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 獣道を外れてしばらく歩いていくと、大きめの道に出た。舗装こそされていないが、しっかりと土が踏み固められている。人が何度も通った道と見ていいだろう。


「ねえ、ハルアキ……私ちょっと、お腹痛いかも……」

「どうぞ。ここで待っています」


 チアシードは顔を青くしながら木陰の奥へと駆けていった。十中八九、スライムの心臓を食べたことが原因だろう。

 一方、こちらの体調は特に問題は起きていない。それどころか、活力が満ちているような気さえする。摂取量の問題だろうか。

 スライムの心臓は味と食感の傾向から、ビタミンとミネラルが濃縮されているものと思われる。少しずつ摂取する分には良い食材なのかもしれない。


「ぴぎゃー……!」


 思索していると、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。チアシードが行った方向だ。

 最中だったら申し訳ないが、無視するわけにもいかない。走る。


「ぴぎゃー! タスケテー!」


 位置が少し不安だったが、何度も叫んでくれるお陰で特定が楽だった。

 他よりも開けた、広場とでもいうべき場所で、チアシードを発見した。

 頭部が(いのしし)の大男に足を掴まれている状態で。


「グヘヘ! 綺麗ナ パンツダ!」

「やめてー! 離してー!」


 広場には出ず、様子を伺う。

 猪男の真っ黒な目は女神のショーツに釘付けになっているようだ。再び『ふれふれ坊主』になっているチアシードの表情は衣服に隠れて窺い知れない。

 助けないという選択肢はあり得ないが、どう(すき)を突くべきかを考える必要があった。


 周囲を確認すると、大きめのテント・焚火・調理器具などが設置されている。猪男のキャンプ地のようだ。

 テントの中から鎖の鳴る音が聞こえたかと思えば、襤褸(ぼろ)(まと)い足を鉄球に繋がれた少女が顔を覗かせた。しかし黒髪の少女は怯えるでもなく、ルビーのような紅い瞳でじっと猪男と女神のいる方を見ている。


「――ハルアキヘルプミー!」


 大声に視線を戻すと、逆さ吊りのまま片手でドレスを抑えているチアシードと目が合った。もう片方の手をぶんぶんと振って、こちらに助けを求めている。


「ンン? ソッチ 誰カ 居ルノカ?」


 バレた。猪男と目が合ってしまう。


「誰ダオマエ! 出テコイ! コッチニコイ!」


 巨体に見合った頭部は耳も鼻も口も牙も大きいが、目だけがやけに小さい。真っ黒でビー玉のような眼球は、まるで知性を感じない不気味さを放っていた。


「……その人は私の連れです。解放していただけませんか」


 猪男に近付き、喋りながら体格差を測る。

 こちらの身長180センチメートルに対して、相手は250を超えるであろう巨漢だ。

 今までの言動や、年端もいかない奴隷を連れているあたり、説得が通じる相手だとは到底思えない。それでも話しかけることで、戦意を削ぐくらいはできるかも知れないと思った。


「我々は迷い込んでしまっただけです。敵対する意思はありません」

「黙レ! コイツハ 俺ノダ! モット 近クニ コイ!」


 猪男は人語を使うが、やはり意思疎通は無理と見ていいようだ。人に近い形態ではあるが、中身は獣。怒らせたら何をするか分からない。

 しかし、この体格差で格闘戦になっても分が悪い。


「早クシロ!」


 猪男が人質を掴んだまま左腕をぐるんと一回転させる。チアシードのドレスは壊れた傘のようにめくれ上がり、顔以外のすべてをさらけ出す。


「いやーー! 目が回るぅ!」


 チアシードが絶叫する。

 足を掴まれ振り回されるという恐ろしい負荷を受けているはずだが、悲痛さをあまり感じない叫びだった。

 とはいえ、その勢いで地面に叩きつけられでもすれば、ただでは済まないだろう。


「女ガ ドウナッテモ イイノカ! グヘヘ」

「くっ……」


 女神の体重がどうなっているのかは分からないが、人ひとりを片手で軽々と振り回せるあたり、猪男は恐ろしい怪力をもっているようだ。


 指示に逆らえば、チアシードが危険。このまま近付けば怪力の餌食になり、こちらが危険。

 しかし選択しなければならない。

 天秤にかけられた選択肢は重く、天秤そのものが壊れてしまう様を幻視する。


「ソウダ ソノママ 頭ヲ サシダセ」


 ――違う。載せるべき選択肢が間違っているのだ。よく考えろ。


「ゲヘヘ アト一歩」


 強い殺気を感じる。オークの右腕に青筋が浮き出ている。


「ぴぎゃー! たすけてハルアキー!」


 左腕には尻を出しているチアシード。


「…………」


 ――それを見て、一つの方法を(ひらめ)いた。


「ふむ……一か八かだが……」


 一歩進む。次の行動とリスクを考えながら。


「ウオラァ!」

 猪男の右腕が、はじける。


 更に一歩、素早く踏み込んだ。チアシードのいる方に。


「こっちだ」

「ヌ!」


 巨大な右腕が軌道を修正し、叩きつけから(すく)うモーションに変化する。

 こちらの思惑通りに進んでいた。

 ハンマーパンチは腕が伸びきっていないと力が入らない。そこから至近距離で打つなら、伸びた腕を戻す動作で行うフックだ。


 そして横から頭を目掛けて飛んでくるフックを、佐郷はその場でしゃがんで避けた。身長差を逆手に取ったのだ。

 猪男の右フックはその勢いを殺せぬまま、佐郷の頭という目標を超えていく。

 その先にあるのは、佐郷が天秤にかけたもの――


 ばちん!

「あ(いた)ー!?」


 ――女神の尻だった。


「アッ! ゴメン」


 チアシードと猪男が虚を突かれている間、佐郷は次の行動に移っていた。

 それは全身全霊の正拳突き。右ストレート。テレホンパンチ。とにかく、ありったけの力を十分に溜めた一撃だった。


「ふんッ」


 その一撃を、がら空きになった猪男の右脇腹に突き立てる。


「アガッ!?」


 人体の急所。肝臓(レバー)。筋肉の薄いこの位置を外側から打たれると、人は問答無用で呼吸が止まってしまう。

 猪男がヒトかどうかはともかくとして、まともに効いているようだった。


「ガ……アガッ」

「苦しいか。だが慈悲はかけん」


 空気を求めるように口を大きく開く猪男。

 佐郷はその口の中に、スライムの心臓を突っ込んだ。


「ガァァ……ガ……」


 スライムの心臓を喉に詰まらせた猪男は、喉を掻き毟るような仕草ののち、ぴたりと動きを止めてそのまま地に伏した。



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