4 すれ違いの一日
私の頭上には、背の高い男の人が立っていた。
「来てくれてありがとう、逢坂さん」
見たこともない人。
この人が、私を呼び出した人か。
私の名前を何故知ってるのだろう、と疑問に思いつつ立ち上がる。
背が高い人だな。透よりずっと高い。
見上げていると首が疲れてくる。言いたい事あるなら早くしてくれないかな…。
「あの…おれ、二年の、市川…悠真といいます…」
大きな体に似合わず、先輩は顔を赤らめ、辿々しく言葉を繋ぐ。
え? まさかこれ、ホントに告白?
透にいつも、子どもっぽいと馬鹿にされる、私に?
「入学式で見かけた時から、可愛いなと思ってて、ずっと見てたんだ…」
入学式で見かけたとか、どこかで聞いたことあるフレーズ。
ありがちなシチュエーションなんだろか。透も栞さんからそんな事言われてたっけ。
赤い顔をしながらも、先輩は真っ直ぐに私を見つめている。
なんだか、こっちまでドキドキしちゃうじゃない。
…どうしようか。
私は透が好きだ。
でも、透には栞さんがいる。このまま、好きでいても報われない。
それなら、透の事、さっさと忘れた方がいいのかな…。
「好きです。付き合って下さい!」
私も先輩を見つめ返す。
短く刈られた黒い髪に、真面目そうな瞳。大きな体はごついけれど、雰囲気が優しいせいか、いかついという感じはしない。悪い人ではなさそうだ。
うん、嫌いではない。
好きになれるかもしれない。
透を忘れられるかもしれない。
そんな思いに駆られた私は、先輩の彼女になる事に決めた。
そのまま私達は、一緒に下校した。
透以外の男性の隣を歩くのは慣れなくて、緊張する。
しかし私以上に、先輩の方が緊張している様子だった。
「悠真先輩!」
「あ、何? 逢坂さん」
「くるみでいいですよ~。それより、先輩も電車通学なんですね。どっち方面ですか?」
「ええと…あっちから」
悠真先輩の太い指が、私と逆の方を向いた。
反対側かあ。
残念なような、ホッとするような、微妙な気持ちでくるりと悠真先輩に向いた。
「私と逆ですね。じゃあ、明日から、駅から学校まで一緒に行きましょう!」
そう言って私がにっと笑うと、悠真先輩も優しげに笑い返してくれた。
うん、この人、いい人だな。
言葉は頼りないけれど、さっきからずっと、車道側を歩いてくれている。
私と先輩、身長差が凄いのに、歩くスピードも私に合わせてくれている。
手を上に伸ばし、悠真先輩の手に触れた。
照れた様子で、先輩が私の手を取った。その後、私の手の位置が自然な場所まで下がる。
横を向くと、悠真先輩の背中がしっかりと丸められていた。
思わず笑う。
「悠真先輩。腰、悪くしそうですよ」
「大丈夫だよ、くるみちゃん…」
「私達、手を繋ぐのには向いて無さそうですね」
そう言って引っ込めかけた私の手を、先輩がギュっと握り返してきた。
ごつごつとした先輩の手に、奇妙な違和感を覚える。
透はもっと、しなやかな手をしていたな――。
ああ、駄目。
透を思い出しては駄目。
ふとした拍子に浮かび上がる透の姿を打ち消すように、駅までの距離を、私は必死で先輩に話しかけた。握られた右手が、なんだかずっと落ち着かなかった。
家に帰り、部屋に入ると透がいた。
目をこすり、3度見する。
「遅かったね、くるみ。寄り道でもしてたの?」
「遅かったね、じゃないよっ。どーして、透が、私の部屋の、ベッドの上でマンガ読んでんのー!!」
「くるみに用事があるって言ったら、おばさんが家の中入れてくれたよ」
お母さん…!
前から思っていたけど、お母さんってほんっと、透に甘すぎ!!
「もしかしてくるみ怒ってる? 安心してよ。おばさんが出してくれたお菓子、ベッドの上では食べてないから」
「違うでしょ~~~!!」
透がキョトンとした目で私を見る。
なにがいけないのか、まるで分っていない様子だ。
「私、前にも言ったよね? 彼女がいるのに他の女の子の部屋、入っちゃ駄目だって」
言いながら、ちくりと胸が痛む。
透が私の部屋で寛いでいる姿なんて、栞さんが現れるまでは見慣れた光景だった。
毎日のように、私の部屋にやってきて。
マンガ読んでその辺に寝転がっていたり。
2人で一緒に勉強したり。
他愛も無いお喋りをしていたり。
当然の様にいつもいつも側にいて、近すぎて私は、何も気づいていなかった。
こんな毎日は、当たり前のようには続かないという事に。
透が身を起こしベッドから降り、私の正面に立った。
真顔で見下ろされ、どきりとする。
「くるみ。明日から一緒に学校行こうか」
いつものように、不貞腐れながら分かったと言うのだろうと思っていたのに、透の口から出た言葉はまるで違っていて、私は目を見開いた。
戸惑う私の心を見透かすように、透が微笑む。
「栞さんとはもう別れたよ。――俺、振られちゃった」
え?
透、栞さんと、別れちゃったの?
振られたという割に透に暗いものは感じず、だから余計に、本当だという実感が持てずにいた私は、ただ呆然と透を見つめていた。
「嘘でしょ。だって透、今日中庭で栞さんとキスしてたじゃない――」
「え、くるみも中庭にいたの?」
しまった!
透がじろりと私を睨む。
「ちょっと…呼び出されて…」
「見てたなら分かるだろ、しようとしたけど叩かれたよ。俺とじゃ無理なんだってさ」
照れくさそうに柔らかな髪を掻き揚げ、透が私を見つめた。
えっ…。
あの時、結局キス、しなかったの?
「だから、もう一緒に居たっていいだろ」
透が、私の肩に手を置く。
温かい感触に、私の頬が熱を持つ。
透の手はやっぱり違う。こんなにも心地が良い。
先輩の手とは、こんなに違う…。
「って、ダメじゃない」
三歩後すざりをし、透の手を肩から落とした。
「駄目だよ。私、やっぱり透と一緒に学校行けないよ」
「どうして? 俺、もう彼女いないよ」
「だって私、彼氏出来たんだもん! 明日から一緒に行く約束しちゃったよ!」
「はぁっ? いつの間に?」
「今日の放課後。中庭で。告白されてOK出したばかりだよ」
「くるみ、何彼氏とか作ってんだよ」
「透だって、彼女いたくせにー!」
透が落とされた手を腰に当て、不満気に私を見た。
「くるみ、そいつの事好きなの?」
「そんなのまだ分かんないよ。だって全然知らない人だもん。二年の人だし」
「なんだよそれ。どんな奴かも知らずに、付き合おうと言われてオーケーしたの?」
「いい人そうだったし、取り敢えず付き合ってみようかな…って。透だって栞さんと、そうでしょ?」
「まあ、そうだけどさ…」
歯切れ悪く呟いた後、再び透の追及は続く。
「そいつ、もしかしてロリコン?」
「どういう意味よそれ」
「だってくるみだよ? 栞さんみたいな人ならともかく、子どもが制服着て歩いているような、くるみだよ?」
何、その、娘の彼氏に文句つける父親みたいなセリフ。
確かに私の見た目は幼い。
お子様顔だし背も低い。
でも…でも、透に言われたくないんだから!
彼女が出来たのに、私と登下校を続けようとした、中身がお子様の透に言われる筋合いは、ない!
「止めといた方が良いんじゃない? なんだか怪しいよ」
私を見つめる透の瞳が、なんだか真剣で、思わずどきりとしてしまう。
色素の薄い瞳が私を捉える。
透の視線に押され、反論の言葉が口から出てこない。
心拍が上がる…。
こんな風に見つめるなんて、反則だ。
先輩と付き合うの、止める。
私やっぱり、透が好き…。
喉元まで飛び出しそうになる気持ちを、必死で抑えつけた。
悠真先輩の優しげな笑顔が浮かび上がる。
今日、彼女になっておきながら、即、別れられるもんか。
なに、このタイミング。
透を忘れようと先輩と付き合い出したのに。
入れ違いで栞さんと別れるなんて…
「ばかっ! 透のばかっ!」
1日遅いんだからー!
ぽかぽかと透を叩き、部屋から追い出す。
行き場のない想いをどうしていいか分からず、私はつい、透に八つ当たりをしてしまうのだった。