13 中庭の2人
先輩と別れたら、やろうと思っている事がある。
にっこり笑って、透におはようって言うんだ。
「くるみ、今朝はいいことでもあったの?」
教室に入ると、りーちゃんが私の側へやって来た。
「うん、一歩前進」
「そっか」
きっとそれだけでりーちゃんには全てが分かったのだろう、それ以上は何も聞かれない。
私の頭をくしゃりと撫でた後、他愛もない話が始まる。
暫くすると、透が教室の扉を開けた。
おはよう、と、決意どおりの笑顔で挨拶をする。軽く口元を緩ませ、透も、おはようと言ってくれた。その後また目を逸らし、自分の机へ向かっていく。
そのまま、透を、見ていた。
机の上に鞄を置いて。ぼんやりした様子の、透を見ていた。
色素の薄い瞳は黒板を捉えている様で、心はどこか彼方に向けられているような、様子。
首を少し傾け、柔らかな茶色の髪が反動で揺れている。
今日はもう、どれだけ透を見ていたっていいのだ。浮かれた気分で、好きなだけ透を見ていてやろうと思い、ずっと透の方を向いていた。
思う存分見つめていよう。
昨日、りーちゃんに言われた言葉が私の心を優しくくるむ。
透の心は栞さんで、それは変わらなくても。
私の心も透で、そのままでいいんだよ。
好きなだけ見ていればいいんだよ。
って。
………!!
夢心地で透を見つめていたら。
突然。くるり、と透が後ろを振り返った。
目が合う。
逸らそうかと一瞬、思って止めた。そのまま見ていたっていいんだよ、って何かが私に囁いた。
にっこり微笑んでみせたら、少し驚いた様子で、それから少しだけ、透は私に微笑んでくれた。
放課後。
登下校はもう一人だ。今日はゆっくり荷物をカバンにしまい、のんびりと廊下に出た。
両手をあげ、軽く伸びをした後、いつもの癖で中庭に視線を向ける。
―――あれ?
栞さんの隣に、透ではない人が立っている。
透よりも遥かに大きな体の男の人。
あれは……悠真先輩だ。
少し怯えたような表情で、栞さんに何かを語りかけている。
「あの2人が気になる?」
どきりとして横を向くと透がいた。
いつの間にか私と同じく、側にきて、中庭の方を見ていたらしい。
「うん…何してるんだろね」
栞さんの表情がとーっても冷ややかなんですけど……。
「先輩、何言ったんだろう…。栞さんが、なんか怖いんですけど…」
「かなり怒ってるな、あれ。あんな栞さん、俺、見るの初めて」
先輩と、なにやら会話を交わしているように見えるのだけど……笑顔になっていく先輩に反し、話が進むにつれ、どんどん栞さんの眉間にしわが寄っていく……。
「あいつ、あんな優しそうな顔して意外ときつい性格してんの?」
「まさか! 先輩は見たまんまのとっても優しい人だよ?」
「じゃあ、なんで栞さんあんなに怒ってんだよ」
「知らないよ……」
悠真先輩、栞さんになに言っちゃったの?
栞さん、ものすっごく怒ってるけど…。
「先輩は、にこやかに笑っているんだけどなあ…」
「笑顔で、さらっとえげつない事言ってんじゃない?」
「だからそんな事言うような人じゃないってば!」
「だったら、なんで栞さん、あいつを睨み付けてんだよ」
「知らないよ……」
透と2人でヒソヒソ話ながら中庭を覗いていると、悠真先輩から顔を背けた栞さんとばっちり目が合った。
やばっ!! こっそり見てたのばれた!
鬼の形相はどこへやら、私を見た栞さんが、途端にふわりと微笑み出す。
なぜか分からないけれど、ぞくりとした。
「透、私もう帰るね!」
「あれ、あいつ待たないの?」
「待たない待たない、なんか怖くなってきたから、もう帰るわ。透は気になるならもう少し見てなよ」
「いや……俺ももう帰るけど」
「じゃあ、一緒に帰る?」
自然と口から言葉が零れていた。
透が、驚いた顔で私を見ている。
「あ……嫌ならいいけど」
「嫌じゃないけど!」
私の台詞を遮るように、透が言葉を被せてきた。
「くるみが良いって言うなら……一緒に帰ろう」
ふわりと綻ぶような透の笑顔が嬉しくて。
「……うん!」
言って良かった!
心からそう思い、にこりと笑い返して、一緒に下駄箱の方へと向かった。
12月にしては暖かい日だった。
雲ひとつない青空からは日が差し、吹き抜ける風がどことなく柔らかい。
「今年も、クリスマスは雪降らなさそうだね~」
「クリスマスどころか、年内も降らないだろなぁ。今年は暖冬だしね」
「そっか、残念」
「ホワイトクリスマスに憧れたの?」
「ちょこっとだけね」
ドラマでしか見た事のない、雪の降るクリスマス。
憧れるけど、現実は暖冬続きなんだよね…。
「そうだ! 透、クリスマスの日って、夜、家にいる?」
「そりゃいるよ。昼間は出かけるけど、夜には帰ってくるよ。当然だろ」
昼間は出かけている、の言葉にどきりとした。
栞さんと会うの、かな…?
「高校生で夜遊びとか親怒るだろ。夕飯までには戻ってるよ」
「あはは、まあ、そりゃそうか……。私も昼は出かけてて、いないんだけど。夜、ちょっと会えないかなと思って…」
「どうして?」
「クリスマスプレゼント渡そうと思って! ほら、毎年渡し合いっこしてるじゃない」
――あれは小学4年の頃。
サンタの正体はお父さんとお母さんだと教えられ、それ以降、プレゼントは貰えなくなった。
ショックを受けていた私を、透が必死で慰めてくれたんだっけ。
『それじゃ、今年からは俺がプレゼントあげるよ。俺がくるみのサンタになるよ!』
プレゼントよりも、私を喜ばそうと一生懸命になってくれた透の気持ちが嬉しくて。一瞬で、私の顔に笑顔が戻った。
『透が私のサンタになってくれるの? それじゃ、私も透のサンタになるよ!』
まだまだお金のない子どもだから、たいしたものは買えなかったけれど。
沈みこんだ気持ちは、透のお陰で、一気に明るい気分に塗り替えられた。
それ以来、毎年恒例になっていた、渡し合い。
栞さんが彼女なら、これも遠慮しないといけない、なんて思っていたけれど。
いいよね。
私はもう遠慮なんてしない。
「………いいの?」
遠慮がちに透が私を見た。
「透がいいなら、いいよ?」
「くるみがいいなら、いいけどさ」
お互い顔を見合わせて吹き出した。
いつもこうやって、同じことばかり言い合っている気がする。
この感じがひどく懐かしくて、とても嬉しい。
「栞さん、あいつと幼馴染なんだってさ」
思い出したように、透がポツリと呟いた。
「みたいだね、先輩に聞いたよ」
「くるみも知ってたんだ」
お互い、中庭で見た光景を思い出したようだ。
チラリと透を見る。
「……ねえ。栞さんは、先輩の事なんて言ってたの? 優しくて素敵とか言ってた?」
「いいや……聞かない方が良いかもしれない……」
「なんでよ」
「うん、俺の口から言うのは色々憚られる…」
言いにくそうに、透は口をもごもごさせている。
うーん、これは。
先輩の言う通り、栞さんの先輩への評価は、相当辛辣なものらしい……。
「先輩、いい人なんだけどなぁ。栞さんて厳しいなぁ」
「栞さん、俺には優しいんだけどね」
にか、っと透がわざとらしい笑顔を見せた。
むかりとする。
なにそれ。俺には優しいとかそれ、のろけな訳?
てか、栞さん。私にも、どきりとするような事言ってきたけどさ。もしかして透にだけ優しいワケ?
「怒るなよ、くるみ…」
「怒ってないけどさあ…」
「それより」
透のしなやかな手が私の手に伸びる。
「ホラ早く! もうすぐ電車くるよ!」
眩しい笑顔で走り出す透に手を引かれ。
私は久し振りに、心から幸せを感じていられたのだった。