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グランニュートという都市が壁の中だけだと仮定するなら、佐郷たちは荒れ気味な郊外を抜けてようやく入ることができた。日が傾きかけているせいか、こちらと同じように外から都市に入っていく者が多い。
入り口に見張りが立っているような事もなく、入場の許可も要らなかった。大きな都市なのにと不自然さを感じたが、それは壁内に踏み入ってすぐに理解できた。
「まだ一枚目の壁を抜けただけだからね」
「マトリョーシカのようだ」
最初の壁を抜けた大きな通路の先には、また壁があった。今度はがっしりとした門があり、見張りが居る。その門をくぐらずに脇道に逸れると、小汚いバラックが積み重なったような地域に繋がっていた。下層民が住んでいるのだろう。『一枚目』とその先には、文字通り大きな隔たりがあるようだった。
「宿を探さないとね」
「しかし、お金がありません」
「その場合は、タダで寝泊まりできる『馬小屋』があるわ。冒険者ギルドに登録さえしてれば、使わせてもらえるはず」
馬小屋。馬と一緒に寝るのだろうか。
佐郷はちらりとチアシードの表情を伺ったが、とくに馬小屋に寝泊まりすることについては不満は無いように見えた。この世界では常識なのかもしれない。
「冒険者ギルドというのは?」
「命を賭した危険な任務の受発注を行なっているところよ! 危険度に応じて報酬も上がるから、多額のお金が動く場所……らしいわ!」
「なるほど」
らしい、というのは実際に見聞した知識ではないからだろう。
しかし多額の金が動くとなれば、施設の位置自体はある程度絞れる。下層民がひしめくような『一枚目』では無いことは確かだ。
門をくぐろうとすると、見張りの兵士と目が合った。どうぞ勝手に通ってください、と視線を外されたが、こちらはそうもいかない。
「冒険者ギルドを探しているのですが」
「ああ。あそこを曲がったら嫌でも赤い屋根が見えるだろ」
兵士はこの手の質問に慣れているのか、いくつか省略しながら説明してくれた。
要するに、赤い屋根のよく目立つ建物ということだ。
言われた通り『二枚目』の中を進んでいくと、大きな建物があった。
開きっぱなしの大きな入り口からは賑やかな声と明かりが漏れている。
とくに立ち止まって観察していたわけでもないが、「食べ物の匂いがする!」とチアシードが叫び先に突入していった。
よほど腹が減っていたのだろうか。
佐郷も追いかけるように中に入ると、威勢良く飛び込んだはずのチアシードが立ち尽くしていた。
「すごい……人がこんなにいっぱい……」
「賑やかですね」
大部屋にいくつものテーブル席が並び、多種多様な人たちが酒盛りをしている。皺だらけの老人や、ハゲ頭の巨漢、まだ未成年にしか見えない子供まで、酒を煽り大声で喋っていた。
背格好がバラバラなのに不思議と一体感があるのは、皆が笑うか怒るかの表情をしているせいかもしれない。そう思うと、自分も一杯やりたくなった。
チアシードはしばらく唖然としていたが、「人間っていいな……」と呟いて頬が染まっていくのを見る限りは、この場所を好ましく思っているようだった。
奥に見えていたカウンターに進むと、受付嬢がニコニコとしながら「冒険者登録ですか?」と聞いてきた。渡りに船とはこの事だ。
「話が早くて助かります」
「初めて来た方は同じ反応をしますからね〜。よいしょ……っと」
受付嬢は分厚い本をカウンターの上に持ってきて開く。どすん、と重厚感のある音が鳴った。
「ではでは~、お名前を教えてください。筋肉質な、あなたから!」
「佐郷晴秋です」
慣れた手付きで本のページをめくっていく受付嬢。
「ご出身は?」
「東京です」
「聞いたことないですね~……127ページっと。得意技は?」
「正拳突きです」
「おお~格闘家志望だったり? しかし診断が出るまで適正ジョブはわかりませんよ〜……313ページっと」
他にも好きな食べ物・好きな動物・好きなモンスター・好きな女性のタイプなど必要なのか冗談なのか判断のつかない質問を繰り返してきた。答えるたびに受付嬢の手は素早く動き、分厚い本のページをめくっていく。
最後にページを目一杯に開いて、こちらに見せてきた。
そこには三日月の兜をかぶった男のイラストと文字が描かれている。
『あなたは研ぎ澄まされた感性をもった武人、サムライです。筋力と魔力に秀でており攻撃面においては他の追随を許しません。防御のことは忘れましょう。相性が良いのはタンク職のクルセイダーやパラディンなど』
「じゃーん。というわけで、サゴーさんのジョブはサムライがオススメ!」
「……オススメ?」
てっきり職業が振り分けられるのかと思ったが、そうではないらしい。
「あくまでジョブ診断ですから〜。不満なら、もう一度やり直します?」
本をよく見るとゲームブックのようなチャート形式で、質問に対する答えで進むページが決められているようだった。分厚さから察するに、ジョブの総数は三桁に届くかもしれない。
佐郷はまた質問責めに合うのは嫌なので、「サムライでいいです」と返答した。
「では写真を撮るので、この水晶に視線を合わせて下さい――は〜い、おっけーです」
受付嬢が「次の方」と言い終わる前に「はい!」と元気よくチアシードが前に出た。
「元気ですね〜。ではフードのあなた! お名前を教えて下さいな?」
「はい! 私の名前はチア……あっ……えーっと……」
「ん? チア?」
チアシードは言葉に詰まっているようだった。
それもそのはず、女神チアシードは現在、職務怠慢の罪で指名手配中なのだ。先ほどの騎士たちが持っていた手配書を見る限り、それは間違いないだろう。
ただの市民ならともかく、冒険者ギルドの窓口である受付嬢なら、手配書の内容を覚えていても不自然ではない。
「シ、シードルよ。私の名前はシードル」
「チア・シードルさんですか? はて、どこかで聞いたような?」
「ちちち違うわ! チアは無し! えっと……シードル・ド・ボンソワー・ル・ボンジョル・ノ・ボンカリー……でしてよ!」
ウソが下手なのか。今考えた感がありありと伝わってくる。
しかし前回のように助け舟を出せる場面でもない。こんな町中でマントを脱げば更なる混沌を招くだけだ。
「わあ~! ご貴族の方でしょうか? えーっと、ごめんなさい。もう一度お名前を教えてください。長くって」
「だから、シードル・ド・ボンソワー……? えっと……ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール・ボンカリーでしてよ!」
さっきと名前が違くないか?
しかし、この受付嬢も少し天然が入っているのか、あまり気にしていないようだ。
「う~~~~ん、長いです。これでは冒険者カードに入りきりませんよ~。シードルさんでいいですか?」
「よくってよ!」
今のやり取りはなんだったんだ。ともあれ、ひとつ難は逃れたようだった。
チアシードは「どんなもんよ」とでも言いたげに、こちらにだけ分かるように親指を立てて見せてきた。
だが安心するのはまだ早い。気付いてほしい。
「ではシードルさん、質問です。ご出身は?」
「天……あっ」
ほらきた。まだ緊張を緩めてはならないのだ。
一つだけで済む嘘など、ありはしないのだから。
「てん?」
「て、転々としていて……ちょっと思い出せないわ」
「その他ですね~。127ページっと。得意技は?」
「得意技……ハルアキみたいな武芸は無いけど……強いて言うなら書類にはんことか、サインとか? あ、イラストは自信あるわ」
「戦闘苦手っと。好きなモンスターは?」
「スライム、かな」
それからしばらく質問が続いた。
序盤の質問はしどろもどろだったが、途中からは明快に答えるようになっていた。
嘘に慣れたのではなく、嘘をつく必要のない質問ばかりになったからだろう。
「はい、出ました! シードルさんのジョブはこれ!」
「なっ……!」
佐郷はチアシードの肩越しに本の内容を覗いてみた。
『戦闘がからっきしのあなたは、穀潰しの遊び人です。主要なステータスはどれも平均以下ですが、運だけは他ジョブよりも高い特徴があります。だから何って話ですが(笑)……パーティでの役割は、食費のかさむ験担ぎとして一番後ろをついていくだけといった運用になるのが関の山でしょう。というわけで他ジョブとの相性は、あってないようなものです。真面目な神官職からは冷ややかな視線を浴びることになりますが、信仰の欠片も無いあなたには関係ありませんね(笑)』
「なにこれぇ!? なんでこんな職業が!?」
「ハズレ職というやつですね~。スライムが好物とか言うからですよ~」
サムライと比べて、遊び人のページはひどく辛辣な紹介がされていた。
イラストも棒立ちのピエロがちょこんと立っているだけである。
「チェンジ、チェンジよ! もう一回診断を受けさせて」
「あ~……もう、ちょっと時間がアレなので、今日はダメです。暫定的に遊び人で登録します」
「イヤ~~~~」
「駄々こねないでください。ほら、写真を撮りますよ~。フード脱いで顔をみせてください」
まずい。ジョブのことですっかり忘れていたが、写真を撮られるんだった。
チアシードも顔を晒すリスクについて気付いたようで、背が強張っている。
「シードルさ~ん。ジョブは明日にでも再申請すればいいですから。フード脱いでほらほら。残業代請求しますよ~」
「わ、わかった! 今脱ぐから、すぐに撮ってね。ハルアキはこっち見ないように」
見るなと言う相手を間違っている気がするが、とりあえず「了解しました」と返事をした。そもそも、こちらからではチアシードの背中しか見えない。
「じゃあいくわよ……フンッ」
チアシードがフードを脱いで謎の気合を入れる。冷や冷やする瞬間だった。
「ヴフッ……ゴホッゴホッ」
しかし、何故か受付嬢は思い切りむせている。
チアシードはずいぶんと呂律のまわっていないような声で「ハヤクシテ」と訴えると、受付嬢はそっぽを向きながら震える手で水晶を持ち上げた。
「だ、大丈夫です……よく撮れて……ヴフッ……冒険者カード、すぐ、出来るヴフォッ」
豹変した受付嬢は『CLOSED』と書かれた札をカウンターに置いて、奥の方に引っ込んでしまった。
チアシードは一体何をしたのか。
「魔法を使ったのですか」
「……森の外で魔法を使えば一発で補足されるわ。今の私は女神じゃなくて一般人よ。とにかく大丈夫だから、今のことは忘れなさい」
ならば、人力という事だろうか。しかし、何をしたかまでは頑なに言おうとしない。
受付嬢の反応は既視感のあるものだった。
それは都市に入る前の騎士たちだ。彼らを追い払うためにやったことは、宴会芸でやるような下品で最低な一発ネタだった。
だが、フードを脱いでも露出すのは顔面くらいなものである。同じ反応を引き出せるものなのだろうか。
「ふむ……」
「ハルアキ? そんなに真剣な顔で何を考えてるの?」
10分もしないうちに受付嬢が戻ってくると、金属製のカードを二枚手渡してきた。
そして、答えはそこに載っていた。
──チアシードの冒険者証。上から順にたどっていく。『シードル』『遊び人』『交付日』そして、『顔写真』
佐郷の視線がそこにたどり着くか否かのタイミングで、カードはチアシードの懐に仕舞われてしまった。
しかし、一瞬だけ見えたのだ。
口角が釣り上がり、白目を剥いて、鼻の穴は大きく、顔中の筋肉という筋肉が100%を超える力で緊張した、見たことのない人物の顔が。
「──見たわね?」
「……少しだけ」
つまり、チアシードのやったこととは、芸術あるいは魔法の域に到達している変顔だった。
──あったじゃないか。得意技。
そんな事を言えるわけもなく。
「何か大事なものを失った気がするわ……」
「胸中お察しします」
それから冒険者ギルドを出るころには、外はすっかり暗くなっていた。




