18 栞の覚悟
逢坂さんの彼氏になっても、やっぱり悠真は悠真だった。
部屋で1人優雅にホットティーを飲み、くつろいでいると、悠真が嬉しそうな顔をしてやってきた。
くるみちゃんと上手くいったよ、栞のおかげだ、なんて知ってるわよそんなの。見てたんだから。
ありがとうなんて頭下げちゃって、そんなの明日学校で言えばいいのに馬鹿みたい。わざわざ来なくていいんだから。
「くるみちゃんをデートに誘いたいんだけど、どうすればいいかな?」
そんなの私に聞かないでよ。
自分で考えればいいじゃない。
何が悲しくて、悠真が他の女とデートするプラン、私が立てなくちゃいけないのよ。
「映画でも見に行ったら?」
口下手な悠真にピッタリよ。だって喋らなくても済むんだもの。
最近オープンしたあそこなんていいんじゃない? 珍しくて彼女も行きたがると思うわ。
なんてちょろっとアドバイスしてあげたら、ちょろい悠真は次の日、そのままのプランで彼女に誘いをかけている。
何やってんのよ。あんたは私のいいなりか。
…ほんっと。何やってんだろ私。
その後も、やれ服はどうしようだの映画はどれを見たらいいかだの、しつこく私の部屋に来てくどい相談を仕掛けてくるので、きっぱりと言ってやった。
「もう、ここ来ないでよ。彼女だって嫌がるわよ」
そうか、なんて何今更呟いてんのよ。
当然じゃない。彼女いながら他の女の部屋入るなんて、普通はしないわよ。
もう、悠真の一番近くにいる女の子は、私じゃないんだから。
逢坂さんとデートの話題、私は聞きたくないんだから。
彼女の話をするためになんて来ないでよ。
見たくない。聞きたくない。
そんな風に思っていたはずなのに、気がつけば土曜、悠真がデートをする場所までふらりと足を動かしていた。
…ほんっと。何やってんだろ私。
2人が映画館の奥へと消えていく。
私は何がしたいのだろう。
ぼんやりと2人のいた場所を眺めていると、知っている人の姿を見つけた。
私の、元カレさん。
ああ、あなたも私と同じで馬鹿なのね?
この前私、見ちゃったのよね。悠真とあの子の下校の様子、透君、悔しそうに見つめていたのよね。
面白そうだったから、土曜はデートよと教えてあげたら、気になってあなたも来ちゃったのね。
私と同じで笑っちゃう。
誘いかけると、戸惑いながらも喫茶店に付き合ってくれた。
私のせいよ、ごめんね。
悠真にぶつけられない想いを吐き出すように。
透君に謝った。今までの経緯を全てぶちまけた。透君は、悲しそうに笑い首を振るだけで、私を責めはしなかった。
「いずれ同じ事が起きてたと思うよ。俺、側に居るのが当たり前のように思っていて、何も分かっちゃいなかったんだ」
私もよ、透君。
私も、悠真の側に居られなくなる事がどういうことか、まるで分かっていなかったのよ。
隣から消えそうになって、初めて気が付いたの。
手遅れ同士ね。
私の部屋は駄目でも、学校でなら良いと思ったらしい。悠真が、休憩時間になると私の席へやって来て、逢坂さんの話をする。
聞きたくないって顔してるの気付かない?
クリスマスにデートしたいとか知らないわよ。
私ばかり頼ってんじゃないわよ。私あなたのママじゃないんだから。
お洒落な海沿いのショッピングモールを紹介する私もどうかしてるわよ。
「学校でも、もう来ないでよ。噂になって彼女の耳に入ると困るでしょ?」
捨てられた子どもみたいな目しないでよ。
私もう、こんな事ばかり頼られたくないんだから。
悲しい顔したいのは私の方よ。
悠真の前でそんな顔出来るわけ無いじゃない。泣きたくなるのを我慢して、睨み付ける事しか出来ないじゃない。
辛くなると私は、透君を誘いかけた。
透君と一緒なら悲しい顔が出来る。
透君も一緒に、悲しい顔をしてくれた。
私達は、手遅れ同士。
お互い、好きな人にはもう、手が届かない。
そう、思っていたのだけれど。
透君は私とは違う。
その事に私は、気付いてしまった。
視線を感じるようになったのだ。
透君といる時に、あの子から見られている。
切なそうな顔をして、私と一緒に居る透君を見つめている。
あの子、悠真の告白をやけにすんなり受けたから、実は透君の事なんとも思っていないのかしら、なんて感じていたのだけれど。
違うのかも知れない。
私の思惑通り。彼女は透君を失って諦めて悠真を選んだのだ。
悠真の心が私に無い事は、疑いようのない事実なのだけど。
彼女の心が透君にあるならば。透君は彼女が手に入るかもしれない。
悠真には悪いけれど。
手遅れ同士から、透君を解放してあげたい。
クリスマス。海沿いのショッピングモールにあいつは行く。
間違いなく行く。
私も、透君と一緒に行こう。
逢坂くるみに、クリスマスプレゼントを渡すために。
「栞さん! 人が凄いけれど、くるみたち見つかるかな?」
「心配しなくても大丈夫よ。探さなくても見つけられるのが、悠真の数少ない良いとこなんだから」
「栞さんも素直じゃないね」
透君にくすりと笑われた。
ああ、本当に私はいつもこれだ。可愛くない。
私は知っている。
悠真は、気が小さくて、頼りなくて、自分の言いたい事ちっとも言えやしない情けない男だけれど。
悠真は、優しくて、温かくて、人の悪口は絶対言わないし、私の嫌がる事も絶対にしないような人で。
捻くれてて、嫌みを言ってばかりで、冷たくてワガママで雑な態度をとってばかりの私でも、いつも心配してくれる。
悠真に良い所が沢山ある事くらい、私はとっくに知っている。
こんな可愛くない私の隣にいたんだもの。そりゃ悠真も可愛い逢坂さんに惹かれるはずだ。
遠くを見渡せば、周囲より頭1つ抜き出た短髪の男。
さすがクリスマス。すごい人混みで、透君は中々見つける事が出来なかったけれど。
さすが悠真。どんなに人がいても私はすぐに見つけられる。
小柄で可愛い彼女を連れている。
ふらふらと気ままに歩く彼女の後ろを、まるで付き人のようについて回る。
相変わらずなんだから。私が連れ回していた頃と全く同じで笑っちゃう。
笑い声をこらえながら2人を尾行していると、どうやら彼女に見つかったようだ。焦る透君を連れ雑踏に紛れ込む。
あの2人に気付かれてしまった。私も内心、焦っていたのだけれど、面白い事が起きた。
2人が私達の後を追う。
なあに、彼女気にしているんじゃない。私達の事、気になってるんじゃない。
これはきっとチャンスだ。私は透君に囁く。
「観覧車に乗るのよ。私、悠真を引き離すから、あの子と2人で乗るのよ。頑張って」
「ん、ありがとう、栞さん」
「透君、上手くいくよう祈ってるわ」
「栞さんはどうするの…?」
透君が、色素の薄い瞳で私を見つめた。
どきりとする。
私?
私はただ、悠真に恨まれるだけ。
「栞さんは、あの人に想いを告げないの…?」
心臓が鳴る。
唇が震える。
何言ってるの透君。
あなたは上手くいきそうだけど、私は絶対、どうにもならないのよ?
悠真は、私の事好きじゃないって、はっきりわかっているんだもの。
悠真から想い人を取り上げて、憎い女になるだけなのよ?
「私は、透君とは違うから…」
「俺だって分からないよ」
透君が真っ直ぐに、戸惑う私の瞳を見つめた。
「くるみが俺の事気にしているとか、栞さんが勝手に思っているだけかもしれないよ」
「そんな事、無いと思うけれど」
「くるみは。…今の今まで別れもせず、あいつと付き合っているんだよ」
「それは…」
「今はもう、あいつが好きなんじゃないかな。栞さんは、俺に都合が良いように言ってくれるけど、正直俺は、上手くいく自信なんてないよ。でも、もうこのままでいるのは嫌なんだ」
「透君…」
「自分の気持ちに蓋をして、吐き出せないまま過ごすのはもう、嫌なんだよ。上手くいかなかったとしても、くるみにちゃんと言いたいんだ。でないと、いつまで経っても前に進めない」
子どもっぽいと思っていた透君が、なんだか大人びて見えた。
傷つくのが怖くて、悠真にぶつかれない私。
気が小さいのは、私の方だ。
「手遅れ同士って栞さんは言うけれど」
透君がにこりと私を見た。
「本当に手遅れなのかな。勝手に俺達が諦めていただけなんじゃないかな」
頬に熱いものが流れる。
私は本当に、何をやっていたのだろう。
私は、自分の想いを何も伝えずに、手遅れという言葉で逃げていただけだ。
本気を出さないと。
悠真相手に恥ずかしいとか、取り繕う気持ちはもう、捨てないと。
透君に背中を押して貰えたんだ。私も覚悟を決めないと。
観覧車の列、悠真の真後ろに並ぶ。
平然を装いながら、私の心臓はもう壊れそうな程打ち付けられている。
あと少し、あと少し。
私たちの順番が来た。私は、踊り狂う心臓を抱え、悠真の腕にしがみつく。
一瞬怯んだ悠真の腕を、そのまま引っ張った。
透君が観覧車に乗り込む。
次は、私達の番だ。もう一度悠真の手を引き、次に来た観覧車に乗り込んでやった。
悠真が心底驚いた顔をして、私を、穴が空きそうな程見つめている。
透君。私やるわよ。
ありがとう。私あなたに勇気貰えたんだから。
いさぎよく、言いたい事すっきり言って、散ってやるわ――――
「悠真。私ね……」
……観覧車の中は、別世界のようだった。