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 『チュートリアル森』を抜けると、すぐに見晴らしの良い『自由の丘』に出る。王都グランニュートを一望できる絶景スポットだ。


 グランニュートはいくつもの城壁に囲われた都市で、中心に行くほど壁の層は厚く堅牢になっていく。元は中流以上の住民が暮らす城郭都市だったのだが、郊外の人間が後から壁を増設するなどして、その堅牢さと仰々しさを拡張していった。

 人々が何故壁を求めるかというと、モンスターや山賊による散発的な被害が起きている為である。


「――と、いうわけ。ここから見ると迷路みたいだけど、よく栄えてる都会よ」

「なるほど。ではとりあえず、グランニュート入りを目指します」

「了解! やっと人間の文化に触れられるわね」


 ハルアキは口数こそ少ないが、頼りになる人だ。ものすごく頑固なところもあるけど、それはもう、ハルアキはそういう人だと思って諦めるしかない。この短い期間でよく分かった。そして、それがハルアキの魅力だということも。


 彼の挑戦は、私がやってみたかったこと、ゆるやかに計画していた『こっそり大冒険』を含んで余りあるほど壮大だった。


 女神の仕事は世界バランスの監視とか、報告書の作成とか、天使のシフトとか、基本的に全部あの家の中で済ませてしまう。休憩や初心者案内で森に出ることはできるが、それ以上の行動は全て制限されている。

 毎日狭い家の中で広い世界を見ていたら、人はどうなるか(女神だけど)

 答えは簡単、ちょっと息抜きしたくなるのだ。


 というわけで、これは千載一遇のチャンスでもあった。

 外の世界を知らないまま、あの家でお婆ちゃん女神になるなんて真っ平ごめんだった。


 向かい風の助けを借りながら、そこそこ傾斜のある丘を下っていると、「チアシード」とハルアキの方から声をかけてきた。

 呼び捨てにしろと言ったのは私だけど……いざ名前を言われると、どきっとする。ハルアキは普段から丁寧というか、あまり感情を出さない喋り方をするものだから、なんだか特別感がすごい。

 この不器用さも、ある意味ハルアキのチャームポイントの一つと言える。


「寒くないですか」

「マントがあるから平気。見た目よりもずっと暖かいの。あ、魔法付与(エンチャント)品とかじゃないからね! フツーのマントだから」

「そうですか」

「……ハルアキは平気なの? だいぶ冷たい風が吹いているけど」

「問題ありません」


 ハルアキは森で出会った時から腰ミノ一丁を貫いている。上半身は裸だし、風が吹けばヒラヒラとめくれ上がるので、絶対寒い。あと目のやり場に困る。


「私だけ暖かい格好をしてごめんね。女神だってバレると、大変だから……」


 職務怠慢には厳しい罰が待っている。具体的には、女神から天使に降格して、他の女神のところで働かなくてはならない。その女神によっては人間の奴隷がぐるぐる身体で押す滑車みたいなのを延々とやらせてきたりする。もちろん、そんなものを回す意味はない。罰と称した女神の憂さ晴らしだ。


 バレないように手は打ってあるけど、用心するに越した事はない。


「――では、フードをもっと深くかぶった方が良いかもしれません」

「え?」

「ほら、あそこに」


 ハルアキの視線の先を見ると、グランニュート側から巡回騎士が二騎、こちらへ近付いていた。徒歩よりも少し早い程度の速度だが、向こうは確実にこちらを捕捉しているようで、真っ直ぐに向かってくる。


「こっちに来てるわね。ただ、急いでる風でもないから、巡回ついでに〜って感じじゃない?」

「そのようにも見えます」

「じゃあ大丈夫よ! 私だって考え無しで出てきたわけじゃないんだから」


 一般人は女神の姿なんて彫像くらいでしか見る機会が無いはずだ。顔を見られたところで、女神によく似た綺麗な人だなぁくらいの感想だろう。


「というか、ハルアキの格好が問題なんじゃ……?」

「たしかに」


 巡回騎士は何度もこちらを(厳密にはハルアキの腰ミノ)を指差しては首をかしげていた。

 そして、いよいよ会話のできる距離に近づくと、「少し時間を頂いても?」とわずかに声を震わせながら言った。笑いをこらえているようだ。


「はい。冒険家の佐郷晴秋です。どうぞ!」


 ハルアキが元気良く礼儀正しい返事をすると、二人組のうち一人が後ろを向いて、ふるふると震えた。

 真面目な仕事なので笑うわけにもいかない。しかし、真面目な仕事をしている最中に変な格好の奴が来て苦しい。そんな心境が透けて見える。ちょっと可哀想だと思った。


「その、どうして、そのような格好を……?」


 騎士は振り絞るように声を出したあと、自分の頬を叩いて目つきを険しくさせた。「オ、オホン! エッヘン!……失礼」と咳払いをして、二度と顔の筋肉を動かすまいと気合を入れたようだが、結局は視線を斜め上に固定させた。

 ハルアキの格好がだいぶツボに入っているみたいだ。その気持ちは痛いほど分かる。私もぱたぱたと風に揺れる腰ミノを直視することができないでいるから。

 そんな格好をしている男が、至って真面目に質疑応答に応じているのは冗談を通り越して地獄だ。


「わけあって、衣服を失くしてしまいました」

「そうかッ!」


 騎士は必要以上に大きな声で相槌を打つ。もう片方の騎士はダメだ。後ろを向いたまま使い物にならなくなっている。


「君はグランニュートを目指しているんだね?」

「はいッ!」

「んぐっ……。で、ではこれを着なさい! その格好はあまりにもキツイ!」

「ですが、施しは」

「いいから頼む! 我々の為でもあるッッ」


 二人のやりとりに耐えきれなくなったのか、震えていた騎士は落馬してうずくまっていた。


「さあ早くッ!」


 騎士が緑色のマントをハルアキに投げる。


「ありがとうございます」


 ハルアキも状況を察したのか、今度ばかりは折れてくれた。

 緑のマントはハルアキの大きな身体をすっぽりと覆い隠した。


「ふう。これで落ち着いて話せるよ。ありがとう」


 私からもありがとうを送りたい。


「ところで、我々は尋ね人を探していてね。君はチュートリアル森の方から来たんじゃないか?」


 今までの空気を洗い流すかのように、冷たい風が吹いた。

 正直に答えていいか視線を送ってきたハルアキに、頷いて返す。


「はい。チュートリアル森から歩いて来ました」


 ただの職務質問とはいえ、騎士の心象を悪くするのは今後に響く。

 彼らは、こちらが森側から歩いてきたのを見ていて、カマをかけている可能性がある。


 なぜそんな事をするのか。当たり前の疑問が浮かび上がると同時に、また冷たい風が吹いた。


「森から? ふむ……」


 冷風は否応にも背筋に悪寒を運び続ける。

『尋ね人』『チュートリアル森』このタイミングで二つのキーワードが出るのは……?

『女神の家出』がバレた?

 いやいや。そんなわけがない。

 留守番を頼んだのは、あの天使長ざくろだ。

 ざくろは私の所属になって一度もヘマをした事が無いし、元は信仰の厚い人間だった。私が天使長になるまで10年かかったのを、ざくろは3年で成し遂げてみせた超優秀天使なのだ。クッキーを焼くのだってうまい。


「実は尋ね人というのは女神様でね。意外と女神様の顔を知らない人も居るんだが……こんな人を見かけなかったかい?」


 騎士は懐から一枚の羊皮紙を取り出して見せてきた。そこには可憐な美少女が描かれていて、下部にWANTEDと書かれていた。

 頭の中が真っ白になる。なんでバレた? しかも、こんなに早く? どうなってるの? ざくろ?


「はて。見たことがありません」

「ふむ……? しかし、チュートリアル森から来たということは謁見を果たしていても――」


 私が動揺している間に、事態は刻一刻と進展していく。これは疑われているとみていいだろう。考えろ、私。ここを打開できるのはハルアキではなく、私しかいない。


 悔しいことに、羊皮紙に描かれた美少女の絵は完璧で、この外套を一枚剥がされればすぐにお縄だ。

 逃れる為にスキルを使うのは一番の悪手。森の外だから一瞬で捕捉される上、懲罰も一段階熾烈になる。

 さらに一般人のハルアキが家出に加担していたとなれば、自分よりも数倍重い処罰を課せられてしまう。


 ……それならもう、いっそのこと自首してしまおうか。一番穏便に済む方法はそれくらいだろう。


 と、結論を出そうとした瞬間、信じられない光景が目に入った。

 ハルアキの外套がぶわっとめくれ上がったのだ。


「あ、これは失礼」

「……ヴッ……オホンッ。それで、女神様は先日、確かに森に――」

「おっと、また風が」

「ヴフッ……今は風吹いてないだろ君! とにかく、女神様をだな――」

「いやん」

「ぶわははははっ!! もう分かった! 疑って悪かった! お前みたいなのが女神様に謁見してるはずが無いよな。良い旅を! じゃあな! ぶわっはははは!!」


 騎士が喋ろうとするたびに、何故かハルアキの外套が勢いよくめくれ上がるのだ。騎士が厳正な態度を取れなくなるまでそれは続き、見事に打ちのめした。

 なんという力技。私がハルアキの後ろ側で本当に良かった。

 騎士二人は爆笑しながら、ふらふらと巡回に戻っていった。


「ハルアキ……ありがとう」


 やっぱりハルアキは頼もしい。スキルやステータスじゃ測れない強さがある。そう思った。


「私はゼロからやり直そうと、全てを捨てたつもりでいました」


 ――そう思わないと、あまりにも不憫で。


「しかし今回、なにか大事なものをひとつ失った気がするのです」


 しんみりと呟くハルアキの背中は新しい外套を手に入れたにも関わらず、寒そうに震えていた。



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