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 チアシードの言っていた馬小屋はすぐに見つかった。

 壁の外か、よくて『一枚目』の貧困地区にあるものと想像していたが、実際には『二枚目』の外側(郊外とでも呼ぶのだろうか)に馬屋は並んでいた。


「すみません、我々は泊まるところを探しているのですが」


 馬にブラッシングをかけている大男にギルドカードを見せると、「向こうを使え」と首の動きだけで部屋を案内された。

 部屋といっても馬用の空き部屋で、他の部屋との間には木の間仕切りが一枚あるだけ。その間仕切りも少し背伸びをすれば隣が見えてしまう。覗いた先では、何人かのみすぼらしい格好をした人が奇妙な姿勢のまま動かなくなっていた。寝ているだけだと思いたい。


「話には聞いていたけど、実際に見てみるとひどい環境ね……」

「タダで寝泊まりできると考えれば、仕方のないことです」


 暖をとるのに十分な量の干し草がある。これを布団代わりに使えば良いのだ。少なくとも寝返りが打てる分、急ごしらえのハンモックよりはマシだと思った。

 疲労が溜まっていたのか、チアシードはあっという間に寝息をたてはじめた。


「しかし、ずいぶん面白いことになってきた」


 佐郷は誰に言うでもなく、呟いた。

 馬小屋の天井に空いた穴からは、満天の星空がこぼれてきそうなほど輝いている。


 日本にいた頃では、まるきり味わえなかった体験だ。自分の中に熱い生命が(みなぎ)っているのを感じている。一歩間違えば、この土地にそれをぶちまけてしまう危険もある。だがそれでいいのだ。

 ここが自分の求めていた世界だった。そう結論付けてもいいだろう。

 チアシードには感謝をしてもしきれない。


 ああ、明日は何をしようか。お金も仕事も知識も無い。無人島のサバイバルとは、ひと味もふた味も違う。今まで培ってきた常識が通用しない、異世界のサバイバルだ。

 とにかく明日を無駄にしない為にも、今は目を閉じて身体を休めなければ。


 星明かりに顔を撫でられるようにして、深い眠りに意識を委ねた。



 ――翌日。

 佐郷は目を開けると同時に、右手を伸ばした。

 眼前に飛来物が迫っているという直感のもとだった。

 意識があとから追いついて、自分の手に握られているものを確認する――ほうきだった。


「掃除してから表に出な」


 昨日の大男がこちらを覗いていた。天井の穴から漏れる光が逆光となり、顔が真っ黒に見えた。


 男が去ってから天井の小さな青空に目を細めていると、隣から「ぴぎゃー」と聞き慣れた悲鳴が聞こえた。


「なにこれほうきが降ってきたんだけど!? ざくろー!」


 チアシードが腹部にほうきの直撃を受けてパニックを起こしていた。


「我々の最初の仕事のようです。大丈夫ですか」

「ああ〜……ここは馬小屋の中だったわね。大丈夫よ、ちょっとビックリしただけだから。それにしても扱いがひどいわね……」


 チアシードはバケツに入った水を鏡代わりに髪の乱れを手櫛で直し始めた。天井から漏れるささやかな陽光を浴びて、その髪はつやつやと輝いている。例の変顔からは想像もつかない美人だった。


「ん? どしたの?」


 子供のように純粋な、くりっとした瞳で見つめられる。

 汚くほこりっぽい小屋においてなお、チアシードはこの場によく馴染んでいた。ほこりが作る光の柱のせいなのか、素朴さを内包した美人であるせいなのか、色々な要素が奇跡的に合わさった結果なのかもしれない。あるいは、女神とはそうした、世界中どこにいてもぴったりと馴染んでしまう存在なのかもしれない。

 とにかく数秒間、チアシードの美しさに見惚れてしまっていた。


「……いえ。さっさと掃除をして出ましょうか」


 なんとなく、それを直接伝えるのは躊躇(ためら)われた。

 一通り掃き掃除を終えて表へ出ると、例の大男が仁王立ちで待ち構えていた。


「遅い」

「すみません。慣れていなかったもので」

「ちょっとあなた、寝ている人にほうきを投げて起こすなんて非常識よ!」


すかさず、チアシードが男に対して非難を飛ばした。

 男の態度が気に食わないのはよく分かる。が、それを言ってしまうとこちらの分が悪くなってしまう。


「タダで寝泊まりしようと思う方が非常識だと思うがな」


 ああ、やっぱり言われた。どんな世でも物事はギブアンドテイクで成り立っているものだ。


「ぐぬぬぬぬぬ……なんか言い返してやってよハルアキ!」


 一方、チアシードの言うことも正しいと思う。不満があれば、それを口にする。秩序を守る上で絶対に必要なことだ。泣き寝入りや黙殺が向かう先にあるのは破滅でしかない。だから言葉を紡ぎ、伝える。それが人間である証だ。


「我々は掃除をしました。価値の釣り合う取引ではないかも知れません。ですが、誠意は見せたつもりです。あなたはどうですか」


 対等な取引とは、お互いが尊重し価値を認め合うことだ。この男にそれができるか。馬小屋に寝泊まりする人間を、馬と同じ家畜のように扱っているのではないか。


「ふん。口先は一丁前だな」

「我々は家畜ではなく人間です。不満があれば、それを伝えることができます。他の疲れ果てた冒険者はそれを忘れてしまっているかもしれません。ですが、我々は――」


 佐郷が言葉を続けようとすると、男は両手をぱんぱんと二回叩いて、強制的に中断させた。


「いつまで説教垂れるつもりだ。せっかくの『誠意』が冷めるぞ」


 男は意地悪そうな笑みを浮かべると、横にずれた。ちょうど死角になっていた位置にはテーブルが一つ置かれており、そこには牛乳、パン、目玉焼き、そして湯気の立っている赤いスープが置かれていた。


「……これは」

「馬小屋へようこそ、新米。俺は冒険者ギルドの『馬』当番をやっているマクナルだ。まあ食いながら聞いてくれ。『馬』ってのはな、ヒヒーンと鳴いてるやつ以外にも色々いるんだ。この馬小屋には新米も来れば、うだつの上がらない熟練新米みたいなやつも来る。俺はそいつらが本当に『馬』以下にならないよう、訓練してやってるんだ。分かるか? 新米。人間、飼われたら終わりなんだよ。自分で稼いで、自分で歩いていかなきゃならん。お前は正しいよ、ハルアキ。はやく『人間』になれるといいな」


 ぐうの音も出なかった。

 マクナルという男は、いつか見た乞食に似た口調で、正反対の事を言っている。持たざるものという環境に甘んじるなと言っている。

 この世界は未知のことだらけだが、自分と同じ考えを持っている人で溢れている。真っ赤な生命を滾らせる登山家で溢れている。


 この感動を少しでも分かち合いたくて、佐郷はチアシードの方を向いた。


「んぐっ……んぐっ……おいしいわ! ハルアキ食べないならもらっていい?」

「ダメです」


 さっきの美しい女神はどこへやら。猛烈な勢いで食事を始めていた。

 しかし、この実直さとパワフルさこそ、この素晴らしい世界を生き抜く上で必要なことなのかもしれない。






マクナル「そういえば、お前のギルドカードをまだ見せてもらっていなかったな」


チアシード「…………」スッ


マクナル「ブフォッ」



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