17 栞の初恋
私、崎原栞。高校2年生。
私には幼馴染がいる。でかい体をした気の小さな男だ。
同じ高校に通うようになり一年と半年が過ぎた頃、様子がおかしいと思うようになった。
「悠真。どうしたの? ボケッとして」
「ん、なんでもないよ、栞」
産まれてからこの方、四六時中一緒にいるのだ。なんでもない、なんて言葉にだまされる栞さんではない。
ぼんやりした悠真の目線を追うと、そこにはいつも、1人の可愛い女の子がいた。
幼い顔立ちに小柄な体。
私と正反対だ。
あんなのがいいのか、と少々むっとし、悠真をからかう。
「悠真、最近お気に入りの子ができたの?」
耳まで真っ赤にし、口元を覆う悠真の様子に、少々気圧された。
なに、マジであの子の事好きなんじゃない。
正直、悠真に恋愛感情を抱いた事はない。
私たちは近すぎるのだ。
毎日一緒に登下校をし、放課後はお互いの部屋で過ごし、休日になると一緒に出かける私たちは、傍目には付き合っているように見えるかも知れないのだが、お互いただの幼馴染としか思っていなかった。
私は、自分で言うのもなんだが、美人で、それなりにもてはした。
しかし、寄ってくる男は、私をアクセサリーにしたがるめんどくさい奴らばかり。うんざりした私は、男よけを兼ね、一緒にいて気楽な悠真と居てばかりいた。
悠真は不器用だから、特別な人が出来たらすぐに分かるはずだ。
その時が来たら、すぐに解放してあげるつもりでいた。
だから、そっとささやく。
「一年の子でしょ。小柄で、フワフワの髪をした幼い顔立ちの子。好きなんでしょ、悠真」
「栞、なんでそれを…」
「すぐ分かるに決まってるじゃない。いつもじっと見てるんだもの。告白しないの?」
「…出来ない…」
「しなさいよ。悠真ってほんと、でかいのは体だけなんだから」
「いや、あの子彼氏いるみたいなんだよ。いつも一緒に登下校してる奴がいてさ」
切なそうに遠くを見つめる悠真がなんだか哀れに感じ、肩を叩く。
「分かった。私、協力してあげる」
「栞?」
「その、彼氏とやら。私が落としてきてあげる」
「何言ってんだよ、栞」
「彼氏に振られた傷心のあの子に、告白するといいわ」
「そんな事して、栞はいいのか?」
「いいわよ? 適当に付き合った後、適当な頃に捨てるから」
渋る悠真をなだめ、彼氏君の情報を手に入れた。
一年の、間宮透。
柔らかな茶色の髪をした、イケメン君だ。
昼休み、中庭に呼び出した。
一緒にいる子の話を聞くと、ただの幼馴染だと返ってきた。
私に見とれている様子だったので、ストレートに告白してみたら、簡単に彼と付き合う事が出来た。
どうよ悠真。やるでしょ私。
透君は私という彼女が出来、浮かれている様子だった。
寒いなと思いつつ、屋上でランチタイムなんていうイベントを黙々とこなす。
子犬のように嬉しそうな笑顔を見せる透君に、時折胸が、痛んだけれど。
少しの間だけでも、夢が見れて良かったじゃない。なんて心の中で言い訳をしながら、極上の笑顔をお詫びに振りまいてあげる。
しかし、悠真はさすが悠真だった。
こんなに私が頑張っているのに、いつまで経ってもあの子に告白しようとしない。
「なにぐずぐずしてんのよ、悠真。早く告白しちゃいなさいよ」
「でも、逢坂さん…最近元気ないんだ」
「それがどうしたのよ」
「きっと、栞に間宮君を取られて、落ち込んでるんだよ。おれの入る隙間なんて無さそうなんだ…」
お尻を蹴り上げてやりたい衝動に駆られた。
「馬鹿ねっ。そこで引いてどうするのよ、傷心の彼女に付け入らないと駄目でしょ。透君の事言われたら、おれが忘れさせてやるから、とか何とか言えばいいじゃない」
「栞。よくそんな言葉すらすら出てくるな…」
「悠真が口下手すぎるのよ」
「ところで栞は本当に大丈夫なのか? 間宮君に変な事されてないか?」
「私の心配するなら早くして。テスト期間だった事もあって、まだマトモにデートもしてないわよ」
「分かった…」
私は少々焦っていた。
変な事をされるどころか、透君の私への熱気が落ちていくのを感じていたからだ。
浮かない顔をすることが増えた。
昨日、距離を詰めてみようと、思い切って透君の家までお邪魔してみた。
キスくらい、されるかと少し覚悟していたけれど。
特にそういった雰囲気にならず、ホッとした様な、悔しいような気持ちのまま他愛もないお喋りだけして帰ってきた。
私と2人でお話しながら、透君はやたら窓の向こうを気にしていた。恐らくそこが悠真の好きな『逢坂さん』の部屋なのだろう。透君の家にお邪魔する時、見上げるとちらりとこちらを見つめる彼女の姿が見えた。
透君の心が、私から彼女に傾きかけている。
2週連続でデートの誘いを断ったのはまずかったのか、と思い直し、誘われていた場所にこちらから誘い返してみた。
微妙な表情をされた。
嬉しそうではない。私からの誘いを断れず、了解したのだと言う事だけはしっかり伝わってきた。
早くしないと、透君は私から離れていく。
私の焦りに気付いてくれたのか、ようやく悠真が逢坂さんにアプローチを開始した。
今日、上手くいくと私の役目も終わる。
上手くいけば、悠真は逢坂さんとめでたく付き合いを始めるだろう。
あの悠真に、彼女が出来るのか…。
そうしたらもう、私は悠真の側に居られなくなる。
ふと、感傷的な気分になっている自分に気付く。
長く側に居すぎたのかも知れない。
悠真はきっと上手くいく。
もう、透君も解放してあげようかな。
手のひらを見つめた。登下校の時繋いだあの子の手は、繋ぎ慣れたごつい手とは真逆の、しなやかな手をしていた。
放課後、透君を連れて人気のない中庭にやってきた。
「透君。最近ずっと、私と居ても他の人の事ばかり考えてるでしょ」
透君は押し黙っている。図星のようだ。
「分かってるのよ私。透君の心がもう、私に無いって事…」
「そんなことないよ、栞さん。俺…」
「逢坂さんが気になるのね」
「俺別に、くるみの事なんて…!」
図星を指されて焦ったのか、急に正面に寄られ、顎に手を添えられた。
え? これまさか…。
まさかの展開。私はこのまま軽やかに彼を振り、彼はすっきりと私から離れると言うシナリオを描いていたのに、彼はまだ自覚をしていなかったのか。
ゆっくりと、透君の顔が近づいてくる。
躊躇っている証拠だ。キスをするのに、こんなにのろのろと近づいてくるなんて。
不意に、悠真の顔が浮かんできた。
なに、こんな時にあいつの顔が出てくるのよ。これからファーストキスしようって時に悠真の顔なんて出さないでよ。
透君の顔がギリギリまで近づいてくる。
そうよ。私、キス初めてなのよ…。
透君と、キス………。
やだ、悠真!
咄嗟に私の手が透君の頬を打つ。
透君も、どことなく安堵したような表情で私を見つめた。
「ごめんなさい、透君。私もう、あなたと付き合えない」
「栞さん…」
「自分の気持ちを誤魔化すのはもう無理よ。私達もう付き合えない」
「………」
「ほんとうにごめんね……」
透君は無言で立ち去る。
私は心の中で彼に何度も謝った。
暫くその場に佇んでいたら、足音が聞こえてきた。
悠真だ。
咄嗟に、校舎の陰に身を隠す。
悠真も告白の場、ここを選んだのか。
なにそれ、私と一緒じゃない。
その後、悠真は、悠真らしく不器用に想いを告げる。
逢坂さんは、無事、悠真の彼女となった。
おめでとう、悠真。
涙がぼろぼろ零れてきた。
悠真はもう、逢坂さんの彼氏だ。
なにこれ。なにこれ。なにやってんの私。
悠真のこと、本当は好きだったなんて、どうしてここで気付くのだろう私は。
一緒に過ごしていた時に気付けば良かった。
そうでないのなら、このままずっと、気付かないまま終われば良かったのに。