3 手遅れの初恋
今朝は私だけでなく、透も様子がおかしいようだ。
「今日は透君も元気ないのね」
りーちゃんがぼそりと呟くので、透の様子をちらりと見ると、物憂げな様子で窓から外を眺めていた。
栞さんと何かあったのだろうか。
ふっと、昨日家に来ていた事を思い出し、もやりとした感情が胸を襲う。
慌てて目を閉じ、首を振る。
普段と違う透の様子に気づいた蒼汰が、明るい調子で声を掛けた。
「なんだよ、彼女と喧嘩か? 元気ねーじゃん」
「喧嘩なんてしてないよ。俺の元気がないの蒼汰のせいだぞ。隣駅に新しくオープンした施設、誘ってんのに振られてばかりでさ」
「おれのせいかよ。仕方ないだろ、用あったんだから。彼女誘えよ」
「栞さん、テスト勉強するからつって相手してくれなかった」
ぶすっとした顔で、透が天井を見上げた。
りーちゃんが私の手を引き、透と蒼汰の側へ行く。
「ねえ。そこ、今度の週末、みんなで行かない?」
「いいね!」
透がこちらを向き、顔を輝かせた。
隣駅のレジャー施設って確か、私にも誘い掛けてきた場所だよね。そんなに行きたかったのか。
嬉しそうな透の顔を見、くすりと笑う。
「日曜ならおれ空いてるぞ。みんなで行ってみるか」
「じゃあ決まりね」
にっこりと笑うりーちゃんの横で、透が私を真顔で見た。
「くるみも…来るんだろ?」
「あ、うん…。みんなで行くなら、いいよ…」
透にじっと見つめられ、言葉が途切れがちになる。
2人で出掛けるのはマズイけど、みんなでならいいよね…?
言い訳のように思い巡らせた後、にこりと透に笑いかけた。
透の顔が緩んだ。
「くるみと一緒に出掛けるの、久し振りだな」
「そうかな?」
「そうだよ。くるみ、コンビニ行くのも付いて来てくれなくなったしな」
胸が鳴る。
彼女がいるのに、そんな事言っちゃ駄目なんだから…。
言い掛けて飲み込む。
彼女がいるのに、透とのお出掛けに心躍らせている自分がいる。
「日曜、楽しみだね!」
そう言って私に向けた透の無邪気な笑顔は、昔から変わらない、見慣れたものだった。
「ちょっとくるみ! ちゃんと前見て歩かないと、浮かれてスキップなんてしている場合じゃないわよ」
「うわ!」
あるはずの地面が途切れ、私の足が空を切る。
下り階段に辿り着いていた事に気付かず、私は盛大に転がり落ちてしまった。
身を起こしにまりと笑う。不思議と痛みは感じない。
りーちゃんが私に駆け寄り、呆れた顔で手を差し伸べた。
「くるみ、透君と遊びに行くの、そんなに楽しみなの?」
「え、別にそんな事ないけど…」
「だって、顔にやついてる」
真っ赤になり目を逸らす。
ああ駄目だ。りーちゃんにはお見通しだ。
私は実際、かなり浮かれていた。
透と一緒に過ごす休日が久し振りで、嬉しくて。
次の日曜日、透は栞さんではなく、私たちの側にいる。
「日曜、透も一緒かあ…」
その日は久し振りに、ゆったりとした気分で眠りに就く事が出来た。
次の日、下駄箱を覗くと一通の手紙が入っていた。
中を開けてみると、知らない人の名前で、放課後中庭に来て下さいと書いてある
なんだろう。
まさか、呼び出して告白ってやつ?
まさかね。
少しドキドキしながら、手紙をこっそり鞄の中にしまい込む。
「なに、それ」
「うわああっ。りーちゃん?」
私の真後ろで、手元を覗き込むように、りーちゃんが立っていた。
し…心臓に悪いよ!
「お手紙?」
「なんでもないよ、たぶん」
「なにそれ」
りーちゃんが、訝しげに私を見つめる。
中身、見られてないよね…。
焦る気持ちで目線を彷徨わせていると、丁度透が教室へ入って来た。
「透、おはよ!」
「…くるみ、おはよう」
どうしたんだろう。浮かない様子だ。
机の上に鞄を無造作に置き、透が私達の側へやって来た。手を合わせ目を逸らし、言いにくそうに口を開く。
「ごめん。日曜、俺、行けなくなった…」
頭が真っ白になる。
「どうしたの透君?」
「栞さんに誘われちゃってさ…」
栞さん。
ああやっぱり、栞さんなんだね。
「テストも終わった事だし、透君が誘ってくれた所、日曜に行きましょうって言われたんだよ。俺断れなくて…ほんとごめん」
私達の方が先に約束していたのに…。
りーちゃんが軽く溜め息をついた。
「まあ、仕方ないわね。彼女のお誘いじゃあ」
透は栞さんを選んだ。
そりゃそうよね。彼女だもんね。
「俺もほんとは、みんなと行きたいんだけど…」
「そんな事言わないの。彼女優先でいいよ」
滲み出そうになる涙をぐっとこらえ、透ににっと笑いかける。
やっぱり、こうなっちゃうか。
私達の側からすり抜け、透は栞さんの元へ行く。
久し振りに一緒に過ごせると期待した週末は、泡のように弾けて消えた。
灰色の黒板を見つめながら、私はきゅっと口元を結んだ。
放課後。手紙の事を思い出した私は、みんなに気付かれないよう、こっそり呼び出された場所へ向かった。
上履きをはき替え、中庭に出る。
冷たい空気が頬を刺す。もう12月、寒い季節だ。
人気はない。私を呼び出した主はまだ、ここには居ないようだった。
遠くから足音が聞こえた。
手紙の主かな――?
ちらりと音のする方向に目を遣り、咄嗟に中庭の建物の陰に身を隠す。
やってきたのは、透と栞さんだった。
真面目な顔をして、何やら話をしているらしい。話の内容は良く聞こえないけれど、2人からは荒い空気を感じる。喧嘩でもしてるのだろうか…。
ドキドキしながら2人を見た。
なんの話してるのかな。
そっと覗き見しているうちに、本来の目的を思い出す。
私、呼び出されてここ、来てたんだった。
このままだと鉢合わせしそうだな。
やだなあ。透たち、どこか行ってくれないかな…。
そわそわしながら2人を眺めていると、透が突然、立ち位置を変えた。栞さんにぐっと近寄る。
私の心臓がどきりと鳴った。
栞さんを正面に捉えた透が、指を伸ばし栞さんの顎に添え、持ち上げる。
透の顔が、ゆっくりと栞さんに近づく――
……いや!!
慌てて下を向き、しゃがみ込む。
目から大粒の涙が溢れ、珠のようにぼろぼろと零れ落ちた。
うつむいた先にある地面のアスファルトが色を変える。最初は数滴の暗い模様が、次第に広がり、境界線が滲んでゆく。
栞さんの顎に絡む透の指が、目に焼き付いて離れない。
ぎゅっと目をつぶる。
あんな透を見ただけで、こんなに泣いちゃうなんて、私。
…好きなんだ。
私、透が好きなんだ…。
遅いよ。
透に彼女が出来てから気づくなんて、遅いよ。
もう、どうしようもないよ。
2人一緒に過ごしていたあの時に、気付いていれば良かった―――。
時間も分からない程、暫くそうしてじっとうずくまっていたら、頭の上で声がした。
「こんなとこにいたんだ、探したよ」
知らない人の、声。
涙を拭き、見上げると、背の高い男の人が私を優しく見つめていた。