幼き憧れに別れを告げよう
長男ガイルと次男ゲオルグは年もそこまで離れていないことから、並んで過ごすことが多かった。
仲も良く、幼い頃は木の棒で決闘ごっこなどという遊びをして怪我をしては、従者や教師に叱られる日々だった。
その内に、長男であるガイルの帝王教育が始まった。
世襲制である王国は長男に王位を譲る習わしを主としていた。勿論、例外が出る事もあるが、概ね問題が無ければ長男が跡を継ぐ。
ゲオルグは王となるために励む兄の背中をずっと見ていた。
憧れの目で、尊敬の眼差しで。
兄のように勉学に励まなければと、ゲオルグはゲオルグで教師から教えを乞うようになっていた頃。
軋轢は生まれた。
周囲の大人達がゲオルグの才能を褒め称え始めたのだ。
一を教えれば十となって返ってくる。
剣術を教えれば師をすぐにでも越えるほどの才能を持っている。
誰もが天才であり、秀才であるゲオルグの名をあげた。
だが、それも直ぐに治まった。
王の後継であるガイルを前にして言ってはならぬ言葉であると、誰もが遅れて気付いたのだ。
皆、声を潜めた。次期王位を持つガイルの名を讃えながら、その裏ではゲオルグの方に王位を継がせるべきなのではと噂をした。
その噂を耳にしたガイルの表情は消え、今まで親しみを持って接していた兄としての態度は一変した。
幼いながらに、兄に嫌われたゲオルグは傷ついた。
自分が兄を悲しませてしまった。
己の行いが、国を混乱させるようなことをしてしまった。
兄となるべく距離を取り、学問は目の見える場所では学ばなくなった。信用できる家庭教師を密かに呼び出し、自室に引きこもりながら学んだ。
世間には王位よりも外に出て剣を振るうことが好きだと思わせた。実際、ゲオルグは剣術が好きだった。体を疲れるまで動かしている間は、何も考えずに済んだからだ。
王位も、兄から向けられる嫉妬も、周囲の期待する視線も何もかもを。
その頃からだった。増してきていた瘴気による魔獣討伐を中心とした生活となったのは。
王太子であるガイルは王城で父である国王の補佐を行なっていた。未だ勉学中の三男もいることだし、ゲオルグは好き勝手に過ごしていた。
だからこそ、聖女召喚の話が出た時も、それに伴い王位を交代するのだと知った時も、心から安堵した。
ようやく自身に向けられる感情が消えるのだと。
兄に疎まれる生き方が、ゲオルグには辛かった。
けれどそれも、ようやく終えるのだと。
その安堵は無駄となり。
しかし、ゲオルグはこの上ない花を見つけた。
アーリアという女性に惹かれたのは何だったのか。
一目惚れをし、一年の間眠る彼女を見つめる間、何度となくゲオルグは考えていた。
何一つ関心を寄せる感情を持たず、兄の視線から逃げるように剣に逃げていた自分が、どうして彼女を見た時から惹かれて止まないのだろうと。
答えは彼女の生き方にあった。
ひたむきに、真っ直ぐに召喚に向かい、あの細い腕で大義を成す姿。
自身が傷つきながらも、召喚を無事終えたことに喜びを見せたアーリアの笑顔を見た時から、ゲオルグは彼女に囚われたのだ。
その真っ直ぐさに憧れた。
幼い頃、兄を見つめていた自身を思い出させた。
眩しいまでに直向きに立ち向かうアーリアが、逃げてばかりだったゲオルグには羨ましかった。
だからこそ、今度は逃げたくなかった。
アーリアを好きだと思う気持ちから目を背けたくなかった。
それが、兄と対峙することになったとしても。
「何故、ナナヨの元にいるのだ、ゲオルグ」
「…………」
久方ぶりに見る兄の鋭い視線を、ゲオルグは逸らすことなく受け止めた。
「ガイル様……!」
ゲオルグと向かい合っていたナナヨがガイルに駆け寄り、抱き締められていた。
「ナナヨ! 大丈夫だったか? そんなに震えて……もう大丈夫だ」
「ガイル様ぁ……」
庇護されることに慣れたナナヨの様子に、ゲオルグは眉を顰めた。
その優しさ一つでも、ゲオルグやアーリアに向けられてさえいれば、何か事態は変わっていたのかもしれないと、傍観者のように考えていた。
「兄上。彼女が魔導師アーリアを追放した事はご存知か」
「……先ほど使いの者から聞いた。だが、それがどうした。その者はナナヨを傷つけたという。追放されて当然ではないか」
兄が、かつてゲオルグが憧れた者が、ここまで愚かになってしまったということにゲオルグは深く絶望した。
兄が求めていた国王の地位は、それほどに愚かな者が座る場所だったのだろうか。
絶望と同時に、ゲオルグは悲観した。
「兄上……本当にそう、考えていらっしゃるのですか」
「ああ。当然だ」
優しそうに、愛おしそうに聖女の髪を撫でる兄。
ああ、そうか。
兄もまた、一人の女性に囚われてしまっているのか。
ゲオルグがアーリアに囚われているように。
「……貴方がそこまで愚かな人だとは思わなかった」
たとえ、その女性を愛していたとしても。
超えてはならない一線を、王として下してはならない判断を行った兄を。
ゲオルグはただ、悲しい瞳で見つめた。
久方ぶりに見る兄は、あの幼い頃に憧れた姿をもう、喪ってしまっていたのだから。




