謁見の時
数日して、魔鳥の討伐に向けて討伐隊が出発した。
街の窓から見守る人や、外に出て声援を上げる人々の中を、黒馬に跨り手を振るゲオルグ様の姿を私は遠くから見守っていた。
大勢が押し寄せゲオルグ様や討伐隊に声をあげる中、ゲオルグ様と目があった。
初めは気のせいだと思っていた。
あまりにも人が多い中、目が合うはずがないと思っていたからだ。
けれどゲオルグ様は真っ直ぐに私を見据え、少しも逸らさずに見つめていた。
そしてほんの少しだけ口角を上げ、私を安心させるように手を振ってくれた。
『行ってくる』
唇の動きだけで、そう仰っていたように思ったのはきっと、気のせいではないだろう。
私は祈るように手を合わせ、彼らの帰還をその場で強く願った。
「朗報だよアーリア。謁見の許可が下りた」
なるべくいつものように仕事に励んでいた私の元に、師匠が朗報を持ってきた。
朗報と……いえるのだろうか。
ついに会える機会ができたのかと思うと体が強張った。今から緊張が走る。
「いつでしょうか?」
「急だけど、二日後だよ」
「二日後……」
従来の謁見の期間を考えれば異例ともいえる時間の短さだった。
「嘆願書を渡した遣いの者から話を聞くに、ガイル陛下が干渉しない間に時間を設けたいそうだ。しかも、君だけと話をしたいと」
「私とだけですか?」
てっきり師匠と一緒に会えると思っていたので緊張が余計に増した。
「聖女様は君に随分思い入れがあるのかもしれないね。良い意味でも、悪い意味でも」
「…………」
「手助けすることも出来ずすまない。扉の前で待つことも出来ないと言われた」
「そんなにですか……」
今まで数多くの嘆願書を提出し、一度たりとも受理されることがなかった師匠の表情は陰っていた。せめて、せめて一目でもお会いできれば何か変わるのかは分からない。ただ、私一人に全てを任せるには荷が重いことを理解して下さっているのだ。
「大丈夫ですよ師匠。私がきっと聖女様を説得して、全てが終わったらお戻り頂けるように全力を尽くします!」
「アーリア……君って本当にいい子だなぁ」
頭をグリグリと撫でられ、私は気を引き締めた。
そして二日後に向けて準備を進めていく。帰還の召喚に関する魔法はまだ完成していない。けれど、兆しは見え始めている。あとは時間と聖女の協力さえあれば、不可能ではないかもしれない。
その期待を胸に、緊張や恐れで委縮する気持ちを叱咤した。
どうにも拭えないでいる不安をかき消すためには、それぐらいしか思い浮かばなかったからだ。
(せめてゲオルグ様がお戻りになるまでに、少しでも前進していたい……)
今もなお討伐のために前線へと向かわれているゲオルグ様を思えば、自分の不安なんて小さなものだった。
二日が経った。
私は普段着とは違い正装した服で謁見の間に向かった。
手に持った書類はカタカタと震えて揺れている。
(深呼吸……落ち着かなきゃ……)
これほど緊張したのは、聖女召喚を行う前の時かもしれない。
重圧に押しつぶされそうになりながらも、重苦しい扉が開くのを待った。
謁見の間と呼ばれるそこは、聖女が召喚されてしばらくしてから作られた物だった。
使用されていなかった後宮の離れを聖女の宮とした陛下は、聖女が入ると即座に工事に移った。
少しでも聖女が快適に過ごせるように。ほんのひと時でも聖女にとって心が休めるような空間にするために。
控えめだった離れは今や王城のどこよりも華美で明るい宮へと様変わりしていた。
その中でも特に広い部屋を謁見の間と名付け、私のように聖女に謁見を許された人と対面する場所として使われている。
ただ、実際に使われる機会はほとんど無いらしい。
あるとすれば、聖女が直々に商人と会って買い物をする時や、陛下とささやかなパーティを催す時に使っていると聞いている。
あれほど沢山の謁見したいという嘆願書は、何一つ意味をなさず一年の時が経ったのかと思うとやるせない気持ちにもなった。
突然召喚されて戸惑うことも分かる。こちらもその事には深い罪悪感はあった。
それでも一年の間。ただ呼び出された世界で何をすることもなく王城で過ごすだけである聖女に反する感情を抱く者も現れている。
だからこそ、私は少しでも可能性を信じて帰す方法を探した。そしてどうか、この世界の瘴気を消滅して頂きたい。そのためにはどんな事だってやり遂げてみせる。聖女のどんな願いだって叶えてみせる。
目の前の扉が低音を響かせながら開いた。
少しずつ光が差し込んでくる。
扉が開いた先には、一人の女性が座っていた。
茶色い髪に、黒い瞳の少女だった。
少女は、上質で美しい流行のドレスを着ていた。身に着けている装飾も可愛らしい、特注の品だろう。見たこともないデザインのためそう思った。
彼女を護衛するように離れた場所には複数の兵士が立っている。その視線は鋭く私を見る。
「貴方が私を呼びだしたアーリアさん?」
大人しそうな、か細い声だった。
私はそのまま首を垂れる。
「アーリア・ストラトと申します」
「そう……貴方が……」
冷ややかな声だった。
少しばかり非難するような、けれども蔑むわけでもなく何処か突き放されるような声色。
無理もないと思った。
私は彼女を呼び出した諸悪の根源とも言える存在なのだから。
「使いの方から聞きました。一年の間眠られていて目が覚めたって」
「はい」
彼女の言葉には魔力が含まれていた。多分、彼女自身は彼女の国の言葉を話しているのだろうけれど、魔力によって私の耳には翻訳して聞こえてくる。魔法陣で召喚する時に合わせて彼女に掛けられた魔法なのだろう。
「ずっと……アーリアさんに聞きたいことがありました」
「……はい……」
聖女が息を飲む音が離れた私にも聞こえてきた。
「私を……元の世界に戻すことはできますか?」
「……方法は見つけることが出来ました。ただ、聖女様を召喚した時と同様、初めての試みとなります。成功した実例はございません」
師匠とこの質問があった時にどう答えるかは考えていた。
可能性はあるけれども、確実ではないことは正直に伝えるべきだという結論に至った。
そして合わせて彼女を動かすための一手を打つ。
「ただ、現状瘴気の濃い状態で帰還の儀式を行うことは困難であることは分かっております。過去の書物からも、聖女様が全ての事をなし終えた際に帰還したと記されて……」
私は言葉を止めた。
聖女が嗤っていたからだ。
「そうなの……帰れる方法は、やっぱりあったの……」
「は、はい……」
様子がおかしいとは思った。
不安で体が震える。
彼女は本当に、聖なる力を宿した女性なのかとすら疑うような、そんな雰囲気があった。
召喚したばかりの頃、微かに感じ取れていた清廉されたような空気が不思議と今は感じられないと気付いたのはその時だ。
この一年の間に、聖女に何かあったの?
「帰還するためには帰る先から私を求める声と、貴方の力が必要って聞きました」
「はい……」
確かに嘆願書にしたためていた内容だ。多分、特使団の者から聞いたのだろう。
「だとしたら、私にとって一番の邪魔は貴方だわ」
「はい…………はい?」
今、何て言った?
「私ね、この世界が大好きになったの。ガイル様は私を愛してくれるし、危険から遠ざけてくださった。怖いことはしなくていいよって」
「…………」
体が恐怖から震えた。
私が今対峙している方は、本当に聖女なのだろうか。
「ねえ、アーリアさん」
聖女は穏やかに笑みを浮かべて私に声をかけた。
「この国から消えてくれません?」
私にとって残酷な言葉を吐きながら。




