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 おおよそ昼どき。チュートリアルの森の木々は陽光を浴びて、程よい明かりを森の中へと届けている。そういう意味では過ごしやすいのだが、佐郷は焦っていた。


「うーん、お腹がすいたわ。何か食べてくれば良かった」

「…………」


 この貧乏神がいなければ猪肉にありつけていたのに。そんな考えが浮かんだが、頭を振って邪念を吹き飛ばす。

 予期せぬ苦難を乗り越えてこその成長だ。逆にありがたいことではないか。今、己の中には赤い生命が(たぎ)っている。これぞ求めていたものだろう。ともすれば、喜んでしかるべき事態だ。


「ククク……」

「うわ……ハルアキすごい表情してるよ? 何か悪いものでも食べた?」


 食べていない。空腹なのだ。お前のせいだ。

 叫びたくなるのを(こら)えて、獣道を歩く。幅はさほど広くない道だが、比較的しっかりと土が踏みならされている。もしかしたら、獲物と遭遇できるかもしれない。


「やっぱり森はいいわね! 最近は引きこもってデスクワークばっかりしていたから、新鮮だわ」


 前言撤回。女神がうるさいので獣は逃げてしまうだろう。


「チアシード様。静かに――」

「見て、ハルアキ。スライムがいるわよ」


 女神の指差す先で、丸くて緑色の物体がぷるぷる動いていた。直径は100センチほど。体が透けているのか、向こう側の景色がうっすらと見えている。


「スライム……?」

「そうよ。ハルアキの世界には居ない魔物ね。鑑定のスキルがあれば詳細が見れるんだけど……気にならない? 気になるわよね?」

「確かに気になるな。行ってみよう」

「ちょっ、そうじゃなくて――」


 佐郷は走り、スライムに飛びかかった。

 両腕を回して抱きかかえるようにすると、簡単に抑え込む事ができた。小刻みに震えて抵抗しているようだが、大した負担にはならない。


「何その戦い方!?」


 チアシードは驚いているようだが、ある程度大型の生物を狩るのに、抑え込みや絞め技に持ち込むのは素手狩猟のセオリーだ。ヒトの四肢というのは、この抑え込みにおいて大きなアドバンテージを与えてくれる。


 スライムにそれが通じるかは少し疑問が残ったが、この痙攣(けいれん)具合から察するに、苦しんでいるようだ。そのまま両腕を万力のように締めていく。


「むっ……?」


 ずぶり、と。腕がスライムの中にめり込んだ。

 しかしスライムの形状はそのままで、腕だけがずぶずぶと体内に取り込まれていってしまう。

 すでに佐郷の顔面はスライムに密着していた。


「ハルアキ!」


 まずい、と思った。ひんやりとした柔らかい感触が、耳まで覆い始めている。

 体重が前方に集中してしまい、飛びのこうにも踏ん張りが効かない。

 だからといってこのままでは窒息死が待っているだけだ。


「……! 〜〜……!」


 チアシードの声が、スライムのゼリー質に阻まれて遥か遠くに聞こえる。


 こんな小さな相手に負けてしまうのか。

 知性のかけらもなさそうな生物に。

 手も足も持っていない、『持たざる者』を体現しているような生物に。

 こんな未熟な生き物は、一日を生き長らえるだけですら奇跡だろう。

 それでも。

 こいつは必死に生きている。限りなくゼロに近い能力で、最善の手を選んで殺しにきている。


 畏怖の念を抱かざるを得ない。

 素晴らしいと思った。


 スライムの深部で熱い鼓動が鳴っている。

 どく、どく、どく、と一定のリズムで脈打つもの。心臓、ハート、希望。なんでもいい。

 とにかく、持たざる者が唯一持っているもの。生者の証がそこにはあった。


 だから佐郷はそれに敬意を表するように、こうべを垂れた。

 持てる限りの、全力で。


「……ふんっ!」


 (ひたい)にそれが触れた瞬間、ざぶん、と荒波がぶつかって爆ぜたような音が聞こえた。


「ハルアキー! 大丈夫なの!?」


 今はチアシードの声がよく聞こえる。目を開けることもできるようになっていた。

 腕の中にいたスライムは無くなり、代わりに、こぶし大のゼリー塊が落ちていた。

 拾い上げると、それがスライムの心臓だという事が直感で分かった。もう鼓動は止まっている。


「ハルアキ……?」

「彼は戦士だった」

「?? ジョブが戦士のスライムだったってこと?」


 この感覚は正面から対峙したものにしか分からないだろう。

 佐郷はスライムの心臓をしばらく見つめたあと、それを少し(かじ)った。


「えっ……ええ!? それ食べちゃうの? 換金アイテムの類だよそれ!」


 なんというか、青臭くて、苦い。そして咀嚼(そしゃく)に一苦労する。

 例えるなら、こんにゃくを(もと)に作られた、昨今では老人や小児に配慮する注意書きが加筆されたゼリー菓子。そんなものを彷彿とさせる噛み応えがあった。

 それを苦労して噛む見返りとして、キャベツを何倍にも濃くしたようなにおいが口の中いっぱいに広がるのだ。


「まずい」

「……当たり前だよね?」


 齧ってしまった分は嚥下(えんげ)し、残りはそのまま持っていくことにした。


「大丈夫? お腹痛くならない?」

「分かりません。少し様子を見て、平気そうなら全て食べます」


 一気に食べなかったのは味以外にも理由はある。毒性がある場合は、一度に摂取した量が生死の分水嶺となるからだ。よほど強い毒でもない限り、一口ならちょっとした腹痛で済む。

 キノコよりも吸収は早いだろうし、結果は一時間ほど見れば大丈夫だろう。


 佐郷は再び歩き始めた。今度は森の中にある、人が何度か往来したであろう大きな道を使う。目標を狩猟ではなく、森からの脱出に切り替える為だ。

 とりあえず森を抜けることができれば、女神は諦めてくれる。それから、腰を据えて生活を始めよう。一緒に行動していたのでは、臆病な野生生物は離れていってしまう。


「ねえハルアキ、それ私にも一口ちょうだい?」


 後ろを歩いていたチアシードが思いもよらない事を言った。


「正気ですか。 これはひどい味ですが」

「うーん……歩き疲れたし、お腹空いちゃったのよ」


 しょんぼりした風に腹を撫で回す女神。さっきは「それは食べ物じゃない」と言ってのけたのに、よほど余裕がなくなっているのか。


「では、どうぞ。少し齧る程度にしてください」

「やった! どんな味か気になってたのよね」


 チアシードは豪快にかぶりついた。女性の一口とは思えない遠慮のなさで、スライムの心臓の三分の一が削り取られた。


「ふぐっ……ぐぐっ……はるはひ……はべづらい」

 口を両手で押さえながら頬を膨らませる女神チアシード。

「そのままゆっくり噛んでいてください」


 歩くスピードを少し落とす事にした。この女神のことだから、すぐに喉を詰まらせてしまうだろう。


 己を試すサバイバルから少し離れつつあるが、これはこれで、やりがいがあるのかもしれない。

 必死に顎を動かすチアシードを見ていると、不思議とそんな気持ちになった。



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