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02話 「少年ハル」







 コンウォール。

 魔獣に襲撃された村名は国内外に広く知れ渡ることとなる。


 魔獣を全滅させた少女の伝説、その始まりの名として。


 多くの吟遊詩人が語ることになる悲劇の村。

 そこから始まる輝かしき英雄の誕生を言祝ことほぐ象徴として。


 少女は騎士団を率いるミトラ王国の姫。

 後に輝かしい戦果と共に英雄の名で民衆に畏怖と共に語り継がれることになる少女の、その初陣の舞台としてコンウォールの名は広まった。



 だが、初陣で彼女が救ったなかに『その少年』がいたことを知る者は少ない。



 その情景を、ハルはずっと忘れなかった。

 命を救ってくれた恩を憧憬と共に胸に刻み込んだハルは、ついに夢を得た。



 一生をかけるに値する、夢を得たのだ。





 数年が経過した。


 命こそ拾った少年だが、命以外の多くを失っていた。

 大好きな母も、友達も、何も手元には残らなかった。

 少年は胸に抱いた夢だけを頼りに、死に物狂いで日々を生き抜くことを強いられた。


 ――けど、おれには夢がある。……だから平気なんだ。


 目標ができたのだ。

 一心不乱に打ち込める夢を得たのだから、何も辛くなんてない。

 数多くの困難が幼い少年の夢を奪いにかかった。



 貧困に喘いだ。

 差別を受けた。

 偏見の目で見られた。

 侮蔑され侮辱され、在り方を笑われた。

 暴力を振るわれることなんて日常茶飯事だった。



 様々な色形をした現実が容赦なくハルに降り注ぎ、少年に『大人になる』ことを突き付けた。


 現実を見ろと。

 何を夢みたいな話をしているんだと。

 恥ずかしくないのかとなじられた。


 ――おれには、これ以外何も残らなかったんだ。


 苦痛に耐えるためには強くなるしかなかった。

 夢を綺麗なまま見続けるためには強く在り続けるしか手段を思い付けなかった。


 学もなく体も小さい時から、ならず者の巣窟に飛び込んで、小間使いのような生活を送りながら日々を食い繋ぎ、ある日、憧れの少女の噂を耳にした。


 ――あの子は、本当にすごい……


 彼女は、ハルとはまるで違う存在だった。

 ハルがただ生きることに必死でいる間に、命の恩人は世界に雷名を轟かせ続けていた。


 難所に巣食う魔獣の巣を、ただ一人の身で排除した。

 国家転覆を狙う国逆の輩を、その手勢諸共に斬り捨てた。

 討伐隊を返り討ちにしてきた天災級の巨大な魔獣を、剣の一太刀で葬り去った。


 伝説の一幕のような少女の活躍を聞きながら、暇があれば木刀を振った。

 一歩でも前へ。少女の背中を追いかけるために。

 けれどどんなに修行や訓練を重ねても、目標とする少女には決して届かないと気付かされた。


 自分の心が当たり前のことを囁いてくる。

 少年おまえは、英雄ではない。

 あの少女とは比べるべくもない凡愚。それが現実の自分だった。


 ――おれには、才能がない……


 悔しくて仕方がなかった。

 諦めがいつも脳裏によぎる。その時はいつも木刀を手にした。

 愚直に、武骨に、無心に振り続けた。

 振れば振るほど、自分を救った一振りの輝きが遥か遠くにあることを思い知った。

 けれど、少年は剣を振ることを止められなかった。


 無理だ。

 無駄だ。

 無謀だ。

 悲鳴を上げる自分の心に蓋をして、毎日毎日振り続けた。


 夢を諦めてしまったら。

 あの炎の中で得た苦しみを何もかも無意味にされてしまう。

 そう思うことが恐ろしくて、地獄の中でようやく見出した夢だけは決して手放すことができなかった。


 ――足りない。


 現実は無情で。

 あの日の少女に追いつく足がかりも掴めず、無為に日々を過ごすばかり。

 けれど鍛錬が無駄になるとは思わなかった。

 筋肉も満足につかない子供でも、鍛えられる部分があることに気付いたのだ。


 心だ。克己心と言い換えていい。


 ――諦めるな!


 彼女との実力差に気が付いたとき、剣を振りながら叫んだ。


 ――負けるものか!


 空腹と寒さに身を震わせ、母や故郷のことを思い出したとき、歯を食い縛って耐え続けた。


 ――次こそは!


 長年培った特訓も通じず、暴力を振るわれ努力を嗤われたとき、傷だらけの身体を引きずりながら涙を堪えて唇を嚙んだ。 



 満足に剣を振れるようになるまで、更に数年。

 少年の青春はただ、憧れた英雄の隣に立つために捧げられた。

 夢を叶えることができれば、多くの人々に報いることができるとかたくなに信じていたのだ。


 ――母が誇ってくれる自分になりたい。


 夢を叶えて、無駄なものなどなかったと言いたかった。


 ――友達ができなかったことをやり遂げたい。


 あの日、炎はハルから多くを奪った。

 そんな地獄の中で生じた夢だからこそ、大切に大切に胸にしまい込んだ。


 あの悲劇を意味のある出来事にしなければならなかった。

 それがハルの人生の命題であった。


 そうして走り続けて。

 そうして耐え続けて。

 そうして踏ん張り続けて。


 それでもまだ、足りないのだと藻掻き続けて――けれど。





 やっぱり想いだけで夢に手が届くなんて、そんな御伽噺はどこにもなかった。




 思い付く限りの全てを試しても。

 どんなに藻掻いて、血を吐く思いで足掻いても。


 足りなくて。

 足りなくて足りなくて足りなくて。

 何のために努力しているかも分からなくなって。




『なら、君の道は私が作るよ』




 ある日。

 夢を口にする勇気さえ砕けた頃。

 黒目黒髪黒服に身を包んだ悪党が、ハルの手を取ってそう言った。



『だから私にも、君の力を貸してほしい――私には、君が必要なんだ』






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「――――ぁ」


 瞼を開けて最初に飛び込んだ景色は、蜘蛛の巣が張られた天井だった。

 頭を振って身を起こし、隙間風が吹くボロ窓から太陽の光が差し込むのを見て朝だと気付く。


「いかん……今日は止まり木に行く日なのに……」


 声に出して体に奮起を促してみるものの、反応は鈍い。

 炎に焼かれた故郷の景色がいまなお頭の中にちらつき、寝汗で肌着が張り付いてしまっている。


 ハルにとって悪夢は珍しくもない事柄なのだが、昨夜のはやけに生々しくて気持ちがどこか虚ろだった。


 物置じみた小部屋に備え付けられた安物のベッドに腰かけたまま、亀裂の入った鏡を見やる。

 鏡が映し出すのは、あの頃より少しだけ成長した自分の姿だ。


(あれから――六年)


 未だハルは、夢の足掛かりすら掴めずにいた。

 湧き上がる強い焦燥感と無力感を深呼吸ひとつで押し留め、感傷に浸りそうになる自分を叱咤する。



 何年経とうが。差が広がるばかりだろうが、諦めない。

 龍や精霊に捧げた誓いではなく、ハルが己の人生に誓った約束だった。



 誰かが古びた木扉を叩いているのに気が付いた。



「ハル? そろそろ目は覚めたかい?」



 女性にしては低めの、けれど鈴が鳴るような声。

 夢の中でも手を差し伸べてきたその人物は、ハルの返事を聞くより早く扉を開けて未だ寝ぼけ眼の彼を視界に収めるとニヤリと意地の悪そうな笑みを作った。


「おや。随分なお寝坊さんだ。そんなに居心地の良い廃墟だとは思わないんだけどね、私たちの仮住まいは」


「――――ぁ」


「ハル? どうしたの? そんな『亡霊』でも見たような顔して?」


 見惚れていた、なんて口が裂けても言えなかった。

 目が覚めるような美人。

 彼女を形容する言葉としては陳腐で、自分の語彙力の無さに呆れてしまう。


 腰まで伸びた長い黒髪。

 吸い込まれそうな切れ長の黒い瞳。

 カラスもかくや、という漆黒のワンピースの端をひらり、と回して少女は微笑んでいる。


 絶世の、と注釈をつけても過言のない美しさと、洗練された役者じみた格好良さが同居している。

 抜群のプロポーションを無粋な黒尽くめに覆い付くさなければ、誰もが振り返りざるを得ない強烈な存在感を放っていただろう。


 彼女とは同年代ではあるはずだが、彼女の方が年上に見えてしまう。

 並んで立っても恋人同士とは思われないに違いない。

 せいぜいが姉弟、いや主従か。

 少女と評するべき年頃なのにとても大人びた顔立ちを無遠慮に近付けられ、ハルは恥じ入るように目を伏せる。


「……悪い。夢見が悪くてさ」


「君と暮らして一週間……良い夢を見たと聞いたことがないな。今度からは寝物語でも聞かせてあげようか? それとも膝か胸を貸されるほうが好み?」


 ふふふ、と笑みを作るものだから敵わない。

 頬を赤らめ両手を上げて降参の意を示し、呻くように彼女の名を口にした。


「勘弁してくれよ、ルシカ……」


初心うぶだなぁ。じゃあアプローチを変えようか」


 くす、と見る者を魅了するような微笑みを浮かべた少女――ルシカが、ピッ、と細く白い指先をハルの鼻先に突きつけた。


「ハル。午前中の予定は全てキャンセル、君はただちに支度を整え、リグラン大通りの角にある牛角のレリーフが飾られた建物を訪ねなさい」


「へ? は?」


「私も幾つか準備したらそちらに向かうから。……ああこれは建物に入るための代金ね。半分」


 あれよあれよ、と割と重みのある巾着袋を受け取らされ、背中を押されて草臥れた寝室を後にする。


 ハルたちの仮住まいは、廃墟となった教会の地下室だ。

 太陽の光が割れたステンドグラスの間から差し込んでハルの瞼を一瞬白く染め上げるなか、決して強くはない誘導に為すがままになりながら、小さな抵抗を試みる。


「いや、ルシカ、今日は止まり木で仕事探しをだな」


「おいおい、まだ寝惚けてるみたいだな。そろそろ外の喧騒に気付いて、眠気を覚ましてほしいものだね。ほらハル、まずは一つ、私が君の夢を叶えてあげよう」


 ルシカはご機嫌そうな笑みのまま切れ長の瞳を爛々と輝かせて。



「騎士団の帰還だ。凱旋パレードが始まるぞ」


 そう口にした。

 その一言で、本当に眠気が吹っ飛んだ。



 真ん丸に見開いた目がルシカと、外の風景と、そして両手にぽんと乗せられた銀貨袋を順番に行き来して口端を引き攣らせる。

 満足げに狼狽を見つめるルシカが、その耳元にそっと囁いた。


「特等席で見ようじゃないか、君の夢を」


「――」


「その先には私の野望ゆめもある。さあ、支度をしなさい」


 幼子じみた夢を指摘され、乾いた唇を無意識に舌で濡らすハルの背を白い指先でなぞりながら、挑むように、そして愉しげに黒尽くめの少女は微笑んだ。



 それは少女の微笑みというには陰のある、ギラついた欲望混じりの邪悪な笑みで。



「楽しい楽しい、成り上がりの第一歩だ」



 これは何も持たない少年と少女が、夢を叶える物語。

 その記念すべき初日を告げる微笑みだった。





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