恋紡ぐ一年の花
聖女召喚が成功した後、アーリアは眠り続けた。
魔力が枯渇し、命すら落としかねない状況だった彼女を救い上げたのは、彼女の師たるエストラだった。
ゲオルグは、一日に何度となくアーリアの眠る部屋に訪れた。いつ何時目覚めるともしれない彼女が目覚める日を、今か今かと待ち望んでいた。
「あんまりウロチョロされると集中できませんけれど」
とうとう我慢の限界だとばかりに、アーリアを治療中のエストラがゲオルグに投げかけてきた。
「すまない。どうしても気になってな」
「見舞いに来てくれるのは嬉しいですよ。彼女に会いに来て下さる方なんて、もう殿下と私の部下達ぐらいですから」
一時は訪れていた聖女召喚の関係者も、今は聖女ナナヨにかかりきりで、アーリアの様子など気にもしていない。
ゲオルグの兄である王のガイルは一度も見舞いに来てもいない。聖女には毎日のように会いに行くというのに、召喚したアーリアの存在などなかったように振る舞う。それがゲオルグを苛立たせているとも知らずに。
眠るアーリアの髪にゲオルグが触れる。
「少し伸びてきたな」
「ええ。眠ってはいる状態ですが、体は成長していますから」
毎日エストラが魔力を注ぐことにより、彼女の体は癒えてきた。食事などの栄養や体力を回復させるのは魔力だけでは補えないため、毎食ペーストにした食事を彼女の口から与えたり、眠っている間に体に触れて動かすようにしている。
そしてその作業を、ゲオルグは時間が許す限り行っていた。
「貴方は変わった方ですね」
「ん? そうか?」
慣れた手付きでスプーンに入ったスープを溢さずアーリアの口元に寄せて飲ます。
すっかり眠るアーリアを抱き起こし、自身の逞しい腕で支えながら食事を与えることに慣れている王子を見て、エストラは呆れた様子でため息を吐いた。
「私の娘はどうやら厄介な相手に好かれたようですね」
「ははっ。その通りだな。アーリアが目を覚ます日を待ち望まない日はない。早く声を交わしたい」
「話したこともない相手をどうやって好きになったんですか?」
ふむ、とゲオルグは考える。
「俺にも分からない。何せ初めての経験だ。既婚者たるエストラ殿の方が、その点は詳しいのではないか?」
「その口がよく仰いますねぇ……」
エストラは言うつもりはないが、目の前にいる第二王子がそれなりに女性とお付き合いしている話は耳にしている。俗に言う遊び相手、だ。
聞こえは悪いが、ゲオルグの人柄が表れているのは、あくまでも双方想い人や結婚の話が出れば関係は解消するようにしていた。以前お付き合いしていたという令嬢に婚約者ができたと分かると、お互い未練もなく付き合いを解消していたあたり、やはり人となりが出ている。
そして聖女召喚の儀が行われて以来、ゲオルグから女性と付き合っているという類の話は一切消えた。
そうした日々の繰り返しが、ついに半年続いた。
「すっかり冷えてきたがアーリアは風邪は引いていないか?」
部屋を温めるよう魔法具で調整され、外の寒さは感じないものの、ゲオルグはアーリアが風邪を引かないように彼女に毛布を掛けた。
聖女召喚の儀から半年経った今も、アーリアは目覚めなかった。
エストラの言うことには、未だ魔力が回復していない状況らしい。ただ、命に別状はないため、あとは眠りから目覚めるのを待つだけで良いとのこと。
自然に魔力が回復するのを待つだけとなったアーリアに、エストラが魔力を注ぐことは既に止めていた。
季節は冬に入っていた。
瘴気は未だ増え続けているが、この寒さに魔物も冬眠をするため大きな騒動は無い。
だが、国内には不穏な空気しかない。作物が例年に比べて凶作であるため、物価が高騰し冬を凌ぐための食糧調達が困難だという話も出ている。
エストラは魔導師団長として、冬を乗り切れない民のために注力しており、こうしてアーリアの見舞いに訪れる者もゲオルグのみとなった。
例年ならば王国内に滞在せず、縁戚の別邸に行ったり騎士団に居座るゲオルグだったが、今回は王城で過ごすと明言していた。勿論、アーリアを見舞うためだ。
兄であるガイルは不満そうな顔をしていた。警戒心を持って弟を見る。
その視線の意図としては、聖女の魔術訓練が順調ではないことで、風当たりが厳しくなっていることが関係しているだろう。
国での生活になれた聖女は、魔物の話を聞いて恐ろしいとばかりに部屋に引きこもっている。魔法を覚えれば魔物と対峙するのかと思えば、魔法を覚えたくないと泣く。
そして、それを宥め、無理をしなくて良いと許している兄に、ゲオルグは何も言えなかった。
ガイルが聖女に抱く感情に、ゲオルグも覚えがあったからだ。
「春になればまた討伐が始まる。こうしてアーリアに会える時間も少なくなってしまうんだな」
その頃には目覚めているだろうか。
あるいは、という期待を抱きながらどれだけの月日を待っただろう。
あまりに待ちすぎると、段々と別の欲が膨らんでくる。
「お前は嫌がるだろうけど、俺はこうしている時間がすごく……幸せなんだ」
誰にも邪魔されず。
ずっとアーリアと二人きりでいられる時間。
それはゲオルグが感じたこともない、独占欲から芽生える至福の時間でもあった。
時は無情にも、更に四ヶ月が経ち、雪が溶け花が咲く時期になった。
「久しぶりだな、アーリア」
王国内の病室の住人と化したアーリアの元に、討伐から帰ってきたゲオルグは我先にと彼女の元に向かった。
すっかり伸びた髪に触れる。肌の色も赤みを増して、いつ目覚めてもおかしくないと言われている。
「会いたかった」
眠るアーリアの手を取って甲に口付ける。
せめてこれだけは許して欲しいと、彼が日課としている挨拶でもあった。
聖女が召喚されて十ヶ月が過ぎたが、瘴気は更に悪化しだしている。既に一つの小さな集落が崩壊し、救民措置にゲオルグも駆り出されるようになった。
そのため、日課としていたアーリアとの逢瀬も、二日に一度、三日に一度と減っていった。
「いつ目覚めるか分からないというのに、離れるのは辛いな」
久しぶりにゲオルグ自ら彼女に食事を与えながら、彼は既に習慣化した独り言を続けている。
不思議なことに、こうして話をしているとアーリアが微笑むことが多いのだ。まるでゲオルグの話に耳を傾けていてくれるようで、ゲオルグはアーリアに会えば他愛の無い話を続けている。
「これからは遠征も増えてしまう。町の防衛強化にも手を貸してくる。もしできれば土産でも持ってくるよ」
スプーンにすり潰した果実を掬い、アーリアの口に含ませる。
果汁が溢れ、口の端から垂れる。
「すまない」
慌ててゲオルグの指で果汁を拭う。
赤く潤った唇に目がいく。
ゲオルグは息が止まった気がした。
まるで誘惑されたように、アーリアの唇に向けて自身の唇を近づけた。
触れる直前で、動きが止まり。
勢いよく離れた。
「……………………」
顔を真っ赤に染めたゲオルグは、自身の顔を手で覆い、大きく息を吐いた。
「…………危なかった……」
あと一歩間違えれば確実に眠るアーリアに口付けていた。無意識とは、本能とは恐ろしい。
無造作に髪を掻き、ゲオルグの胸元で眠るアーリアを見つめた。
「ずっと眠ったままでもいいと思ったんだがな……」
それなら永遠にゲオルグが独り占めできるから。
「でもやはり駄目だ。早く目を覚ましてくれ。このままではお前に口付けしても良いか、聞くこともできない」
目が覚めたのなら、溢れるばかりの自身の想いを告げられる。
彼女が許しさえしてくれれば、いくらでも口付けをしたいと思った。
その想いが報われるか、報われないかの不安はある。
けれど。
たった一言でもいいから。
ゲオルグは、アーリアに名前を呼ばれてみたかった。
そしてついに、一年の時を経てアーリアは目を覚ました。




