束の間の別れと、それからの約束を
嘆願書の内容は長文となり、何枚にも渡り記された。
特使団には、直接口頭でも事情を踏まえた上で渡すことにした。
何故なら、国王に触れれば確実に却下される内容だったから。
特使団の中では王に忠誠を誓う者と、聖女を崇拝する者に別れていた。その後者に、私と師匠は内々に嘆願書を依頼した。
「……聖女様には伝えておく」
「ありがとうございます。何卒」
私は特使団の男性に書状を託し、深く頭を下げた。
どうか、どうか聖女に会えますように。
その先に見える明るくなる未来を、私は信じるしか術が無かった。
「ついに王城付近にまで魔鳥が現れるようになった」
師匠の言葉に私は黙った。
魔鳥とは、名の通り魔物の中でも翼を持った種族だ。空からの襲撃ということもあり、街中をその翼と鋭利な爪で襲うこともあるため、最も恐るべき魔物だった。大型であるために迎撃するにも時間を要する。しかも、街中で討伐すれば被害が大きいため、魔鳥の住処や人気のない草原などにいる間に討伐しなければならない。
私がその話を聞いてすぐに思い浮かぶのはゲオルグ様の姿だった。
「……ゲオルグ様は向かわれるのですね」
私の言葉に師匠は頷いた。
「討伐の総指揮を任されたようだ。出立の日も近いだろうね」
「…………」
不安が身体中を這い回る。
ゲオルグ様の笑顔を思い出せば出すほど胸が苦しい。
「……今日の仕事は休みにして、会いに行くといい」
「……ありがとうございます」
いてもたってもいられず、私は走り出す。
危険な目に遭われてしまう。
最悪、命を落としてしまうことだってある。
私の父と母のように。
私の両親は私が小さい頃に命を落としたという。呆気ないほどに命は儚く消え失せる。
ゲオルグ様が強く、どんな魔物も討伐されている話は知っている。それでも絶対に安全だなんて言えない。
息が苦しくなる。体力が戻ったとはいえ、一年前よりも体力が減っている私の体は、少し走っただけで疲れだした。
それでも、足は止めずに走る。
向かう先は、私の部屋。
「アーリア」
「はぁ……はぁ……ゲオルグ様……」
一度部屋に戻り、ある物を見つけてから私はゲオルグ様を探しにまた走っていた。
運良くゲオルグ様はいつもお会いする庭園の馬小屋で馬の世話をされていた。ゲオルグ様に合う黒馬のブラッシング中だった。
私の姿を見ると急ぎ迎えにきてくれた。
「どうしたんだ、そんなに急いで」
「どうしても……お話したいことがあって……」
「無理に喋るな。ゆっくりで構わない」
優しく肩を撫でられながら、私は椅子に座らされた。いつものように跪きながら私を心配そうに見つめる黒い瞳。
心配するのは私の方だ。
「……討伐の総指揮をとられると聞きました」
「……ああ。そうだ」
どうして私が急いで向かってきたのか察したゲオルグ様が、私の両手を優しく握りしめた。
「お前をこんなにも不安にさせてしまったんだな……震えている」
「…………」
走って体が疲れたからではない。
怖くて、私はずっと震えていた。
ゲオルグ様を失ってしまうことが、何よりも怖かった。
「誓うよ。必ずお前の元に戻ってくる。お前を一人には決してさせない」
私を心から安堵させるように、黒い瞳が私を見つめながら微笑まれたけれど、それでも私には不安しかない。
「…………信じられません」
「嘘はつかない」
「だって! そう言ったって、人は死んでしまいます……!」
私の両親がそうだったように。
私の父と母は魔導師団で働いていた。二人して幼い私を乳母に預け、そのまま帰らぬ人となった。
魔導師団の中でも強い魔力を誇っていた二人だという。
それでも、死んでしまう。
「ゲオルグ様に何かあったら……私は……」
「心配してくれるんだな」
「当たり前です!」
怖くて、悲しくて目尻に涙が浮かぶ私を、ゲオルグ様は嬉しそうに笑った。
「……何で笑ってるんですか」
「すまない。そこまでお前が俺のことを考えていることが嬉しくてな」
「…………」
「少しは期待してもいいだろうか」
掴んでいた手が少しずつ上に上がり、両肩に触れる。
「アーリア」
「…………」
私は黙り、ポケットに仕舞っていた物を取り出した。
さっき部屋から取ってきた護身魔法を込めた宝石だった。
「これをお持ち下さい……護身魔法を込めています。何かあればきっと、ゲオルグ様を御守りできます」
「ありがとう……」
私の手元からそれを受け取ると、ゲオルグ様は大事そうに握りしめた。
「…………ゲオルグ様が無事に戻られたら、ちゃんとお答えします。私が、ゲオルグ様をどう思っているのか……」
本当は、もうずっと惹かれていた。
誰よりも優しく私を包みこんでくれる温かな腕を、ずっと前から知っているような声を。
それでも立場があり、素直に肯くことも出来なかった。
けれど今思った。
どうなってしまうか分からない命を大切に思うのであれば身分なんて関係ない。
私はただ、この想いを素直に伝えたい。
私も貴方が好きですと。
「だからどうか、無事に帰ってきてください……」
「ああ。必ずお前の元に戻ってみせる。だからどうか、今からする我が儘を許してくれ」
我が儘?
何を言うのだろうと開いた口が、陰に隠れる。
そうして目の前にいるゲオルグ様の唇に塞がれて。
私は自分が口付けされていることに暫く気がつかなかった。
少しして離れた唇の感覚とゲオルグ様のお顔を見て、ようやく私は理解した。
「…………!」
「今の俺は無敵だな」
屈託なく笑うゲオルグ様の顔も私のように少し赤くなっていた。
「……絶対にお前の元に戻ってくるよ。そうしたら返事を聞かせてくれ」
「…………はい」
さっきまで溺れるようだった不安が、今はもう霧散した。
不思議だけれど、いつだってゲオルグ様は私の心を優しく包んでくれる。
無事に戻ってきてくれることを願いながら、私は長いことゲオルグ様の手を握り締めていた。




