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前方には真顔のヤルヲ。後方には眉を八の字に曲げたヤランオと無数のスライム。
最悪の挟み撃ちだった。
メルティがマントを引っ張ってくる。だが例の魔法を使うには、この場所では危険すぎる。他に何か出来ることがないかを考えるべきだ。
「……どうして我々を捕捉することが出来た? 尾行していたスライムは一度もこちらを見なかったはずだが」
時間を稼ぐ。なんでもいい、話しながら考えるんだ。
「そりゃ俺のスライムがあんたらを尾行してたからな。スライムが擬態できんのは別に人だけじゃねーぞ? 草、石、壁、地面。何でもござれだ。特にそういう無生物に化けるのは元々得意だしな」
「……二重尾行か」
「楽だったぜ? 三人もいて、みーんな前ばっかりにしか注意を払わねーんだからな」
一つだけ抜け道がある。今は像で死角になっているが、地上に繋がっている小さな階段があるのだ。前回はそこから脱出することが出来た。
問題は相手がそれに気付いているかどうかだが。
「ヤランオ。そちらの要求はなんだ?」
「チアシードが女神の権限を正式にざくろ様へ譲渡すること。それと今握っているその黒武器を置いてけ。3本全部な」
「そのざくろという天使がチアシードの地位を狙っているというのはよく分かった。しかし、この武器に何の魅力があるんだ? 一文にもならないガラクタだと鑑定されたものだが」
「んなわけあるか。それはチートアイテムで――いや、これ以上教えることはねーな。時間稼ぎのつもりだろうが、あんたらは袋のネズミなんだぜ? 逃げ場はどこにもねーからな? 余計なことは考えず、命が惜しかったら降伏しとくのが得策だろ、常識的に考えて」
なるほど。こちらの優位性ははっきりした。
白饅頭たちは非常階段の存在に気付いていない。そして、メルティという切り札の存在にも気付いていない。
ならばやることは一つだ。
地上に誘い込んで、奴らが追ってきたところをメルティの破壊光線で一網打尽にする。
「分かった。だが、その前にこれを見てほしい──」
「ん?」「なんだお?」
佐郷は自分のマントに手をかける。そして、チアシードへ視線を送った。
「……!?」
明らかに焦り始めるチアシード。それから白饅頭たちと同じ反応をしているメルティの腕をぐいぐいと引っ張って、非常階段への道をアゴで示してくれている。
こちらの真意は伝わったようだ。
「行くぞ……フラーッシュ!」
佐郷がマントを剥ぎ取りガッツポーズを決めると、その身体から閃光が解き放たれた。
同時に、チアシードとメルティは非常階段に駆け出す。
「ぐわーっ! まぶしい! あんた魔法使いだったのか!?」
「その肉体……あの銭湯の男だったのかお! くっそー!」
まさか魔法が出るとは思っていなかったが、これはこれで儲けもの。
佐郷はチアシードたちの後を追うようにして階段へと駆け出した。
背後から「待て!」と呼びかける声が聞こえるが、それはじわじわと遠くなっていく。
「あったわ! 出口のレバーよ」
「よし、思い切り引いてくれ」
重い音をたてて天井が開いていく。見えてきたのは昨日と同じく、オレンジ色の夕焼け空。
追手は確実にこちらへ迫っているが、まだかなり下の方だ。
「メルティ。地上に出たら、階段へ向けて思い切り魔法を撃ち込んでくれ」
「了解! 待ってました」
完全に出口が開くと同時に、オレンジ色の空に向けて駆け込む。
そして全員が地上に出ると、見知らぬ女性が立っていた。
「──あら。そんなに急いで、どちらまで?」
薄手の輝くショールを纏った女性がニコニコと笑っている。柔らかな服装とは対照的に、その目つきは優しいというよりも、少しきつい。
「うふふ……」
ゆっくりと近付いてくる。
明らかに一般人とは異色の存在感を放っていた。初めてチアシードと出会った時と同じような、神々しい印象。
おそらく、この人物こそが──
「ざくろ! この裏切り者!」「随分と偉くなりましたね、ざくろ」
チアシードとメルティが、それぞれ目の前の天使ざくろへ言葉を投げかけた。
「うふふ、チアシード様。まだ家出について上へは報告しておりませんので、裏切ったことにはなりませんわ。私はあくまで女神の代理。白い家のお留守番の身ですの。──それから、メルティ。貴方も随分と出世されたようで……おや? どう見てもフツーの人間ですわ! うふふふ」
どうやらメルティとも旧知の仲らしい。
しかし、今は長話をしている場合ではない。
「メルティ」
「そうでした。集中……!」
メルティから魔力の風が吹き始める。
「あら、メルティ。あなた一発限りの優れた魔法を会得したようだけど……それを今使うのは、あまり得策ではなくてよ?」
「うるさいですね……その手には乗りません!」
「もう。これしきの擬態も看破できないの? では、ちゃんと見えるようにして差し上げますわ」
ざくろは指をパチンと鳴らした。
すると、周囲の平原がぽこぽこと煮え立つ湯のように膨らみ始め、その泡がそれぞれ一つの個体となった。
「す、スライム……! まさかとは思っていたけど、ざくろあんた、押収品を使ってるの!? 本当に怒られるよ?」
「ふふっ……これは私の罪にはなりませんわ。女神に言われてやったこと、そう記録いたしますので」
「その為に密告せず、私がまだ家に居ることにしているのね……姑息なやつ!」
ざくろはその指にはめた指輪を見せつけるように、何度も何度も指を鳴らす。
その度にスライムは10、20と数を増やし始める。
平原に擬態していたスライム達は、いつのまにか巨大な輪となってこちらを包囲していた。
「……メルティ。魔法は一旦ストップだ」
「くっ……」
メルティから魔法の気配が無くなる。
ざくろの言う通り、地下のスライムを消したところで、この状況から逃れることはできない。いたずらにメルティが消耗するだけだった。
「――はっ……はっ……やっと追いついたお……。足が届かないから階段は苦手だお」
「つーか、今更だがお前の体型どうなってんだよ。奇形ってレベルじゃねーだろ、常識的に考えて」
地下からの追っ手たちに、いよいよ追いつかれる。もう完全に逃げ場は無かった。
「八方塞がりか……」
「ど、どうしようハルアキ」
こうなってしまえば、徹底抗戦するか敵に降るかの二択だ。
「チアシード。君はざくろに女神の座を明け渡す気は無い。それで合っているか?」
「……それは」
チアシードは逡巡している。
こちらの無事と、あの悪魔めいた天使に権限を明け渡すことを天秤にかけているのだろう。どれだけ辛い思いを強いられるかは分からないが、優しいチアシードの事だ。その天秤は最終的に投降に傾いてしまうだろう。
だが実のところ、答えは最初から決まっている。
「まあ、チアシードが許しても、『俺』が許さんがな。戦うぞ」
「は、ハルアキ……!」
チアシードの表情が明るくなる。勝てないと分かっている戦だが、これでいい。リーダーとして、それぞれの譲れないものを守る責務がある。
「ふふふ、流石ハルアキさん。そう来なくては。私もざくろとは浅からぬ因縁があります。魔法を使わずとも、たんこぶの一つや二つ、作っていただきましょう!」
メルティはいつもの杖ではなく、黒鉄の杖を思い切り地面に叩きつけた。
その小柄な身体からは魔力の代わりに闘志が湧き出ているように見える。
「はぁ……野蛮ですこと。 戦力差の計算もできないお猿さん達は、やはり痛い目にあっていただく必要がありますわね?」
ざくろが「やっておしまい!」と叫ぶと、ヤルヲとヤランオが三人の前に立ち塞がった。




