笑み。

 狂笑でも自棄でもない、ただ幸いを目にした時のような眼差し。その瞳にはもはや、少年以外映ってもいない。


「待ち人はついに来た」


 長い、長い息を吐くとルシカは壁際へと歩き、そしてへたり込んだ。

 岩陰に身を隠すように身体を預けると、額の汗を拭って。


「ハル、私の役目はこれで終わりだ。もう限界だ、歩くどころか立つのも辛い。これ以上は一歩だって動いてやらないから」


「……おう」


 バシムとその部下を間に挟み、突然の闖入者に困惑する敵の存在などなかったかのように、比翼連理ふたりは捻くれた再会の喜びを伝え合う。


「お前にピーターを頼んでよかった」


「……来るのが遅すぎだ、ばか」


「一つ借りとく」


「忘れるなよ。今の言葉、高く付くからな」


 それで終わりだった。

 それ以上相手にかける言葉も、交換すべき感情もない。

 役目を終えた少女は全てを託しきって運命に身を任せ、役目を引き継いだ少年は刃こぼれした大剣を敵に向けて突き付ける。


 それが比翼連理ふたりの自然な形だと示すように。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





 少年の闖入を男たちは嘲笑する。


 せっかく生還したのにまた死にに来たのか。

 女の前で格好つけての英雄気取りか。

 この人数差で何ができるのか、と口々に嘲笑うなか、バシムだけが口を手で覆い、眼球を剥きだし食い入るようにハルを睨み付けた。


(傷がない)


 全身を射抜いたはずの矢傷も。

 石礫で負った頬の擦り傷さえも。

 ぼろきれ同然の衣服と派手に飛び散った血の跡に誤魔化されているが、見た目ほど少年は満身創痍ではない。それどころか気力に満ちている気配さえある。


 少年の傷は致命傷か、あるいはそこに近い重傷だった。

 それをこの短時間で傷一つない状態に戻すのは純正の獣人族ビーストでも難しい。人間族ヒューマンに他種族の血が混ざっただけでは説明が付かないことをバシムは気付いていた。


「なるほど? この小僧が心の拠り所というわけだ」


 バシムが苛立たしげに歯を剥き出し、岩肌を強く踏み鳴らす。

 その所作だけで油断しきっていた男たちが顔色を変えて各々武器を構えだす。


 それでいい、とバシムは思う。

 自分たちの邪魔ができるのは、もう目の前の少年だけ。

 その必殺に全力を尽くしさえすれば良い。


「十全に殺せ。矢でも墜落でも死なねぇ獣だろうが首を刎ねれば死ぬだろうよ」


 殺意交じりの声を上げ、配下の一人一人を指差して。


「お前は腕を斬り飛ばせ。お前が腹を掻っ捌く担当で、お前は足だ。達磨になったところで俺が喉を掻き切ってやる。……俺を失望させんなよ?」


 最後に語気を強めると、彼よりも大柄な男たちが皆唇を引き結びながら前に出た。

 広くない通路に展開しながら、じわじわと少年を囲んでいく。後ろに控えるバシムを睨み付け、ハルは大剣を突き付けて。


「アンタが真っ先に出てきてもいいんだぞ」


「誰がお前の土俵で戦ってやるかよ、バァカ」


  自らの首に手刀をとんとんと当て、取れるものなら取ってみろと嘲笑うバシムは既に倒された最初の一人から長剣を拾い上げ、手慣れた様子で遊ばせて。


「こいつはオーグル討伐用の布陣。反撃の機会も与えず嬲り殺しにしてやりますよ。あの魔獣と同じぐらい厄介な相手だと認めてやってるんです、嬉しいでしょう?」


「魔獣と同じか」


 ハルは俯いて、ぼそりと呟いた。

 だらりと自然体に両腕を降ろし、それに伴って大剣がコツンと岩肌を叩く。

 力感を感じさせない立ち姿は、この期に及んで手を緩めようとしないバシムたちへの諦観を思わせる。

 その仕草が、その空気が僅かに包囲する男たちの心に隙を与えた。


 一歩、ハルを囲む男達の一人が余計に距離を縮めた。

 たったの一歩、楽な仕事だと高をくくって乱雑に踏み出した一歩に、俯いていたハルの視線が絡んで。



「じゃあ、足りねえよ」



 次の瞬間、その男の鳩尾にハルの拳が叩き込まれた。

 骨が折れる音。十本以上の骨が纏めて瓦割りでもされたかのような鈍く生々しい絶叫があった。

 男は衝撃を殺しきれず宙を浮き、そのまま打ち出されて天井に一度激突、そして落下。

 上下に跳ねた体をぴくぴくと痙攣させ、起き上がる様子もない。


 その光景を当然のように受け止めて、ハルは片手に大剣を、片手は強く拳を握りしめて絶句する男たちに啖呵を切る。



「俺は魔獣あいつより、少し強いぞ」



 少年を嗤う者は居なくなった。





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― 新着の感想 ―
[一言] ごめん、勇み足。 爆薬は木の実じゃなくて〝マナ〟的な何かでしたね(^-^;
[良い点] 何だこれ? 前二話で「溜めてるな~」と思っていたけど、 今回、ちょーーーー面白え! ここまで読んだ20話の中で、ダントツです! いいぞいいいぞ! ハルはこれまでいろいろ伏線バラまいてたか…
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