九話
もともと渚の持ってきていたものは少ない。
家具といっても最低限のものしか用意してなかった渚の部屋からの引越しはそんなに時間のかからないはずだ。
用意していた軍手をつけて渚の部屋から俺の部屋へと色々と物を運び出していく。
渚はマットだとかあまり力の必要のないものや食器の入った段ボールなんかを頼んで俺は少し大きめの家具であるベッドや食器棚、勉強机をはじめとしたものを気合いを入れて持ち上げて部屋まで持ってくる。
「渚ー、勉強机どこに置くー?」
渚の部屋となった空き部屋には既に可愛らしいマットがフローリングを隠すように敷かれており、机なんかを置いても傷を残すことはなさそうだと一安心しながら問いかける。
「あー、えっとそれじゃあ扉の横にお願いしてもいい?」
「ここか?了解、すぐに他の部分も持ってくるから」
勉強机を運ぶために分解していたため何回かに分けて持ってくる必要があるが、それは仕方ない。
そもそも勉強机なんて言っても渚が持ってるのは店頭で見れば3〜4万はする立派なL型のシステムデスクだ。
同じ長さの長方形のデスク2組と正方形の小さなデスクを並べてやればそこには立派なデスクの完成だ。
置いたところの長さ的にも部屋の角に丁度正方形のデスクが来るようになっていて物が落ちることもないだろう。
「ありがと、次持ってくるのって何?」
「一応、ベッドの予定。どこに置くとか決めてある?」
「うーん、それじゃあデスクの対面側の壁際にお願い」
「はいよっと」
そんなこんなで十数回往復すれば、渚の部屋もだいぶ人の生活できる空間へと変わっていく。
持ってきた棚には渚がこれまで獲得してきた数々の金賞トロフィーや盾が所狭しと並べられ、さきほど並べた机にはファイルと教科書やノートを並べるためのボックスが置かれ、その中に所狭しとファイルやノート、教科書が詰められている。他にも高性能ノートPCや家庭用プリンター、小さな電子時計なんかが置かれている。
部屋の中央には小さめのテーブルが置かれ、トロフィーたちが並べられている棚の隣には少し大きめの本棚も設置されてその半分以上を綺麗に文庫本や漫画本だけでなく参考書やピアノやヴァイオリンの譜面が並べられている。
そして、渚の部屋の中にあるもので一番重たかったのは矢張り高級感あふれるあの電子ピアノだろう。
こればかりは一人で持てなかったから、渚と一緒にゆっくりと運んだんだが二人で持ってもかなりの重量を誇ったこの電子ピアノは渚がピアノを始めてすぐの頃に買ってもらって昨年の年末のコンクールまでずっと渚と時間を共にしてきた彼女の相棒でもある。
そして、その隣にこっそりと置かれたヴァイオリンは確か3台目だっただろうか……しっとりとして美しい艶を感じさせるそれを渚が奏でるのは今度はいつになるんだろうと心の中だけに仕舞っておく。
「陽翔が聴きたいなら弾いてあげるよ?ピアノもヴァイオリンも、私習い事はやめたけどね。陽翔に聴いてもらう為にこの子達を弾くのは大好きだから」
「うん、また聞かせてほしいかな」
「任せて!……まあ、私は陽翔にピアノ弾いてもらって私がヴァイオリンを弾いてセッションするのを夢に見てるわけですが……」
ボソッとつぶやいたその声は流石に俺にも届いていた。
中学に上がってから、渚が陽翔とセッションしたい。
なんていい始めたもんだから、それならと趣味程度で始めた渚の運指を真似ただけのピアノだが……
「渚のヴァイオリンとセッションできるだけの腕前ではないかな……」
「私の運指を完コピしてる癖に何いってるの?」
「自分の腕じゃないからさ、それじゃあ渚が一人でセッションしてるのと変わんないだろ?」
「ぶーぶー」
頬を膨らませて抗議する渚を横目に、少しだけピアノの鍵盤を叩く。
ピアノには申し訳ないけど、そのまま片手で適当なリズムを奏でてみて、やはりダメだなと自覚する。
「ホラな?」
「確かに少しだけテンポズレてたけどさぁ」
「ダメダメ、ほら続きやらないと終わんないぞ」
そそくさと部屋から出て今度は家具類を持ち出すために、俺は再びだいぶものが減った渚の家の中へと戻っていった。
家具類が意外と小さなものばかりだったのもあってその後の作業はあっさりと終わりを迎えた。
持ってきた食器系統なんかは渚が全て片付けてくれたおかげで俺は本当に運び出しと設置だけで終わったのも時間がそんなにかからなかったことに関係してくるだろう。
流した汗をシャワーで順番に洗い流して、少し遅めのお昼ご飯を食べることにしたんだが……
「なんか、今から作るのも面倒だよなぁ」
「私は構わないけど……?」
「せっかく引越し作業終わったんだから、ゆっくりしない?ってなわけでたまには出前でも取りますか」
テーブルの上に置いてあったスマホの電源を入れてこの付近のデリバリーサービスを検索する。
「色々出てきたね……」
「だな、何か食べたいのあるか?」
スマホの画面を見るためにまたぴったりとくっついてきた渚はもう既に作業はないしシャワー浴びた後だから薄着になっている。
色々……主に自己主張が激しいその胸がまた腕に絡みついてきているので理性がピンチになりかけるが必死にこらえて平然を装う。
「うーん、どれも美味しそうだけど……今日はピザにしよっか!」
「おっけー、それじゃあ。これと、これだな」
「わかってるぅ、さっすがはーくん!」
某有名デリバリーピザ専門店のページに飛んで俺と渚の好きなピザを一枚ずつ注文する。
昔からピザをデリバリーするときは同じものを頼んでいたからその2つを選ぶことが自然になってた。
「支払い方法……?ああ、口座引き落としでいいだろ」
「今ってそんなこともできるの?」
「まあ、ウェブ口座からの引き落としって最近いろんなところで出来るようになってるらしいしなあ」
俺が持ってるいくつかの口座の中から1つを選択して支払いを済ませて仕舞えば、あとは待つだけだ。
「お金、いいの?」
「なにが?」
「だって、私も食べるんだよ?」
「これから同じ財布の中でやりくりしてくのにそんなこと気にすんなって」
「えへへ……なんだか夫婦みたいだね……」
よほど恥ずかしかったのか……それとも照れてるだけなのかわからないが俺に顔が見えないように抱きついていた腕の中に顔を隠してしまいながらそんなことを口にしていた。
「まだ、付き合い始めたばっかりだろ。でも、やってることは変わんないんだよなあ」
「て、照れるね?」
「……そうだな」
誰かがいるわけじゃないけど、それでも自分の顔が少し熱を持ってるのがわかる。
気まずくなって、無言になるが……そんな無言の時間も、なぜか心地よく感じてしまった。
宅配されてきたピザは渚が受け取りに行き、その際配達しにきたのが進藤だったのは流石に驚きだった。
「えと、新海と風祭さんって同棲してるの?」
「あっと……その」
「なんでそう思ったわけ?」
そんな進藤の言葉に質問を返してみれば答えはすぐに帰ってきた。
進藤が無言で指差した方を見ればうちの表札、変なところなんてあったかなと見ればそこには
【新海・風祭】
俺は大きくため息をついて、進藤の肩を掴んだ。
「ど、どうした……?」
「絶対言いふらすなよ進藤……」
「いや、言わねえけどさ……」
「おねがいね?進藤くん……」
「あ、はい」
渚の笑ってるけど目が笑ってない状態でそんなことを言われれば進藤も流石に素直に返事をするしかなく……
若干気圧された状態のまま進藤は立ち去っていった。
後日聞いた話によると店長が知り合いの親父さんだったらしく、その日臨時で急遽手伝いに来ていたらしかった。
進藤曰く、バイクの免許取ったから無理やりやらされてたらしい。
そんなことなんかいざ知らず、届いたピザを何事もなかったかのように二人で食べて少し大きめのL字形のソファにぴったりとくっついたまま二人でうとうとして少しの昼寝を挟んだのだった。
目が覚めたのは18時過ぎで、ちょうど少し前に渚も目を覚ましていたらしく、台所からは調理をする音が聞こえてくる。
「あ、おはよう。陽翔」
「はよ、渚」
寝ぼけた頭で渚にそう返せば少し笑った渚が冷蔵庫から冷えたお茶を出してくれる。
渡されたそれを一気飲みして、思考を覚醒させれば俺はそのまま風呂場の方へと向かって風呂を掃除してお湯を張る。
普段ならそんなに気を使わない方なんだが、今日から渚が一緒に住むんだからと念入りに洗ったから大丈夫なはずだと思考の隅で考えながら今度は料理を盛る食器類を用意する。
「ふふっ、こうしてると本当に陽翔の奥さんになったみたい」
「嬉しそうだな」
「うん、すごく嬉しいよ?私の夢だもん」
にへらとだらしなく笑いながら幸せそうに話す渚を見て、俺もつい嬉しくなる。
「そっか、高校卒業したら現実にしてやるから楽しみにしてくれ」
「ふぇ!?ほ、ほんと!?」
「ほんとほんと、だからその時までほんとの夫婦はお預けな」
「えへ、えへへ……たのしみにしてます」
終始笑顔のまま料理を終えた渚のご飯は、その日もめちゃくちゃ美味しかったと、ここに記しておこうと思う。
その後は昼にシャワーを浴びたが、普通にお風呂に入っていつも通りぴったりとくっついてテレビを見て、いつもとは違う風にそれぞれの部屋の扉に手をかける
「それじゃあ、おやすみ。渚」
「うん、おやすみ。陽翔」
リビングの照明を落として、部屋へと入っていった。
夜も11時を回った、俺は布団に潜りながら弄っていたスマホの電源を落として眠りにつくために部屋の照明を落とす。
なんとか、今日も一日耐え切れたと思いながらも明日からは毎日続くんだと自分に言い聞かせて眠りについた。
多分、もうそろそろ陽翔も軽く眠りに入った頃だろうと私は机の上に置いていたデジタル時計を見て判断した。
昼間には陽翔には絶対見られまいと隠していた例の下着を着て、例のゴムを持ってこっそりと部屋から出る。
その瞬間、今自分がしている格好にとてつもない羞恥を覚えるが、大好きな陽翔と一線を越えるため。
風祭渚、おそらく今まで生きてきた中で一番の勇気を振り絞って隣の部屋へと足を踏み入れた。
すうすうと規則正しい寝息を立てる陽翔の寝顔を見て私はクスリと微笑む。
昔から変わらない、私だけが知ってる陽翔の寝顔。
もちろん、両家の両親は例外だが……それでも同級生の中で彼の寝顔を知ってるのは私だけのはずだ。
「はーくんの寝顔、やっぱりかわいい」
彼は自分の評価は平凡だというが、実のところそうではないと私は思う。
顔立ちだってかなり整っているしそれこそ湊くんや進藤くんと並んでいてもなんの違和感も感じられないほどの顔立ちだ。
たしかに“風祭渚”という人間だけを見ていれば自分の評価を平凡だと決めるのも無理はないというものではあるが……
「は、恥ずかしいけど……お、おじゃましまーす」
そうして手に持っていた袋をベッドの隣に置いてある小さな物置の上に置いて、ベッドの中に潜り込む。
「……う、ん?なぎさ?」
「うん、来ちゃった」
羞恥心とか対抗とかそういうのを全てかなぐり捨てて、私は最愛の幼馴染へ今までの中で最強の攻撃を開始したのだった。
次回、理不尽な暴力(幼馴染)が陽翔を襲う