ただ一人にとっての聖女
「ゲオルグ様……あの、降ろして頂けますか?」
「もう少しで到着するから」
「さっきもそう仰ったじゃないですか」
王妃とリース姫のところを出てからずっと抱き寄せられたままでいる私は、何度か降ろしてもらえないかと頼んでは今のように断られている。
重くないだろうかと不安になるのだけれど、逞しい腕をしたゲオルグ様は全く疲れを知らず軽々と私を抱き抱えている。
まるでか弱い女性のような扱いに慣れず、更に王城内の使用人の方に見られるため居た堪れない。
少しして、私は見覚えのある場所に気がついた。
「ここは……」
「ああ。俺の住処みたいなものだ。アーリアにとっては、俺と初めて会った場所でもあったな」
「はい」
つい先だってにお会いした時のことを思い出す。
自然に溢れたこの空間は、とても居心地が良かった。
ゲオルグ様が側にあったテーブルの前に置かれた椅子へ私を丁寧に降ろしてくださった。以前と異なるのは、その私の隣に近づいてゲオルグ様が跪いているということだ。
「あの……?」
「何だ?」
「どうしてそのような姿勢でいらっしゃるのですか?」
「うん? こうしていた方がお前を身近に見れるだろう?」
何を言っているんだ? とばかりに言われますが、そもそも第二王子に跪かれる私がおかしいのですよ……
けれどこれ以上口出ししても、きっと上手くかわされることを学習したので、私は話を進めることにした。
「以前のお約束を覚えていてくださったのですね」
約束とは、国の禁書に関することだった。
師匠と一緒にゲオルグ様に頼んだ話の一つ。帰還するための禁書をゲオルグ様は覚えていて下さった。
「ああ。父や兄の権限を使っては目立つがために母の名を借りた。兄も、母にはまだ頭が上がらぬ様子だ。だが、俺からという話になると複雑となるため、妹も合わせて名を借りた」
「それが先ほどの場ということですか?」
「そうだ。妹がお前に礼をしたい。その礼として、魔道士として禁書を閲覧したいがため、それを王妃と共に許可したというように提出させる」
「ありがとうございます」
これで一歩、聖女様に近づけたような気がした。
ふと、伸びた私の髪にゲオルグ様が触れる。
「美しい髪だ」
「…………」
「本当ならば、誰にも見せず閉じ込めておきたいくらいだよ」
「何を……」
流れるように髪に唇が触れる。
「たとえ世が今の聖女を讃えようと、俺にとってはお前が聖女だよ。どうかお前を守る役目を俺に与えてくれ。俺だけの聖女」
目を閉じ髪に触れたまま、ゲオルグ様は囁かれるから、私は息をすることすら出来ないぐらい固まってしまった。
ふと、我に返ったようにゲオルグ様が顔を上げる。
「ああ、すまない。つい眠っている間の習慣が出てしまった」
「眠っていた間の、習慣?」
立ち上がり、先ほど王妃様の前で見せていたように顔を僅かに赤らめながら他所を向くゲオルグ様を、私はじっと見つめた。
「…………引くなよ。お前が寝ている間は、よくこうして話しかけていたんだ」
「…………」
「頼むから引かないでくれ」
引きません。いや、引くかもしれないけれど。
そんな。
そんなことを眠っている間にされたと聞いて。
「………………!」
この上なく恥ずかしくなって、私は顔から火が出ているようだった。熱い。熱すぎる。
「……禁書は多分間も無く読めるようになる。あとは、謁見に向けて動かねばな」
話題を逸らすように、ゲオルグ様が話して下さったお陰で、私もようやく平静を取り戻した。
「はい。早くお会いしなければ」
「無理はするなよ。今の兄は聖女に腑抜けだ。あれはもう、王としての意思からかけ離れている」
私が直接ガイル様にお会いしたのは、それこそ召喚の直前までだった。王となってからは一度もお会いしたことはない。
ただ、噂で聞く限り、瘴気の事に関して解決の兆しがなく、さらには聖女を擁護し続ける姿勢は悪化を辿るという。
「今の兄は、お前に何かするのではないかと、俺は気が気じゃない。どうか無理だけはしないでくれ」
「……はい」
心から心配してくれるゲオルグ様の心遣いが嬉しくて、愛おしくて。
私はこの庭園で流れる穏やかな時間が長く続けば良いと願った。
けれど時間も現実も残酷だ。
そんな時間は、一瞬にして終わるのだから。
禁書を閲覧できるようになって数週間が経った頃。
「……ありました、師匠」
私は声を震わせながら師匠を呼んだ。何日も寝ていないためか、視界はボヤけていたけれど、それでも手に持った書物の内容はハッキリと分かった。
私と同じく目に隈を作った師匠が駆け寄ってくる。何日帰宅していないのだろう。それは私も同じだけれど。
「これです。多分、この魔法陣ですよ」
「………………なるほど」
古い書物の魔法陣と、そこに書かれた仕組みを読み解いた師匠が頷いた。
「確かに道理は召喚時と一致している。真逆に作るのではなく、向こうから呼ばれていることを前提に転移させると」
「はい。あくまでもこちらからは移動手段とし、向こうが召喚していることで、こちらで魔法陣を書くということでしょうか。ただ、そうなると」
「聖女の世界で、聖女を呼び戻したいと願う者の声が必要になる」
聖女を召喚するために、私達は召喚を魔法によって呼び寄せた、ということが召喚の道理であった。
同様に聖女を帰還させるためには、聖女の世界から魔法では無いにせよ、呼び寄せるという術が必要になるということ。必要な魔導はこちらで全て用意をした上で送還するという手立てだった。
「ただ……」
「ああ。問題は一つ。成功した事例がないということだ」
この事実を聖女に話すことが。
私にとって大きな節目となった。




