2 特別な人は、別の人
透は、やっぱり何も分かっていなかった。
「くるみー、入るよ」
いつも通り一緒に帰ろうとした透に、NOを突きつけ1人帰って来たけれど、帰宅して少し経つと、いつもの様に透が私の部屋へとやって来た。
「なんで入ってくんの?」
そう言えば許されると思っているのか、お仕着せの様に声を上げた後、私の返事を待たず透は遠慮なくドアを開ける。
「なんだよ、冷たいな。もうすぐ期末テストなんだし、一緒に試験対策やろうよ」
「うんうん、すっかり恒例だよね。私は英語、透は数学が得意で、苦手もまた逆だから、一緒にやると捗るんだよねえ………でも、ダメ!」
「ええ……これから出かけるの?」
「ずっと家にいるけど。てか、何言ってるの…透、彼女出来たんでしょ!」
腕を組み、むっとした顔をして透を見上げる。
首を傾げ、理解出来ないといったふうに私を見下ろす透の神経が、私には全く理解出来ない。
彼女のいる男が、たとえ私と言えど、女の子の部屋に入ってはいけないのだ!!
「それより栞さんはどうしたのよ。一緒に帰って、そのままデートしなかったの?」
「…ああ。用があるから先に帰って、って言われてさ。一人で帰って来た」
「はあっ? それ、待っててあげると彼女の好感度が上がるってやつじゃないの…!?」
「あれ、そうだったの?」
しまった、俺、やらかしたかな……とブツブツ呟く透の背中を押し、部屋から追い出した。
「だからなんで追い出すんだよ!」
「透、全く分かってないんだから! もうね、栞さん以外の女の子の部屋に入っちゃ駄目なんだって!」
「女の子って、だってくるみだろ?」
「朝と同じこと言わせる気かっ。栞さんから見たらそんなの関係ないから!」
「はいはい、分かりましたよ」
不貞腐れた声をあげ、渋々と我が幼なじみは隣の家へと戻って行った。
「もう…一緒に勉強なんて、出来ないんだから」
透のいた空間を見つめ、ポツリと呟く。
分かってなさそうだな、透。
透に彼女が出来たという事は、私とはもう、一緒に居られなくなるという事。
透は、私から離れて栞さんと過ごすようになるという事。
この年になるまでずっと、ずっと当たり前の様に隣にいたから、透もまだ、戸惑っているのかも知れない。
『だってくるみだろ?』
私は特別なんかじゃないんだよ?
これから先、透の特別は、栞さんになるんだよ?
手のひらを見つめた。温かい透の背中を思い出し、慌てて私は首を振った。
それから一週間が経ち。
私も、ようやく一人での登下校に慣れ、週末を迎えようとしていた、金曜日の夜。
透からラインが来た。
『くるみ、明日ヒマ?』
週明けからテストなので、試験勉強があると言えばあるし、予定がないと言えばない。
しかし問題はそこではない。
『私の予定の有無が、なんで透に関係あるのよ』
『ホント冷たくなったな、くるみ…。空いてたら、隣駅に出来たレジャー施設行ってみないかと思ってさ』
『私は行きません! 他の人誘いなよ』
『蒼汰誘ったら用があるって言われたし、栞さんは勉強するんだってさ』
だからって、私に誘いをかけるんじゃない!
やっぱり全然、透は分かっていない。
『2人の予定が空くまで待ちなよ。言っとくけどりーちゃんも誘っちゃ駄目だからね』
『くるみなんだから、いいと思うんだけど…』
『透が良くても栞さんが良くないの!』
『栞さんが嫌がるのか…。分かったよ』
「分かってないな」
ラインの文字を見つめ、私はポツリと呟いた。
透と顔を合わせる事のない週末は初めてで、経過する時間の遅さに戸惑いながら、ぼんやりとした休日を1人過ごすのだった。
それから毎日、登下校は別々で。
教室ではいつもの様に、りーちゃんや蒼汰と4人、楽しく過ごしていたけれど。
昼休憩の時間になると、教室から出ていく透の後ろ姿を眺め。
放課後も休日ももう、透は私の隣から消えた。
お弁当を食べた後、お手洗いに行こうとすると、透と栞さんが並んでいる姿を見つけてしまった。
2人が一緒に居るのは昼休憩と登下校時だけとはいえ、同じ学内にいるのでたまにこうして視界に入る。
どくどくと心臓が鳴りだす。
2人並ぶ姿を、何故か私は見ていたくなくて、こういう時はいつも早足で通り過ぎる。
――気づかれませんように。
祈る様にトイレに入り、ホッと息をつく。
顔を上げ、備え付けの鏡を見ると、目の前には暗い表情の自分がいた。
なに、この萎れた顔。
口角を上げ、にっこりとした笑顔を作り、私は、りーちゃんと蒼汰の待つ教室へ戻った。
その日の夜、布団に入り眠ろうとすると透からラインが来た。
内容は、どうでもいいようなくだらない事で、透を思い浮かべくすりと笑った後。
昼間の2人の姿が急に、脳裏に浮かび上がり、私は、何故か。
何故か、目尻の端にじわりとした熱いものを、浮かび上がらせるのだった。
「くるみ、最近元気ないけど、大丈夫?」
いつもの様に、一本早い電車に乗り、教室に着くと、りーちゃんに心配そうな顔をされた。
「大丈夫って、何が?」
何でもないふりをしてりーちゃんの顔を見た。
作り笑いをして誤魔化してみる。
私のまやかしを見抜くような鋭い瞳で、りーちゃんは更に私を問い詰めた。
「目が赤いよ。もしかして昨日、泣いてたの?」
ぎくりとした。
昨日、家に帰り部屋でぼんやりしていると、外で声が聞こえてきたのだ。
窓から外を覗くと、栞さんが透の家に入る所が見えた。
こちらを見上げた透と、一瞬目が合い、慌てて逸らす。
思わずカーテンを閉めた。私の部屋の窓から、透の部屋は視界に入る。
2人が同じ空間にいる場所を、なんだか、見ていたくなくて。
その日の夜、何故か私の目から涙がじわじわと溢れて来て、あまり眠れなかった。
朝起きて、こっそりお母さんのファンデを借り、目元を誤魔化してきたつもりでいたのだけれど…。
りーちゃんの目は誤魔化せないかあ。
「昨日、映画見て泣いちゃって」
「ふーん。くるみ、映画なんて見る子だっけ」
「昨日はなんだか、見たい気分だったの」
「じゃあ、元気ないのは、どうして?」
りーちゃんの追及は止まらない。
「テスト、点数ボロボロだったから、ちょっと落ち込んでてさ…」
これは本当だ。
勉強しようと机に向かうものの、透や栞さんが頭に浮かんでばかりいて、まともに進まなかった。
「くるみ、透君が栞さんと付き合いだしてから、元気ないよ?」
「気のせいだよ。あー、朝、少し早く起きるようになったから、そのせいかも。ちょっと眠いの」
りーちゃんの目を逸らすように横を向き、言い訳をする。
ううん、言い訳なんかじゃない。
眠いのは合っている。最近ずっと、私は寝不足だ。
助けを求めるように目を泳がせる。蒼汰は、私達に気付かず他の子と笑い合っている。
りーちゃんが、最後の一言を口にした。
「くるみ、透君が好きなんでしょ」
不機嫌な顔でりーちゃんを睨み付けた。
「違うよっ。透は関係ないよ」
「本当に?」
「本当だよ。私、透の事、そんな風に見たことないもん」
分からない。
透が離れていくのが寂しくて。
透の側にいるのが、私ではなく栞さんなのが悲しくて。
でもこれはきっと、いつも一緒に居たものを失った、喪失感みたいなもの。
りーちゃんの、私を気遣うような目から逃げ出したくなり、立ち上がる。
トイレに行く振りをして教室を出ようとしたら、登校してきた透とすれ違った。
ポーカーフェイスを作り上げたと思っていたのに、色素の薄い瞳は、少し悲しげに私を見つめている。
萎れた顔、してるのかな。
一番誤魔化さなくてはいけない人に、景気の悪い顔を見せる訳にはいかない。
慌ててにっと笑いかけ、元気よく挨拶をする。
「おはよ、透!」
癖のように時計を見上げたら、いつもより、何故だか5分遅かった。