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「素手でオークをやっつけたのよね……? ハルアキのステータスって、一体どうなってるの……? スキル振りもまだなのに」
横たわる猪男、もといオークを枝で突きながらチアシードは呆然としていた。
「学生の頃に空手を少しやっていたので」
「ほええ……カラテってすごいのね……」
「それより、チアシード様はかなり頑丈なようですが」
足を掴まれ振り回されたり、岩をも砕きかねないような張り手を尻にかまされ無事で済んでいるなど、ただ事ではない。
……張り手については、頑丈そうなチアシードを見込んだ上での打算があったのだが、それは言わないでおく。
「ん? あー、私は特別だから! 女神バリアがあるから無敵なの。お尻はちょっと痛かったけど」
「女神バリア」
「そんな露骨に嫌そうな顔しないでよ。これでも私は女神なのよ? 格式高いのよ?」
「……それは、努力すれば誰でも手に入れられる能力ですか?」
「そんな訳ないじゃない。女神専用スキルよ」
えっへんと胸を張るチアシード。
生まれや育ちで全てが決定してしまうことに疑問を持つ佐郷には、女神関連の能力はあまり受け入れられないものだった。
いわゆる不公平が許せないのだ。
前世からその想いは変わらない。
生まれながらにして乞食のホームレス。そんなものがあるなら、真っ向から否定したい。しなければならない。
それが佐郷を突き動かす信念だった。
ふと、先ほど見かけた奴隷少女が気になり、テントの方を見た。
少女の姿は無くなっている。その代わり、鉄を叩くような音が聴こえてきた。少女が足枷を外そうとしているのかもしれない。
それなら、とオークをひっくり返すと、首に小さな鍵をぶら下げている事に気付いた。
「どしたの? まさかオークを食べるの!? それなら私、ちょっと興味あるかも」
「……腹痛は?」
「ぐるんぐるん振り回されて、お尻叩かれたら治っちゃったみたい。あはは」
悪食の女神の声は聞かなかった事にして、オークの首にかかっていた鍵を引き千切る。
そして、テントへ移動した。
「失礼します」
テントの入り口には動物の肉塊が吊り下げられており、悪趣味なカーテンのようになっている。生臭さに辟易しながらそこをくぐると、先の少女が石を使って鎖を砕こうと苦心しているところだった。
「ひゃあ!? な、なんですか! 私は悪いオークの仲間じゃありませんよ!」
少女は怯えきっていた。さっきは随分と落ち着いていたのに、佐郷を見てずいぶんと動転しているようだった。
「いえ。鍵を持ってきたので、渡しておこうかと」
「へ……? あ、ありがとう……?」
少女は差し出された鍵と佐郷を交互に見ながら、恐る恐る鍵を受け取った。
「あの……お礼とか、なんにも無いですよ?」
「気にしなくて結構です」
錠が歪んでしまっているのか、何度も鍵をつまらせながら、少女はやっとのことで鎖を外すことが出来た。
「よしよし……っと、おお! 足が軽やかっ! 何処へでも走っていけそうですよ。 ありがとうございました!」
「帰る場所はあるのですか?」
「今はもう……ありません」
表情に暗い影を落とす少女。ここへ連れて来られる前にも、色々あったのだろう。
帰る場所の無い奴隷を解放するということは、どういうことか。
つまり、それまで奴隷として得ていた食い扶持が無くなるということだ。佐郷はそれを危惧していた。責任を負う必要があると考えていた。
「――が、あてはあります。グランニュートの冒険者ギルドで一稼ぎしようかと!」
少女は暗かった表情を一変させて、拳を突き上げた。
「グランニュートとは?」
「この森から出てすぐの都市ですね。人間の大都会です。ふふふ」
なんとも嬉しそうな少女。先ほどまで奴隷の身だったのが嘘のように表情が生き生きとしている。
もしかしたら、自分と同類の人間なのかもしれない。ひとまわりも年下の少女に、そんな幻想を抱きそうになる。
「辛くはないのですか」
「一度は全てを失ってしまいましたが……この命ある限り、何度でもやり直せると思っています!」
幻想ではないかもしれない。この少女は、すでに新しい目標に向けて歩こうとしている。
それならば、こちらから手を差し伸ばすなどもってのほかだろう。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私は魔……魔法使いのメルティ。メルティ・ガナッシュタルトと申します。私が大成した暁には、この恩を100万倍にして返してみせましょう!」
「佐郷晴秋です。お互い頑張りましょう」
自分も頑張らなければと熱い気持ちが込み上げてくるのを感じていると、外からチアシードの呼ぶ声が聞こえた。
「どうされましたか」
「ハルアキ! こっちこっち」
木の枝をもって手招きするチアシードの方に近づいて行くと、大の字で横たわっているオークの真っ黒な目と視線が交差した。
「む」
「ム」
オークの横には、どろどろになったスライムの心臓が落ちている。
「突っついてたら、いきなり目を覚ましちゃって……もう一回やっつけてハルアキ!」
チアシードは木の枝でスライムの心臓を指した。
もう一度あれを口に詰めて気道を塞げということらしい。自分でやればいいのに、汚くて触りたくないと言ったところか。
「その必要は無いように思います」
「んん? どゆこと?」
オークにやる気があるなら、とっとと起き上がってチアシードを再び捕まえているだろう。もっと狡猾なら死んだふりをして、不意打ちを狙う。
しかし、このオークは目を開けたままじっとしているではないか。
「もう戦う気は無い。そういうことだな?」
「ウム 俺ノ負ケ 好キニシロ」
なんとも清々しい答えが返ってきた。
オークは大の字の姿勢で、空を見上げたまま動こうとしない。その表情から感情を読み取るのは難しいが、戦士のプライドのようなものがあるのかもしれない。
出会い頭の印象は最悪だったが、考えを改めるべきだろう。
「無抵抗の人を攻撃するのは人道に反します」
「まあ、ハルアキがそういうなら……」
チアシードは名残惜しそうにオークを突っついた。
「オーク肉、食べたかったな」
「…………」
オークは身震いしたあと、チアシードから顔を背けた。
殺される覚悟はあっても、食べられそうになっていたなどとは想定していなかったのだろう。
「肉ナラ アル……。 アト 貴族ノ 娘モ」
「貴族の娘? メルティのことか?」
「モウ 会ッタノカ アレハ 商品ニ ナル」
奴隷として売るつもりだったのだろう。もう枷は外してしまったのだが。
「あ、メルティってもしかして、あの子?」
チアシードが指さす方を見ると、全力で走るメルティの後ろ姿が見えた。
したたかというか、とても元気付けられる疾走だ。
「ナンテコッタ……」
「ふむ。とりあえず肉はもらっておこうか。それと、ここのキャンプを少し借りても?」
「好キニシテクレ……」
昼食をとったあと、彼女を追いかけてみるのもいいだろう。迷いの無い走りっぷりから、グランニュートという都市は向こう側にあるに違いない。
……考え無しに走っていった可能性もあることはあるが。
どちらにせよ、この森を抜けなければ『女神の加護』などという甘い呪縛から逃れることはできない。ならば、前に進むのみだ。
佐郷はテントから熟成肉と串を拝借して、三人分の串焼き肉を調理した。




