26
平原に穿たれた巨大な穴。その奥深くで、佐郷は目を覚ました。
「俺は生きているのか……?」
もうデスマキナの痕跡はどこにも無い。生身の身体に戻っていた。
「奇跡だな……」
手も足も自由に動く。怪我という怪我は見当たらないが、ただひたすらに身体が重い。
仰向けのまま上を確認すると、穴の入り口から月が顔を出していた。
まだ夜になったばかりのようだった。ざくろに激突してからは、そう時間は経っていない。
穴に差し込む月明かりのお陰で、地下深くでも周囲がはっきりと確認できる。
チアシードやメルティの姿が見当たらないが、代わりに新鮮な棺桶が目に入った。
「合計五つ、か」
三つ一かたまりの棺桶と、二つ一かたまりの棺桶が向き合っている。
わざわざ全て暴かなくとも、外装で誰のものかはわかった。
メルティの棺桶は黒と赤。
チアシードは水色と白。
ヤルヲとヤランオに至っては遺影が貼られているので、間違えようがない。
消去法でいくと残り一つがざくろの棺桶なのだが、他と比べて随分と安っぽい。派手ではあるのだが、女児のおもちゃのようなプラスチックの装飾が散りばめられていた。
ともかく、用があるのはチアシードとメルティの棺桶だった。
順番に蓋を外していくと、案の定安らかに眠っている。
チアシードを背負い、メルティを抱えて、街を目指すことにした。
幸い、穴は地下水路と繋がっていたので、都市に戻ることが出来た。
しかし、二人を運ぶのは流石に応えたらしく、馬小屋に着くなり、その場で倒れ込んでしまった。
管理人の『おう、お疲れさん』という言葉でひどく安心して、気が抜けてしまったせいだと思う。
次に目を覚ました時には、もう朝だった。
馬小屋の崩れかけた屋根から差し込む光が眩しい。
「ハルアキ! おはよう」
目を細めていると、光を遮るようにしてチアシードが顔をのぞかせた。
「おはよう、チアシード。もう歩けるのか?」
「うん。ハルアキがここまで運んでくれたお陰でね。でもまあ、今日一日くらいは休みたいけど」
体力が尽きると棺桶に入れられる。この世界の摩訶不思議なルールだ。馬小屋だと一夜休んだ程度では疲労が取れない。
「おはようございます! ハルアキさんは大丈夫なんですか?」
「メルティもおはよう」
メルティも顔を覗き込んでくる。二人とも爽やかな笑顔だった。
「大丈夫……と言いたいところだが、まだちょっと疲労感が抜けないな」
とは言え、一日中寝ているわけにもいかない。馬小屋は朝一でやらなければいけない仕事があったはずだ。
そう思っていると、早速上から何かが飛んできた。
とっさに右手を出してキャッチする。
「ほうき……には見えないな」
管理人のマクナルが清掃道具を投げてくるのがお約束だったはずだが、はて。
自分の右手の中にあるものは赤い液体の詰まったビンだった。
困っていると、マクナルが巨大な顔を覗かせた。
「レッドポーションだ。少しは良くなるぞ。くれてやる」
「あ、ああ……どうも」
にっこりと笑うマクナルが不気味だった。慌てて起き上がると、すでに背を向けて出口へと向かっていた。その手には大切そうに木彫りの人形が握られている。翼の生えた馬の人形だった。
「なんなんだ……?」
「んー、昨晩ね。ペガサスの流れ星を見たらしいよ。それがあまりにも綺麗だったもんで、もっと優しくなろうって考えを改めたんだとか」
いたずらっぽく笑うチアシード。
つまり、我々が原因ということか。
「そうか。また妙な理由で変わろうとするもんだな」
思えば、今の自分もホームレスの一言が無ければここには居なかっただろう。
人とは、常に変わるための理由を探しているものなのかもしれない。
「――それだけならいいんだけど、聞いてよハルアキ! あのおじさん、『天馬教』とかいうのを立ち上げるって言うんだよ? 女神の信仰はどうなってるの?って聞いたら、もうオワコンだって! 何よオワコンって! むきー!」
「まあまあ、これからゆっくり信用と信仰を取り戻していきましょう」
いつも通りの元気なチアシードだ。少し前までのような無理は感じない。むしろメルティの方がお姉さんに見えてくるのが微笑ましい。
この二人となら、まだまだ長くやっていけそうだと思った。
「――ところで、ハルアキさん。ここにコーヒー牛乳があるのですがっ」
「こっちにはフルーツ牛乳があるわよ」
なぜ馬小屋に?
そんな疑問も許さないようなオーラを放ってくる二人。
「いや、まずはこのレッドポーションを飲みたいのだが」
「…………」「…………」
チアシードはニコニコと、メルティは真剣な表情で無言の圧をかけてくる。
なるほど、必ず選ばないといけないらしい。
「では、両方いただこうか──」
――結局、ざくろ達は姿を眩ませて、偽チアシード騒動は真犯人が判明しないまま幕を下ろした。
お陰で軍資金を貯めるには至らず、しばらくは馬小屋の世話になる事となってしまった。
それでも、我々は自分たちのことを『ただの馬』だとは思わない。
この素晴らしい世界の青色を、空の上から眺めることができたのだ。
それはきっと『人』でも『馬』でも成し得なかったこと。
持たざる者が必死に足掻いて手に入れた翼だからこそ、見ることのできた景色なのだろうと思う。
完。
一旦完結とさせていただきます。
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