19話 「悪あがき」
「驚きましたよ銅貨級さん。貴方みたいな冴えない中年がまーだ生きてるなんて」
バシムが手を叩いて渇いた賞賛を贈ってくる。
死力を使い果たし転がるピーターが唇を噛み締める様を見下ろし、背後の配下たちがどっ、と笑い声をあげた。
「いえね? 今頃は食い殺された銅貨級と、それを目撃したショックで錯乱する黒真珠の君がいるだろうと期待していたのですが――」
「暴走させておいてよくも大物ぶれるものだ」
嘲笑の的になるピーターを庇う立ち位置で、ルシカもまたバシムらの不手際を挙げ連ねる。
「そちらの放った怪物は見境を失くしていたじゃないか。何が次代の労働力、商会が誇る新商品だか。あれでは実用化には程遠い」
「……」
「そちらは君含めて六人。実力順に選別した精鋭部隊で、怪物の始末を想定していたはずだ」
見ればルシカの指摘通り、当初二十人を数えた配下たちは五人にまで数を減らしていた。
だが残る面々はいずれも猛禽類のように鋭い目付きで、只者ではない雰囲気を醸し出している。下卑た顔付きはそのままに、いずれもピーターでは及びもつかない腕前を自負しているのが分かる。
「戦わずに済んで胸を撫で下ろしている、と訂正してくれていいんだよ?」
「……いいえ。訂正することは何も。駆け付けてみれば銅貨級は虫の息で、貴女は傷一つない。完璧な状態だ。僥倖、僥倖」
これも日頃の行いの賜物、などとバシムは嘯きながら無遠慮な足取りでルシカの元へと歩き始めた。それに合わせて後ずさり距離を取りながらルシカは虚勢交じりの笑みを浮かべた。
「……勝ち誇るのは、まだ早いかもしれないよ」
「負け惜しみですかぁ? それとも気付いてない? もう盤面詰んだんですよ?」
「確かに……袋小路に追い詰められて満身創痍、どう抵抗しても敗北は免れない。……けれど、私たちの負けと君の勝ちは、決して同一ではない」
ルシカは大きく吐息すると、ピーターから拝借したナイフを握る。
そんな細腕で何ができるのか、と男たちが失笑する。
捻り上げてその美貌を苦痛に歪ませようとニヤつく男たちが次の瞬間には顔色を失い立ち止まった。
「それ以上は近付かない方がいい。大事な商品に傷を付けたくなければね」
ルシカは刃先を自分の顔に向けて、そう言いのけた。
「……それは何のつもりです?」
「悪あがきさ。ナイフ一つで死ぬには相当の思い切りがいるが、顔に瑕を付けるぞ、なら精神的なハードルも低い」
刃を自らの美しい顔に突きつけて笑みを作るルシカに、バシム・ファロウはズレた丸眼鏡を直しながら小さく舌打ち。
(面倒な真似を)
聖龍国の民は潔癖で、命よりも名誉や外聞に重きを置く傾向にあるため、時に自ら命を絶つ。扱いづらい反面、そこがまた奴隷としての価値を高めるのが皮肉的だ。
(見え透いたハッタリだ)
もちろん、いざ刃物を前にすると死ねない者は多い。
死や痛みへの恐怖、家族や恋人に残した未練がそうさせる。
自死を敢行する女がわずかでも迷うなら、その瞬きの隙を突き、刃物を取り上げ組み敷くことは造作もない。
その基準で言えば、黒真珠と名付けたこの少女の脅し方は奇妙だった。
普通は自分の喉に刃を宛がうものだが、彼女はその美しい顔そのものに刃物を押し当て、こちらへの牽制を試みているのだ。
(首じゃなく顔に刃先を向けてんのが面倒くせえ)
おかげで、力ずくで組み敷く選択を取りづらい。
揉み合った末に顔や頬を傷付けてしまってはバシムにとって目も当てられない損失だ。
口の堅い治癒師の当てが付けばいいが、その場合も治癒師に払う報酬分が目減りするので美味しくない。
相手はブラフとはいえ一度は奈落の底に身を投げた女。
何をしでかすか分かったものではない。強硬策に打って出る選択肢を一旦、思い留まる。
「……自分の顔にナイフを入れようだなんて常軌を逸した行動ですよ。魅力的な女性なら、潔さとか愛嬌も持ち合わせていただかないと」
「生憎と私には身に付かなかったかな。ただ自暴自棄ではないよ。こんな手で逃げられると考えるほど夢見がちでもない。文字通りの悪あがきだとも」
「……それで? 次は? 何するんです?」
彼女の背後は袋小路、頼る仲間はもはや死に体。
万全すぎる人数と装備で追い詰められた彼女に活路はない。
何を言い繕おうと見逃せ、という道理は通らない。
だからこそ。
「交渉事をしようか、ファロウの縁者」
だからこそ。
通ってしまう暴論が存在する。
「はあ?」
「この状態の女から、どうやってナイフを奪う? 何時間も見計らって私の疲弊を待つか? 一斉に飛び掛かってナイフを取り上げるか? いやいや、今こそ君の交渉術の見せ所だろう?」
それは挑戦であり、挑発だ。
「その舌先三寸で、私にナイフを捨てさせてみろ」
「……馬鹿げた申し出だ」
あらゆる有利不利を投げ捨てた口先三寸での舌戦勝負。とでも言うつもりか。
そんなものに受ける価値などない。
あくまで居丈高に話を進めようとする女をただ嘲笑うだけで済む話だ。
けれど。
「自信がない? 能力の誇示は好きだろう?」
「……」
「受けないとなれば交渉は決裂、勝者なし。この顔に刃を入れて、減った金貨の数に憤慨する君を僅かな心の慰めとするしかないけれど……」
手負いの獣に似た凶相でバシムを流し見、嘲るように笑みを深めた。
「まさか紅翼商会の跡取りを目論む君が、商談一つまとめられない……なんて、それこそ馬鹿げた話だと思わない?」
「……っ」
あの目は、気に入らない。
何もかもを見通すような、あの目が。
よほど育ちがいいのか怖いもの知らずなのか、あるいはその両方なのかは知らないが、少女の言い分も不敵な笑みも実に腹立たしい。
この期に及んでも余裕ぶった態度を崩さない所も。
切れ長の目でこちらの器を測るような表情も。
売り買いされる商品の立場で交渉などを持ち出してくるのも気に入らない。
「さあ、返答は?」
「――」
盤面は既に決した。
慎重に慎重を期し、損切りしてまでこの状況を作った。
感情面で回収できる利益を減らすなど愚の骨頂。
何度思考を巡らせようと、備えは万全。彼女の口車に乗るリスクは限りなく低い。
何より――
「……いいでしょう。申し出に応じてやりますよ」
こちらには、あの端麗な顔を歪ませるアテがある。
その自信を砕いてやろうという意気込みでバシムは笑顔を作った。
「貴女と私の一対一、対等の交渉だ。部下たちも下がらせてやりましょう」
対等の交渉などこの世には存在しない。
テーブルに着く段階である程度の上下関係は成立し、大抵はその時に優位に立っている側が多くの利益を得るものだ。
バシムは数え上げるのも面倒なほどの優位性を持ち、一方のルシカは哀れになるほど何もない。
「これで貴女も少しは安心して交渉に臨めるでしょう? 大丈夫、私は貴女の味方でいたいと思っているのですよ、黒真珠の君」
懐柔のための猫なで声ではなかった。
自らの優位性を誇示し、この交渉が慈悲で成り立っていると明言するためのものだ。
あくまでこの交渉の主導権はこちらが握るという示威行為であり、たった一本のナイフにしがみ付く少女を寛容さを以て嘲笑う行為である。
(それに、背後を警戒させるのも悪くはねえ)
バシムは油断しない。
人数の有利はあらゆる不意打ちさえ事前に封じる。
遊びに興じるのは全ての反撃の芽を摘んだ上で、ときちんと理解しているのだから。
「対等の交渉なら、私も誠意を示さなければね」
懐から取り出されたのは得体の知れない容器だった。
ナイフ以外の要素にバシムが眉を顰めるなか、ルシカはあっさりと言い放った。
「私は『これ』を手放すことで誠意に答えよう」
それは冒険家が好む護身用の小道具だ。
詰め込む中身によって動きを封じる粘着弾や激しく音を鳴らす音響弾となる容器。
形状が破裂していない以上、まだ未使用であることは疑いようがなく、しかし中身については窺い知れない。
だが洞窟内を反響してバシムらが耳にした爆音が、どうしても一つの可能性へと思い至らせる。
「爆薬? それとも炸裂弾……」
「ただの音響弾かもしれないよ?」
ふふ、とルシカは微笑んでそっと足元にそれを転がした。
暗がりの中で力なく横たわるそれの正体は、外側からでは判断できない。
交渉を袖にされた場合、自分たちを巻き込んで自爆を目論んでいる、という思いがぬぐい切れない。
「誓うよ。今の私が持ってるのはこの一振りのナイフだけ。非殺傷の決着を目指し、我々は共に同等の努力を行えた。それを嬉しく思うよ」
「……ええ、私もです」
少女の言葉をバシムは一切信じない。
爆薬に類する装備をまだ所持してしようと、起爆する前に取り押さえてしまえばいいのだ。柔和な笑みの裏で少女の一挙手一投足に注意を払えば事足りる。
一方でごくりと喉を鳴らしたのはピーターだった。
(実際、本当に音響弾だぞあれ……)
あれは怪物との争いで唯一使い残した小道具で、ナイフと一緒にルシカが持って行ったもの。
ルシカの言葉が真実だと知るピーターはただ戦慄する。
(本当にあの子は今、ナイフしか持ってないんだ)
何か彼女の助けになれないかと鈍い頭を回しても、妙案は一つも浮かばない。
当然だ。バシムが宣言した通り状況は詰んでいる。引っ繰り返そうという前提が既に間違っている。
それでも敢えて可能性を追うとすれば、それは外的要因の介入だ。
(彼女の言う騎士団の話が本当なら……)
盤面をもう一度引っ繰り返せる。
即ち、これは時間を稼ぐための交渉だ。
もしも彼らがその狙いに勘付けば、交渉は強引に打ち切られ、彼女の悪あがきが水泡に帰す。
ならば交渉の主導権は常に彼女が握らなければならないが。
「では、黒真珠の君」
口火を切ったのはバシムだった。慇懃無礼な態度で頭を垂れる。
まるで貴族に接するような一礼を取りながら、その裏で不敵な表情を崩さずにこう始めた。
「僭越ながら私が、貴女の行く末について思うところを話して御覧に入れる。私の語る未来に納得いただけるなら、潔く投降していただきたい」
ルシカは笑みと共に鷹揚に頷いた。
お手並み拝見、そう唇が小さく動く中、バシムは顔を上げて両手を広げた。
「これは貴女が潔く投降した場合の、未来のお話でございます――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同時刻。
夜の街道を一人行く少女がいる。
少女を一言で表すならば『白尽くめ』という表現が相応しい。
髪や肌、衣服は工匠に整えられた人形のように繊細な白。
目元を含め頭半分を覆い隠す骨造りの仮面も武骨な白。
その腰にある金の装飾を施した長剣もまた壮麗な白。
暗がりに立つその姿は、まるで死神だ。
異彩を放つ領域外の美しさは目元が隠れていようと色褪せることなく、雨もその在り方を損なわせない様は人と隔絶した雰囲気を醸し出していた。
首筋をなぞる生温い突風に歩みを止めて、少女は呟く。
「嫌な風」
夜闇の帳に混ざった薄暗い雲がどんよりと広がり、時雨のように細い水滴を撒き散らす。
次第に強くなっていく雨足――だが、激しく降り注ぐ水滴は少女に触れる直前で蒸発。否、消失する。
その現象を少女は当然のように受け止め、また一言。
「こういう日は人が大勢、死ぬ」
少女が再び歩き出す。
一歩を踏み締めるたび、雨で黒ずんだ大地が嘘のように乾く。
少女の踏む地面だけが雨水を忘れたように残り、そして思い出したように濡れ崩れていく。
降り注ぐ雨も足元のぬかるみも少女に難儀させることはない。
ゆえに少女は雨に一切かかずらわず、ただ吹きすさぶ生暖かい風に対して小さく息を吐いた。
「急がないと」
起伏の薄い声音に小さな力強さが籠る。
白尽くめの少女は空をもう一度見上げ、薄暗く漂う雨雲の一つに向かって腰の長剣を鞘に入れたまま掲げた。
奇妙な行動の後、少女が意外そうに小首をかしげる。
「エル? どうした、の?」
囁くように手に持つ長剣に語り掛ける。
長剣はかたかたと自分の刀身を揺らし、そして重苦しく嘆息した。
『このおぞましい妖気、片時も忘れ得ぬ』
紛れもない剣の声だった。
柄と刀身の繋ぎ目に施された紫の宝玉が妖しく瞬き、その度に長い年月を戦い抜いた老将のような声を長剣は発する。
『鬼の気配――秩序を乱す魔の眷属が猛りよる』
怒気の混じった念を受け取った少女は、真横に並んだ山脈に視線を向けた。
木々が少なく土より岩肌のほうが多そうな山々を観察し、そしてこくりと一つ頷いた。
「……そう。鬼は珍しい、ね」
そう言うと再び雨雲を見つけ、改めて長剣を掲げる作業に戻る。
しかし剣は気のない少女の反応が不満なのか、更に宝玉を煌めかせて抗議した。
『なにゆえ斬りに行かぬ』
「理由がないし。今は急ぐ、から」
少女の興味は既に山の方角にはない。
雨雲の中でもひと際ちょうど良さそうな形のものに注視し、仕事をこなせ、と長剣を小さく上下に振る。
白い仮面の向こう側で、じれったく半目を作る少女に剣はなおも言い募った。
『災いの前兆ぞ。生かせば後の禍根と――』
「仕事が先、だよ」
ぴしゃりと、抑揚のない否定に剣が今度こそ押し黙る。
少女の声に苛立ちや不快感はない。例えるなら聞き分けのない老人を辛抱強く諭す孫のような構図だが、その割にお互いが口にする言葉には温かみはなかった。
「他の剣に頼んだほうが、いい?」
『……否よ』
不機嫌の混ざった返事を寄越すと、輝剣はきらりと閃いた。
途端に剣を持つ少女の華奢な体が紫電に包まれて人の形を無くし、強くなる雨を片っ端から蒸発させた。
そして少女は雷光と化し、射ち抜いた飛矢の如く天へと昇る。
少女の形をした雷は事前に注視していた雨雲へと潜り、そして周囲一帯の雲が全て紫電色に染め上げられた。
紫の雲は低く唸るような雷鳴を一度鳴らすと、力尽きたかのように霧散していく。
街道に静寂が訪れた。
死神を連想させた少女の姿は掻き消えた。
雨を横殴りに降らせていた雨雲も残らず蒸発し、浮かぶ月が街道を静かに照らす。
全て幻に魅せられたかのような静けさは、不意に終わる。
遠方で激しく雷が鳴る。
それは天を駆ける巨獣の唸り声に似ていた。




