15 数歩の距離
「栞と間宮君が今、どうなっているのか聞いてみたんだ」
アクセサリーショップの奥で、先輩がどきりとする発言をした。
周囲の雑音が、すう、と消えた気がした。
「もう別れたって言ってたよ。2人は、今はもう、付き合っているわけじゃないんだ」
先輩の口から出た言葉は、私が以前透の口から聞いた言葉と同じだった。
「でも、一緒にいる所よく見かけますよね?」
「それなんだけど、どうやら栞が間宮君を気に入ってるらしくて」
「栞さんが、そう言ってたんですか?」
「あ、いやはっきりとは言ってないんだけど……別れたって言うわりに一緒にいる所よく見かけるからさ。間宮君の事気に入ったの? って聞いたら『だったらどうだっていうの、邪魔でもするつもり?』なんてジロリと睨まれちゃったんだよね……」
そう言えば、あの日の栞さん、ものすんごい機嫌悪そうだった…。
「先輩。それで、なんて言ったんです?」
あの日のブリザードっぷりからすると、先輩、とーっても余計な事言っちゃったんじゃあ…。
「邪魔なんてしないよ。栞が間宮君の事、本気になったっていうなら、おれも応援するよ。って」
あれ、フツーだ。
「信用して貰えました?」
「いや。相変わらず睨まれたままだったから、多分信じて貰えていないと思う。余計な事するなって顔してた」
ぶるりと身震いする先輩を見て、くすりと笑う。
あの時、先輩も内心怖かったのか。そりゃそうだ、はたで見ていた私ですら怖かったもん!
「あ、くるみちゃんごめん! 怖くてつい、栞の肩を持つような事言っちゃったけど、おれ、くるみちゃんの応援するつもりなんだよ。その為に聞き出したんだし…」
「あ、ありがとうございます。でも、先輩の話を聞く限りだと、栞さんも透が好きみたいですよね。あの二人、フツーに両想いなんじゃあ…」
「どうだろ。間宮君も栞が好きなら、もう一度やりなおしてるんじゃないかな」
「むしろ、透の方が栞さんの事好きだと思います」
「おれ、逆だと思うんだけどね…。2人が別れたのって、多分だけど……栞が、間宮君に振られたんじゃないかなあ?」
――え?
「いいえ! 私、透から聞いたんです。栞さんに振られちゃった、って」
「あ、そうなんだ。やっぱり栞が振った方なのか」
「そこは間違いなく、透本人からそう聞きました」
「じゃあ、栞は間宮君を一度は振ったけれど、その後改めて好きになっちゃったのかな? でも間宮君が落とせなくて困ってる、こうかなあ…」
先輩がなにやら考え込んでいる。
それって、私の想像と真逆なんですけど…。
透が栞さんに振られて、それでも諦めきれず、友達でいいから栞さんの側に居させて貰っている……んじゃあ、ないの?
先輩の想像だと、栞さんが透を好きで、透にまとわりついてるようなんだけど……。
「栞さん、他には何か言ってなかったんですか?」
「それがさ。おれが話しかけるたびにどんどん機嫌悪くなっちゃったから…。もしかして振られたの? って言ったらすごい形相でもう、どこかへ行っちゃった」
「あまり喋ってはくれなかったんですね」
「まあ、別れたっていうのははっきり聞けたけどね」
先輩が優しい眼差しで私を見つめた。
「聞いた感じだと、栞は間宮君にご執心のようだけど、間宮君はそれほどでもないようだし。くるみちゃん頑張ってみなよ」
「はい……」
なんだかもう、わけが分からない。
今の話を聞いて取り合えず分かるのは、栞さんはライバルという事くらいか。
って、なんて強力なライバルなの……。
私ですらクラリときかけた栞さんが相手かあ……。
ああ、ダメダメ、頑張るんだ。先輩だって私の応援をすると言ってくれたんだ。
頬をペチペチ叩き、顔を上げる。
「さ、今度こそマジメにプレゼント選びに行かないと!」
決意新たにアクセサリーショップを出、通りに足を踏み入れた瞬間、クリスマスソングに紛れて微かに聞き覚えのある声が私の耳を掠めた。
――あれ、透の声?
振り向くと、栞さんと連れだって歩く透がいる。無意識に透の名前が口から飛び出していた。
「透……」
『昼間は出かけるけど、夜には帰ってくるよ』
やっぱり。昼間のお出かけの相手は、栞さんだったんだ……。
私の声が届いたのか、透もこちらに気がついたようだ。
一瞬見つめあった後、気まずそうな顔をしすぐに背を向け、雑踏の中に紛れていった。栞さんと2人、コンコースを海の見える方面へ歩いていく。
私が透と一緒に見たかった風景を、透は栞さんと見に行くんだ…。
呆然と立ち尽くし、透のいた場所を眺めていた。
なんだか現実を見せ付けられた気がする。
「先輩……私、やっぱり駄目みたいです…」
「くるみちゃん……」
私では栞さんに勝てない…。
やっぱり私は、透の隣には戻れないんだ…。
「せ、先輩?」
うつむく私の腕を急に先輩が掴み出した。戸惑う私を引き連れて、コンコースを、透達が消えていった方面へとどんどん歩いていく。
「2人の様子、見に行こう」
「え? ――え?」
「本当にくるみちゃんの思うような関係なのか、確認しに行こう」
いつも穏やかな先輩らしからぬ行動に、驚いて見上げた。先輩の目は、真っ直ぐに海の見える公園を見据えている。
本気だ…。
「くるみちゃん、間宮君に自分の気持ちは伝えたの?」
「ううん。まだ何も…」
「じゃあ言いに行かなきゃ。そんなのじゃ、まだまだ諦めるには足りないよ」
ええ? これから言いに行くの?
「栞さんがいるんですよ? デートの邪魔ですよ」
「邪魔しよう! 栞はおれに任せて、なんとか引き止めておくから。その間に、聞きたい事も言いたい事も、全部本人に伝えてきなよ」
先輩が、珍しく強引だ……。
大きな体の先輩に引きずられて、小さな私は止まらない。ぐんぐん、公園が近づいていく。先輩はやる気のようだ。栞さんを止める気のようだ。中庭で、栞さんに恐怖を感じていた先輩に果たして止められるのか謎なんですけど。
――先輩、大人しい人かと思ってたけど、意外とパワフルな所もあるんじゃない。
なんだかおかしくなり、くすり、と笑う。
これもきっと、先輩からすると、ものすごい勇気なんだろうな。
私も頑張らないと。
先輩に勇気、沢山貰って頑張らないと。
「先輩、ありがとうございます。私―――頑張ってみます!」
私の頭上で、先輩の口角がふわりと持ち上がった。
店舗が途切れ、公園の入り口付近まで辿り着き辺りを見回すと、透の背中が目に飛び込んできた。私達との間は、およそ数歩の距離。
意外と近い場所にいて、どくん、と心臓が跳ねた。
声を出せば届きそうな距離に2人が立っている。焦る私の目の前で、突然、くるりと栞さんが振り返った。
心臓が、また跳ねる。
栞さんの艶やかな瞳が、私の瞳を捉え、綺麗な唇が、にっと持ち上がった。
先輩も、栞さんの表情に飲まれたのか、私を掴む腕が緩む。
「なあに、邪魔しに来たの?」
にこやかな表情の栞さんは、なんだか嬉しそうにも見える。
栞さんの言う通りなのに、気圧されて誤魔化してしまった。
「海を見に来たんです」
「そう」
透も振り返り私達の方を向いた。
さっきの気まずそうな様子はまるでない。かといって、邪魔されて怒っているようでもない。
「海が見たいなら、一緒に見ない? あれに乗って、一緒に見ましょ」
そう言って、栞さんは公園の端に設置された観覧車を指さした。
潮風に吹かれ、綺麗な長い髪が少し揺れている。
「え…、一緒に?」
「ええ。一緒に乗りたいわ。お話ししたい事もあるしね」
絡め取るような笑顔を近づけられ、反射的に首を縦に振った。
戸惑いながら隣の先輩を見上げると、私と同じく、すっかり栞さんに飲まれている。
栞さんが私の手を取り、そのまま観覧車の列まで連れられていった。最後尾に辿り着き、綺麗な手が離れホッとしていると、私と先輩の後ろを塞ぐように透と栞さんが並んだ。
なんだか、身動きできない……。
なにこれ。なにこの状況。
4人で観覧車?
話したい事ってなによ。透に近づくなとか言われちゃうの?
ちらりと振り返り透を見るも、悠然とした様子で栞さんの隣に並んでいる。
悠真先輩が私の耳元で囁いた。
「くるみちゃん。2人で乗りなよ」
「え?」
「観覧車。おれ、栞を引っ張っておくから、間宮君と2人で乗りなよ」
先輩……。
「いいんですか? 栞さん、なんだか怖いですよ?」
「大丈夫、おれも伊達に何年も栞の幼馴染してないからね! …覚悟を決めるよ」
「ひえ……」
振り返ると、訝しげに私達を見つめる栞さんと目が合った。
慌てて正面を向く。
「先輩は本当に勇気があります。私も、頑張ります!」
緊張しながら目の前の観覧車を眺めた。
近づいてみると、思ったよりずっと大きな観覧車だ。
遠くまで海が見渡せそうなこの乗り物は、そこそこの人数が並んでいたけれど、想像以上にすぐ私たちの順番が回ってきた。
ぎゅっと手を握る。隣の先輩も表情は硬い。
係員に人数を問われ、栞さんが4人と答えた。私と先輩、透と栞さんが案内され、降りてくるゴンドラに乗り込むため待機をする。
ゴンドラが地面に到着し、中にいた人たちが外に出た。
心臓が早鐘を打っている。
どうぞ、と係員に声をかけられた。
さあ、今だ。先輩が栞さんの腕を取り引きとめている間に、私が透の腕を取り、透と2人で観覧車に乗り込む―――
――予定だった。
先輩が呆然と立ち尽くしている。
私も呆然としたまま、観覧車の中で立ち尽くしている。
目の前には透だけが立っている。
「あれ………?」
私の目に映った光景は、なぜか。
栞さんが先輩の腕を掴み、私が透に手を引かれ観覧車の中へと連れ込まれたのだった。