10 妖艶な囁き
まただ……。
放課後。先輩が教室から出てくるのを待つ間、廊下の窓から中庭を眺めていると、透と栞さんが2人、佇んでいるのが見えた。
こうして一緒にいる所を見かけるのは、これが初めてではない。
最近の透は、私たちと弁当を食べた後、ふらりと教室を抜けることが増えた。
栞さんと過ごしているようだ。
あの日なにか言いたげにしていた透は、あれからもう、学校でも私に何も言わなかった。
透を見ても、気まずそうに目を逸らされるだけ。
「くるみちゃん、何見てるの?」
悠真先輩の声が背後から聞こえ、はっとする。
誤魔化すように慌てて振り向いた。
「今日は風が強くて寒そうだな、って」
「ほんとだ。中庭の木が揺れてる」
中庭というワードにどきりとした。
先輩が、私の横から窓の外を見ている。
「帰ろ」
「あ、うん」
気付かれたくなくて、窓から身を離した。先輩もすぐ私に続いて窓から離れた。
階段を降り下駄箱で上靴を履きかえる。再び先輩と合流し、外へ出ると体を冷たい風が襲う。
勢いのある風にあおられ、髪がふわりと広がる。
「風、強いなあ。髪くちゃくちゃになりそ…」
「おれの後ろ歩く? ちょっとは風除けにならないかな」
「いえ~、大丈夫です。それに…」
言いかけて、止まる。
中庭に居たはずの2人がこちらへ向かってくるのが見えた。
透と、栞さんだ…。
吸い込まれるように2人を見ていると、ぷいと透が目を逸らした。
透の隣に視線をずらすと、私をまっすぐ見つめる艶やかな瞳と目が合う。
栞さんが、私を見ている。
強風にあおられ、かき乱れる長い髪を片手で押さえながら、私をじっと凝視する瞳は潤んで見えた。瑞々しい唇が少し持ち上がる。
何か言われるのかと身構えたけれど、そのまま栞さんの口から言葉が漏れる事はなく、私達はすれ違った。
突風が通り過ぎたのか、髪がしおれていく。
「…くるみちゃん?」
「風、収まってきましたね」
「そうだね…」
水面に一滴のインクを落とすように、私の心には栞さんが広がっていく。
校門を出て、駅に向かいながら通りを歩いていても、私はずっと栞さんの事を考えていた。
私と違い、背も高く、大人っぽい栞さん。
艶やかな髪といい、瞳といい、唇といい、私でも見とれてしまう綺麗な彼女。
……はあ。
背なんてもう伸びないし。
自他共に認めるコドモ顔だし。
大人っぽい恰好しようにも、ロングスカートは裾が地面につくし、胸もない…。
『子どもが制服着て歩いているような、くるみだよ?』
透の目には、栞さんのようには映れない――
「………だから、一緒に行かない?」
「あ、はい!」
はっ。
反射的に返事をしてしまった。
これ前回と同じ展開!
考え事をしてまるで聞いていないとか、私ちっとも成長してないな…。
「嬉しいな…。今年はちょうどクリスマスが休日だから、一緒に過ごせたらいいなと思っていたんだ」
隣を見上げると、照れくさそうに手を後頭部に当てる悠真先輩がいた。目も口元も緩んでいる。
先輩は、こんな私でも喜んでくれるんだね。
やっぱり、当初の目的通り、このまま透を忘れた方が、いいのかな……。
じっと見ていると、先輩が急に不安そうな顔をした。
「あ、他に行きたい所があるなら言ってよ? おれ、くるみちゃんと過ごせるなら場所はどこでもいいから」
「いえ。私そこ、前から行ってみたかったんです」
先輩がクリスマスに誘ってきたのは、お洒落な海沿いのショッピングモールだった。
先輩からかけ離れたような場所。
少し遠くて、行ってみたいと思っていたけれど、機会がなくて……まさか先輩からここ誘われるとは思わなかったな。
目の前の無骨そうな人からは想像もつかない。
海沿いにある、雰囲気のいいモール。
女友達と行くか、それこそデートで行くような場所だ。
私が喜びそうな所、一生懸命考えてくれたのかな?
透と一緒にいた頃は、もっと遊べるようなとこばかり行ってたなあ…。
はっ。
だから透思い出しちゃ駄目だってば。
「それに先輩、私の為にリサーチしてくれたんですよね?」
「え……」
「あれ、違うの? それとも、彼女と行ったことあるんですか?」
「いや、ない、ない! くるみちゃんが初めての彼女だから…」
必死に否定した後、なぜか、先輩は肩を落とし困った顔をした。
今日もだ……。
昼食後、いつものようにさり気なく透が教室から外へ出た。
お弁当を食べ終えた後トイレに行こうとし、廊下の窓を見ると、中庭の花壇の前で二人が腰掛けている。
2人とも、なんだか悲しそう。
何かあったのかな…。
突然。くすり、と軽く透が微笑んだ。
どきりとする。
栞さんに向けられた柔らかな微笑みについ、見とれていると、透を見ていたはずの栞さんがふっと視線をずらし、私と目が合った。
また……。
なぜだか栞さんは、私をじっと見つめてくる。
素早く目を逸らし、足早にトイレへと駆けていった。
「あれ?」
放課後、いつものように2階へ向かい教室の中を覗いたけれど、そこに先輩の姿はなかった。
あの大きな体だ。見落とすはずがない。2,3度ぐるりと見回してもやはり、先輩は見当たらなかった。
戸惑う私の目の前で、教室の扉ががらりと開き、中から、私の良く知る人が現れた。
栞さんだ。
すらりとした足が軽やかに動き、私の側へとやってくる。
艶のある黒髪が軽く舞い、惑わすような匂いがふわりと辺りに漂う。
「逢坂さん?」
綺麗な見た目に良く似合う、艶やかな音色が響く。
「彼氏を探しているの?」
「あ、はい…」
緊張して声が上擦る。栞さんと言葉を交わすのはこれが初めてだ。
「さっき職員室に行ったわ。もうすぐ戻ってくるんじゃないかしら」
「あ、ありがとうございます」
「あなた、毎日来てるけど彼氏と仲いいのね」
くすり、と翳りのある妖艶な笑顔を向けられ、どきりとする。
こっ、これは……透だって虜になっちゃうわ!
女の私でもドキドキしてきちゃったよ。
「彼氏のこと好きなのね」
花開くようにふわりと微笑まれ、咄嗟に返答が出来ず目を逸らす。
廊下の先からこちらへ向かう悠真先輩の姿が見えた。
私に気付いたようだ。手を挙げこちらに近づいてくる。
「…あ、来ました……」
誤魔化すようにそう告げると、栞さんがそっと私の近くに顔を寄せた。
また、どきりとする。
「嘘よね」
低く、くぐもった声で栞さんが呟いた。
「透君のこと、見てるよね」
ゆったりとした笑みを浮かべ、栞さんはしなやかに身を翻しその場を去った。
私は何も言えなかった。