三話
トントントンと小刻みなリズムが聴こえて俺は目が覚めた。
本来ならそんな早朝から聴こえないはずのその音の主が誰なのかは確かめるまでもなくわかった。
「なんで鍵かけたはずなのにいるんだよ」
「あ、おはよう陽翔。鍵はお義母さんから貰ってたから朝ごはん作りに来ちゃった」
「まって、お母さんって風祭の家のじゃないよな?」
「え?うん。そうだけど?」
なに言ってるの?と言わんばかりの顔のまま渚は手元へと視線を戻す。
この一週間は朝食を作りに来ることなんてまるでなかったはずなのになんで土曜日になってすぐに作りに来たのか、全く不思議である。
それよりも我が母に関しては色々お話の余地があるようですね。
「ちなみに、私が今日突然来たのは持ってきたものがやっと片付いたからだよ」
「心を読むな心を」
「陽翔のことならなんでもわかるから」
「なにそれこわい」
昨日はいつの間にかソファで寝てしまっていたようで、起きた時にかかっていた毛布は渚が来た時にかけてくれたんだろう。
毛布をキッチリと畳んで寝室へと戻して渚の隣に立って2人分の食器を用意して朝食用の味噌汁を適当に作っていく
「私がやるからいいのに」
「渚にばかり頼ってもいられないだろ。自分でやらないと堕落しちまう」
「その時は私が全部やってあげるね」
「それがダメなんだって」
そんなやりとりをしながらであっても俺と渚の手は止まらない。俺にしたって家にいる時もこういう時のために母さんに料理教えてもらってたこともあって、この一週間であっても自炊に困ったことはなかった。
渚に関してはもともとその手の心配は初めからしていなかった。だって、何事に関しても完璧にこなしていた渚が料理だけ不得意とか考えられなかったし、実際に完璧にこなしていたところを見てやっぱりなと言う感情の方が強く出たほどだ。
「今日は休みだけど、友達と出かけたりしないのか?朔月とか香坂とか仲良くなったんだろ?」
「なんで?私は陽翔がいればそれでいいんだけど?」
「別に、お前も暇人だなと思ってさ」
「えーなにそれ。私は本当のこと言っただけだもん!」
味噌汁が出来上がるのと同時に炊き上がっていたご飯の蒸らしも終わった頃合いだった。
茶碗やお椀にご飯と味噌汁をよそってテーブルまで持っていくとその後ろをちょうど出来上がったおかずを持って渚が付いてくる。
互いに向き合う形で座り、お互いに手を合わせて目を瞑り
「「いただきます」」
「で、今日はどうするつもりなんだよ」
食事を終えて既に2時間以上が経過した午前9時過ぎ。
渚はべったりと俺の肩に身体を預けていた。
「どうするって?陽翔はどうしたいの?」
「質問を質問で返すなよ……渚はやりたいことないの?」
「特にないかな、行きたいとこもやりたいこともないし。陽翔と一緒に居られればそれでいいから」
しれっとそんなことを口にする渚にため息をつく。
去年まではこんなことを言うような子じゃなかった。
この先のこと、渚の未来を考えれば少し突き放すようなことを言うべきなのかと、そんなことを頭の中で考える。
わざわざ俺を追いかけてきて本来は入れるはずだった学校に行かないで公立の高校に追いかけてきた。
だったらせめて、高校を卒業した後のことは渚が選んだ大学に行って欲しい。
俺は心の底からそう思って口にした言葉だった。
「あのなあ、この先俺がずっと一緒にいる訳じゃないだろ?俺たちだって高校生だし、渚には選べる未来が沢山ある。渚には俺のことを気にしない生き方をして欲しいって、俺は思ってる」
そしてその言葉が失敗だったと瞬時に理解したのは真っ青になった渚の顔を見た時だった。
「……それって、陽翔は私と一緒にいてくれないってこと?でもでも、陽翔がいないと私……生きてけないよ?だって、陽翔は私にとってお日様で、私は陽翔がいてくれないと何もできなくて……陽翔がすごいって褒めてくれたから、辛くてやりたくなかった習い事も頑張ってこれてたのに……」
この世の終わりのような顔をする渚が瞳から大粒の涙を流しながら焦点の合わない目で俺を見つめ小さな声で、しかし、俺の耳にははっきり聞こえるほどの声量で悲痛な言葉を口にしていた。
心が締め付けられる。
幼馴染のこんな姿なんて見たくないと俺の心が叫んでる。
でも、渚のためを思うならここで意見は変えられない。
「明日から少しだけ距離を置いてみないか?そしたら、渚の世界はもっと広がるんだ。広がっていくはずなんだ」
「やだやだやだ!だって!他の人たちは私の才能ばっかり見て私を見てくれない!私のことちゃんと見てくれるのは陽翔だけだもん!私は陽翔がいてくれれば……陽翔が私を見てくれればそれでいいの!そんなの依存だって言われてもいい!……陽翔がいてくれないと、不安で不安で仕方ないんだもん!」
生まれて一年で言葉を理解して2歳で物事を考える力を見せつけ、3歳で既に字を理解して書けるようになった文字通り天才の幼馴染。
4歳の頃からはヴァイオリンやピアノを筆頭として数々の習い事をほぼ毎日幼稚園が終わった後にこなしていた渚。
そんなことから渚は周囲の子供達や大人からは特別扱いをされるようになった。
『完全無欠の天才』
だけど、俺はそんなことを気にするほどの頭なんて持ってなかった。家は隣同士だし、親同士も仲がいい。
渚とは生まれてから一緒にいる時間が長かった。
だから……
渚が本当は友達が欲しいことを知っている。
渚が普通の女の子みたいに笑うことを知っている。
渚が普通の女の子みたいに怒るのを知っている。
渚が普通の女の子みたいに泣くのを知っている。
渚が普通の女の子みたいに遊びたいのを知っている。
だから、俺はみんなが知ってる渚じゃなくて、俺が知ってるただの女の子の渚と一緒に過ごしてきただけのつもりだった。
習い事を一緒にやったわけではない。
どこに行くにも一緒にいたわけではない。
ただ、渚の一緒にいて欲しい時に一緒にいただけ。
だから、こうして親元から離れ習い事も全てやめて一人暮らしを始めて高校に通っている今だからこそ、俺は今まで我慢してきたであろうやりたいことをやって欲しいと願っただけだった。
普通の女の子して生きて欲しいだけだったのに……
「ごめん、渚……俺が、間違えてたんだ。俺が、渚の可能性を殺したんだな」
そんな身の丈に合わない願いなんて俺が願うべきじゃなかった。
渚から離れて俺は最低限のものを持ってそのまま家を出た。
渚の声が部屋から聞こえるが俺は行く場所も決まらないまま桜の咲く道を駆け抜けた。
本来ならもう少し進んだ先で起こるだろうこう言うシリアス気味なお話。
自分、先に片付けて後でゆっくりイチャつかせたい派なんですよね。
ただ、実際高校入るまでそう言うそぶりを見せなかった幼馴染が急にそんな依存気味な態度を見せてきた時、読者の方々はどうするんでしょう?