12 勇気を出して
透は無言で立ち上がり、そのまま1階へと駆け降りて行った。
艶やかな長い髪の彼女が、私達を一瞥した後するりと側を通り抜け、透の後を追うように消えて行く。栞さんの、惑わすような香りがふわりと辺りに漂う。
――今日も2人で中庭、かな?
ずきりと痛む胸を抱え、先輩の方を向く。
私はもう、はっきりさせないといけないんだ。
私のためにも。
――先輩のためにも。
「くるみちゃん、体、大丈夫?」
「まだちょっと痛いけれど、大丈夫です」
心配そうに私を見つめる悠真先輩を、冷静に眺めた。
私はもう、迷ってはいけない。
先輩が私の放り投げられたカバンを拾い上げる。そのまま持ち続けようとするのを制し、手を伸ばして先輩から自分のカバンを受け取った。
そのまま昇降口へ向かおうとする先輩の、学生服の裾をつまんで引っ張る。
「悠真先輩、こっちへ来てください」
くるりと身をひるがえし、2階へ続く階段を登った。
戸惑いながらも、先輩は黙って私の後を追う。
2階の踊り場に着き、そのまま足を止めず3階へと向かう。3階へ辿り着いた後、更に1つ階段を登り、突き当りに見えた扉を、ぎい、と開けた。通り抜けると、冷たい風が頬に当たる。少し風が出ているようで、ふわりと髪が揺れた。
――屋上。私が初めて、透への想いを感じた場所。
私の中でなぞなぞが問いかける。
想い続けるのと、忘れるの、どっちが辛い――?
そんなの、どっちも辛いんだ。
それなら私は。どうせ辛いなら私は…。
「こんな所に連れて来て、どうしたの? くるみちゃん」
目の前にある先輩の右手が、ぎゅっと握り締められている。
見上げると、落ち着かない様子で先輩が私を見つめていた。
「中庭でも良かったんですけど、先客がいるかなと思って…」
先輩の眉がピクリと上がる。
意外な反応で私は眉を顰めた。胸の内に点のような不安が混ざる。
この人はもう、私が何を言おうとしているのか分かっている。
時間をかけてはいけない―――そう思い、先輩に向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「悠真先輩、ごめんなさい………!」
「くるみちゃん…」
「私もう、先輩の彼女は出来ません」
そのままゆっくりと頭を上げると、先輩は切なそうに私を見つめていた。
「間宮君」
私から、視線を一瞬だけ中庭に移動させ、再び私の方を向いた。
「くるみちゃん、間宮君が好きなんだね」
咄嗟に両手で口を押さえた。
初めて。先輩の前で顔が真っ赤に染まる。
先輩、もしかして気付いてた――?
「ずっと見てたから。くるみちゃんの隣にいつも間宮君がいたのは、知ってた」
「悠真、先輩……」
「2人、付き合ってると思っていたから、ずっと、見ているだけだったんだ」
ああそうだ。
透を見ていた栞さんが私に気付いていたように。
先輩が透を知っていたとしても、おかしくはなかったんだ。
「私と透は幼なじみで……付き合ってなくて、でも、いつも一緒にいたんです。透が、栞さんと付き合いだすまでは……」
「……うん、ごめん。おれは情けない男なんだよ。間宮君が栞と付き合いだしてやっと、きみに声をかけることが出来たんだ」
先輩は、私の思惑に、最初から気付いていたの…?
ずっと、先輩といながら透ばかり想う私の狡さを知っていて、一緒にいたの…?
「先輩が謝る事はないですよ。私、本当の所を言うと、先輩を利用しようとしてたんです。透を忘れる為に、先輩の事が好きでもないのに彼女になって……」
「いや、おれが悪いんだ」
私の言葉を否定するように、先輩はそう言って。
悲しげな笑顔を私に向けた。
「くるみちゃんの心から間宮君を追い出せなかった、おれが駄目な男だったってだけだよ」
「いえ、先輩は悪くない……」
「栞だけじゃない。くるみちゃんだって、おれには釣り合わなかったんだよ……」
「そんな事ないです! 先輩は優しくて、いい人です。ただ……私の望むカタチと違っていただけで……先輩が駄目なんじゃないんです。私達、合わなかっただけなんです…」
先輩の優しさは透の優しさとは違っていて。
私には透の方が心にピタリと合った、ただそれだけなんだ。
先輩の見せる優しさに喜ぶ人は絶対にいる。それが、私じゃなかっただけなんだ。
始終自信なさげに言葉を紡ぐ先輩を見て、あの日の先輩の、たどたどしい告白を思い出した。
先輩にとって、あれは、私への告白は、きっとものすごい勇気を出してくれたんだ。
あの時の先輩は、上手く行く自信なんてないまま、それでも真っ直ぐに告げてくれたんだ。
不器用でも。自分の精一杯で。
私も、先輩のように勇気を出したい。
「私、気付いたんです。透の心はもう栞さんにあって、想い続けても報われないから、それは絶対辛いと思って、忘れようとしたけれど…」
真っ直ぐに、先輩の目を見つめた。
「気持ちを無理やり誤魔化したまま、忘れようとするのもまた、辛いって、分かったんです…」
先輩も、じっと私を見つめている。
「先輩は栞さんを諦めるのに何年かかりました?」
「えっ?」
虚をつかれたようで、先輩がひっくり返った声を上げた。
「うーん……2年、くらいかなぁ……」
「長いですねぇ。私、まだ自覚して一ヶ月くらいしか経ってないんですよ。諦めるにはまだまだ足りないと思いません?」
「くるみちゃん、それって……」
「透と離れて初めて、自分の気持ちに気付けたから……。だからもっと、気が済むまで想い続けてからにしようかなって。忘れるのは…」
先輩が沈痛な面持ちで俯いた。
背の高い先輩は、俯いているのに、見上げた私には表情が分かってしまう。
――こういう時は、背が高いと困るんだね。
チラリとそんな事を思いながら、チクリと胸が痛む。
「そこまで言われたら、もうどうしようもないね」
暫く無言で黙ったままの先輩が、ぼそりと呟くように口を開いた。
「先輩…」
「でもさ。おれもまだ、諦めるには足りないんだ。くるみちゃん。一つだけ、お願い」
先輩の首が勢い良く持ち上がり、いつもの優しい笑顔が私を捉えた。温かく包み込むような優しい笑顔。
「なんですか?」
「クリスマス。約束の場所で、一緒に過ごさせて欲しいんだ。友達としてでいいから。これで、最後にするから……」
あの時のようにたどたどしい物言いは、少し震えている。
先輩の勇気が眩しい。
断られると分かっていても自分の想いをぶつける勇気が、私も欲しい…。
「デートは出来ません」
「くるみちゃん……」
「でも、お友達として遊びに行くのなら、いいですよ。約束、しましたしね」
眩しい勇気に、にこやかに笑み返す。
ありがとう、と、吐息を漏らすように先輩は呟いた。
もう迷わない。
透が栞さんと付き合いだそうと。
他の女の子が好きだろうと。
クリスマス。先輩との約束を果たした後、私は透に逢いに行く。
先輩のように、勇気を出して。
透に、言いたい事全部言ってやるんだ。
――私の想いを、解放させてあげるんだ。