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佐郷は白い家を再出発した後、一日のうちに加工しやすい蔓を集めた。簡単な靴と腰ミノを作るために、植物を千切っては自分の肌に適切かどうかを試す作業に没頭した。植物の分泌液には毒性の強いものがある事を生前に痛いほど体感したので、慎重にならざるを得なかった。
結局、佐郷の肌に合いそうな葉はやや短く、腰ミノの丈は膝上10センチという、ある意味魅惑的な設計となった。
まだ生活の安定とは程遠い二日目の夜。佐郷は木々の間に繋がれた蔓製のハンモックで休息をとっていた。
高さは3メートルほどで、落下すれば怪我をする危険があったが、夜行性の野生生物に身を晒すリスクを天秤にかけた結果、このようなキャンプとなった。
「よし。このキノコは当たりと見てよさそうだな」
佐郷は三時間前にかじったキノコの続きをやった。淡白なくせにやたら歯ごたえがあるので、味のないガムを噛むような作業だった。
それでも、よく噛んで食べなければ胃腸に余計な負担を与えてしまう。我慢する他無かった。
火を使って調理すれば、もろもろのリスクを軽減できるし、舌も少しは満足させられるかもしれない。だが火起こしの労力と比べれば、天秤は生食に傾いた。
生き残るため、取る行動の一つ一つを常に天秤にかけ続けなければならない。佐郷の直面している極限状態とはそうしたものだった。
キノコを食べ終わると、余分な体力を使わないようにハンモックに身を預けて目を閉じた。
肉がほしい。
肉があれば、火をおこすための天秤は大きく傾く。火起こしに体力を使っても、肉を食べれば十分回復する。そうすれば、次のステージに移れる。
肉を得るための罠は合計3つ仕掛けた。蔓と、よくしなる若木を使った飛び跳ね式の罠だ。以前の無人島では運が良い時は大きな鹿を引っ掛けることもあった。
あとは待つだけだ。
今はとにかく眠り、体力を少しでも温存させよう。
佐郷は目を閉じて、身体の力を抜いていった。
小さな頃から、丁寧に舗装された道を歩いてきた。周囲の人も同じようにしていた。少し背伸びをすると、遥か遠くの方で、がたがたの道を歩む人が見えた。自分が歩いている場所とは別の世界だった。
成長して背が伸びると、より遠くの景色が見えるようになった。自分の歩む先は相変わらず平坦で、代わり映えのない、安全で安心なアスファルトが続いていた。
横を向くと、険しい山を越えようとしている登山家たちが見えた。身体中に穴を空けて、赤い命を撒き散らしながら登っていく。転げ落ちて絶命する人もいる。
羨ましいと思った。あれほど美しい生命の輝きが、自分の中にも詰まっているのだろうか。一度もそれを見ずに終着点に辿り着いて、何の意味があるのだろうか。
今思えば、あのホームレスは自分の欲求が見せた幻覚だったのかもしれない。
この、ゼロから始めたいという欲求はもっと根深くて、自分という存在の根源からくるもので――
そこで、まどろみから目が覚めた。
朝の小鳥たちのさえずりに混じって、おかしな声が聞こえたからだ。
「ぴぎゃー……!」
悲鳴だ。
鹿か豚か、イノシシか。跳ね上げ式の罠にかかったに違いない。
佐郷はハンモックから飛び降りた。
朝日が差し込む森の中は幻想的だったが、その中に一つだけ異常な存在が見受けられた。
木漏れ日を吸い込んで輝く白の逆三角形。羽衣のようなドレスがべろんとめくれて、そのショーツを履いている本人の顔を隠していた。
しかし顔は見えずとも分かる。どう見ても女神である。
「ぴぎゃー! タスケテー!」
「…………」
吊り下げられた片足をばたつかせるたび、ぶらぶらと揺れる。佐郷は懐かしき故郷の『てるてる坊主』を思い出していた。
この場合、上下が逆さなので、雨を呼ぶ方の『ふれふれ坊主』か。ショーツが水玉模様だったら、もう少し趣が出たかもしれない。
「たすけてーーーー!!」
「はっ!」
不思議な光景に心を奪われていた佐郷は我に返り、女神を原始的な罠から解放した。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った」
「大丈夫ですか。チアシード様」
「あ! ハルアキ! ようやく見つけたわ!」
見つけたのはこちらなのだが。
ビシッと得意げに指をさす女神を見て、佐郷は少し逡巡したあと、やっぱりツッコむのをやめた。
「……ところで、こんな所でなにを?」
「ハルアキの手助けにきたのよ。いつでもステータスオープンして女神特典を受け取れるようにね! そうすればこんな苦労をすることもないわ」
チアシードは忌々しそうに罠の蔓を指で弾いた。
「私は大丈夫だと言ったはずですが」
今回失敗して、あの家に死に戻りしてしまったら、大人しく女神の言うことを聞く。そういう約束だったはずだ。
「どうせ失敗するのは分かっているんだし、ハルアキだって苦しい思いをしたくないでしょう? そうなる前に助けてあげようと思ったの。私は女神だからね!」
感謝しなさいと胸を張る女神。さっきまで『ふれふれ坊主』をやっていたとは思えない自信を感じさせる。
「なるほど。ご親切痛み入ります。必要になったら、そうさせて頂こうかと思います」
「あら、案外話が分かるじゃない。じゃあその時になったら、よろしくね!」
こちらから言うまで手を出すなと言ったつもりだが、伝わっただろうか。
佐郷は不安になった。
そして、追い討ちをかけるような事態に気付いた。チアシードの掛かった罠以外が全て外されているのだ。
「……チアシード様。ここにいくつか罠を張っていたのですが、すべて作動した形跡があります。獲物が掛かっていませんでしたか?」
「ああ、あれね! 危ないから外したわ。イノシシが二頭引っかかってて、可哀想だったし」
「…………」
――貧乏神。
そんな単語が佐郷の頭の中に浮かんた。




