11 幼なじみで初恋で
「くるみちゃん、危ない!」
「!!」
突然、悠真先輩に肩を捕まれた。驚いて前を見ると、存在感たっぷりに電柱が私の行く手を塞いでいる。
帰り道。栞さんに言われた言葉ばかり考えていたせいか、ずっとぼんやりしながら歩いていたらしい。危うく電柱に頭をぶつける所だった。
「ありがとうございます……」
「いや、間に合ってよかったよ」
照れくさそうにそう言って、私の肩から先輩が手を離す。
そう言えば、つい最近も透に助けられたっけ。
私、ボーっとしすぎ!
ため息をつき自己嫌悪に陥っていると、先輩が躊躇いがちに口を開けた。
「…さっき、栞になにか言われたの?」
突然、先輩の口から栞さんの名前が出、驚いて見上げる。
私の表情に気圧されたのか、キョトンとした顔で先輩が私を見おろした。
「いや、くるみちゃん、下向いてばかりいるから……」
「栞……? お友達なんですか?」
先輩が、栞さんの名前をさらりと呼ぶのに驚いた。親しい間柄だというのが、纏う空気が違いすぎてピンとこない。
「あ、ああ………栞とは幼馴染なんだ」
悠真先輩が首を竦めた。
幼なじみって…
「え、え?」
「くるみちゃんが心配するような関係じゃないから、安心して。向こうはおれの事、木偶の坊くらいにしか思ってないから……」
その言い方に、何かが引っ掛かった。
あの時と似てる。背が高いと言われ困惑していた時の表情と。
「図体ばかりでかいって、まさか、栞さんに?」
「栞だけじゃないけど……一番言ってきたのは栞かなぁ。まあ、本当の事なんだけどね」
「ひどいなあ、栞さん」
「あ、栞が悪い訳じゃないんだ。昔から栞を頼ってばかりいるから言われるだけで……おれが悪いんだよ」
――ああ、そういう事か。
くすり、と笑い先輩を見上げて、言った。
「悠真先輩、もしかして栞さんのこと、好きだったんですか?」
先輩は、私を見下ろしたまま、彼女相手に迂闊な返事が出来ず固まっている。
言葉は出せずとも、赤く染まる頬が全てを物語っている。先輩自身も隠しきれていない事が分かったのか、観念したように語りだした。
「うん、初恋の相手なんだ。その、昔の事だよ?」
「焦らなくてもいいですよ。あんなに綺麗な人なんだもの、好きになっても全然おかしくないです。私だって、もし自分が男だったら絶対クラッときてますよ」
というか、女だけどさっき、どきりとしてしまいました…。
「栞はねえ――子供の頃は男の子みたいだったんだけどね、中学になって急に綺麗になってさ。それから意識するようになっちゃって、気付いたら好きになってたんだ」
「栞さんには、振られちゃったんですか?」
幼なじみで初恋。私と同じだ…。
興味をひかれて栞さんの事を聞いた。先輩もそれなりに思うところがあるのか、普段より饒舌に話だす。私が初彼女とか言ってたし、先輩も、私と同じで上手く行かなかったのかな――。
「栞はおれの事なんて全く眼中になかったよ。いつも一緒にいたけど、気楽な仲間みたいに思われていたのは良く分かっていたし、おれじゃ釣り合わないのも良く分かっていたから、結局何も言えないままだった」
なんだか、先輩の姿が自分とかぶりそうで、切なくなった。
きゅっと眉根を寄せた私を見て、別のことを思ったのか、先輩が焦った様子でフォローする。
「あ、ほんと昔の事だから。中学卒業の頃にはもう諦めてたし、今年の4月からはもう、くるみちゃんを見ていたから――」
今の話を聞いた後だと、本当に分からない。
なんで私?
栞さんと私、正反対のタイプなのにな……。
「ごめん、こんな話しちゃって」
「いいえ、私が聞いたから――それより、栞さんですけど!」
おろおろする先輩を可哀想に思い、話を元に戻した。
「さっきは……悠真先輩がいなくて探していたら、職員室にいるって教えてくれたんです。それだけです」
「そっか。あれ、栞に職員室行くって言ったかな?」
「呼び出されていたところ、見られてたんじゃないですか?」
「……かなぁ?」
私は少し申し訳なく思いながら、誤魔化し誤魔化し、駅へと向かうのだった。
「くるみ。まだ先輩と別れてないの?」
昼休み。
廊下に出て、中庭をぼんやり眺めていると、いつの間にか隣にりーちゃんが立っていた。
私の視線の先を辿り、溜息をつく。
「透君、最近ずっとあそこにいるね」
ぎくりとした。
今日も栞さんと並んで座っている。
「くるみ、いいの?」
「いいの、って言われても…」
「透君とこのままで、いいの?」
「…だって。透は栞さんが好きなんだもん。どうにもならないんだよ…」
ぎゅっと唇をかみ締める。
りーちゃんの目が険しくなった。
「違うわよ。透君に何も言わないままでいいの? って言ってるの」
窓枠に掛けた手に力が入る。
「透君を諦めて先輩とやらに逃げるのもアリだと思うよ。でもくるみ、どうにもならないと言いながら、透君を目で追ってばかりいるじゃない。透君に一度もぶつからず諦めようとしてるから、いつまでもぐずぐずしてるのよ」
「……りーちゃん……」
「すっきりさせなよ」
ぶつかるのは、怖い。
振られるとはっきり分かっていて、向かっていくのは、怖い。
だからつい先輩といてしまう。
自分を確実に受け入れてくれる、先輩と。
「先輩もいい人なんだよね……。時間かければ段々、透の事忘れられるかな」
りーちゃんの目が、私をじっと見つめている。
傷つきたくなくて。
楽がしたい私の本心をきっと見抜いている。
「くるみは、先輩とキス出来るの?」
「えっ?」
「付き合ってたらするよね。くるみには出来るの?」
…考えた事も無かった。
「まさか、付き合うって一緒に登下校するだけなんて思ってないよね? ちゃんとその先があるんだよ。出来るの?」
固まる私に一瞬冷ややかな目線を送った後、ふっと、優しいいつものりーちゃんに戻った。
「忘れる為に、無理する必要ないんだよ?」
「りーちゃん、私……」
「忘れるのが辛いなら、忘れなくてもいいんだよ」
りーちゃんの肩にしがみついた。
やれやれといった様子で、りーちゃんが再び窓の外へ視線を落とした。
――想い続けるのと、忘れるの、どっちが辛い?
なぞなぞの様な思いを抱えつつ、放課後、2階の教室へ向かった。
廊下を曲がり、階段をあと少しで登りきろうとした所で、2階から降りてくる人がいた。
透だ。隣に栞さんが立っている。
「透……」
思わず呟いた私と透の目が合った。
どきりとした瞬間。
ふわりとした感覚がして、私は階段から足を踏み外した。ガクンと体がよろけ、後ろに倒れる。
「うわっ」
「くるみ……っ!」
迷いなく。
私に向けられ透の手が伸びた。
私がずっと求めていたものが今、目の前に差し出されている。
咄嗟に掴んだ透の手は温かい。そのまま、力いっぱい引き寄せた――。
――って、あれ?
透も、あれ? って顔、してる。
「ばか、くるみが引っ張っちゃ駄目だろ!」
「え……あ……わあ!」
私の引っ張る力に透が足を取られたようで、透ごと一緒に階段の下まで転がり落ちた。背中は固い階段に打ち付けられ、お腹の上には透の重みがのしかかり、ダブルで痛い。最悪だ…。
「いたたたた……」
痛みをこらえていると、体の上からうめき声が聞こえてきた。
「いって……」
「ご、ごめん、透っ」
「ったく……、この前もそうだったけどさ、くるみ最近ぼーっとしすぎだろ。もう少し気をつけろよ…」
視線を動かすと。
むっつりとした透の顔が、すぐ目の前にあった。
どきり、と心臓が跳ねる。
すごく、近い。
透の顔から表情が消えた。体がまるで凍りついたかのように、動けない。
一秒が一時間のように長く感じ、時が止まったのかと錯覚し。
暫くお互い見つめ合った後、透の手が、そろそろと動きだした。
指が私の顎に触れる。
まるで、あの日中庭で見た光景のようだ。
映画のワンシーンを鑑賞しているような気分で、真顔の透をじっと見つめていると、頭上から声が聞こえてきた。
「くるみちゃん!」
悠真先輩だ。大きな声にピクリと反応した透が、私の顎から指を離し身を起こす。止められた時間が回りだしたかのように、私も、のろのろと立ちあがる。
心配そうに駆けよる先輩の顔を眺めた。唇を見つめてみた。
先輩の太い指が私の顎に絡む所を想像して、私は。
――想像の中で。私の両手は、先輩の顔をしっかりと、払いのけていた。