養父は苦労も厭わない
聖女との謁見が終わった筈だというのに、アーリアは戻ってこなかった。
いつ戻ってくるのだろうと待ちわびていた魔導師団の団員達の表情も曇りだした。
誰もが口を閉ざし、今か今かと扉が開くことを待っていた。
しかし夜になってもアーリアは戻ってこなかった。
「様子を見てくる」
エストラが重い腰を上げた。団員達は皆黙って頷いた。
あれほど聖女との謁見を待ち望んでいたアーリアがいつまで経っても戻ってこないことは、彼らにとっても悪い知らせとして受け止めていた。
エストラ自身、そう思っている。彼女にとって良くないことが起きているのだと。
聖女絡みで何か悪いことが起きたとなれば、それは国に反する行動と捉えられてもおかしくはない。
それだけ今の聖女には悪評もさることながら権力が集中してしまっている。
良くないことだった。
一時は支援されてきたガイル陛下と聖女ではあったが、もはや彼らの足元は瓦礫のように脆く崩れやすいということを、誰もが理解していながら口にしなかった。
瘴気は悪化を辿る。民の心は離れていく。
元国王と王妃も流石に黙っているには難しい状態になり、苦渋の決断をしなければならない時がくると。
最後まで抵抗したのは、次期国王として名前が上がっていたゲオルグだった。
彼は誰よりもガイル陛下に同情していた。
弟である自身と比較されることで兄を苦しめていたという自責が彼にはあった。それは、彼の責任ではなく周囲の責任であるというのに、それすらも自身の罪であると思っているのだ。
「ああ、でもゲオルグ様がこの事を知られたらどうなるのだろうな」
完璧とまで称される慈悲深き第二王子が唯一心を許し焦がれる存在となったアーリアが、聖女の手により窮地に立たされていると知った時。
一体あの穏健と言われる王子がどれほど激高するのか、エストラには想像もつかなかった。
「……これも運命の悪戯なのかもしれないな」
頑ななまでに王にはならない、王は兄が即位すべきと、誰よりもガイルを支援していた男が唯一愛する女性を傷つけられたとなったなら。
その強い意志はどうなるのだろう。
自然とエストラは苦笑していた。体には緊張が走り、笑っている状態ではないのに、だ。
まるで運命に突き動かされるような今の状況に、妙な興奮が抑えられなかった。
ただ、それだけ時代が大きく揺るがされようと、エストラが第一に優先すべきは、養女であるアーリアの安否だ。
聖女の住処となる後宮に足を運ぶエストラを、訝しげに見守る城内の者達の視線た刺さる。
誰もがみな感じている。
嵐の前の静けさを。
「追放……? 何故」
「聖女に背いた罰だ。命があるだけ寛大な措置と
思うのだな」
特使団の者を捕まえ、どうにか口を開かせたが、その回答は衝撃的でエストラは冷や汗が流れた。
さっきまで意気揚々と聖女に会いにいくのだと言っていたアーリアが、謀反の罪で追放されたのだという。
「仮に彼女が、アーリアが聖女様に反するような行いをしていたとしましょう。それにしては急な措置ではありませんか? 何の裁判もなく追放だなんて」
「当然の行いだ。あの女は聖女様に刃向かい聖女様が望まぬ召喚を行い、更には無理を強要したのだ」
「はあ? 無理とは何ですか」
アーリアは、聖女が望んでいると聞いて帰還の術を調べていた。その可能性が示されたために嘆願書を書き記し、聖女に謁見をと望んでいたのだ。
その何処に謀反たる行動があるというのだ。
「お願いです。アーリアは何処に連れて行かれたのか、それだけでも教えてください」
「ならん。知らせればお前も謀反罪で処罰するぞ」
「何という横暴さだ」
エストラは呆れた。
まるで暴君のような言動が信じられなかった。
今までは聖女という立場に遠慮していたが、もはやその意志は失った。
特使団の目は薄く淀んでいる。彼が崇拝するという聖女の何処に神聖さがあるというのだ。
「…………この件、ガイル陛下もご存知なのか?」
「回答しかねる」
まるで石像と話しているようだ。エストラは気分が悪くなり、挨拶もせずに男に背を向け歩き出した。
もう事態は魔導師団だけの問題ではなくなった。
後宮を後にし、魔導師団に戻ったエストラは腕を上げて魔術を唱えた。
青い光が集結し、一羽の鳥に姿を変えた。
「ゲオルグ様に言霊を渡しに行ってくれるかな」
青白く輝く鳥が頷いた。
エストラは薄らと微笑んだ。その目は少しも笑っていなかった。
「可愛い娘を酷い目にあわされて、許せる親がいると思うなよ」
魔術を込めた言霊を鳥に向けて放ち終えた後、鳥は羽ばたき空に向かって飛び出した。
「少しばかり忙しくなりそうだ」
他にもやる事は山のようにある。
ある種、こうなるべくしてなったような気がしないでもない。運命の歯車に上手い事回されているようで嫌な気分ではあったが。
それでも、一年間も眠りについていた娘が幸せになれる未来が待っているかもしれないと思えば。
「父親として出来ることをしてやりたいものだからね」
どんな労力も厭わない。




