深淵を覗く悪役令嬢
先日、婚約破棄をされた。
婚約者が私を愛してなかったなんて知らなかった。
家族が私を煙たがっていたなんて知らなかった。
友人たちがただ私に合わせていただけだったなんて、知らなかった。
…………もうこのまま、死ぬのかしら?
そのとき。とん、と肩を叩かれた気がした。
振り向こうとして、ズルッ、と足が滑った。
「「「―――グレイシア様ッ!!」」」
名前が呼ばれた、と感じる間もなく空を飛んだような浮遊感を味わう。
やがて額のあたりをナイフで削がれたような痛みを感じ、耐えかねて………気絶した。
そしてそのまま、私の世界から光が消えたのだ。
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『回復する可能性は、ほぼ無いと思われます』
先ほど医者に言われた言葉を思い出す。不思議と不幸とは思わなかった。
今回のことは完全な事故だった。ただ、私が階段から落ちたまでのこと。私の目がもう、何も映さないだけのこと。
そう思って、自嘲の笑みが溢れる。
頼りなく、独りで、そのうえ、盲目? 世界は私に、死ねと言うのだろうか。そんなことを考えたときのこと。
「……グレイシア!!」
―――この声は、殿下?
「大怪我したとは本当か!? 大丈夫なのか!?」
―――どうして、あなたが?
あなたは私を、棄てたのでしょう?
「ああ、そうだが………でも、僕も迂闊だった。もっと時期を見て穏便に済ませるべきだったんだ。……至らなくてすまない」
―――そうじゃない。あなたは、好きな人がいるんでしょう?
どうして、私に優しくするのです!
「………違う、違う、たしかにそうだが、でもお前が嫌いな訳じゃない。不幸を願ったのではないんだ」
―――何が違うのです!
―――私に、無責任な情けをかけないで!!
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「………グレイシア」
―――お父様。
「お前は………うちへ帰ることになった」
―――!?
―――王宮へ軟禁されたあと、ほとぼりが冷めたあとに、侯爵の後妻になる手筈では………?
「だが………お前は、失明したんだ。これ以上不幸になることも無いだろう。……心配ない、お前の面倒の一切は、お前の兄に頼んだ」
―――つまり私に、政略結婚も果たせぬ役立たずに成り下がれと?
「………納得してくれ。あの男の妻になるよりマシだろう」
たしかに侯爵は愛人も多く、さらに横柄。金遣いも荒いとはいうが……
―――何故? お父様は公爵として貴族令嬢の私を、愛していたのでは……?
「………死なれでもしたら、流石に夢見が悪いしな」
―――……………。
―――それが、本心ですか? 家のためにと動いたお父様が、良心の呵責に負けたと言うのですか?
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「………グレイシア様! 申し訳ありません!」
―――何が?
―――仲が良いように欺いたこと?
罪を私に被せたこと?
荒んだ心で、そう尋ねた。
「わたくしたちが声をかけたせいで、グレイシア様が階段から落ちてしまわれて………」
「あれから何日も、後悔しました」
「本当に申し訳ありません。わたくしたちはこれからの一生、グレイシア様に償いを続けます」
―――――――――――そう。やはり肩を叩かれたのは、気のせいではなかったのね。それで? 可哀想な私を見て、嫌いだった私が好きになったと?
「一生ついてゆきます、グレイシア様」
決意を固めたような声だった。
―――欺瞞、ね。
―――私は視力を失ったけれど、誇りも自我も、失ってはいないのに。みんなが私を、憐れな弱者と蔑むのね。
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やがてひと月後、王子が毒殺された。
そのふた月後、公爵が刺殺され。
次の月には三人の令嬢が順々に溺殺された。
いずれも犯人は見つからず、現場にいたのは憐れな盲目の令嬢だけだった。そして最後は、彼女も首を吊って死んだ。
彼女の最後の日記には、こうあった。
『弱者の強みは、見下されていることだ』と。